第八話 三つの丘
エリアール暦448年5月の中旬。
ヘムズ平原に貴族連合軍三万二千とマグドリアとの国境を守備をしている一万の騎士団が集結した。
総勢四万二千。
総大将は今年二十歳になったばかりの第二王子ギルアム。
マグドリアは一万の兵団がこちらに向かっている途中であり、こちらは敵に先んじて集結できたことになる。
その利点を生かし、アルシオン軍は平原の半ばにある連なる三つの丘上に本陣を置いた。
この丘は逆三角形を形成していることから、トリアングルの丘と呼ばれ、過去に行われたアルシオンとマグドリアとの闘いでも、この丘の取り合いが行われている。
アルシオン軍はすぐにその丘を柵で補強し、陣地とした。
この丘を取ろうと思ったら、死を恐れずに血を流すしかない。
数で劣るマグドリアにとっては悪夢のようなことだろう。
俺たちクロスフォード子爵領の兵士たちは、二万からなる本陣の護衛につくことになった。
本陣は逆三角形の頂点。つまりもっとも後方の丘に置かれている。
両翼の丘には、一万の騎士団と一万二千からなる貴族軍が配置についた。
貴族軍は二人の大貴族の軍と、いくつかの中規模の貴族の軍で構成され、大貴族の一人はブライトフェルン侯爵であり、もう一人はオーウェル侯爵だ。
噂じゃアリシアと仲の悪いフェルト・オーウェルも父親と共に参戦しているということだし、喧嘩してなきゃいいけれど。
「これはもう、こっちの勝ちじゃないですか?」
丘の中腹で守備についている俺の横で、補佐役として同行していたエドガーが口にする。
その意見はもっともだ。ここから形勢がひっくり返されるなんて、非常識にもほどがある。
マグドリアはアークレイムを動かし、アルシオンに隙を作ったが、その隙を埋めるためにアルシオンは四万を超える軍勢を用意した。
マグドリアの理想は奇襲だったはずだが、アルシオンの対応の早さがマグドリアの意図を挫いた。
さらにいち早く行動したアルシオン軍は、戦場に一足早く到着し、丘を奪取。陣地とすることに成功した。
戦の主導権、地の利を得て、しかも数でも勝っている。
これが覆されるとしたら、敵がよほど有能か、こっちがよほど無能でない限りあり得ない。
「いや、それでも覆されたら異常か……」
「今、なんと?」
「こちらが優勢だなって思ったのさ。とんでもなくな」
「そうでしょうね。傭兵としてあっちこっち戦場を転々としましたが、始まる前からこれだけ優勢というのは中々ありませんよ」
そう。
エドガーの言う通り優勢だ。
俺がマグドリアの指揮官なら、戦う前に撤退するだろう。まぁ、その権限があればだけど。
絶対に戦わなければいけないとしても、持久戦で敵が焦れるのを待つ。
無数の柵で補強され、ほぼ砦と化している丘を攻めても勝ち目はないからだ。
だからこそ、おかしい。
「どうしてマグドリアは急がなかった?」
「はい?」
「いや、丘の取り合いになることはわかっていた。だから、こちらは丘を補強する柵を何個も持ってきていたんだ。数で劣るマグドリアとしては、丘はなんとしても欲しいところだったはず。けれど、マグドリアはとくに急がなかった。結果、こちらは三つの丘を無傷で手に入れた」
「急げない理由があったのでは?」
「急げない理由なんてあるかな? マグドリアはこちらを奇襲したかったんだ。奇襲は速度が命。急ぐべきはマグドリアだった。なのに、それをしなかったのには理由がある」
やはり、そこらへんにマグドリアの勝算があると見るべきか。
新たな使徒の出現か、それとも指揮官がよほど優秀な人物なのか。はたまた秘密兵器でも開発したか。
なんにせよ、向こうの指揮官がこの条件で勝てると踏んでいることは確かだろう。
使徒でもいなければひっくり返せないような状況だ。
それをひっくり返せるというなら、使徒じゃなくても使徒に匹敵する何かを用意しているに違いない。
「リカルド様といい、若といい、考えることが深すぎて私にはついていけませんな」
「俺や父上の考えなんて浅はかだよ。読みが一番鋭いのはセラさ。経験を積めば、父上や俺よりもよほど優秀な指揮官になるだろうさ」
「セラお嬢様が? 頭がいいとは聞いていますが、そこまでですか?」
疑うような視線を向けてくるエドガーに俺は肩を竦める。
「軍師が開発したって言われてるチャトってゲームがあるだろ?」
「ええ。何度かやったことあります。リカルド様が強くて、強くて」
「その父上にセラは圧勝できる。あれだったら、駒を減らしても勝てるんじゃないかな。当然、俺も負ける。いわく、俺の戦い方は無駄が多いらしい」
「十二、三歳の子にリカルド様や若が負けるんですか? ですが、所詮はゲームです。私は若を信じていますよ」
「セラがここにいたら、根拠のない信頼とかいいそうだなぁ。実際、俺も初陣なわけだし」
「それもそうですな。では、ご安心を。私がサポートしましょう」
エドガーはそういうと一歩引いて恭しく頭を下げる。
下級貴族の息子に対して、そんな態度を取る人間なんていない。
どう見ても馬鹿にしてる。
だから、俺は軽く意趣返しを試みた。
「エドガー。使徒と戦った経験は?」
「珍妙なことを聞きますね? 私は傭兵だったんですよ? 戦場で一番やばい場所に突っ込まされる役柄です」
「たしかに。自前の兵はだれしも大切だからな。それで?」
「使徒と戦うなんて経験をしたら、ここにはいませんよ」
「なるほど。参考になった。たぶん、この戦じゃお前は役立たずだ。もちろん俺も」
そう言って俺は深く地面に刺さっている柵にもたれる。
視線を向けるのは、二つの丘のさらに向こう。
敵が陣を敷くだろう場所だ。
「敵が馬鹿だと助かるんだけどなぁ」
「敵が自分より劣ると考えるのは、あまり褒められたものではありませんよ? 常に自分より上だと思うべきです」
「ああ、わかってる。その考えに基づいて想定した敵が厄介すぎて、ちょっと現実逃避したくなっただけさ」
俺がそういうと、エドガーが困惑した表情を浮かべる。
エドガーには何も話していない。
俺が言っている意味がわからなくて当然だ。
「ま、取り越し苦労であることを祈るとしよう」
●●●
二日後。
マグドリア軍がようやく姿を現した。
リカルドの予想通り、レグルス王国との闘いで偽装撤退した軍を吸収したのか、その数は二万を超えていた。
「敵は予想よりも多いが、案ずることはない。我が方は敵に倍する戦力を保持し、丘も手中に収めている。必ず勝てるだろう!」
本陣に集められた貴族の前で、第二王子のギルアムがそう声を張り上げた。
鼓舞のつもりなんだろう。
実際、何人かの貴族。特に若い貴族たちは士気をあげている。だが、全体を見れば少数だ。
大体の貴族は、わかりきったことを言うなという表情をしている。
このギルアムという王子は非常に端正な顔立ちをしている。
金髪碧眼で、背も高く、ルックスは最高だ。それゆえ陛下にも可愛がられている。
だが、その能力には皆が疑問符をつける。
たいていのことは人並みにはできる。
剣も振れるし、馬にも乗れる。
文字も書けるし、戦術的なことも理解できている。
ただし、人並みだ。人並み外れるような長所は顔だけだ。
けれど、本人は自分が優秀だということを疑っておらず、ごくごく当たり前のことを自慢気に告げる。
まぁ、いわゆる困ったちゃんなんだけど、一軍の指揮官なのだから、困ったどころじゃ済まない。
なにせ、置き物にされることを嫌う癖に、物事を処理する力に欠ける。結果、周りに当たり散らしたり、不貞腐れたりということを、これまで何度もやっている。
王家が尊い血というからには、それなりの能力を示してもらいたいものだけど、少なくとも、それをギルアムに求めるのは無理だ。
「前線の丘には本陣から五千ずつの援軍を送る。各丘の連絡を密にし、それぞれの状況を把握するように。敵が弱腰ならば、今日にも全軍で打って出るつもりである。肝に銘じておくように。質問はあるか?」
「殿下。よろしいでしょうか?」
「なんだ? ブライトフェルン侯爵」
ギルアムが少々、嫌そうな表情を浮かべる。
ギルアムにとって、マイセンは目の上のたん瘤だ。
戦の経験が豊富で、影響力もあるマイセンをギルアムは無視することができないのだ。
「敵の数が予想より多いうえ、奇襲をするでもなく、我々の前に陣取りました。なにか策があるやもしれませぬ。たとえ優勢でも迂闊に動かず、防御に徹するべきかと」
「策? ふん。侯爵はいささか年を取って臆病になられたようだな。こちらの半数の兵を前にして、慎重論を唱えるなど」
「慎重さが勝ちを呼び寄せる場合もあります」
「一理あるが、今は違う。圧倒的優勢なのはこちらだ。何を警戒する必要がある? 敵が目の前にいるのは、それ以外に手がないからだ! 確かに防御に徹すれば、敵を食い止められるだろう。しかし、好機に攻め込めば防御に徹するよりも早く敵を倒せる!」
「戦とは確実な戦法を取るべきなのです。丘から動かず、防御に徹し、敵が撤退するのを待ちましょう。古来より強者が負けるときは油断した時と決まっています。我らも気を引き締めねば」
「この臆病者め! そんなに打って出るのが怖いか!? 我らは二倍の兵力を有しているのだぞ!? それなのに丘に立て籠もれと!? 私も臆病者と笑われてしまうわ!」
「笑わせておけばよいのです。戦史の中で、二倍の兵力が敗れた例はいくらでもあります。敵が未知数なのですから、敵がどのような手を隠し持っているのかわかるまでは、じっと機を待つべきでしょう。敵への攻撃はそれからでも遅くありません」
馬鹿すぎる。
よほど勇猛なのか、よほど英雄願望が強いのか。
間違いなく後者だろうけど。
ギルアムはどうしても敵に打って出て勝利を手にしたいんだろう。
そっちのほうが自分の好みだから。もっと言えば、かっこいいからだ。
英雄譚に出てくる英雄のような活躍を、自分ができると疑ってないのだろう。
「もうよい! そんなに丘が好きならば、貴様の軍だけ丘に残っているがいい! そこで私が手柄を立てるのを見ているのだな!」
「では、私は守備に徹していいとおっしゃるのですね?」
「好きにせよ! 貴様などもう当てにせぬ!」
「御意。殿下……ここは戦場です。敵を侮り、失敗すれば、兵の命、ひいてはご自分の命を払う羽目になるということを、肝に銘じておきなされ」
マイセンはそう言うと口を閉ざした。
マイセンの重い言葉に、さすがにギルアムも調子のいい言葉が思いつかなかったらしい。
そこで二人の言い合いは終わり、解散となった。
実りのある軍議ではなかったけれど、これでギルアムも早々に丘を下りるということはしないだろう。
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「あれは愚将だな」
「侯爵。言葉にお気を付けください。だれかの耳に入れば、侯爵といえどただではすみませんよ?」
本陣にある俺の配置場所まで来たマイセンは、ふんと鼻を鳴らして、丘の頂上をにらみつける。
「追い詰められたわけでもないのに、地の利を捨てるなど愚の骨頂。あのバカ王子め。これまで何を学んできたのだ?」
「初めての総大将で有頂天になっているんでしょう。戦いが始まれば落ち着く……はずです」
「そんな冷静な発言はするな。十五のお前がこんなに落ち着いていると思うと、また馬鹿王子への怒りが込みあがってくる」
怒りを鎮めるつもりで言ったことが、逆に火に油を注ぐ形になった。
しかし、いつまでもここで怒っていられても困る。
「お怒りはごもっともですが、敵が目の前にいる以上、いつ戦が始まるかわかりません。アリシアに兵を任せたまま戦が始まってしまいますよ?」
「……わかっておる。もう行く」
「お気をつけて」
「……ユウヤ。敵の動きがキナ臭い。これは本当に使徒が出てきているやもしれん。いつでも退く準備をしておけ。普通の軍なら総崩れはないが、これほどバラバラの軍では、少し敵が優勢になっただけで崩れかねん」
「承知しました」
マイセンはそういうと、マントを翻して馬に跨った。
共を連れて、左斜め前の丘へと向かっていくマイセンを見送りつつ、俺は頭の中で撤退経路を探った。
マイセンに言われるまでもない。
ギルアムの指揮では、たとえ敵が使徒を投入してこなかったとしても、負けかねない。
「あそこまで自分を信じられるのは、もはや奇跡だな。挫折らしい挫折を知らずに育ったんだろうけど……。人生初めての挫折が戦場になる可能性があるとは……。あの王子様も不幸といえば不幸か」
その王子の下で戦う俺や兵士たちのほうが不幸だけど。
最後の言葉は口に出さず、胸の奥にしまった。
敵が動いたからだ。