第3話 ヴァルギルス学園
ヴァルギルス学園。
それは、天球内においても特別な立ち位置の教育機関である。
元々は超越者であるレーナ・ヴァルギルスが住んでいた島に、信者たちが聖地として巡礼し始めたのが始まりだったらしい。
超越者はほとんど、格の違う相手とは会話しない。
……なんか普通にしゃべっている姿しか見ていないからこの説明には懐疑的であるが、話しかけてもほとんど無視されるか、鬱陶しがられて世界の何処かに無差別転移されるのが関の山だったらしい。けれど、ごくごく稀に、暇つぶしとして信者たちに何かしらの教えを授けることがあったという。
その教えというのが、本当にどうでもいい豆知識から、人知を超えた真理の一端まで様々だった。何せ、中にはその知識を得たと同時に発狂し、急に姿を晦ました知識人も居たのだから。
だが、それでも超越者から授かる叡智という魅力には逆らえず、いつの間にかどんどんと島に住み込む人々が増えていった。
「…………ちょっと、うざい」
その結果、超越者の機嫌が少し損ねられて、超越者は何処かへと失踪。増えていくゴミの如き人々に愛想を尽かしたのかもしれないが、真相は不明である。
超越者に去られた信者たち、及び、知識人たちは己の卑しさを反省し、自ら学び、自ら知識を探っていこうと決意。そして、世界的な教育機関を島に創り上げるため、世界中から多岐にわたってあらゆる分野の専門家を呼び寄せた。
学問だけではなく、実践も重要視し、有名な職人や戦士を教師として雇用。
世界中の人間が、種族に関係なく、貪欲に自らを高める場として、その学園は次第に有名になっていった。
いつか、超越者が帰ってきても愛想を尽かされないように。
「ただいま」
学園創立から数百年後、コンビニから帰って来たかのような気軽さで超越者が帰還。
学生たち、教師陣は長い間の研鑽が認められたと大はしゃぎだったらしいが、超越者の意向は不明。ただ単に、思い付きで帰って来ただけかもしれないのは否めないという。
ともあれ、超越者が帰って来たのは事実だ。
やっと認められたかなぁ、と思い、学園側は超越者に『もしも良ければ、学園の名前を御身の一部から拝借してもよろしいですか?』と打診。超越者も『別にいいんじゃない?』とあっさりと承諾。
こうして、名実ともにヴァルギルス学園が誕生したのだった。
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「以上が、我がヴァルギルス学園の簡単な歴史になります。何か質問はありますか?」
「はい」
「はい、鈴木君」
「死んだ人間は生き返らせればいいや! みたいなノリのシステムはいつ頃決まったんですか? 決まった当時、周囲は止めなかったんですか?」
「今から八十年ほど前に、当時の学園長がレーナ様に『学生たちが健やかに育って欲しい』と願ったところ、『では、命だけは保証しよう』と中途半端に実現したことが原因です。学園内では、肉体が死したとしても、魂が輪廻に還ることなく強制的に蘇生スタンバイに入りますので」
「修羅道かよ……」
「そして、自ら願った癖に超越者からの恩寵を断る馬鹿はいませんでした」
「願わなければよかったのに」
「先生も同感ですよ、鈴木君」
俺たち新入生は現在、教室で三上先生から学園での生活について説明を受けていた。
なお、新入生三名に対して、教室は空席だらけという有様である。入学初日から、不安しか感じないのだが?
「はい、先生」
「はい、質問どうぞ、神薙君」
「死んだら生き返されるという保証は分かりました。ですが、生き返った後の話を聞いていません。我々の世界、地球では本来、死は一度限り。本来、一度限りの死を体験した後、蘇生されたとしても我々の精神は大丈夫なのでしょうか?」
「ふむ、良い質問ですね、神薙君。率直に答えますと、大丈夫ではありません」
淡々とやばい事実を認める三上先生。
いやまぁ、そりゃあ、大丈夫だったら、先遣隊だったエリート組が精神をおかしくしてカムバックして来ることも無かっただろうし。
「精神強度、死に対する耐性など、様々な個人差が存在するので必ずしも正確では無いのですが、おおむね蘇生後一週間は意識不明のままですね。また、意識を取り戻してからもまともに日常生活を送れるようになるまでさらに、一週間……最短、二週間で復帰できます」
「それ、駄目ではありませんか?」
「本来、絶対なる死の法則を覆しているのですから、むしろこの程度の代償で済むのならば安い方では?」
「違います。どうせ生き返るからいいやぁ、と命の価値が暴落し、超人共が自在に跋扈しているという現状です」
「ふむ、それに関しては学園側からは一つだけ……『自分の身は自分で守れ』という見解がありますよ?」
「……ほんと、ひっでぇ場所」
問答を終えた神薙が、ため息交じりに頭を抑えた。
概ね、俺としてもその苦悩に共感である。現代日本人という、平和ボケの極みに位置している俺たちが、現世に顕現した地獄の如き学園で生き残れる気が全くしない。
「慣れてくれば、大体、天災の如き攻撃への予測ができるようになりますし、一部の超人以外は積極的に他人を害するような狂人は居ませんよ、安心してください」
「「安心できねぇ!!」」
「それは残念です。では、次に学園内の生活に関して説明しましょう」
基本的に、こちらの都合をまったく考慮しない三上先生である。ドライってレベルじゃねーぞ、おい。
「学園内では基本的に、貴方たちの衣食住は保証されます。さらに、学園側から毎月……日本円にして十万円ほどの自由なお金が支給されます。これに関しては、どのように使っても構いません。学園側から支給される食事や服のグレードに納得していない場合は、このお金を用いて生活を向上させるのもいいでしょう。また、学園内では生活課に申請すれば関税を介さないビジネスが可能なので、支給されたお金を元にビジネスを始めるのも自由です。ただし、ビジネスに失敗して破産しようが、学園は関与しません。学園側が関与するのは、麻薬の売買や売春だけですね。ちゃんと学園内には風俗店があるので、そこで性欲を解消させてください。モグリはいけません」
「……神薙、ツッコミ入れろよ」
「いやだよ、考えることを放棄してぇよ、もう」
三上先生の説明を簡単にまとめると、学園内では生活課に申請すれば、大体の事は自由に行動できるらしい。ほとんど、行動を制限されない。
学園内でビジネスを始めてもいいし、あるいは、学生相手に課題の協力を頼んだり、テストの代理を頼んだりしてもかまわないそうだ。ただ、使用するお金は学園が発行する紙幣に限られており、それ以外の貨幣での取引は認められていない。なお、一部の物価が稀に高騰することはあれど、基本的に現代日本と同じ感覚で買い物しても大丈夫なのだとか。
そして、活動時間に関しては、基本的に門限や消灯時間などは存在せず、学園内は二十四時間、丸一日休まず稼働し続けている。島の中には様々な施設が存在しており、基本的にそれらは学生たちの共同体によって運営されているという。学園側からの規制が入るのは、よほどの場合に限り、それ以外では大体の自由が認められている。
ただし、自由に対しての対価は自己責任という形で求められる。
自分でやったことの責任は、自分で取らなければいけない。
学園側は、学生たちを助けない。ただ、その役割を機械的に果たすだけだ。
「次に、学園内の科目に関しての説明です。学園には数十からなる学部が存在しますが、学部の括りを無視して、望む科目を履修することが可能です。これは一つの学部では物足りない天才向けのプランですが、今回、少なくとも三年間、貴方たちにはこの自由選択式で様々な科目の講義を履修してもらいます。理由は分かりますね?」
「俺たちが馬鹿だからです!」
「身も蓋も無いことをいうなよ、鈴木」
「ですが、間違っていませんね、鈴木君。大体正解です。このヴァルギルス学園は天球内でも上澄みの中の上澄み、一部の才能人達が集まる教育機関です。選りすぐりのエリートならともかく、一般枠から入学した貴方たちが完全に付いて行けるとは思えません。もちろん、そんなことは無いと断言するならば、普通に学部を選んで履修することも可能です。どうしますか?」
「馬鹿なので、自由選択式で!」
「俺も同じく」
「…………三津木君? 三津木君はどうしますか?」
三津木は俺の隣で寝ているよ。
というか、先ほどの惨劇の精神ダメージが癒えていないので、放心状態で気絶しているのである。多分、三上先生の説明は一割も耳に入っていないだろう。
ふぅ、仕方ない、ここは同期のよしみとして俺がしばらくの間、フォローしてやるか。
「せんせーい、三津木は『あー、自由に、自由に生きてぇな!』と度々呟いていたので、状況的証拠を考えると、自由選択式です」
「なるほど、合理的ですね」
合理的かなぁ? まぁ、三津木のためならば、これが一番だからな。
「それでは、三人とも、自由選択式ということで。なお、最初の一週間ほどは、地球と天球の文化の違い、読み書きにおける翻訳術式の齟齬に関して学んでいただきます。いくら、学園内に高度な翻訳術式が常時展開されているとはいえ、ここは貴方たちにとっての異郷。すれ違いはいくらでも起きますので、ご注意を」
翻訳術式。
天球からもたらされた非常に便利で、都合の良い術式……すなわち、魔術だ。それがあるからこそ、地球と天球は即座に会話による交渉が出来たし、文字のやり取りで不都合がほとんど起きなかった。何せ、会話だけでなく、目に通した文章ですら自動的に認識を弄って翻訳してくれるという優れものなのだから。
これがあれば、翻訳家とか通訳の必要性皆無じゃん! と翻訳術式を知ったばかりの地球人は驚いたが、当然の如く、リスクもあるので天球では翻訳家も通訳も職業として成立しているようだ。
「私からの説明は以上になります。最後に、何か質問はありますか?」
「はい!」
「はい、鈴木君」
「学園側から、学生を退学処分にする場合、どのようなケースが考えられますか? ええ、超人が二桁の人間をぶち殺しても、退学処分は無さそうだったので。では、どういう場合が該当するのかなぁ? と」
「ふむ、そうですね」
疑問と皮肉の混じった質問に、三上先生はしばらく考える素振りを見せた後、淡々と答える。
「まず、一年間の習得単位が一定以下の場合。これに関しては、貴方たち留学生は免除されているので気にしなくて構いません。三年間を生き抜くことが出来れば、無事に卒業扱いになります。もちろん、それ以上の時間を過ごしても構いませんが」
「はははっ」
「ああっ、神薙が物凄く乾いた笑いを!」
「次に、もう一つの退学条件ですが、これはとても簡単ですね。超越者であるレーナ・ヴァルギルスの機嫌を損ねない事。彼女に嫌われた場合、問答無用で退学処分です。まぁ、彼女に存在を意識されるレベルの人間なんてほとんど居ないから問題ないですが」
「でも、地球の首脳陣に対しては普通に話していましたけど?」
「それは本当に嫌々やっていたんですよ、我々側のお願いとして」
「なるほど」
「あの超越者とは関わらないことが無難ってことだな。つーか、実質、俺たちの退学条件がほとんど無いような物じゃねーか!」
「貴方たちはなんか勝手に死んでいく生き物扱いですからね、この学園では」
「くそが!」
地球人の貧弱さに反吐が出ている神薙は置いといて、ふむ、奇妙だな、やはり。
レーナ・ヴァルギルス。
文明を超越した、凄まじい存在。
彼女ならば、俺に道案内を尋ねなくても充分、自分の能力で国会議事堂ぐらい探し当てられると思うのだけれど。
「…………よし、決めた」
悩んでいるぐらいならば、行動した方が良い。
俺みたいな人間の悩みなんて、大抵、悩む前に決まっている物なのだから。だから、躊躇うだけの悩みは切り捨てて、俺は前に進もう。
「三上先生、もう一つ、質問いいですか?」
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。では――――レーナ・ヴァルギルスへ会いに行くのは、この学園内で禁止されていますか?」
「…………」
三上先生の目が驚いたように見開き、けれど、一瞬で呆れたような顔つきへ変わる。
それは、馬鹿なことを言い出す幼児へ向ける表情に似ていた。
「学園側では、接触を禁じていません。ですが、彼女の威を目のあたりにしてなお、矮小なる身の程を弁えないのなら…………好きにしなさい、鈴木君」
「はい、わかりました!」
だから、俺は好きにすることにした。
別に、イカロスを気取るつもりは無いけれど、身の程も当然弁えているけれど、禁じられていないのならば、もう一度、会ってみたいと思ったのだ。
願わくば、この奇縁が彼女の下へ導いてくれますように、と。