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第5話 新生活

 寝具には良い物を選んだ方がいい。

 人生の半分ぐらいは寝ているのだから、その半分を良い具合に過ごすためには当然、良い寝具が必要となる。

 体に合った、低反発系のマットレス。同じく、枕。

 よく『自分の枕じゃないと眠れない』という人が居るが、それも無理はない。体に合わない寝具を使い続ければ、やがて体が変に歪んで、様々な体の不調に繋がるのだから。

 そして大抵、学生寮などの寝具は適当な安上がりの代物が多い。

 だから俺はあまり、寮生活における寝具についてあまり期待していなかった。


「……んー、爽やかな目覚めだ」


 けれど、その懸念は良い意味で裏切られた。

 清潔なシーツと、ふかふか過ぎず、良い具合の低反発なマットレス。無理なく柔らかく、俺の頭部を受け止めてくれる謎素材の枕。この三つのおかげで、俺はなれない場所でもこうして快適な目覚めを得ることが出来たのだった。


「ん、ふ、ああ……」


 遮光カーテンを開けて、爽やかな朝日を浴びる俺。

 窓の外を見ると、ちゅんちゅんと、可愛らしい小鳥の鳴き声と、ぎょんぎょん、と名状しがたい冒涜的な鳴き声がコーラスしていた。

 俺は微笑みつつも、即座にカーテンを閉め直して、さっさと身支度を整えることにする。


「しかし、学生寮というよりは、ホテルの一室というか、普通に洋館だよなぁ、ここ」


 俺たち新入生に割り当てられた部屋は、どれも高級ホテルの一室に劣らないグレードの物だった。

 広々とした部屋の間取りに、トイレとバスルームが別々で備え付けられている。加えて、冷蔵庫には常に一定の飲み物が補充され、どれだけ飲んでも代金は請求されず、学園側が負担してくれるそうな。


「日用雑貨も普通に用意してくれているし……つーか、歯ブラシとか、歯磨き粉も普通にあるんだな、この世界。エクシクル配合とか、たまに良くわからない成分が含まれているけど」


 簡単に身支度を整えると、俺は自前の学生服に袖を通して自室から出る。

 基本的にこの学園は私服オーケーなのだが、いちいち、朝から服装を選ぶのが面倒なので最初から学生服で統一しようという姑息な作戦だ。それに、こういう服装の方が地球人っぽさをアピールできるので、通りすがりの超人に殺される可能性が低くなるかもしれない。まぁ、あちらが国際問題ならぬ、世界間問題に考慮してくれるのなら、の話だけれど。


「おはようございます、ジェーン婆さん」

「起きたなら、さっさと飯を食いな、クソガキ」


 食堂に赴くと、ハウスメイド兼寮母のジェーン婆さんが不機嫌そうな顔で待っていた。ただ、不機嫌そうな顔の割には既に、テーブルに俺たち三人分の朝食が並べられて、しかも、料理はどれも適温が保たれているように見える。


「今度来るときは、ちゃんと時間の十分前には席に着きな」

「はぁい」

「後、初日だから許すがね、他の寝坊助二人には、時間に遅れたら飯は作ってやらんと言っておきなよ。ったく、これだからガキの世話は面倒なんだ」


 ジェーン婆さんは灰色のメイド服姿のシルキーだ。

 シルキーというのは、西洋で言う所の妖精であり、家主の家事を手伝ってくれるらしいのだが、この婆さんはまるで家の主というか、肝っ玉母ちゃんみたいに振舞う。もちろん、外見は美少女ではなく、普通の白髪の婆さんである。

 妖精って年を取らないと思っていたんだけどなぁ。


「まー、ドジっ子美少女メイドよりも、熟練のハウスメイドの方が安心だってことで」

「はんっ、外見で年齢を見定めようとしていると、この学園では火傷するよ、クソガキ」

「大丈夫ですよ、触らないようにするんで」

「ああ、そうしな。そっちの方が賢明だ……さぁて、何時まで経っても起きてこない、クソガキ二人を叩き起こしてくるかねぇ」

「いってらっしゃいです。あ、おかわりは?」

「自由だよ、キッチンから勝手に持ってきな」

「やったぜ」


 ジェーン婆さんが食堂から出ていくのを尻目に、俺はテーブルの上の料理に手を出し始める。

 料理はスープにパン、サラダに主菜のオムレツというメニューだ。香辛料が混じったスープの香りと、焼き立ての甘いパンの香りが俺の食欲を刺激してたまらない。


「まずはスープ、と。んん……これは、優しい味だ」


 スープはトマトのような野菜をベースに煮込まれた野菜スープだ。マグカップのような取っ手のある深い皿に、小さく切られた根野菜とベーコンが入れられている。スープを口に含むと、酸味と旨みのコラボレーションが俺の舌を優しく歓迎してくれた。


「うん、美味いなぁ、これ」


 野菜の旨みと香辛料の香りがマッチして、腹の底からふつふつと活力が湧き上がってくるようなスープだ。野菜特有の青臭さがまったく無く、純粋な旨みが抽出されている。

 俺は調子に乗って、そのまま焼きたての白パンに齧りつく。甘すぎず、けれど、ふっくら柔らかでスープと絡ませるとさらに旨みが増すような、まさしく日常的に食べるパンの味だ。

 そして、サラダも素晴らしい。一瞬、テーブルの上にドレッシングが見当たらないのを不審に思ったのだが、取り合えずレタスのような葉野菜を食べてみると、不安が瞬く間に解消された。あらかじめ、ドレッシングにくぐらせて味付けしていたのか、何を付けなくてもサラダに味が付いていて、ちょうどいい。本当に、俺の舌に合わせたかのような味付け具合だった。


「さて、問題はオムレツだ」


 卵料理、そう、卵料理である。

 恐らく、鶏の卵を使っていると思うのだが、何せ、異世界だ。地球の中でも、日本以外の国だと卵料理には細心の注意を払わないといけない。鮮度管理がしっかりしていない物だと、余裕で腹を下すからだ。

 だから、正直、オムレツを食べるかどうかは悩んでいたのだが、スープ、パン、サラダと、三つの料理を食べたことで、既に俺の中ではジェーン婆さんに対する信頼は盤石の物になっていた。だから、躊躇うことなく、俺はオムレスを銀製のスプーンですくい、口内へと運ぶ。


「ん、んんー♪」


 思わず唸ってしまうほど、そのオムレツは美味の塊だった。

 ふわふわな焼き具合に、バターとコンソメの旨みが乗せられて、それがとろりと舌の上で馴染む。そのまま白パンに齧りつくと、さらに旨みの種類が重なって、更なる美味を生み出す。

 これは反則級の美味さだぜ、ジェーン婆さん! 星三つだ!

 さぁ、グルメブログみたいな味の感想はここまでだ。後は、育ち盛りの男子としての食欲に任せて、貪るのみ。


「がつがつ……うめぇええええええ! こりゃ、おかわりしないと損だぜ!」


 俺はぺろりと朝食を平らげると、そのまま器を持ってキッチンへ。

 器におかわりを持っている間も頬が緩むのが止まらない。ああ、人って本当に美味しい物を食べると、こんなに笑顔になれるんだな。


「ほら、身支度を整えたら、さっさと飯を食いな! クソガキ!」

「いってぇ! ローは! ローキックは止めろや、婆ぁ!」

「喧しい! 文句があるなら、ガードしな!」

「いたっ、いたっ、やめっ! 鋭い! ローキックが鋭い! くそぉ!」


 俺が美食を楽しんでいると、喧しい声と共に同居人が食堂に降りて来た。


「ったく、あの婆、元気すぎるだろ」

「死にかけの婆さんよりは頼りになると思っておけば?」

「ははは、違いない。と、はよっす、鈴木」

「おう。おはよう、三津木」


 俺の同じ新入生であり、同居人である三津木礼二。

 彼は一言で言うならば、チャラ男である。

 わざとらしい脱色した茶髪に、銀色のピアス。褐色気味の肌と、如何にも遊んでそうなチャラ男だ。けれど、その狐目と口元に浮かぶ穏やかな笑顔が、ヤンキーのような粗暴さを感じさせない。そう、三津木は善良なチャラ男なのである。


「お、美味そうな飯じゃん! これって、あの婆が作ったの?」

「らしいね。後、美味そうじゃなくて、美味かったぜ」

「マジか。おお、久しぶりにまともな朝食が食えるのか」

「さりげなく重いことを言うんじゃねーよ」


 三津木は待ちきれないとばかりに席に着くと、そのまま白パンに齧りつき、味わう暇もなく野菜スープを流し込む。


「んっぐ、んんんー! んめぇ!」

「だよな」

「ああ! 生まれて初めてだぜ、こんな美味い料理ぃ!」


 目を輝かせたまま、がつがつと朝食を食らう三津木。

 さながら欠食児童の如き必死さで、先ほどまでの俺よりもかなりハングリーだ。おまけに、味わう暇もないくらい急いで食べているのに、「うめぇうめぇ!」と言葉を繰り返しながら、涙ぐんでいる所が辛い。

 一体、何があったんだよ、お前の人生に。


「…………ぷはぁ! 美味かった、最高に美味かった!」

「そ、そうか、良かったな、うん。あ、おかわりも良いってよ」

「マジかよ、あの婆ぁ! 女神かよ!」

「うん、妖精だね、ジェーン婆さんは」

「なんでもいいぜ! こんな美味い料理を食わせてくれるなんて、こんな、美味い料理を……」


 三津木はかちゃん、と力なくスプーンをテーブルの上に置くと、そのまま顔を右手で覆う。


「妹にも、食わせてやりないなぁ、この料理……こんなに、美味いなら、きっと、物凄く、馬鹿みたいに喜んで……」

「定期的にネガティブになってんじゃねーよ、お前は」

「ごふっ!?」


 俺は暗い感情に支配されそうな馬鹿の背中を叩き、強制的に思考を遮断する。

 これから三年間付き合っていく同居人なんだ、もうちょっとポジティブに生きて欲しいぜ。後悔するなとか、過去を省みるなとかじゃなくてさ、せめて、美味い物を食った後はシンプルに喜ぼうぜ、まったく。


「な、なにするんだよぉ、鈴木」

「俯いてばかりいると死神に好かれるぜ? 何せ、首を落とすには絶好の体勢だ」

「うぐ」

「つーか、食わせてやりたいなら、食わせてやればいいじゃねーか、美味い物を。どんな事情があるにせよ、そういう未来を望むためにお前はこの学園に来たんじゃねーのかよ?」


 俺の言葉に何らかの感銘を受けたのか、三津木は俯いていた顔を上げて、きゅっと表情を引き締めた。引き締めてから、もう一度緩めて、にへら、と笑う。


「はは、だよなー。ったく、その通り過ぎて、笑えて来るわ」

「笑う前に飯を食え。冷めたらもったいない」

「おっと、そりゃそうだね」


 俺と三津木は、育ち盛りの男子らしく、美味い朝食を貪り食う。

 今日も生きるために、生き抜くために、糧を食らうのだ。


「……なぁ、鈴木」


 やがて、二人して腹いっぱいに朝食を詰め込み終えると、三津木が小さく声を掛けて来た。


「お前さ、どうしてこの学園に来たわけ?」

「別に。暇つぶしになるかなぁと思って応募したら、マジで当選したから来ただけ」

「うわ、馬鹿じゃん、それ」

「馬鹿言うな。冒険心溢れる人間と言うがいい」

「冒険心溢れる馬鹿とか、度し難いな!」

「うるせぇ」


 ひとしきり、げらげらと笑った後、三津木はどこか遠い場所を見つめるように呟く。


「度し難いけど、羨ましいな……妬ましいほどに」

「はっ、俺としては可愛い妹が居る方が羨ましいし、妬ましいぞ。何せ、俺は一人っ子だ」

「…………そう?」

「そうだよ」

「……ぷっ」

「……くひっ」

「「ははははははっ!!」」


 俺と三津木は、一度真顔で顔を見合わせた後、揃って笑い合う。

 まったく、朝っぱらから何をやっているんだか、俺たちは。



●●●



 学園内の移動は、基本的には徒歩で、距離に応じて使う乗り物が変更される。

 昨日、俺が行ったような片道で三十分以上かかるような場所は学園内のバスを利用するべきだし、レンタルサイクルやレンタルカーなどが申請すれば貸し出されるらしい。ただし、どれも魔導技術による産物であるので、俺たち地球人には免許的に貸し出せないようだ。貸し出して欲しければ、普通に講習を受けて免許を取らなければいけないのだと。

 ただ、幸いなことに、俺たちの寮と、向かうべき校舎はそんなに離れていない。雑談を交えながら、徒歩で十分ほど歩けば、直ぐに着く程度の距離だ。


「しっかし、飯が美味くてよかったわー、この世界。なーんか、大抵の異世界って、飯があんまり美味しくなさそうなイメージなんだよねぇ」

「ネット小説の影響だろうなー。基本的に、中世の西洋ファンタジーって感じだし」

「そりゃ、中世に比べたら現代の方が美味いよな、飯。つーか、現代と言えば、この世界も割と現代的だよなぁ。なんつーか、こう、全体的に?」

「時間軸が同じ位置にある世界同士が接合するケースが多いらしいよ、【世界接合】って。だからじゃない? あー、でも、俺らの世界にも、こっちの世界にも滅んだ古代文明とかありそうだったりするから、案外、時間経過で文明レベルが揃うのって珍しいのかね?」

「小難しいことは学者様が考えてくれるだろーさ! んなことより、衣食住がきっちりしているのが超嬉しい! 地球内だけでも、そこで大分格差があるじゃん?」

「あー、特に飯はなー。スパイシー過ぎるのとか」

「個人的にはトイレが綺麗で水洗式なのが嬉しい」

「わかるわー」


 俺と三津木はだらだらと雑談を交わしながら、石畳で舗装された歩道を歩く。

 昨日は初っ端から惨劇が巻き起こったので、ここはどんな地獄なのだろうと警戒していたのだが、意外と治安はそこまで悪くないようだ……少なくとも、場所と時間を選べば。

 私服姿の三津木はともかく、学生服姿という地球人丸出しの格好でうろついていても、特に難癖を付けられて絡まれることは無い。時折、好奇心が含まれた視線を向けられることはあるが、そのくらいはどこだって同じだ。


「なぁ、三津木」

「ん、なんだよ、鈴木」

「講義、どれを受講するか、考えている?」

「まだ全然。でも、単位が楽に取れるのだといいなぁ」

「この学園だと、一年経たなくとも講師に認められれば単位貰えるらしいぜ。逆に、認められなければ一年経ってももらえないっぽいけど」

「うへぇ、実力の無い学生としてはしんどいわー」


 口をへの字に曲げる三津木を見て、俺も苦笑して同意する。

 このヴァルギルス学園は実力主義だ。

 力ある物は道理を捻じ曲げて、力なき者は屈するしかない。ただ、実力主義だからといって、個人主義とは限らない。

 何故なら、この学園には絶対なる超越者が静かに君臨しているのだから。

 どうやったって頭を抑えられている以上、大抵の学生たちは弁えているようだ。はしゃぎ過ぎて、超越者の機嫌を損ねないように、と。

 ――――一部の超人たちを除いて。


「卒業できるといいな、俺たち」

「生き残れば卒業って話だし、最悪、単位がゼロでも問題なくね?」

「や、三津木、それはそれで問題があるんだが…………それは置いといて、そろそろ目を逸らし続けて来たことを直視しようぜ」

「……ああ、そろそろ現実逃避も限界っぽいし」


 ふぅー、と互いに息を吐くと、俺たちは引きつった笑みを浮かべて、状況確認を始めた。


「神薙、どこに行ったんだろうな」

「案外、美少女に誘われて、情熱的な朝を過ごしてんのかもよー? はははは」

「昨日の夜までは居たよな、部屋に」

「消灯の時までは居たってさ、婆曰く」

「寮内でも拉致されんのかよ……」

「魔力持ちだから、目を付けられたんだぜ、きっと」

「どちらかと言えば、主人公っぽい運命力の持ち主って感じだから、そっちじゃない? こう、どこかでフラグを立てたとか?」

「恋愛フラグ? 死亡フラグ?」

「とりあえず、死んでも生き返るらしいから」


 爽やかな目覚め。

 美味しい朝食。

 同輩と肩を並べて歩く、清々しい早朝。

 けれども――――新入生が残り二人となった事実に、戦慄を隠せない俺たちだった。

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