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第2話『私はだれ? ここはどこ?』


「ていうか、私ってだれだ?」


 VTuberの審査に臨む――そう決意した俺だったが、よくよく考えるとそれ以前の問題が山積みであることに気づく。なにせ自分についてすらほとんど知らないのだ。

 わかるのは精々、二次審査の案内メールに書かれていた名前くらい。


侘木ワビキハル」


 これが私の名前らしい。口に出してみるとしっくりとくることからも、間違いなさそうだ。


 しかし、ほかの情報はあまりにも断片的。

 部屋の隅に放られていたカバンからサイフを探り当てる。中に免許証……はなかったが健康保険証を見つけた。そこから誕生日と年齢がわかった。


「って、え!? 私って成人済みなのか!?」


 てっきり10代前半だと思っていた。いや、冷静に考えると18歳以上じゃないとオーディションには応募できないし、なにもおかしくはないのだが。


「そのわりには身長も胸も……いや、やめておこう」


 しかし……学生なのか、はたまたどこかに務めているのかすらまだわからない。

 部屋に散らばっている教材はどれもプログラミング関連だった。ただし、教科書ではなく市販のテキスト。なので、学生ではなくどこかIT系の会社で働いている可能性が高い。


 でも、名刺も見当たらないし、保険証も国民健康保険だ。となるとアルバイトやパートタイム……すなわちフリーターなのかもしれない。


「スマートフォンの中には全然情報がないし……あ、これか?」


 電話の着信履歴。頻繁にかかってきている番号をネットで検索すると、IT会社の名前がヒットした。勤務先はここだろうか?

 にしても、SNSを見ても長らくだれとも連絡をとった形跡がな……あっ。


「もしかして私……ぼっち?」


 いやいや、そんなはずは。きっとパソコンで連絡を取ってたんだろう。ハハハ……。

 空笑いしながらテーブルにあったノートパソコンに手を伸ばした。電源ボタンを押して起動して……。


「ログインできねぇじゃん!」


 パスワードがわからない。スマートフォンが指紋認証で開いていたから、うっかりしていた。

 秘密の質問ってなんのためにあるんだよ!?


「ていうか、これマジでやばいのでは」


 こうまでスマートフォンに情報がないとなると、応募用の動画を撮影・編集したのも、応募書類を用意したのも、応募時のエントリーフォームを記入したのも全部パソコンの可能性が高い。


 つまり、パソコンを開けないかぎり俺は、二次審査を完全な手ブラという地獄のようなシチュエーションで臨まなければならなくなる。


「やべぇよやべぇよ……」


 胃が痛くなってきた。

 急がなければならない。スマートフォンのほうもうっかり電源が落ちたりしたら、パスワードの再入力を求められて使えなくなってしまう。

 どこかに情報はないかと部屋のあちこちをひっくり返す。


「ていうかホント汚ねぇなこの部屋!?」


 あちこちを掘り返したが、なにも見つけられない。どこかに雇用契約書や履歴書でもあればと思ったのだが。

 わかったのは精々、アパートにひとり暮らしということだけ。アルバムなんかも見つからなかったし、実家にでも全部置いてきたのだろうか?


「うわぁ……どうするどうする」


 業者に頼んでハードディスクを物理的に取り外してデータを回収してもらうか? いやでも、面接まで一番遠い日を指定しても10日もない。

 だったら新しいパソコンを買ってきて、自分でハードディスクを外付け化して中身を確認したほうが……。


 ――プルルルルルルル!


「なんなんだ今度は!」


 次から次へと……。

 スマートフォンが震えていた。着信だ。番号はさきほど確認したばかりのIT会社。こんな状況で会話したらボロが出るかもしれない。でも今はすこしでも情報が欲しい。

 迷い、しかし応答のアイコンをタップした。


「はい、もしも――」


『出るのが遅ぇんだよナメてんのかあァん!?』


 ――えぇえええええええええ!?!?!?


 開幕、すさまじい怒声に困惑する。


「いや、あの」


『テメェ今、何時だと思ってんだあァん!? さっさと会社来やがれ! これで納期間に合わなかったらテメェのせいだかんな! わかってんだろォなァ!?』


「その、だから」


『テメェの代わりなんざいくらでもいんだぞ! クビにされてェのか!? 損害が出たらテメェの給与から差っ引いて補填させるからな! わかったら今から5分以内に来い!』


 ――ブツッ。


 そのまま一方的に電話が切れてしまう。

 すべてを理解する。俺……いや、私……。



「――今世でもブラック会社勤務だぁあああああ!?」



   *  *  *


 ホームページに記載されていた所在地を辿り、ようやく会社に到着する。

 そんな俺を待ち受けていたのは、地獄。タイムカードもなく、まだ朝の7時過ぎだというのになぜかみんなデスクにいて、怒声とタイプ音だけが響く職場だった。


「侘木ィいいい! 遅刻するとか何様だあァん!? この中にはなにが詰まってるんですかァ!? 空っぽなんですかァ!? それともナニのことでも考えてて眠れなかったんですかァ!? サカってんのかあァん!?」


 開幕、先輩社員らしき男から丸めた資料で頭をはたかれ、怒声を浴びせられる。

 パワハラとセクハラの2コンボだ。


「すいませ――」


「いつまでも突っ立ってんじゃねェぞ! 遅刻したクセに謝罪してるヒマがあるんですかァ!? さっさと働こうとは思わないんですかァ!?」


 ……なんというか、すげぇな。

 一周回って感心するほどのブラックっぷりだ。


 俺は謝罪を繰り返しながら、自分のものらしきデスク――名前も知らない先輩のとなりにあるデスクに着いた。

 パソコンを起動するとパスワードは掛かっていなかった。家にあったノートパソコンもこれくらいノーガードだと助かるのに。


 そんなことを考えながら仕事に取り組みはじめた俺だったが、そこから先も悲惨なものだった。


『昨日言ったことも覚えてねェのか! これだから大学も出てねェヤツは。どうせテメェみたいなトリ頭はどこの大学にも受からなかったんだろォ!』


『オレのカップが空だろォが! なんでそんなことにも気づかないんですかァ!? だから仕様漏れにも気づかねェんだよ! お茶汲みもすらできなくて女になんの価値があるっつーんだあァん!?』


『いつまでチンタラやってんだあァん!? バイトサマは気楽でいいなァオイ! 納期間に合わなくっても私のせいじゃありませーん、ってかァ!? 仕事ナメてんじゃねェぞ!』


『なに帰ろうとしてんだ? まだ21時だろォが! 仕事も満足にできてねェヤツに帰る権利なんかあるわけねェだろ! 俺たちがまだ働いてるのが見えないんですかァ!?』


『なんで俺たちの夜食買って来ねぇんだ!? 無能な上に先輩への気遣いもできません……って、じゃあお前にはなにができるんですかァ!? 俺たち有能な社員サマや会社サマに養っていただいてるって自覚忘れてんじゃねェよ!』


『はァ? 23時? テメェは終電なんか関係ねェだろ! なんで遅れた分、自主的に残って働こうと思わないのかなァ!? それを恥知らずとは思わねェのかなァ!? わかったらこの案件終わるまで勝手に帰んじゃねェぞ! 明日、操作ログ確認するからサボってたらすぐわかるんだからな! ……それじゃ、部長! 社長! 帰りましょうか!』


 とまあ、そんな具合で。結局、俺が会社を出られたのは深夜1時だった。フラフラになりながら自転車を漕いでアパートを目指す。

 当然のように残業代は出ないだろう。そもそも出勤したという記録すら残っていなさそうだ。

 

「これはアカン、死ぬ」


 幸い、仕事はWebアプリ系――前職でも似たようなことしていたこともあり、すぐに慣れられそうだ。が、メンタルと体力が追いつかない。


 俺の精神年齢はこの肉体よりもずっと上だ。この年になって人から叱られたり怒鳴られ続けるのはかなりクるものがあった。

 そしてそれ以上にマズイのが体力。


「ええっと、明日が7時出勤だから……?」


 おかしいね。計算が合わないね。1日って30時間だっけ……?


 家に食料があるかも把握できていないため、コンビニで凍食品と弁当を買って帰った。

 そんな俺を出迎えてくれたのは散らかった自室。


「いや納得。これは片付ける時間も体力もありゃしねぇ。そんなヒマがあったら寝るわ」


 冷凍食品をしまおうとしたら、まったく同じものが冷凍室にあって色々と察する。帰り道にあったスーパー、どこもすでに閉まってたもんな……。

 ちなみに冷蔵庫の中は栄養ドリンクと調味料だけだった。


 スーツを脱ぎ散らかし、コンビニ弁当を温め……。


「ハッ!? 寝てた……!?」


 電子レンジのターンテーブルを見てる間に意識が飛んでいた。

 疲れが限界だ。さっさと食べ終えてシャワーを浴びる。女性の身体に興奮……する余裕なんてない。トイレを躊躇する……ヒマもなかった。


 ベッドに倒れ込む。

 視線の先――姿見鏡に自分が映っていた。


 今朝(というか昨日)は驚きが先立って気づかなかったが、よく見るとずいぶん疲れ果てた顔をしている。髪はボサボサだし目の下には隈が張りついている、肌も荒れがち。

 なんとか若さだけで保たれている外見。

 というか、身長と胸が足りないのは栄養と休息が足りてないからなのでは? とさえ思う。


「……おやすみ」


 ひとりごとか、はたまた鏡の向こうにいるだれかに言ったのか。そう呟いて目を瞑り……。


「いやいやいや、そうじゃねぇ!」


 本題を思い出す。

 あまりのブラックっぷりに忘れていたが、VTuberの審査について話がまったく進んでない!


 ええっと、メールの返信が明日まで? 明日、仕事がテッペン回るまでに終わるかわからない。とりあえず面接日を最終日に指定して今のうちに返信して……っと。


「あとはパソコンのハードディスクを取り出――スヤァ……」


 俺は寝た。


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