第三十話 飛矢のごとく
突撃前というのはいつだって緊張する。
敵と向かい合ったときの、肌に刺さるような空気。
息苦しさを感じさせる奇妙な圧迫感。
異様に汗を掻くし、体だって思うように動かない。
緊張という言葉だけじゃ片づけられない何かが戦場にはある。
けれど。
それを跳ね除けなければ、前には踏み出せない。
そして。
誰よりも最初にそれを跳ね除け、先陣を切ることこそ、前線で戦う武将に求められることだ。
俺は右手に持った槍を見た。
投げるために調整された槍だが、この距離でそれに気づく者はいないだろう。
今回はこいつが俺の相棒だ。
投げるまでの短い間だが。
クリスは騎馬隊の中央にいるため、外からじゃ弓を持っていることに気付けない。
一応、騎士の中で弓の得意な者を何人かクリスの側に置いているが、走っている馬の上から正確に遠方の敵を狙撃できる腕を持つのはクリスだけだ。
自分に強化を掛けて、思いっきり槍を投げればそれなりの距離は出るだろうが、これも一回が限界だ。
結局はクリスの腕次第というわけだ。
他人に自分の命を委ねるというのは、なんだか不思議な気分だ。
クリスが失敗すれば、俺はあの兵器の的になる。
まぁ、所詮は人が投げる兵器だ。
命中率なんてたかが知れているが、それにしても範囲が広い。
直撃しなくとも死ぬ可能性は十分にある。
たぶんだけど、戦でよく使われる魔法とほぼ同威力、もしくはそれ以上。
まったく、厄介なモノを開発してくれたものだ。
これが量産されたら厄介どころじゃ済まなくなる。
どうせ、近くでマグドリアかアークレイムの関係者が見ているんだろう。
これは狼牙族を襲撃するための戦いであると同時に、彼らにとっては性能実験でもある。
できればここで破っておいて、使えないと思わせたい。
地球の歴史を振り返れば、素人でも容易く扱える兵器の開発は、人を大量に殺す。
文明が進化していけば、避けられないことなのかもしれないが、俺が戦場にいる内は少なくとも剣の時代であって欲しい。
そのためにも、この突撃は絶対に成功させる必要がある。
俺は後ろを振り返る。
多くの騎士たちの先にクリスがいた。
琥珀色の瞳が俺の視線と重なる。
軽く目を細めた後、クリスが力強く頷く。
それを見て、俺は槍を高く掲げる。
味方と敵の間に奇妙な静寂が流れた。
「ロードハイムの騎士たちよ! 諸君の敬愛する主の領地を荒らす者たちを成敗しにいく! 恐れを知らぬ者だけついてこい! 突撃!!」
言葉と同時に馬の腹を蹴る。
流石はロードハイムの騎馬というべきか、力強い出足を見せてくれる。
そんな俺に遅れまいと、騎士たちも続々と俺の後に続いてくる。
突撃陣形は鋒矢の陣。
↑の形になって、敵へと突撃する陣形だ。
ロードハイムでは槍と呼ばれるらしい。
最もエルトが使う陣形であり、最もロードハイムの騎士たちが慣れている陣形でもある。
ただし、正面への突破力を重視する陣形のため、先鋒には道を切り開く武勇が求められ、横からの攻撃にも弱い。
ロードハイムの騎士たちは圧倒的武勇のあるエルトが先頭を行き、エルトの神威によって側面へのフォローをしている。
だが、今はエルトはいない。
当然、側面は脆弱だし、エルトのときのような、防御力にモノを言わせた突破力も発揮できない。
けれど、その代役として俺がいる。
エルトの代わりというには役不足だが、賊相手には十分だろう。
「自軍強化」
俺の背中。
正確には銀十字を追う者に強化の加護を与える。
もちろん、全ての騎士たちに恩恵があるわけじゃない。
心の底から俺について来ている者だけにしか効果はない。
だが、手ごたえはあった。
大半は強化の加護を手に入れたはずだ。
このまま力押しでも賊は倒せる。
ただ被害は大きくなるだろう。
できるだけ被害を小さくするためにも、クリスの働きが必要だ。
相手もさすがにこちらの突撃態勢を見て準備をしていたのか、前線に兵器を持ってきている。
ただ人の手で動かしているせいで、準備に差が出ている。
最も準備が早そうなのは左方。
続いて中央。
そして。
「クリスの読みが当たったか……」
右方にも動きがある。
中央とほぼ同時の早さでこちらに兵器を向けてくるだろう。
そうなってくるとクリスだけでは一手足りない。
それにしても意外に早い。
重いのだろうと思っていたけれど、よくよく考えれば魔法というのは重さはない。
もしかしたら、意外に軽いのかもしれない。
一つくらいこっちの検分用に残したいところだが、あいにくこっちにそんな余裕はない。
残念だが、すべて破壊だな。
「強化」
自分自身に強化をかけて、投げ槍を構える。
それと同時に後方から複数の矢が左側へと向かっていく。
しかし、多くが狙った兵器に届かずに終わる。
その中で一際、綺麗に飛ぶ矢があった。
ただ真っすぐ飛ぶその矢は、まるで吸い込まれるようにして、今にも投げられようとしている兵器に突き刺さる。
一瞬の間が流れ。
次の瞬間、新兵器が賊たちに牙を向いた。
爆発とそれに伴う衝撃で、敵の左前方は大混乱だ。
あとは残り二つ。
予定では中央がクリスで右は俺が担当する。
しかしまぁ、まだまだ距離がある。
弓ならいざ知らず、槍には厳しい距離だ。
馬で走っているため、もう少し縮まるが、今の時点で百メートルと言った距離か。
槍の射程はせいぜい数十メートル。
向こうはもう少し短いだろうが、俺は正確に向こうを捉える必要がある。
一方、向こうは大雑把でもいい。爆発の範囲はそれだけ大きい。
投げたほうに爆発がいかないあたり、爆発には方向性があるんだろうけど、それでも投げる人間を考えている兵器とは言い難い。
そういうところも試作兵器ゆえというべきか。
賊に与える兵器に安全性は不要と考えたのか。
まぁ、今はそこを存分につかせてもらおう。
「大丈夫なのか? この距離は流石に厳しいだろ?」
いつの間にか俺の側にいたレイドが声をかけてくる。
その手には盾が握られており、爆風への対策はバッチリだ。
「確かに厳しい。正直自信はないな」
「おいおい、勘弁してくれよ……」
「嫌なら先頭集団から離れるんだな。狙いは俺だろうし」
「そうしたいのは山々なんだが、クリス様からあんたの側にいろって言われてるんだ」
「それはご愁傷様。当たることを祈っててくれ」
レイドは盛大に顔をしかめながら、盾を顔の前まで上げて、しっかりと防御態勢を取った。
敵を視界にとらえることはできるが、流石にピンポイントで捉えることはできない。
「視界強化」
だから視界を強化して、的の姿を確認する。
一気に視界が広がり、敵の兵器を捉える。
別に敵兵士でもいいわけだが、確実に敵の手の中で爆発させるなら、直接、あの兵器に命中させる必要がある。
馬を走るに任せ、俺は深呼吸をする。
外せば終わりと思えば思うほど、体に力が入る。
できるだけ無心に。
ただ、槍を飛ばすことだけを意識する。
イメージは先ほどのクリスの矢。
ただただ真っすぐ飛ぶ矢のごとく。
この槍を飛ばすんだ。
そのとき、後方から風切り音が聞こえてきた。
それを合図に、俺の腕も始動し始める。
「武器強化、十倍」
槍の限界を超えた強化を行い、強化された腕力で槍を放り投げる。
微かに光を発しながら槍は真っすぐ右側の敵へと向かっていく。
できることはすべてやった。
これで失敗したなら、もうどうやったって成功はない。
あとは運よく生き残るのを期待するしかない。
クリスの矢と俺の槍。
それが敵、味方の注目を集める。
最初に命中したのはクリスの矢だった。
見事に敵の兵器に突き刺さり、中央で防御態勢を取っていた賊を吹き飛ばす。
先ほどよりも接近しているせいか、こちらにも強い爆風が向かってくる。
周囲を固める重装騎兵が爆風とそれに飛ばされてくる石やら何やらを受け止めてくれる。
だから俺自身に被害はないが、問題は既に飛んでいた俺の槍だ。
爆風で進路が変わってないといいんだが。
一瞬、爆風が晴れて視界が開ける。
そのとき、俺の目には僅かに宙へと浮かぶ敵の兵器が映った。
外れたか。
そう思ったとき、槍が敵の兵器を貫く。
強化して投げたことが功を奏して、爆風にも負けなかったらしい。
ただし。
「まずい!?」
武器強化を施したせいで、予想外に爆発がデカい。
右側で起こった爆発は、中央側まで及び、先ほど以上の爆風をこちらに与えてきた。
「おい!? 槍になんか細工したのかよ!?」
「してない!」
「嘘つけ!」
爆風に視界を遮られながら、レイドがこちらに文句を言ってくる。
神威を使ったとも言えないため、嘘をつくが、すぐにバレてしまう。
あとで誤魔化す方法を考えなければ。
しかし、今はそれよりもやることがある。
腰の剣に手をかけ、一気に引き抜く。
「遅れるなよ、レイド! これからは蹂躙戦だ!」
「盾構えさせたり、剣抜かせたり、人使いが荒いぜ」
言いながら、レイドも剣を構える。
爆風で巻き起こった土煙が晴れると、俺たちの前に爆発で混乱している賊の姿が現れた。
言葉通り、ここまで混乱していては戦にはならない。
ただの蹂躙戦だ。
わけもわからず、どこを向いていいかさえわかっていない賊を切り伏せ、敵の中へと切り込んでいく。
その後を追って、続々と騎士たちが続く。
恐怖で引きつった顔を見せる賊たちに同情はわかない。
同時に軽蔑もしない。
死ぬときというのは誰だってそういうモノだ。
「突撃! 殲滅しろ!」
怒号と共にロードハイムの騎馬隊が、賊へと食らいついた。




