第三十三話 黒洞
「ちっ!」
舌打ちをしながら、敵の短剣を弾く。
だが、すぐに二の太刀がやってくる。
狭い家の中じゃロングソードよりも短剣のほうが有利だ。
小回りが利き、回転が早い。
後ろにルダールを庇いながらじゃ、いずれやられる。
じり貧であることは理解してる。
だが、打開策がない。
狙いは俺だろうが、ルダールを見逃す気もないだろうし。
強化を使っての力業を考えたとき、家の中に小さな影が飛び込んできた。
「おらぁ!」
気合いと共に爪が隠密を襲った。
「くっ! 獣が!」
肩を浅く裂かれた隠密がそう毒づいた。
飛び込んできたのはカシムだった。
カシムは低い姿勢のまま隠密を警戒する。
「大丈夫か?」
「なんとか」
カシムに言葉を返しつつ、俺はカシムの加勢で出来た余裕を使い、周囲を伺う。
家の中に一人。
外の騎士と戦ってるのが二人。
わざわざ三人で里に乗り込むとは思えないし、あと二、三人はいると見たほうがいいだろ。
「族長。戦える者は里にどれくらいいますか?」
「数少ない男衆たちは山の奥です。女、子供も戦えるとは思いますが……」
「相手は手練れの隠密。期待しないほうがいいですね」
こちらがやりづらい室内とはいえ、鋭い攻撃に加えて、背後からの獣人の攻撃をやり過ごした。
どこの国かは知らないが、面倒な奴らを送り込んでくれたものだ。
俺を暗殺するために送り込まれたのか、はたまた兵器の性能実験のついでに俺を殺すことにしたのか。
どちらにせよ、面倒だ。
面倒なだけだが。
「どうして俺を狙う?」
「邪魔だからだ」
「お前らの邪魔をした覚えはないんだが?」
体の力を抜き、剣を下げる。
警戒されたままじゃ仕留められない。
情報を引き出しつつ、油断させなければ。
「覚えがないか。なら、覚えておけ。貴様の存在が邪魔なのだ」
「なるほど。そういう答えが返ってくるってことは、アークレイムの隠密か」
隠密の眉が微かに上がる。
図星か。
マグドリアならもっと明確な答えが返ってくる。
何せ邪魔ばかりしているからな。
「わざわざご苦労なことだ。マグドリアのために俺の暗殺とは」
「自惚れるな。貴様の暗殺などついで、既にこちらの目論見は達成している」
「マグドリアにいる狼牙族を王都にけしかけて、ラディウスと揉めさせるって策か?」
再度、隠密の眉が上がる。
ただし、今回は同時に腰も下がった。
やはり生かしてはおけないと踏んだんだろう。
「おい、クロスフォード! 今のは本当か!?」
「まず間違いない。結局、こっちは囮だったわけさ。狼牙族がレグルスに不信感を抱けば御の字ってところだろ?」
王都に最も近い使徒の領地はロードハイムだ。
その戦力を釘つけに出来たのは、奴らからすれば上出来だろう。
アークレイムとしては、兵器の実験も出来たし、仕事もこなした。
俺への襲撃は本当についでなのだろう。
ただ、それが間違いだった。
「ついでで殺せると本気で思ってるのか?」
自分に強化をかけて、ゆっくり相手の間合いに入る。
必要な情報は聞き出せた。
王都へ狼牙族が襲撃を掛けるならば、何としても阻止しなければいけない。
たとえ殺すことになったとしても。
だが、今は目の前の相手だ。
手練れとはいえ、所詮は隠密。
最初の一撃で俺を殺せなかったのが敗因だ。
無造作な一振り。
隠密はそれをバックステップで避ける。
だが、それが完了する前に俺は肉薄した。
姿を見せた時点で、隠密のほうが不利だった。
俺が族長を庇っていたから向こうペースだったが、今はカシムがいる。
安心して俺は攻撃に移れるのだ。
「ぐっ!?」
「その短剣で受け止められると思ってたのか?」
横からの一撃を短剣で受け止めるが、勢いを殺しきれず、腹部に刃を受けてしまう。
いつでも俺を殺せると思ってたみたいだが、それは俺も同じだ。
こいつ程度なら強化を使えば、いつでも殺せる。
「俺を殺したいなら、もうちょっと人数を連れてくるべきだったな」
そう言った瞬間、男が笑う。
そのまま俺が止めを刺す前に、男は家から出ていく。
「ったく……往生際が悪い奴だ」
ここにエルトあたりがいれば、人のことを言えないと笑われるかもしれない。
そんなことを思いつつ、俺はカシムと共に外に出た。
外では負傷した男を庇うようにして、二人の隠密が騎士たちと向かい合っていた。
「ご無事ですか? 大使」
「平気だ。そっちも大丈夫か?」
「なんとか。一人、抜かれてしまい申し訳ありません」
「気にするな。二人を抑えてくれて助かった」
ここにいるのは元々は王都でエルトの護衛をしていた騎士だ。
当然、実力はロードハイムの中でも指折り。
同数なら遅れを取らないと思ったが、それは間違っていなかった。
目立った手傷は見られず、息も乱れていない。
奇襲で家への侵入は許したが、自分の命を守るという最低限の仕事はこなしたようだ。
これで四対三。
狼牙族の子供なんかを人質に取られる前に、片付けるか。
そう思い、一歩踏み出したとき、俺と戦っていた男が喋りだす。
「ユウヤ・クロスフォード。アルシオンの銀十字と呼ばれるお前を殺すのに、我々が三人だけで来ると思ったか?」
「いや、ないだろうな。どうせあと二、三人は控えているんだろ? 早く出せ。もっとも、俺を殺したいなら部隊総動員するべきだけどな」
軽く剣を振って、睨みつける。
いくら戦の後とはいえ、死力を尽くしたとは言い難い。
まだまだ体には余裕があるし、隠密が数人掛かってきた程度じゃやられはしない。
「ふん、だろうな。できれば少数での〝暗殺〟で終わらせたかったんだが……仕方ない」
そう男は告げて、右手を挙げる。
それに合わせて、俺たちの周囲に次々と赤装束の隠密が現れ始める。
その数は両手の指を超え、両足の指を入れても足りなそうだった。
ダラダラと嫌な汗が流れてくる。
「こうなったからには戦だ。覚悟しろ。アルシオンの銀十字!」
「おい! クロスフォード!? 本当に部隊総動員してきたぞ!?」
「いやいや! 待て待て! 俺のせいみたいに言うな! 本当に一人のために部隊を総動員したのか!? 馬鹿だろ! お前ら!?」
カシムの焦った声に、焦った声で返しつつ、俺は本当にやってきた隠密たちの正気を疑った。
レグルスに潜入できる隠密なんて、そうそう簡単に育成できるものじゃない。
隠密に求められるのは必ずしも戦闘力ではない。
情報収集能力だったり、敵に扮したし、流言を流したり。
彼らの仕事は様々だ。
その彼らをこれ見よがしに使うとは。
「アルシオンの銀十字を討つのだから、それ相応の覚悟でここにいる。暗殺といかなかったのは残念だが、その首は貰うぞ!」
「おー、意外に評価して貰ってたー……」
「言ってる場合かよ! 何とかしろ!」
カシムはそう言うが、さっきとは状況が違う。
今の敵の数は二十人以上。
いくら強化を使っても、四人で切り抜けるのは荷が重い。
いや、体の限界まで強化を掛ければ余裕だろうが、そこまでするのも馬鹿らしい。
なぜなら、狼牙族がかかわっている以上、彼女は絶対にこの様子を見ているはずだからだ。
手は出すな、と言ったが、魔族がかかわっている以上、ジッとはしていないだろう。
まぁ、手を出すなと言った手前、ここで助けを期待するのは非常に情けないわけだが。
そんなプライドは残念ながら持ち合わせていない。
情けなくて結構。
命のほうが大切だ。
「できれば助けてくれないか?」
唐突な俺の言葉に全員が呆気にとられた。
敵への助命懇願。
そう思える言葉だろう。
「おい!? 何言ってるんだ!? それで助けてもらえるわけないだろ!?」
カシムがそう突っ込んでくる。
まぁそうだろうな。
敵さんも、俺が何を言っているのか理解できていない様子だ。
まさかこの場面で、命乞いとは思わないだろう。
だが、俺の発言の意図を掴み損ねているようだ。
まぁ、仕方ないか。
こんなのは発した俺と聞いた彼女しかわからない。
これは救援要請なのだから。
しかし、俺の声への答えは予想外な場所からやってきた。
「妾に手を出すなと言ったのはお主だったと記憶しておるのじゃが?」
俺の真横。
そこに黒い空洞が浮かび上がり、そこから銀髪の少女、シルヴィアが出て来た。
先ほどの俺の発言で呆気に取られたものたちは、さらに呆気に取られる。
仕方ない。こんなのは誰だって呆気に取られる。
呼んだ俺も呆気に取られる登場をしてのけたシルヴィアは、赤装束の隠密を見渡し、面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「アークレイム隠密機動部隊・赤羽か。レグルスまでご苦労なことじゃな」
「き、き、貴様は……!?」
「妾の目が届くところで、妾の同胞に牙を向くとはいい度胸じゃ。教育が必要なようじゃな?」
「災厄の黒竜!?」
その言葉にシルヴィアは顔をしかめる。
どうやら敵は竜の尾を踏んだらしい。
どう見てもご機嫌斜めになった。
「その呼び名は嫌いじゃ。もうちょっとセンスのある呼び方ができんのか? アークレイムの者たちは」
「くそっ! なぜラディウスの使徒がこんなところに!?」
「決まっておろう? ここが狼牙族の里じゃからじゃ。妾はすべての魔族の守護者。それは狼牙族とて例外ではない」
そう言ってシルヴィアは黒い翼を広げ、鋭い爪を煌かせる。
そして獰猛な笑みを浮かべて、隠密たちを威嚇する。
「それとここにいるユウヤ・クロスフォードには借りがあるのじゃ。そういう意味でもお主たちを見逃すわけにはいかん。異国で果てろ! アークレイムの鼠ども!」
そう言ってシルヴィアは何もない空間に右手を突き出した。
だが、その右手はいきなり出現した黒い空洞に飲み込まれる。
それを見て、シルヴィアから最も離れた位置にいた隠密が悲鳴のような声を上げた。
「黒洞だ!!」
そしてそれが彼の遺言となった。
突如として真横から出て来たシルヴィアの腕が首を吹き飛ばしたのだ。
魔法ではない。
シルヴィアと首を飛ばされた隠密との距離は十数メートルある。
空間を歪めるなり、飛ぶなりしないかぎり、あんな攻撃はできない。
そしてそんな魔法は存在しない。
となると、考えられるのは一つ。
「それがシルヴィアの神威か」
「いかにも! 妾の黒洞は空間を支配する。妾の前では距離など無いに等しい! どこにも逃げ場はないぞ?」
そう言った瞬間、シルヴィアの姿が消えた。
気づいたときには、シルヴィアは近くの隠密の懐に潜り込んでいた。
今回は微かに目で追えた。
つまり神威の力ではない。
単純なシルヴィアの身体能力だ。
だが、それだってどうにか追えただけだ。
反応しろと言われても無理だろう。
強化状態の俺が、だ。
一瞬で隠密の首が複数飛ぶ。
ラディウスの使徒は最強。
そう言われる理由がよくわかる光景だ。
シルヴィアは魔族としての能力がそもそも高い。
竜族なんて如何にもな種族なのだから当然かもしれないが、それにしたって規格外だ。
今の動きだってぜんぜん本気なように見えない。
加えて、空間を支配する、つまりワープするような神威を持っている。
ほかの使徒の神威と同じように、その効果は広いのだろう。
もしかしたら軍だってワープさせることができるかもしれない。
そうだとするなら、既存の戦術はシルヴィアには通じない。
なにせ、どこからでも奇襲できるのだから。
これに似ている神威を俺は知っている。
マグドリアの使徒であるテオドール・エーゼンバッハの影法師だ。
ただ、奴は影から影という制限がある。
その分、影を自在に操れるという利点があるわけだが、シルヴィアの神威はこと移動という点ではテオドールの神威すら超えている。
テオドールの神威はチートと感じたが、対策はいくらでも考え付く。
影を作らなければいい、という単純な対策だ。
やりようはいくらでもある。
だが、シルヴィアの神威はそれがない。
そして使うのは個体としておそらく最高クラスのシルヴィアだ。
単純な話、寝ているときにシルヴィアがやってきたらどうしようもない。
よくまぁ、アークレイムの使徒はシルヴィアと渡り合えるもんだ。
素直に尊敬する。
そんなことを思っている間に、隠密の数は片手の指ほどに減っていた。
結局、神威を使ったのは最初だけだった。
意識させて、あえて使わなかったのだろう。
もちろん、使う必要性すらないほどに力の差があったということでもある。
「さて、遺言はあるか? 聞くだけ聞いてやってもよいぞ?」
「た、助けてくれ……」
シルヴィアは面白くなさそうに懇願する隠密の首を吹き飛ばした。
そして自棄になって突撃してきた二人の心臓を貫く。
これで残りは二人。
俺が手傷を与えた奴と、すでに生きることを諦めているような目をしている奴だ。
無造作にシルヴィアは諦めている隠密に近づき、その命を絶つ。
まるで作業だ。
そこに同情なんてものはひとかけらだってない。
とてもじゃないが、お腹を空かせて落ち込んでいた少女と同一人物には見えない。
一つ間違えれば、俺もあの爪の餌食だったわけだ。
つくづく、お腹を空かせてる奴を見捨てないでよかった。
エルトにしろ、シルヴィアにしろ、敵に回したら恐ろしくて仕方ない奴らが味方になってくれている。
これからも助けるようにしよう。
そんな決意をした同時に、シルヴィアが最後の隠密に向かって爪を向ける。
「遺言はあるか?」
「必ずアークレイムが貴様ら魔族を滅ぼす。貴様らに安住の地などないことを思い知らせるだろう!」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるのじゃ。アークレイムに安住の地などないことを思い知らせてやろう」
「化け物め! だが、貴様らは我が国の手の平の上だ! せいぜい、全ての人間に喧嘩を売っているがいい!!」
その男の言葉にシルヴィアは不思議そうに首を傾げる。
そして、納得したように両手を軽くたたいた。
血で濡れているせいか、ピチャリというあまり愉快とはいえない音が鳴る。
「なるほど、なるほど。ならば冥土の土産に教えておいてやるのじゃ。貴様らの作戦はすでに破綻しておる。妾がここにいる時点で、ラディウスはすべての事情を察する。確かに狼牙族はレグルスから追われるかもしれぬ。じゃが、それは貴様らが望む形ではないのじゃ。残念じゃったな」
シルヴィアがそう説明すると、男は目を見開き、頬を引きつらせる。
それは苛立ちからか、それとも恐怖からか。
シルヴィアはゆっくりと右手を上げる。
血で濡れたその手が一瞬で男の胸を貫き、男は大量の血を吐き出し、その場で倒れこんだ。
辺りは血の海だ。
それを作り出したシルヴィアは気にした様子もなく、俺のほうへ寄ってくる。
「怪我はないか? ユウヤ」
「とりあえずはな。助かったよ。シルヴィア」
「うむ。もっと感謝するのじゃ」
エッヘンとシルヴィアは胸を張る。
そしてまるで水を弾くかのように、手についた血を弾いた。
シルヴィアにとって、この程度のことは日常茶飯事なのかもしれない。
流石はラディウスの使徒というべきか。それともその異常さを指摘すべきか。
いや、そんなこと考えるだけ意味はないか。
シルヴィアは味方。今はそれだけで十分だ。
「狼牙族の族長で間違いないな?」
「は、はい。ルダールと申します。使徒様」
いきなり現れたシルヴィアに困惑しつつ、ルダールは頭を下げる。
ルダールにとっては信じられないことだろう。
ラディウスの使徒といえば、すべての魔族にとっての希望だ。
その使徒が目の前に現れたのだ。
これがラディウス国内ならまだしも、ここはレグルス国内だ。
あり得ないことだ。
想像すらしなかったことだろう。
「ルダール……。済まぬ。妾の力不足ゆえ、辛い思いをさせたのじゃ……。どう謝罪しても償えぬ……」
「そ、そのようなことは! 頭をお上げください!」
シルヴィアが頭を下げると、ルダールが慌ててそう言う。
だが、シルヴィアは目を瞑ったまま、頭を上げない。
これは気が済むまで頭を上げる気はないだろう。
なら、ほっとくしかない。
俺はシルヴィアから視線を外して、騎士たちへと視線を移す。
予想通り、騎士たちは剣を構えたまま警戒を解いてはいなかった。
敵が居なくなったにもかかわらず、だ。
それが示すのは、シルヴィアを敵と判断しているということだ。
まぁ他国の使徒が現れればそうなるか。
「剣を引け。それとクリスを呼んできてくれ。事情を説明する」
「そうですね。事情を説明していただきます。それまでは彼女を拘束しても構いませんか?」
「できるもんならやってみろ。どうやって拘束するつもりだ? 縄か? 鎖か?」
あの様子じゃシルヴィアを拘束するにはシルヴィア専用の牢獄でも作るしかない。
もちろん、材質には徹底的に拘る必要があるだろう。
「それは……」
「彼女は敵じゃない。俺が保証するよ」
「残念ながら、現在、あなたも信用ならないのです」
「それは残念だ。ならどうする? ロードハイムの全騎士たちで敵対するか? 悪いが、俺はシルヴィアに付かせてもらうぞ? 助けてもらった恩を仇で返す奴らと肩を並べる気はないからな」
俺の強硬な態度に騎士たちは困惑し、やがて埒が明かないと判断したのか、一人が里を出てクリスを呼びに行った。
さて、説明するとは言ったが、どう説明したものか。
それに王都のこともある。
あんまり悠長にはしていられないな。




