第8話『仕事の辞めかた講座(前編)』
かなり間が空いてしまった。
ので、ざっくりあらすじ。
死んだ、と思いきやVTuber育成ゲームの世界にTS転生していた主人公。
『俺』は『私』が応募していたVTuberオーディションの二次審査を、コンビニのトイレで受けるハメになるも、なんとか乗り越えたのだった……。
その日、俺はずいぶんと久しぶりにゆっくりと夜を過ごした。
酒を飲み、おつまみを食べながらVTuberの配信をリアルタイムで見た。
それからぐっすりと8時間の睡眠を取……ろうとしたけど、長年のクセか4時間で目が覚めてしまったのはさておき。
翌朝、8時40分。ここからが正念場だ。
俺は気合を入れて、職場へと足を踏み入れた。直後、予想通りの怒声が飛んでくる。
「なァに重役出勤してんだあァん!? オレからの電話ムシしてんじゃねーぞナメてんのか!」
「申し訳ありませんでした」
「まさかオレたち社員サマが7時に出社してがんばってんのに、テメェはぐっすりおねんねしてたってわけじゃないよなあァん!? バイトのクセに早出してオレたちを支えようとは思わないんですかァ!?」
「すいません。私用があったので」
「私用だァ? もしテメェの案件にトラブル起きてたらどうするつもりだったんですかァ!? それでも私用優先ですかァ!? 業務時間外だから私関係ありませーんってかあァん!?」
「いいえ。ですが、ただ『早朝出社しろ』という命令の場合はべつです。業務時間外でしたし、私用を優先しました」
俺はキッパリと言い切った。
ビキビキ、と効果音が聞こえそうなほど先輩上司のこめかみに血管が浮かぶ。
「……もう一度聞くぞ。ナメてんのかテメェ?」
「いいえ。一度目の電話に対応した際に『本日は早朝出社できません』ときちんとお断りしました。ただ、それだけです」
「そういうセリフは業務時間中に仕事終えられる人間が言えるセリフじゃないんですかァ!?」
最初から残業を前提とした仕事量を割り振っておいて、よく言う。
それでも、本当にトラブルが起きた可能性を考慮して一度目はちゃんと電話に出た。それが俺に出来る最大限の譲歩だ。
「テメェの許可なんていらねェんだよ! 許可ってのは上司であるオレたちが出すもんなんだ! そんなのもわからないんですかァ!? テメェみてェな無能バイトが勝手に判断してんじゃねェ! テメェの仕事はなんで? オレたち上位の命令を聞くことだよ!」
「これから社長にお話があるので失礼します」
「オイ! まだ話は終わって――」
先輩が俺へと手を伸ばすが、届かなかった。俺は昨日の反省を生かし、いつもより半歩離れて会話していた。
「触ったら、暴行とセクハラで訴えます」
ピクリ、と伸ばされていた先輩の手が止まる。
俺が本気だと伝わったらしい。昨日のできごともまだ頭に残っているのだろう。
「ハッ! なァにがセクハラだ。能力がねェクセに権利だけは一丁前に主張しやがってよォ! 社会のわかってねェ無能に教育してやろうっつー、オレたちの優しさがわかんねェかなァ!?」
「時間がないので失礼します」
「まだ話は――」
先輩上司を迂回して社長のデスクへ近づく。
俺を追ってきた先輩上司は、忌々しそうに舌打ちして自分のデスクへと戻っていった。
幸い、社長は出勤してくれていた。結構な頻度で営業で外に出ており、しかも直行直帰がデフォルト。出勤時間もまちまちなので……最悪、会えるのは来週以降になるかもと考えていたのだが。
「おはようございます、社長。すこしお時間よろしいですか?」
「おはよう、侘木くん」
社長は先輩上司とのやりとりなんて聞こえていないかのように自然な態度でほほ笑んでいた。
「いやぁ、よかったよ出勤してきてくれて。昨日の話は聞いたよ。とても心配していたんだ。もしかしたらもう来てくれないんじゃないかって」
「昨日は大声を出してすいませんでした」
「いやいや、こちらこそ悪かったね。君のことはとても頼りにしているんだよ。これからも君の活躍には期待しているからね」
「ありがとうございます。ですが申し訳ありません」
「どうかしたのかな? もしかしてご家族に不幸でもあったのかい? それなら気にしなくていい。半休をあげるから、午前中に急ぎの用件だけ済ませて行ってくるといい」
「いえ、不幸ごとがあったわけでは」
「そうなのかい? だったら今日も仕事をがんばってね。私は君をとても応援しているよ」
「あ、ありがとうございます。がんばります」
よーし、今日も一日仕事するぞー!
……。
…………じゃなくて!?
いかんいかん、あやうく話が終わってしまうところだった。だが流されるわけにはいかない。社長は非常に口がうまい。警戒して話を進めないと。
俺はカバンから本題の書類を取り出した。
「それで本題なのですが、こちらを」
「なにかな? 私へのラブレターかい?」
「退職届です。私の希望といたしましては、ちょうど2週間後の3月1日づけで退職させていただければと思います」
俺は昨晩書いたそれを差し出した。
社長は「うーん」と腕を組む。
「ずいぶんと突然だね」
「私にとっては以前から考えていたことです」
「もう転職先は決まっているのかな。たとえば昨日急いでいたのは会社の面接があったからかい?」
「いえ、昨日のはただの私用です。転職活動はまだこれからです」
「だったらもうすこしウチで働くといい。2週間じゃ次の就職先を見つけるのは難しいだろう? 見つかってから転職したほうが君も安心だろう」
「転職活動は退職後、腰を据えてじっくりと行いたいと考えています」
「そうなのかい? うーん。でも、これは私も経験があることだけどね……やはり仕事と並行しながら転職活動をしたほうがいいと思うよ。いつ就職できるかもわからないし、収入が途絶えるとどうしたって焦ってしまうからね。そうなると冷静に転職先を見極められなくなる」
「お気遣いありがとうございます。ですが、」
「それに侘木さんは高卒で経歴もアルバイトだけだよね? 資格も持っていないし、私以上に転職活動は難航すると思うよ」
「……アドバイスありがとうございます。では、退職後は転職活動と並行して資格の取得も目指させていただきます」
「それこそウチで働きながら勉強すればいい。働きながら資格を取って、同じく働きながら転職活動するのが一番だと思うよ」
「かもしれません。ですが、」
「それに、ウチで働きながら、なら……もし転職活動がうまくいかなかったしても、そのままウチで働き続けることもできるよ」
「たしかにそうですが、」
「あぁ、そうだ! ひとつ、言い忘れていたことがあった」
社長がわざとらしくポンと手を打った。
「色々と事情があって手続きができずにいたんだけれどね」
「――近々、君を正社員に昇格したいと考えているんだ」
「……っ!」
それは、私が2年間も望んでいたものだ。胸中で私の心がざわりと揺れていた。
「遅くなっちゃって本当にごめんね」
社長の口が真っ赤な三日月を形作っていた。