第三十一話 グラセニック
賊との戦いはあっさり終わった。
彼らが元々、兵士というわけじゃないというのが一番の理由だろう。
前線が崩壊した時点で逃げる者がかなり出た。
残った者も半ば諦めており、強化の掛かったロードハイムの騎士たちの敵ではなかった。
残った者を討ち取り、今は小隊ごとに逃げた者たちを追っているところだ。
賊たちにとって、ここは見知らぬ土地であり、騎士たちにとっては慣れ親しんだ自分たちの領地だ。
逃げ切れる者は数えるほどしかいないだろう。
その数えるほどの者も、これから騎士たちの執拗な捜索に苦しめられる。
多くの者が諦めてロードハイム領を出るだろう。
何人かの捕虜に確認したところ、賊たちの統領たちは全員死亡しており、主だった者も同様らしい。
下っ端の者には隠れ里の詳細な情報は伝わっておらず、隠れ里の情報が洩れるという最悪の事態は避けられた。
まぁ、マグドリアもアークレイムも把握しているだろうし、またいつ襲撃があるかはわからないが。
「いやぁ、どうにか切り抜けられたな」
陣地に設けられた天幕で休んでいると、レイドがそう言いながら入ってきた。
俺と一緒に最前線で戦ってたせいか、あちこちに返り血がついている。
それを手に持った布で拭っているが、なかなか取れないらしく、嫌な顔をしている。
「クリスのおかげでな」
「おやおや、謙遜だな」
レイドはそう言って、肩を竦める。
本心からだったんだが、どうやらレイドは違う受け取り方をしたらしい。
「謙遜じゃないさ。クリスありきの作戦だった。クリスの功績が一番でかい」
「けど、その作戦を考えたのはクリス様じゃないだろ? あんな作戦はクリス様からは出てこない。堅実が服着ているような人だからな」
レイドは笑いながら言って、血をふき取ることを諦めた。
そのまま空いている椅子に腰かけると、レイドは俺を真っすぐ見てくる。
「あんたが作戦を考えた。そしてその作戦が当たった。だからあんたのおかげさ」
「買いかぶりだな。確かに作戦の大元は俺が考えた。けど、結局は穴を埋めたのはクリスだ」
「補佐役のほうが得意だからな。今回の戦、あんたが最初から指揮を執ってれば、苦戦せずに勝てたと思うんだが?」
レイドはあくまで俺のおかげということにしたいようだ。
戦に勝った以上、誰のおかげというのはどうでもいいと思うんだが。
別に特別な褒賞が出るわけでもあるまいし。
この戦は所詮は領内に出た賊の討伐戦。
規模がデカかっただけで、別に特別な戦じゃない。
こういうときのために騎士たちはおり、その役目を果たしただけだ。
当たり前のことを、当たり前にしただけだ。
「たらればは好きじゃない。けど、まぁ、俺が最初に指揮を執ってれば、騎士たちは俺の思った通りに動かなかっただろう。俺と騎士たちの間には信頼がなかったからな」
「それはそうかもな。領内でのあんたの評判は芳しくない。領民にとっても、騎士たちにとっても、敬愛する使徒にまとわりつく虫扱いだ」
「おいおい……初耳だぞ……」
虫扱いって。
どんだけ嫌われてるんだよ。俺は。
嫌われてるだろうなと思っていたけど、想像以上だ。
というか、領民たちまで俺のこと嫌いなのかよ。
これからはおいそれとエルトのところにも行けないな。
いつ襲われてもおかしくない。
「ま、今回のことで評価は向上するんじゃないか? 領地を守ることに助力したわけだしな」
「それは朗報だな。できれば、良い噂を広めといてくれ」
「任せろ。面白おかしく脚色して、今回のことを話しておくよ」
「勘弁してくれ……」
俺の反応にレイドはおおいに笑う。
まったく何しに来たんだか。
俺がそう呆れていると、レイドも察したのか、苦笑しながら佇まいを直した。
「何しに来たんだって顔だな?」
「ああ。用がないなら帰ってくれると助かる。俺はこの後、やることがあるんだ」
「それはすまないな。じゃあ、用件を伝えようか。今回は助かった。クリス様のことはエルトリーシャ様も心配しててな。フォローを頼まれてたんだが、上手くできずにあんたにやらせちまった。そのことへのお礼と謝罪に来たんだ」
そう言うと、レイドは頭を下げた。
感謝と申し訳なさを込めて。
俺がやったことは、本来ならレイドの仕事だったわけか。
確かにレイドならクリスを焚きつけることくらいはできそうだ。
安定志向なクリスを動かし、勝利をもぎ取る。
よく知った相手なら難しいことじゃないだろう。
問題なのは、エルトがなぜ、わざわざ一介の騎士にそんなことを頼んだか、ということだ。
「レイド。一体、お前は何者なんだ?」
「唐突だな?」
「随分とクリスやエルトと親しそうだからな。貴族の息子とか、昔から接点があるのか?」
俺の予想にレイドは再度苦笑した。
「残念ながらオレは貴族じゃない。ただ、昔から接点があるというのは正解だ。クリス様の家はかなり前から公爵様に仕えている文官の長だ。一方、オレのグラセニック家は武官の長。代々、公爵の兵をまとめてきた家だ」
「なるほど。合点がいったよ」
「いやいや、まだ話は終わってないぞ? いくら代々続いてきたといっても、使徒の騎士団は実力主義。エルトリーシャ様が公爵となり、騎士団が創設されるにあたり、多くの武官が騎士になることを望み、なれなかった。まぁ当然だわな。騎士団創設っていうのはレグルスにとっては一大イベントだ。レグルス中から強者たちがやってくる」
公爵の兵士といえど、壁は高いというわけか。
まぁ、先代の公爵に仕えていた者をエルトがないがしろにするとは思えない。
武官ではないにしろ、それなりの役職を与えただろうな。
クリスは幼い頃からエルトの傍にいたと言う。
ということは、実力でその座を勝ち取ったというわけだ。
ならば目の前のレイドは?
「お前はどうだったんだ?」
「おいおい、クリス様と一緒にするな。オレはエルトリーシャ様が領地に来たとき、まだガキだった。子供の頃から頭角を現す奴なんて、滅多にいないさ」
「それはまぁ……確かに」
「あんたが言うと嫌味に聞こえるな。ま、そういうわけで、オレ自身が騎士になったのはつい最近だ。ただ、オレの兄がいち早く騎士になっていた。だから、オレは二人とも親しいってわけだ」
レイドは話し終えて笑う。
だが、別にここまで伸ばす必要があった話でもない。
兄が昔から騎士だった。
それで済む話だと思うんだが。
「さて、本題はここからだ。我がグラセニック家から期待を持って送り出された兄は、いまどうしていると思う?」
「……死んだとか言うなよ?」
「そんな重い話をするわけないだろ? 生きてるし、騎士団にも所属してる」
「なら……エルトの護衛でもしてるんじゃないか?」
信頼されているならば、エルトの護衛というのが一番しっくりくる。
もしかしたら、俺とも面識があるのかもしれない。
しかし、レイドは首を横に振る。
しかもニヤニヤと笑いながら。
なんなんだ、こいつ。
「あんたはまだ会ったことないはずだ。いつも別行動だからな」
「別行動?」
「そう。クリス様がエルトリーシャ様と一緒にいるからな」
クリスがエルトの傍にいると、レイドの兄はエルトの傍にはいられないということか?
クリスに嫌われてるとか、そういう馬鹿みたいな理由でないなら、高位の役職についている可能性がある。
今回のクリスのようにエルトの代わりに騎士を率いる人物。
そういう人物なら、エルトの傍にはいられないだろう。
多方面に軍を展開する必要が、使徒なら出てくる。
そして俺が会ったことないとなると、その人物は絞られてくる。
「まさか……お前の兄が騎士長なのか?」
「その通り。んで、その騎士長様からの伝言だ。エルトリーシャ・ロードハイムの臣下になる気はないか? だそうだ」
レイドは軽く笑いながら、そう言う。
本人は本当に伝言を伝えているだけのようだ。
それに伝言を託した騎士長も、そこまで本気ではないだろう。
一応、声をかけておく程度のつもりのはずだ。
なにせ、俺はアルシオンの貴族で、不本意ながら前回の戦で名を挙げてしまった。
その俺がレグルスの使徒の下に行くとなれば、大事件だ。
アルシオン側は全力で引き留めにかかるだろうし、俺の縁者にも非が及ぶ。
もちろん、エルトは保護してくれるだろうが、そこまでしてエルトの臣下になりたいとは思えない。
エルトは非常に魅力的な主だろうが、俺はそもそも戦が嫌いだ。
その時点でロードハイム陣営には向いていない。
「断ると伝えておいてくれ。たとえ、エルトに頼まれたとしても意見は変わらない。俺は基本的に怠惰な人間だ。エルトみたいにあちこちの戦場に出向くのは御免だ」
「まぁ、そう言うだろうな。兄貴には上手く伝えておく。どうせ、向こうも期待はしてないさ」
「そうだろうな。本気なら自分で声をかけるはずだ」
「本人はあんたに会いたがってたけどな。まぁ、面倒な兄貴だから気を付けておけ。好きなことは腕試しだからな」
うわぁ、面倒そうな奴。
体育会系だとすると相容れないな。
ま、エルトも十分すぎるほど体育会系だけど。
類は友を呼ぶというし、エルトの騎士を束ねる騎士長なら、エルトに似ててもおかしくはない。
そんなことを思っていると、天幕に騎士の一人がやってきた。
「失礼します。クロスフォード大使。準備が整いました」
「わかった。すぐ行く」
「そういえば、用があるって言ってたな? 何するんだ?」
「戦勝報告さ」
とりあえず勝ちはした。
まだクリスが大半の騎士を率いて、残党狩りをしているが、当面の大きな危機は去ったとみていい。
だから報告しに行く。
できればクリスに任せたいところだが、クリスは騎士たちの指揮中だ。
嫌ならクリスと代わればいいだけの話だが、それができないのが問題だ。
逃げる敵を追う以上、指揮官も地理に通じている必要がある。
残党狩りの指揮は俺じゃできないのだ。
「報告? 誰にだ?」
「決まってるだろ? 狼牙族さ」
彼らを守るための戦いだった。
終われば報告するのは当然だ。
ああ、なるほど、とレイドは言うが、俺の様子には気付いていないらしい。
こんなことならまだ敵を倒していたほうがマシだった。
彼らの戦士長を殺した俺が、どの面を下げて会いに行けというのだろうか。
はぁ、アルシオンに帰りたい。




