第4話 ささやかな再会
三上先生の説明が終わると、後は自由時間だ。
俺以外の二人は案内されるがまま、用意された学生寮に向かっているらしいが、俺はその前に用事を済ませておくことにした。
つまり、レーナ・ヴァルギルスへの挨拶である。
俺のような矮小な人間が、超越者にお目通りできるとは思わないが、やれるところまではやってみようと思ったのだ。まぁ、その過程で思わぬハプニングが起きて死ぬ可能性も充分にあるので、気を付けて捜索して行こう。
「レーナ様への謁見? やめとけやめとけ、機嫌を損ねたら退学どころか、下手すれば魂ごと焼却されるぞ?」
「地球人って無謀だなぁ」
「止める気が無いなら、せめて遺書でも誰かに渡してから行けば?」
「ん、まぁ、色々言われて恐ろしいイメージが先行していると思うが、レーナ様は割と慈悲深い方だぞ。滅多に人を殺そうとしないし。つーか、それ以前に、レーナ様に害意を持つ奴は、レーナ様の下に辿り着くことすらできない……そういう因果になってんだよ、この世界は」
多種多様な姿形の学生たちに聞き込みしたところ、九割以上の人からストップがかかりました。ええ、やはり彼女は天球においても別格の存在のようです。そういえば、自己紹介の時、神のような物、みたいな説明をしていたなぁ。
だが、それはそれとして、知り合いに挨拶に行くだけのことにそんな気負うつもりもない。幸いなことに、聞き込みをした学生の内、彼女が良く目撃されるという場所を教えてもらったので、早速そこへ向かうことに。
「…………遠い」
はい、十分ぐらい、学園の敷地を歩いているんだが、まったく着かねぇ。物凄く、学園の敷地が広い。というか、案内板を見ると、学園内にターミナルという転移施設が幾つもあり、そこからさらに島内に散らばる学園内の施設やら繁華街などに行ける仕様になっているのだとか。学園の全ての校舎を踏破するのに、少なくともターミナルを四つ経由しなければならないとか、どれだけ広大なんだ、この学園は。
しかも、目的は現在地からターミナルを活用できない程度の、絶妙な長さなのである。徒歩ではしんどい。
「ああ、だから敷地内で車道と歩道が別れてんのか…………つーか、やっぱり、あれだよな。ファンタジー世界なのに、この天球ってかなり現代的だ」
空港の時も感じていたが、学園内をいくらか歩き回っていると、やはり文明の高さを感じる。少なくとも、よくある西洋ファンタジーの如く、文化レベルが中世ということは無い。少なくとも、近代、あるいは現代に近しい。
空港のトイレも全て水洗式であり、便座も暖かく、衛生的に掃除されていた。
学園内を走る車は、自動車やバイクに似た魔導式の乗り物で。
何より、ざっと見た限りで衣服の質が高い。多種多様な人種に適した服が、ファッションという文化性を感じられるほどに洗練されている。それも、学生たちほぼ全てが、地球の現代的なそれに似ているから驚きだ。
「ドラゴニュートの人が、普通にシャツとジーンズを着て、煙草を吹かしているからなぁ。流石に、携帯電話とか、そういうのを持っている人は居ないみたいだけど」
天球の文明レベルは、決して地球に負けていない。
むしろ、技術の上限に関しては確実に地球が負けていると言ってもいい。空間転移という、距離を無視した移動方法。魔導技術という、地球のエネルギー問題を解決した『魔力』を扱う術。それに関しては、地球は確実に負けている。
だが、インターネットによる情報共有や、科学技術による大量生産性に関しては、地球の方が天球を圧倒しているらしい。この学園に来る前に、暇つぶしに見たバラエティー番組で特集を組んでいたのを見ただけなので、それが真実なのかはわからないが、少なくとも、天球にはインターネットのように世界中に巡らされた情報網は存在していないようだった。
「…………まぁ、文明があったとしても、貨幣を持たなければ利用できないわけだが。くっそ、せめて金が支給されてからにすればよかったぜ」
とりとめのない思考で疲労を誤魔化しながら、俺は歩みを進めていく。
アスファルトと石畳で舗装された敷地内から外れて、段々と土と草木が茂った田舎道のような場所へ。歩みを進めていく度に、緑の匂いが強くなり、茂みや木々が周囲に増えていった。
校舎から歩いてニ十分ほど経つと、既に、人の気配は感じなくなっていた。
「――――そこで止まれ、地球人」
「おう?」
そして、ふと気づくと俺の足元にさっくりと、矢が突き刺さっていた。牽制としての一射だったのだろうが、まったく狙撃に気付けていなかったので下手したら足が地面と縫い付けられていたかもしれない。こえーな、おい。
「ここから先は、レーナ様の領域だ。早々に立ち去れ、それがお前のためでもある」
凛とした、茂みの中でもよく通る張りのある低音だった。
その声の主は、姿を現さない。周囲の林の中に隠れ、姿なき狙撃手として俺の生殺与奪権を握っている。
「忠告痛み入ります、謎の人ぉ。ですが、俺は挨拶に来ただけなのでー」
「無意味だ。あの方は人の形をしているが、人ではない。我々の尺度で測っても、無意味であり、虚しいだけだ」
「でしょうねぇ」
姿なき声に俺は同意して、頷く。
レーナ・ヴァルギルスという超越者にとって、俺は……いや、同格に位置しない全ての人間は虫けら同然だろう。別に、彼女が残酷な価値観を持っているわけでは無く、ただ単に、存在としての格が違い過ぎるのだと思う。
彼女がそのつもりになれば、きっと、地球も天球も瞬く間に滅びる。
強いとか、弱いとか、戦うとか、そういう次元に存在していない、まさしく超越者。
彼女が俺たちと同じ言葉を話すのは、さながら園児に対して大人がしゃがみ込み、ゆっくりと聴き取りやすい様にレベルを落としているからに過ぎない。
だから、俺との会話もきっと、人が羽虫に語り掛けるような戯れだったのだろう。
「けど、俺は別に応答は求めていません。彼女に何も求めていない。挨拶に向かうのだって、自己満足だ。そりゃ、何かしら言葉が返って来てくれれば嬉しいかもしれないけど」
ただ、戯れだとしても『また会おう』と言われた。
そして、俺は奇縁に導かれて、この学園までやって来た。彼女と再会できる程度の距離まで、やって来たんだ。
なら、やることは決まっている。
「知り合いが居るなら、声を掛ける。無視をされたら、そこまでだ。俺は、そんなにおかしなことを言っていますかね?」
「お前の常識は、あの方に通じない」
「かもしれない。でも、良いんですよ、自己満足だから。通じるとか、通じないとか、そういう話じゃなくて――――ただの礼儀の話です」
また会おうと言われた、だから、再会する。
そんな、つまらない意地だけで俺はきっと、動いているのだ。
「…………妙な行動を取れば、その場で額を射抜く」
「わぁい、命がかるーい」
「当たり前だ。あの方の機嫌次第で、最悪、世界が滅ぶのだからな。私も含めて、この学園で軽くない命など存在しない」
「ははは、そりゃ怖い。でもさ、謎の人」
俺は努めて軽く、朝食を提案するような気軽さで、謎の人へ問いかけた。
「重すぎて身動きが取れないよりは、軽い方がマシだと思いません?」
「…………」
答えは無い。
しかし、俺の行く手を阻む言葉も無い。
俺の額を射抜く矢も放たれない。
だから、俺は歩みを進めていく。
ささやかな再会と、他愛ない世間話を交わすために。
●●●
林を抜けた先にあったのは、紅白に彩られた庭園だった。
気分を害さない程度の、かぐわしき花の香。赤と白が花弁単位で綺麗に別れた花が、一部を囲うように円状に広がっていた。そして、その円の中心へと繋がる様に、簡易な石畳が庭園の端から続いている。
円の中心には、木製の机と椅子が一つ。
それは質素ながらも、品位が感じられる造りに見える……いや、違う。例え、廃材を継ぎ接ぎして作り上げた物だろうとも、彼女が腰かければそれはどんな家具にも劣らない価値を持つだろう。
「…………」
静かに、庭園の中心で、超越者レーナ・ヴァルギルスが読書をしていた。手に収まる程度の文庫本に視線を落として、ただ、ページを捲る音のみ、庭園に澄み渡っている。
さながらそれは、天上から零れ落ちる雫のように。
「…………っ」
思わず俺は息を飲んだ。
自然が溢れる場所だというのに、あまりにも音が少ない。それは恐らく、自然の方が彼女に配慮しているのだ。よく、自然には敵わないとか、身勝手な大いなる災いとして表現されることが多いが、この場においてはその立場は逆転している。
自然が、世界の理が配慮しなければならないほど、彼女の存在は絶大なのだ。
「あ、どうもー」
まぁ、俺は空気の読めない人間なので、あっさりその静寂を破るわけだが。
ざわ……ざわ……と、周囲の林がざわめき、風が俺に抗議するように、局所的に吹きすさぶ。だが、俺の足を止めるほどではない。
俺は微笑んで、庭園の中心へと続く石畳を歩いていく。
かつ、かつ、かつ、と。
無遠慮に、彼女がページを捲る音を掻き消して。
「…………ふむ」
後数メートルという距離まで迫ると、彼女が文庫本から目を離して、こちらを見る。
鮮血よりもなお鮮やかな瞳が、俺を捕らえて、認識する。
「お久しぶりです、レーナ・ヴァルギルスさん」
「なんだ、鈴木春尾か」
彼女は俺の姿を認識すると、ふぅ、と吐息を一つ。また、文庫本へと視線を戻した。
「色々あって、この学園に入学することになったので、ご挨拶です」
「そうか、律儀な事だ」
「別に、会わない理由が無かっただけですぜ」
「なるほど。確かに、道理だな」
視線を交わさない会話。
けれど、俺には何故かそれが心地良い。これくらいの素っ気なさの方が、俺みたいなちっぽけな存在にはちょうどいいと思うのだ。
「んじゃ、また暇が出来たら遊びに来ます」
「そうか。なら、暇だったら相手をしてやろう」
「はははは、そりゃ光栄だ」
「ん、光栄に思え」
文庫本に目を向けたまま、ひらひらとこちらに手を振るレーナ。
俺も応じて、ひらひらと背を向けながら手を振って、庭園から立ち去る。
うん、そうそう、この程度で良いんだよ。道案内した奴が近くに居るから、挨拶に来るなんて、この程度の気軽さでいいんだ。
まったく、一部の人間はそれを重々しく考えすぎなんだよ。
「さぁ、さっさと学生寮に行って、荷物を整理しないと……つーか、もうすぐ夕暮れじゃん。うわぁ、意外と歩いたな、俺」
今度来るときは、絶対に交通機関を利用することを誓いつつ、俺は来た道を戻り始める。
だが、その途中で道を遮るようにして、全身を真っ黒なローブで包まれた謎の存在とエンカウント。うわ、なんなの、こいつ。
「……なぜ、おまえはあの方と会話できる?」
訝しんでいた俺だが、声を聞いて安心する。
なんだ、姿なき狙撃者さんじゃないか、んもう、驚かせやがって。
「何故ってお前……レーナさんが俺と同じ言葉を話してくれるからじゃないですかね?」
「違う、そういう事じゃない」
「じゃあ、どういう事なんだよ?」
「………………地球人のお前に分かりやすく先ほどの奇跡を例えると、生まれたての赤子が、爪楊枝を片手にエンシェントドラゴンを射殺したようなものだ」
「何それ、センスのないジョーク?」
「センスのないジョークを現実にしたのが、お前だ」
「なにおう、失礼な」
人をびっくり超人みたいに扱いやがって。
つーか、何より、普通に会話しただけのことを大げさに騒ぐことがムカつく。
「何故、よりにもよって、何も特別な力も運命も感じないお前が、あの方と謁見できたのだ?」
「…………あのさぁ、謎の人。お節介かもしれないけどさ、一つだけ言っておくぜ」
俺はびしぃっ、と謎の人の胸へ指差し、諫めるつもりで告げる。
「理由を俺に訊ねるな。俺の理由はもう教えただろ? それに、お前が知りたいのは、俺の理由じゃなくて、彼女の理由だ。だったら、お前が、自分で、彼女に訊ねろ」
「…………っ」
身を震わせる謎の人とすれ違い、俺は振り返ることなく前に進む。
謎の人がどんな立場で、どんな理由があるのかはわからない。
恐れるのも、畏れるのも勝手である。
だが、自分の理由を押し付けるのだけは許さない。
「先輩に挨拶することぐらい、気軽にさせろってーの」
無論、間違っているのは俺かもしれないが、それでも…………ここは学園なんだ。後輩が、先輩に挨拶することぐらい、気軽な物であって欲しいじゃないか。
●●●
「………………あの、すみません」
「…………なんだ?」
「なんか、帰り道が動く木々に塞がれて、物理的に通れないんです……助けてください」
「…………いいだろう」
「あ、ありがとうございますぅ」
数分後、イキった相手に助けを求めてしまう俺が居た。
格好の悪さがここに極まっていた。
「すみません。なんか、こう、すみません」
「いや、私も反省すべき点があると分かったから。そのお礼だ、うん」
「……うぅ、普通に器が広くて、思った以上に俺の格好悪さが……」
「気にするな。ああ、後、私の名前はザインだ。お前の先輩にあたるが、気軽に呼んでいいぞ」
「…………うっす、よろしくおねがいします、ザイン先輩。俺は、鈴木春尾です」
「ああ、よろしく、鈴木」
俺は黒衣から伸びた、華奢だが力強い腕に担がれて、空を飛ぶ。
いや、飛んでいるのではない。謎の人――ザイン先輩は虚空を蹴って、その勢いで跳んでいるのだ。空を飛ぶ鳥よりも速く、空を駆けている。
お世辞にも快適な乗り心地では無かったけれど、足元で無念そうに蠢く木々を見るのは愉快で、そして、何より、
「そういえば、ザイン先輩」
「なんだ?」
「天球の空も、意外と地球と変わらないんですねぇ」
「そうか、そうなのか……なら、そういう物なのだろう」
陽が沈みかけた空は、焼けるような茜色で美しかった。
異世界生活の初日は、こうして、格好悪さと美しさが混じった終わりになったのである。