~新たな人生、紹介します~
なんだったんだろう。
どうだったんだろうか。
歩んできた道に後悔はない。
後悔はない、というのは嘘でも方便でもなく本当なのだが、喉の奥がつっかえて居るのはなんだろうか。
ただ、それは後悔とは何か違うものであるのは間違いない。
もう一度、ただもう一度面と向かって言える一言があるなら。
それでも俺は何も言わないだろう。
そして、静かに押すのかもしれない。
たぶん、姿は見せずに。
君の背を、
心の手のひらだけ、心の中だけを、震わせながら。
「はい、あちらのドアからお入り下さい」
多分、そんな風に言われた気がする。
俺は何故だかはわからないが、その声の導くままに、
まるでそれが元々当然の事のように違和感なく、古びた自動ドアへとノロノロ歩いた。
動きの鈍いドアがガタガタと鳴りながら開くと、室内からは籠ったような熱い空気が流れて来た。
中は特に飾り立てられる事もない、きわめて事務的でいかにも「役所」らしいロビー。
無機質に並べられた白い椅子に、老若男女問わず多くの人が不ぞろいに座っている。
「受付機で番号札をお受け取り下さい」
黒髪を後ろで一つにまとめた地味な印象の中年女性が、
ニコリともせず目も合わせる事なく言い放った。
まぁ良い。その方がこちらとしても居心地が良いように思うから。
発券機からレシートのような番号札を受け取り、
俺も又白い椅子に腰を掛けた。
88番。
確かオヤジの好きだった野球選手の背番号と一緒だ。
俺は世代じゃないし、野球よりサッカー派だったから良くは知らないが。
テレビに向かってブツブツと発泡酒片手に独り言ちていたオヤジを思い出した。
別に離れて暮らしているわけでもない。
ただ、仕事で夜遅くに帰宅するオヤジと、青春真っただ中の俺とはあまり顔を合わせなくなっていた。
3メートルほど先にあるカウンターでは、
10名ほどの職員が入れ替わり立ち代わり、人々の対応に追われていた。
それをぼんやり眺めていると、ピンポーン、ピンポーン、と、一人ずつ番号が呼ばれていく。
停滞した空気が眠気を誘う。
俺は待たなければいけない。
そして、あのカウンターで対応してもらわなければいけないのだ。
しかし、昨日はネットで脱出ゲームのライブ配信をしていて、眠ったのは朝5時だ。
とにかく眠い。
順番来るまで寝ちまおうかな・・・。
でも寝過ごしたら間抜けだしな・・・。
あぁ、あのゲーム、まだ次の出口の目星が全くついてなくて、
八方塞がりだった・・・・。みんなのコメント、見とけばよかったな・・・。
などと思っていると、コツン、と頭を小突かれた。
「オイ」
「え・・・」
「88番、寝るんじゃねえ」
「え?」
「88番、キミの事よ」
そんなに時間は経っていなかったように思うが、いつの間にか寝ていたようだ。
そして目を開けると、俺の前には20代と思われる男女が立っていた。
一人は、長身で体格の良い釣り目男。癖のある黒髪をいじりながら、
ものすごく不機嫌そうに咥え煙草をしている。
もう一人は、童顔で日本人形のように、サラサラの黒髪ストレートを腰まで垂らした女。
一見同い年くらいの高校生かとも思ったが、化粧が大人っぽい、気がした。
そして女は、俺の目をのぞき込むなり不躾にこう言い放ったのだ。
「あんた、死んでもまだ寝てたいの?」
ーーーーーー
何年の付き合いになるかは忘れたが、
冴子という女はともかく強引な、いや剛毅な同僚だ。
見た目こそ日本人形のように色白で、華奢ではあるが、性格は粗雑で暴れ馬のようなものだ。
だから俺は、極力冷静に、顧客の立場に立ってみる。
「お前な、いきなり『死んでる』はないだろ」
冴子に突然死の宣告をされた88番の男子高校生は、
全く状況と彼女の暴投を受け止められていない様子で、白い椅子に腰掛けたまま目をまん丸にしていた。
…無理もない。
冴子は一歩彼に近づいて、息を吸い込む。
「現実なんだから、言わなきゃ進まないでしょ」
いやだから、もう少しちゃんと説明してやれよ。
と、思いながら、俺は冴子を横目で見た。
死を宣告され中の少年は相変わらずまん丸の目で、『誰?』と呟いている。
が、冴子はそれを無視して、
時間がないでしょ。とでも言いたそうに、俺を睨んでから口火を切る。
「実はあまり時間がないから、端的に言うわ。
受付番号88番、棚田正志さん。あなたは昨夜10時29分、特例死亡者として認定され、我々は、特例死亡者保護救済法第4条、第36項に基づき貴方の転生をサポートします。」
まるで検察か刑事のような物言いに、
俺は半ばあきれながら煙草を揉み消して補足した。
「つまり、お前さんは特別な事情で亡くなった。そこで救済措置として、より意義のある来世に転生する為の支援を受けることが出来る。俺たちは、その案内役と、お前さんの護衛だ。事態が飲み込めないかも知れんが…大丈夫か?」