5:協力、向き合い方、付き合い方
私の母親は、「病気」であることは理解していても、「病気」の事は理解していない。
「私には理解できない領域」
そう言われて、まあある意味正しいし、全部嫌になって部屋に閉じこもっても、3日くらいはそのままほっといてくれる。
でも3日過ぎると
「そろそろ元に戻って。家事して。」
と、言われる。その度に、本当に理解する「気」が無いんだなと実感する。
だから、母親に理解を求める事は諦めた。
私が精神を病んでしまった原因は、家庭環境にある事を知っていて、気付いているのに、それでも理解は出来ないしする気もないって、だったら望むだけ無駄だなって。
父親の方はそこまでじゃないし、当たり障りなくしてくれるし。
ただ、1番身近な他人に理解されない事がこんなにも生きにくいものなのかと、それは思ってる。
パニック障害とはそれなりにうまく付き合えるようになった。どういう状況だとどうなるか、それを何年もかけて試して失敗もして、時間をかけて、自分なりの自己防衛も身につけた。
それでも苦手なものは苦手だし、遠出するって時は高速道路のサービスエリアは多分ほぼ制覇してるくらい途中休憩入れないと無理だし、イオンみたいな大きい施設も苦手だし。
手続きとかで知らないところに電話をする事がとてつもなく苦痛で嫌で、後回しにして今痛い目見てる最中だし。
そういう、一つ一つが重なって生きづらくなっていく。今まで当たり前に出来ていたことが突然全て出来なくなって、そんな自分が嫌になる。
自分に自信が無くなる。だから、積極性も無くなる。責められると自分が全て悪いと思ってしまう。
悪循環の中で、多分こればっかりは、どんなにうまく付き合えるようになっても、悪循環から抜け出すことはとても難しいと思う。
完全に治ることはあるのか、それは人によると思う。だけど、例えるなら、そうだなぁ。
泥水を飲水に濾過するには時間がかかるように、一度変化してしまったものを元に戻すって事は時間も努力も必要で。
その変化してしまった自分と向き合う事、今の自分を受け入れる勇気がまず必要で。
だからと言って、精神疾患の落とし穴は割と身近にあることも忘れないで欲しいんだ。
同じ病気を持つ人はもちろん、精神疾患を持つ人なら理解してくれる。分かってくれる。
だけど、若ければ若いほど、傷の舐め合いになってしまう。
辛いよね わかる 死にたいよね わかる
それが一概に悪い訳では無い。ただね、傷の舐め合いをしても、回復なんてしない。むしろ、悪くなる。悪い意味で、「自分だけじゃないんだ」という安心感を得てしまうと、自傷行為やオーバードースなんかは特に、拍車をかける。私もしてるから大丈夫だよ、なんて言われた日にゃ、だよねって。
私はうつ病と闘う親しい友人と、良好な関係を築き続けている。それはお互いが、もちろん病んでる辛いしんどいっても言うけど、それ以上に、今日出来たことや今日楽しかったこと、ポジティブな事をお互い言い合うようにしているから。
マイナス×マイナスをプラスにするには、ただ馴れ合うだけじゃダメなの。
だから、私とその友人のLINEのやりとりは、
「wwwwww」
がとても多い。前を向いて、そしてまたお互いがなりたい自分になる為に、無理なくポジティブな事をあるだけ話す。
自傷したオーバードースした
私と友人は、お互いをお互いが律する。これでもかってくらい、怒る。それだけは絶対しちゃいけないって、責めるのではなく、正す。
そういう関係性を持ちながらいられると、傷の舐め合いにはならない。
精神疾患は、周りの理解が確かに必要だけど。でもそれはとても難しくて、親は特に、育て方間違えたとか、弱い子にしてしまったなんて言ったり、甘えてるだのだらけてるだの、そういう見方もされる。
もし本音でぶつかってもダメだったら、
「お母さん・お父さんは、1番身近な、《他人》だ。理解できないんだ。する気がないんだ。他人だから。」
そう、私は自分の中で納得させた。
それでも協力はしてくれるから、親とも向き合っていかないといけないなと思いながら、私はまだそれは出来ていない。