閑話 セラの行動
8月25日。
朝。
生誕祭の最終日を盛り上げようと、王都はこれまで以上の活気に満ちていた。
その活気を見ながら、王都の守備を司る兵士たちは気持ちを引き締めていた。
襲撃の可能性があるとすれば、今日だからだ。
そして、それは兵士だけではなかった。
王城にて、生誕祭を取り仕切る大臣たちから、使徒に至るまですべてが共通見解を持っていた。
襲撃は最終日という見解を。
一方、その中でも来賓であるアルシオン王国の王女、フィリスは落ち着いていた。
狙われる可能性を示唆されても、アルシオンには帰らず、生誕祭中、ずっと民たちの前に姿を現していた。
「姫さま。今日が最終日」
「そうね。何か起きるなら今日なのかしら?」
フィリスの部屋でセラが切り出す。
フィリスの質問にセラは頷く。
ただし、訂正もあった。
セラはフィリスの護衛を任されている二十人ほどの兵士たちを全て部屋に呼ぶ。
半数はクロスフォード伯爵領の兵士であり、半数はフィリスの近衛を務める兵士たちだ。
彼らを見ながら、セラは告げる。
「姫さま。何かが起きるならじゃない。もう起こってる。二人ついてきて。残りは姫さまの護衛。使徒さま以外は近づけちゃ駄目。いい?」
「はっ! お任せください!」
返事を聞き、セラは頷くと、フィリスに向き直る。
フィリスは微かに顔を曇らせながら、訊ねる。
「どこに行くの? 危ないことはしては駄目よ?」
「平気。ただの鼠退治だから」
そう言ってセラは二人の兵士を伴って、部屋を出た。
そんなセラの後ろ姿を、フィリスは心配そうに見送った。
●●●
レグルス王国の王城。
その宝物庫にセラは来ていた。
「セラフィーナ様。よいのですか?」
「なにが?」
連れて来た兵士はどちらもクロスフォード伯爵領から連れて来た兵士たちである。
フィリスの護衛はもちろんだが、彼らにはセラの安全を守る義務もあった。
「レグルス側に許可を取らず、ここに来たことです」
宝物庫は城の半ばほどにあり、普段は立ち入り禁止の区域である。
しかし、セラはあえてそこに足を踏み入れた。
「平気。もう許可は取ってある」
セラはディアナから城を自由に歩くことを許可されていた。
そうでなくては遅れる可能性があったからだ。
セラの意図が理解できず、兵士たちはただセラについていく。
そんな兵士たちにセラは逆に尋ねる。
「不思議じゃない?」
「え? なにがです?」
「宝物庫が大事な場所なのは周知の事実。けど、どこにも護衛がいない。昨日まではいたのに」
「それは……生誕祭で忙しいのでは?」
兵士の返答にセラはため息を吐く。
今度、兵士たちを募集するときは、頭の回転を採用基準に組み込もうと決意し、それ以降、兵士たちに話しかけることはしなかった。
単純な一本道を歩き続け、大きな扉の前でセラは立ち止まる。
本来、厳重な鍵か何かで閉じられているはずの扉が、今は半開きになっていた。
セラは目を細め、ゆっくりとその扉を押す。
通路から光が薄暗い宝物庫へと差し込んでいく。
徐々に宝物庫の全容が明らかになっていき、そしてセラが探していた人物がそこにはいた。
「おはよう。ロベルト」
そこにいたのは、ディアナによって城でまた文官の地位を得たロベルトだった。
まともな文官の服を着てはいたが、病的なほど痩せており、骨と皮という印象は変わっていない。
そのロベルトの手には一本の巻物があった。
「セラフィーナ・クロスフォード伯爵公女……」
「ここで何をしているの? って質問はいる?」
セラは初めからロベルトがここにいると知っていた。
城に入ったときから、宝物庫を狙っていたことも。
セラが最も得意とする魔法は探知魔法。
戦場で敵の動きを逐一把握できるこの魔法を持って、セラはロベルトを定期的に監視していたのだ。
そして今日の朝、まんまとロベルトは宝物庫へと手を出した。
それが罠だと気づかずに。
「宝物庫の整理です」
「じゃあ、その巻物を置いて、私と一緒にスピアーズ公爵の下に来て」
使徒の名前をあえてセラは出した。
そのほうが敵も諦めがつくからだ。
セラにバレただけならば、どうにかなるかもと思うが、使徒にバレているとなれば抵抗は不可能。
だから、セラはロベルトが諦めると思っていた。
だが、ロベルトは微かに笑みを浮かべて、セラをしっかりと見据える。
「憎たらしい子供だと言われないか?」
「たまに言われる」
「だろうな。数年すれば男どもが放っておかないって言ったのは社交辞令のつもりだったが、そうでもないようだ」
言いながらロベルトは軽く肩を鳴らす。
その姿はロベルトのモノであったが、口調といい、声色といい、今まで接してきたロベルトとは思えないものだった。
セラは目を細め、兵士たちに合図を送る。
その合図を受け、兵士たちは剣を抜いた。
「抵抗は無駄」
「しないさ。戦うのは専門外だからな」
言いながら、ロベルトは手を顔へと持っていく。
そして、その手で自分の頬を思いっきり引っ張った。
そしてそこからは驚愕だった。
なんと、ロベルトの顔が剥がれたのだ。
そしてその後から金髪の青年の顔が現れた。
首元で結った長い金髪に、青い瞳。
ロベルトとは似つかない血色のいい肌。
そして整った顔に浮かぶ、不敵な笑み。
「俺としたことが不覚だったな。まさか、お嬢さんに追いつめられるとは」
「変装?」
「ああ。ロベルトって男は今頃、アークレイムにいるんじゃないか?」
「じゃあ、あなたはアークレイムの人?」
セラの言葉に青年は苦笑して、手に持った巻物を左右に振る。
「まさか。国に所属するのは性に合わない。俺はフリーの情報屋さ」
「フリーの情報屋? それがなんでレグルスに?」
「情報収集さ。あとはレグルスに情報を流してほしいと言われてな。おかげさまで、アルシオンの銀十字を王都から引き離すことができた。狙いはエルトリーシャ・ロードハイムだったんだが、まぁ、俺の知ったこっちゃないわな」
あっけらかんとした様子で答えながら、青年は体をほぐし始める。
その様子を見て、セラは警戒を強めた。
「逃げられると思っているの? 城内には多くの兵士がいる」
「逃げられるさ。いつだってそうしてきた。目的のモノも手に入れたしな」
そう言いながら、青年はつま先で床を叩く。
「ロベルトを演じてたせいで、体が鈍り気味だ。動けるかなぁ」
その言葉を聞いた瞬間、セラは隣で大きな音を聞いた。
何かが人にぶつかる音だ。
見れば、鞘に入ったままの短剣が兵士の顔に直撃していた。
兵士は顔を押さえて蹲る。
そちらに気を取られている間に、今度は逆方向から何かが倒れる音が響いてきた。
それは人が倒れる音だった。
セラが振り返ると、もう一人の兵士が気絶して倒れていた。
どうやら当て身か何かを食らったようだ。
青年とこちらまでそれなりの距離があった。
それゆえにセラは二人の兵士だけでも、青年と対峙し続けた。
いざとなれば宝物庫を閉めればいいと思っていたのだ。
だが、予想外だったのは青年の速度だった。
常軌を逸した速度であった。
まるで足に羽でも生えているのでは、と疑いたくなるほど、青年は身軽だった。
完全に青年を見失ったセラは、再度、音を聞く。
最初に倒れた兵士のうめき声と打撃音だ。
止めを刺されたのかと、セラは慌てて振り向くが、そこには気絶した兵士しかいなかった。
止めを刺されていないことにホッとしたとき、セラは背中に人の気配を感じた。
「動くな」
「っ!?」
完全に背後を取られ、セラは体を強張らせる。
もっと多くの兵士を連れてくるべきだったと後悔するが、今となってはもう遅い。
「さて、どうするかね。君を人質に城を出るって方法もあるわけだが」
「好きにすればいい」
「あらら、嫌われたねぇ。あんまり怒るなよ。可愛い顔が台無しだぞ?」
「なら捕まって。そしたら笑顔を見せてあげる」
「それは魅力的な提案だが、できない相談だな。そういう手を使いたいなら、あと五年後くらいにするといい」
言いながら、青年はセラの頭に手を乗せる。
そしてわしわしと髪を撫でる。
「なにするの!?」
「俺を怪しいと睨んだご褒美さ」
「それはあなたが不用意な発言をしたから!」
「え? マジ? なに言ったよ、俺」
「私を伯爵令嬢と言った。私がレグルスにいることは公にされてないし、私の顔を知ってるのもおかしい」
青年はセラの頭から手を離し、その手を自分の額に当てる。
そのまま大きくため息を吐いた。
「やっちまった……俺としたことが……」
落ち込んでいる青年をよそに、セラは青年から距離を取り、青年が投げた短剣を手に取る。
それを見て、青年は肩を竦める。
「やめとけ。怪我するぞ」
「このまま逃がすわけにはいかない。わざわざ誘い込んで、まんまと宝を盗まれましたじゃ話にならない」
「そう言われてもなぁ」
呆れたように呟き、青年は手に持った巻物を広げる。
そこには何も書かれていなかった。
ただし、差出人と誰宛なのかは書いてあったが。
すぐに青年が閉じてしまったため、セラにはそれが誰なのかわからなかった。
「それは……?」
「レヴィン王宛の手紙さ。白紙なのは縁を断つって意味だ」
「誰からの手紙?」
「それは内緒だ。まぁ、レヴィン王なら気づくだろうさ。というわけで、君が命を掛けるような大層な代物じゃない。だから、その短剣を下ろしな」
言いつつ、青年は腰を落として、少しずつセラから距離を取る。
今の立ち位置は、セラが扉側であり、青年が通路側だった。
セラが青年を止めようとするならば、飛びつくくらいしか方法はないのだ。
セラは微かは逡巡するが、どうせ敵わないと諦めて、短剣を下ろす。
「良い子だ。特別にもう一つ教えてやる。今すぐここを離れろ」
「そういうわけにはいかない。私は姫さまの護衛だから」
「そりゃあ、大変だな。じゃあな。セラフィーナ・クロスフォード。できれば、美人に成長してから会いたいもんだ」
青年はそういうと、一気に走り出す。
それは人の加速とは思えないほどで、そのまますぐに姿が見えなくなる。
セラはその姿を見送り、唇を噛みしめる。
完全に油断だった。
相手が予想外に手ごわかったことは確かだが、ディアナに応援を求めれば捕らえられたかもしれない。
しかし、その考えをセラは振り払う。
貴重な物が盗まれたならまだしも、青年が盗んだのは巻物。
国王に関係あるとはいえ、国境守備に関わる重要な物というわけではない。
「切り替えなきゃ」
呟き、セラは兵士たちに視線を移す。
完全に気絶させられている兵士を起こすのは、簡単ではない。
助けようにはセラではどこにも運べない。
仕方なく、セラは二人を放置して、フィリスの部屋に向かう。
そのときだった。
城の外から複数人の悲鳴が聞こえたのは。
それが合図となり、どんどん悲鳴は大きくなっていく。
セラは歩く足を速め、城の窓へと駆け寄る。
そこには城に詰めていた兵士や文官たちが集まっていた。
それらを押しのけ、セラは外の様子を見る。
窓から見えたのは縦横無尽に王都の民を襲う一団だった。
その姿にセラは見覚えがあった。
「狼牙族……!」
同時にセラは走り出す。
兵士たちは外へと向かうが、セラは逆走する。
向かうのはフィリスの部屋だった。
民が襲われていると知れば、フィリスがどんな行動に出るか。
それはセラが一番、よく知っていた。
部屋に居てほしい。
そう願いながらセラは走る。
どんどん城の階段を上り、フィリスのために用意された最上級の客室へと向かう。
開け放たれたままの扉をくぐり、部屋に入ると、そこはもぬけの殻だった。
セラは唇を噛みしめ、自分の行動と敵のタイミングの悪さを呪う。
「姫さま!」
勢いよく部屋を出たセラは息を切らして走り出す。
敵は狼牙族。
それはフィリスも承知のはず。
そうなれば、民を守るためにフィリスは自分の居場所を明かし、囮になることも考えられる。
それだけは何としても止めなければ。
だが、その思いとは裏腹に、ここは城のほぼ最上階。
フィリスがいつ部屋を出たかによるが、追い付くには時間がかかる。
加えて、セラは体力がない。
全速力で階段を駆けあがったあとでは、どうしても足の回転は遅くなる。
本ばかり読んで、外で遊ばなかったツケが今、回ってきていた。
ユウヤのような身軽さを発揮しない自分の体に、歯がゆい思いを抱きつつ、セラはそれでも懸命に足を動かした。
その一歩がフィリスを救うと信じて。




