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二話 少しずつでも

 ずいぶんとゆっくり歩いていたらしい。


 空のてっぺんにあった太陽はだいぶ傾き、もう少しすれば西の空は橙色に染めあがっていくだろう。

 実家にいたときとは別種の不安を抱え、アルバンはエルフの里での自分の家の前へと帰ってきていた。

 樹齢数千年ほどの巨木が寿命を終えた際に、幹をくり抜き内部に居住空間を設けた自然とともにあるエルフらしい家だ。


 エルフは人間とは違い、必要以上に自然のものを加工するのを嫌う。最低限度の生活用品を、寿命を終えた木で作ってある。身に着ける服さえも、一枚の布に穴が開いているだけのようなもので、非常に簡素なものだ。質素な暮らしは特別嫌ではないが時折、人間の道具が恋しくなることもある。食事の際、食器もナイフの無いのには驚きを隠せなかった。


 アルバンは玄関の前で、立ち止まる。


 玄関とはいっても、植物のツタで遮っているだけの簡素なものだ。

 ふぅ、と小さく息を吐き出し玄関をくぐった。


「ただいま、ルシール」


 できるだけ明るい声で、近く夫婦となる自分の嫁に声をかけた。


 ルシールは木の内側をくり抜いて作った穴から外を眺めていたが、ゆっくりとアルバンに顔を向けた。

 どことなく哀愁が漂う青色の瞳は、磨き上げられた宝石にも引けを取らないほどに輝いている。簡素な服から伸びる手足は、まるで蝋が塗ってあるかのように滑らかで傷一つない。右耳の控えめに光るイヤリングがアクセントとなり、ルシールの容姿を一層美しく見せた。


 特に、今日一日、やることもなかったのだろう。

 顔にかかった絹糸のような銀髪を耳にかけると、小さくあくびをした。


「お帰りなさい。もうそんな時間なの……?」


 眠そうにそう言うと、ルシールは再び穴から外を眺めだした。


「ルシール。腹減ってないか? この前気が付いたんだけど、森の中に食べられる野草が結構あったんだ。実家から持ってきた香辛料がまだあるから何か作ろうか?」


 ルシールは目線だけを、ちらりとアルバンに向けると「いらない」と一言呟いた。

 別にルシールの体調が悪い、というわけではない。それはアルバンにも分かっている。


 エルフには料理という概念が希薄だ。


 森の中に生えている木の実や、果物を少量食べれば生きていける。水ですら一日に一口ほど飲めば問題ないという有様だ。


 しかし、アルバンは人間だ。


 一応貴族であったため、幼い頃からそれなりの食べ物は口にしていた。食後にワインを――と贅沢は言わないが、せめてたまには肉が食べたい。


 アルバンも里に来て以来、果物と木の実しか口にしていない。単調な味に飽き飽きしていたのだ。食べ物の違いくらいと、たかを括っていたが、想像以上にきついものだった。

 せめてルシールには多少なりとも、人間の食事に慣れてもらわないとアルバンが参ってしまう。


「この前作った料理は、少し味付けがきつかったのかもな。今日はこの里にある食材を中心に――」


 部屋の隅にあったアルバンの私物の中から塩の小瓶を取り出したところで、ルシールは座っていた木の椅子から立ち上がった。


「いらない」


 穏やかな口調ではあったが、ルシールの言葉の端には刺々しさがあった。


「私はずっとこの里で暮らしてきたの。里の外に出たのも数度きり。人間の食べ物はどうしても口に合わないわ」


 ルシールはアルバンが持つ塩の小瓶に目をやると、眉をひそめた。


「でも……俺だって、今まで人間の世界で暮らしてきたんだ。少しくらいは人間の味付けに慣れてみてもいいんじゃないか?」


「嫌よ」


 その言葉に、アルバンの頭が熱を帯びる。


「この里に婿に来たのはアルバンでしょ? だったら、あなたがエルフの食べ物に慣れるべきよ」


 歩み寄れない種族の壁。

 たかが、食べ物のことではあったがこれから毎日のことだ。大きくのしかかってくる。


「もういい!」


 アルバンはそう言うと、勢いよく木のテーブルに塩の小瓶を叩きつけた。乾いた大きな音が部屋の中に響き渡る。


 ルシールはその音に体を震わせると、アルバンの表情を見た。アルバンは視線を返さない。ルシールは悲しそうな表情で奥の部屋へと足早に去っていった。

 部屋の中が酷く静かに感じられる。


 アルバンは椅子に力なく腰を下ろすと、頭を抱えテーブルに突っ伏した。首に掲げたペンダントを手に取って眺める。


 あんなこと言うつもりではなかった。


 エルフの里に来た当初は、不安ながらも少し楽しみでもあった。


 まだ、七か八歳の頃。実家の手伝いで一度、このエルフの里に来たことがある。その時に初めて見たエルフという種族。人とは違う神秘的なものすら感じさせるその風貌。心を奪われた。帰る日が近づいたときにはひどく寂しい気分になった。その時に受け取ったのが今、アルバンの手の中に収まっているペンダントだ。


 木でできた星型のペンダントの中心には、宝石をはめる穴が開いている。


 もう一度会えますように。


 どこで、いつ無くしたのか覚えていないがその宝石にはそんな願いが込められていたはずだ。

 再びこのエルフの里に来られたのは、ペンダントが導いてくれたのだと思っている。兄たちにしてみれば口減らしのようなものだろうが、アルバンには少し嬉しかった。


 しかし、現実は甘くはなかった。種族の違いはここまで重くのしかかってくるのか。


「アルバン」


 鐘の音のような清らかな声に、アルバンの体がぴくり、と跳ねた。

 ルシールがアルバンから視線を逸らし、への字に曲げた口で何かをつぶやいている。


「これ……メリルのお母さんから貰ったの……」


 よく見ると、ルシールは木の皿を手に持っていた。その上には黄色い何か。


「あなたが、食べ物で困っているだろうからって……」


 ルシールはおずおずとアルバンに近づくと、目の前に皿を置いた。皿の上の黄色いもの――これは卵だ。焼いた卵が乗っている。


「焼いた卵は人間の好物だってメリルのお母さんが言うから……朝あなたが出て行ってから焼いてみて……そうしたら、人間は食べ物を食器に乗せて食べることを思い出して……作るのに時間掛かっちゃった」


 ルシールは少し恥ずかしそうに、卵の乗った皿の横に、小さな木のスプーンを置いた。


 卵は本当にただ焼いてあるだけで、とても料理を呼べるものではない。形も揃えられておらず、冷めきっており、所々焦げついていた。食器もスプーンもただ、形を真似ただけだった。木がささくれ立っているところもあり、実家で使っていた陶器の食器とは比べるまでもない。


「別に、いらないならいいけど」


 アルバンはそんなルシールを尻目に卵を口に運ぶ。


 口の中いっぱいに――――――苦みが広がる。


 しかし、その中にも卵の濃厚な味が感じ取れる。久しぶりの味に涙が出る。


 そんな姿をルシールに見られないように、アルバンは目を手で覆った。


「ア、アルバン? 大丈夫? まずかった? これかける?」


 ルシールは慌てながら、塩の小瓶を手に取る。その手をアルバンは優しく掴んだ。


「いや……いい。ありがとう。ルシール。おいしいよ」


 ルシールはあからさまに頬を朱に染め、口をもごもごとさせた。


「べ、別に私は……メリルのお母さんがあなたのために用意した卵を無駄にしたくなかっただけだから……それに」


「それに?」


「アルバン最近イライラしてたでしょ? それを見てたら私ももやもやしちゃって……」


「イライラ? 俺がか?」


「ええ。自分で気が付かなかった?」


 確かに、慣れない生活で胸中は不安に支配されていた。アルバンは自らの感情を支配できていないことを情けなく思う。

 ルシールはそのまま黙り込んでしまった。


 自分だけが、努力して歩み寄ろうと思っていたわけではなかった。メリルの母親も、ルシールもどうにかアルバンのことを理解しようと思ってくれていたのだ。それがアルバンにはこの上なく嬉しいことだった。


 その時、アルバンの手に柔らかいものが触れた。目を落とすと、ルシールがアルバンの小指をそっと摘まみ、顔をのぞき込んでいた。


「ごめんなさい。私ひどいこと言ってしまったかも……アルバンのことも考えずに」


 元々、エルフは感情を表に出さないが、今のルシールの表情は悲壮感に満ちていた。


「いや……俺の方こそすまない。悪かった」


「ん」


 小さく頷く。


 ルシールの触れている部分が熱い。

 今触れている小指が、ルシールとアルバンの距離なのかもしれない。この手をしっかりと握り、未来を生きていくためには、様々な困難があるのかもしれない。少しずつ歩んでいこう。


 そして、ルシールを愛そう。


 差し込む西日がルシールの表情を照らす。聖女のようにも見えるその姿に、アルバンの胸は一度、大きく跳ねた。


「そ、そうだ! ルシールも一緒に卵を食べないか? ちょっと形はアレだけど……」


「いらない」


 ルシールは半眼でそうつぶやくと、視界から消すように塩の小瓶をアルバンの私物の中に放りこんだのだった。


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