第二十八話 博打策
「してやられたな」
呟きながら、俺は馬から降りた。
そのまま馬を若い騎士たちに任せ、血の匂いと喧騒で埋め尽くされている陣地を歩き始める。
俺たちは敵陣から脱出した後、敵から距離を取った本隊と合流した。
敵の追撃を完全には防げなかったせいか、結構な被害が出ている。
前線で爆発に巻き込まれた騎士は、命を落としたか、深手を負ったかのどちらかだ。
また、怪我をした者を救助しようとした時や、撤退中の混乱の中で敵に襲撃を受けた者も多数いる。
死傷者は百人を超えるだろう。
敵にも打撃を与えたが、こちらの被害のほうが痛手だ。
あの爆弾への恐怖が騎士たちに生まれてしまっている。
流石にまだ五つも六つも持っているとは思えないが、もう一つ二つくらい持っていてもおかしくない。
少し歩くとクリスの姿が見えた。
陣地の奥。
指揮官用の天幕の前にクリスはいた。
クリスには傷一つない。
だが、鎧にはかなりの返り血がついている。
撤退の際に、後方で戦っていたんだろう。
返り血を気にした様子も見せず、敵陣を睨み付けながら、クリスは思案していた。
確かに狼牙族は守らなければいけないし、里に近づけないようにしなければいけない。
だが、こちらは損害を受けた。しかも予想外の損害だ。
最悪の場合は里まで後退するという手も考えなければいけない。
「無事だったか」
「あの程度に遅れを取ると思っているんですか?」
まぁ個人的な武勇で遅れを取ることはないだろうな。
ただ、作戦という点では遅れを取った。
俺もクリスも。
指摘はしないけど。
「これからどうする?」
「まだ負けたわけではありません。もう一戦して殲滅します」
「確かにな。けど、賊にしてやられた事と、あの新兵器のせいでこちらの士気はだだ下がりだぞ?」
「どうにかします。あなたと僕で」
クリスの言葉にため息を吐く。
どうやら撤退はプライドが許さないらしい。
守るべき対象である狼牙族を巻き込まない。
それは俺も当初は考えていた。
だが、追い詰められればそうも言ってられない。
「あと一戦が限度だぞ? それ以上はここじゃ戦えない。爆発から身を守る物がないからな」
「あと一戦できれば十分です」
「敵が持久戦にでれば、一回じゃ終わらないぞ?」
これは防衛戦だ。
爆弾への対処にばかり気をとられ、無防備な里に侵入されるわけにもいかない。
一番は里まで後退する事だと思うが、それをクリスは嫌った。
狼牙族の戦闘力をあてにするのも、巻き込むのも嫌なのだろう。
正直、甘いと思う。
後方の隠れ里以外に、彼らの居場所はない。
だから、避難させようにも避難させられない。
ならば一緒に戦ってもらうのも悪くはないだろう。
これ以上はロードハイムの騎士たちにも負担だ。
次の攻撃は先程よりも熾烈になるだろう。
なにせ、俺たちの妨害を受けたとはいえ、向こうは押せ押せムードだ。
このまま勢いに任せて、力押しに来るだろう。
しかし、それはクリスも分かっている。
分からないはずがない。
だが、それでもとクリスは思っているのだ。
狼牙族への思いは当然あるだろう。
自分への誇りも当然あるだろう。
ただ、それ以上にエルトの副官として、退くわけにはいかないのだろう。
エルトは狼牙族を自らの領民として受け入れた。
守るべき責任があるのだ。例えエルトがいなくとも。
「反対ですか……?」
「まさか。俺もロードハイムの軍が後退するのは見たくない。それに王都に帰った後に、役立たずと言われるわけにもいかないしな。俺は親善大使だからさ」
「物騒な親善大使もいたものですね」
「親善大使を戦場に派遣する人たちに言ってくれ」
親善先の国で泥で汚れ、返り血を浴びている大使は確かに俺くらいだろうが、戦場にいるんだから仕方ない。
問題があるのは、俺ではなく俺を戦場に派遣した人たちだ。
まぁ、恨み言を言っても始まらないか。
アルシオンの人間として参加している以上、役立たずと思われるわけにもいかない。
何より、エルトの領地でこれ以上、好き勝手やらせるわけにもいかない。
シルヴィアもどこかで見ていることだろうし、この場でやるというなら、やるしかないだろう。
少々、賭けに出過ぎな気もするが、士気を持ち直せばどうにかなるだろう。
そしてそれを何とかするのが、わざわざ派遣されてきた俺の仕事だ。
「さて、じゃあ士気を上げるために作戦を提示しますか。敵さんも立て直し中だろうし、少しは時間もあるだろ」
「士気を上げるほどの作戦があるんですか?」
「ま、ぼちぼちだな。思い付いているのが幾つか。あとは、微調整が必要だ。かなり賭けの要素が強いけど、それは腕の見せ所だな」
言いながら、俺は自分の腕を叩く。
比喩でも何でもなく、今、思い付いているのは俺とクリスの指揮能力に頼る作戦だ。
「どのような作戦ですか?」
「その前に聞きたいことがある」
「何ですか?」
「騎馬はどれくらい残ってる?」
「五百ほどですね」
「じゃあ、もう一つ。弓は得意か?」
「舐めないで下さい。僕はエルトリーシャ様の副官ですよ? 大半の人間よりは上手くやれる自信はあります」
その言葉に俺は大きく頷く。
エルトをして、万能と言わしめるクリスのことだ。
言葉どおり、かなりの腕だろう。
それならば、あとは俺次第だ。
「話が見えないんですが?」
「そんな難しい話じゃない。騎馬隊で突撃を仕掛けるだけの話だ」
自分でも呆れるほど単純な作戦に、クリスが頭を抱えた。
この様子じゃ、俺の作戦に結構、期待していたらしい。
「意見を聞いた僕が馬鹿でした。あなたがいい加減な人だと忘れていましたよ」
「おいおい、それなりの勝算はあるぞ? 奴らはさっきの攻撃で俺がいることを知った。突撃を仕掛ければ間違いなく、迎撃にあれを使う」
「そうかもしれませんが、あれは予想以上に範囲の広い兵器です。避けられる保証がありません。それに騎馬で戦うということは、防衛ラインを放棄すると言うことです。数人の賊でも里に侵入されたら、僕らの負けなんですよ?」
「けれど、防衛ラインに拘れば、あの兵器の餌食だ。ああいうのは的を絞らせないように動くのが一番の対策だぞ? 動いている相手に当てるのは困難な兵器だろうしな」
二人で持っている時点で重さは相当なものだろう。
それを慎重に運んで、投げるわけだから、瞬発力のある兵器じゃない。
速度でかく乱しながら、機を見て突撃するのがベターだ。
ただ、クリスの言った通り、これは防衛戦。
最初に設定している防衛ラインがあり、それを放棄すれば、敵の侵入を許す恐れがある。
リスクの高い作戦は承知の上だ。
ただ、こちらの被害を抑えつつ、勝つにはリスクを負う必要がある。
このままジリジリと防衛戦をしても、被害が増える一方だ。
向こうの士気は依然高い。
味方への思い入れが少ないから、被害が出ても気にしないのだ。
しかも極端な話、一人でも逃がせば、この付近に賊が湧くことになる。
狼牙族の隠れ里を知っている賊が、だ。
もちろん、全ての賊が知っているとは思えないが、指示を出している奴らは知っているだろう。
どこまでの人間が知っているかわからない以上、敵を逃がすことはそれだけで危険に繋がる。
本当は包囲戦でもしたいところだが、あいにく数の上では向こうが有利だ。
国内、国外の状況的に援軍も期待できない。
だからこそ、リスクは承知でやる必要がある。
「突撃したとして、それで敵の大半を片づけられますか? 敵には明確な大将がいるわけではないんですよ? 彼らを撤退させるには甚大な被害を与える以外に手はありません!」
「だから与えるんだよ。お前の弓で」
「……はい?」
怪訝な表情を浮かべるクリスに、俺は作戦の第二段階を説明する。
「俺が突撃を仕掛ければ、奴らは兵器を使う。おそらく慌てて前線に出してくるだろう。クリスにはそこを狙ってほしい」
「……まさか僕に狙撃しろと?」
「そんな難しくないだろう?」
どこから狙うかによるが、俺が突撃する方向に兵器は向けられる。
あらかじめ準備しておけば、それなりの弓使いならどうにかなるだろう。
まぁ、問題があるとすれば、失敗したときのリスクが高いという点だ。
「僕が失敗すれば、あなたを含めて、騎馬隊は壊滅に近い打撃を受けます。騎馬はすぐには止まれない。先頭で爆発が起きれば、爆発に突っ込んでいくしかないんですよ?」
「失敗しなきゃいいさ」
「そんな他人事みたいに言わないでください!? あなたに何かあれば、僕はエルトリーシャ様に何と伝えればいいんですか!?」
怒りと戸惑い。
それがクリスの表情に現れる。
あまり表情の変えない奴だからわからないけれど、やっぱり人並みの感情があるらしい。
「まぁ、そうなったらエルトに伝える言葉より、狼牙族をどう守るかを考えたほうがいいな」
「僕は真剣に言っているんです!」
「俺も真剣だぞ? ここは戦場だ。どうやって相手に勝つか。味方の損害を減らすか。そう言ったことが一番に優先されるべきことだ。それ以外は考えるだけ無駄だぞ?」
「……わかっているんですか? ここでの失敗は多くの物を失うんです。あなたもエルトリーシャ様も! 僕にはそれを止める義務がある!」
クリスの言葉に苛立ちと焦りが浮かび始める。
なんだかんだ、プレッシャーを感じてたのかもしれない。
いくらエルトの副官として修羅場を潜ってきたとはいえ、今回はちょっと状況が悪い。
焦りやプレッシャーを感じないほうがおかしいか。
元々、補佐に秀でているクリスは状況を自分から打開するのは苦手なんだろう。
けれど、今はそれをしなければいけない。
慣れないことをしているんだ。
いつも通りというわけにもいかないか。
「落ち着けよ。指揮官が取り乱すと兵も動揺するぞ?」
「誰のせいで取り乱していると思っているんですか!?」
「やっぱり俺かなぁ。俺としては、かなりの妙案を提示したつもりなんだけど?」
こっちの手札は俺とクリス。そして新米の騎士たち。
対して、向こうは爆弾に似た新兵器と各地から集結した賊たち。
厄介なところは、敵に壊滅的なダメージを与えないかぎり、こちらの完全勝利はないというところだ。
まとまった数でも逃した日には、ロードハイムはしばらく賊に頭を悩まされることだろう。
加えていえば、そいつらは狼牙族の里の位置を知っている。
結局、逃せば狼牙族の安寧は脅かされる。
彼らを守ることが戦の重要な要素である以上、俺たちはここで奴らを徹底的にたたく必要がある。
だが、こちらには肝心の打撃力が不足している。
ただの突撃では奴らを倒しきれない。
そこで奴らの新兵器を利用する。
奴らの手元にある内に爆発させるのだ。
それで結構なダメージが奴らに向かうはずだ。
あとは騎馬隊で蹂躙すればいい。
リスクは確かに高いが。
「冗談じゃありません! そんな個人頼みの作戦は」
「認められないか? ならどうする? 絶対に勝てる作戦なんて存在しない。リスクのない作戦なんて存在しない。犠牲が出ない戦いなんて存在しない。多くを望むのはやめろ。既に状況はこっちに不利なんだ。リスクを背負わなきゃ勝てやしない」
俺は大きくはないが、強い声でそうクリスに伝える。
クリスだってそんなことはわかっている。
わかっているが、多くの人間の命を背負い、なおかつ主君の名誉が掛かっているとなれば、そうそう決断はできやしない。
だが、迷っている時間はない。
向こうだってそろそろ態勢を立て直す頃だ。
説得にもそこまで時間はかけられない。
「いいか、クリス。エルトはいつだって危険な賭けを提案するし、成立させる。それはあいつが人一倍勇敢だからって言うのと、クリスっていうストッパーが常に傍にいるからだ。けど、今はエルトはいない。いつもみたいに堅実な慎重論じゃ、事態は解決しない。今はお前がエルトのようになるときだ」
賭けに出ろ。
そう言って、俺はクリスの肩に手を置く。
賭けに出るのには勇気が必要だ。
いつも慎重なクリスなら尚更だろう。
だけど、今、必要なのは勝算の低い安全策じゃない。
状況を打開出来る博打策だ。
賊がすぐに諦めるとは思えないし、王都も敵の撹乱で混乱するだろう。
援軍はなく、ロードハイムの主力も戻ってこない。
現状戦力で賊を排除するしか手はない。
長期戦に出て、周りの村を襲われたら、こっちじゃ対応しきれない。
向こうがヤル気満々な内に、打撃を与えるしか手はないのだ。
「この戦には……ロードハイムの威信が掛かってます」
「知ってる」
「この戦には、多くの人の命が掛かってます」
「どんな戦でも人の命は掛かる。殺し合いだからな」
クリスは眼をつむり、手を力一杯握り締める。
爪が食い込み、痛々しい。
だが、それくらいクリスは迷ってる。
賭けというのは、負ければ終わりなのだ。
何もかも失う。
だけど、戦とは元々、賭けのようなモノだ。
負ければ終わりなのはいつだって一緒だ。
安全策ばかりじゃ賭けには勝てない。
ときには大胆になる必要がある。
「……あなたの策を採用します。ですが、修正点があります」
「ほう? どこを修正する?」
「あなたの周りに盾と鎧で身を固めた重装騎兵を配置します。それで敵も突撃を罠とは疑わないでしょうし、あなたの安全も少しは改善されます」
「確かに。他には?」
流石に決断した後は早いな。
目に迷いがない。
冷静に、確実に。
作戦の問題点は洗い出し、修正を加えてくる。
「僕も突撃部隊に入ります。そこから狙撃します。別角度ではバレる危険性がありますから」
「了解だ。あとはあるか? 言っとくが、騎馬隊に弓を持たせるのはナシだぞ? 敵も馬鹿じゃない。そんな騎馬に兵器を使ったりしない。恐らく、乱戦の中で敵の手下どもと一緒にやられるのがオチだ」
「わかっていますよ。そんなことは。問題があるのは、敵の兵器の数です。二つまでなら僕だけで対処可能ですが、三つ目は流石に厳しいです。そして、三つ目がある可能性は十分にあります」
敵はかなりの数を最初に使った。
俺の予想は多くて二つってところだが、予想はあくまで予想。
実際に見たわけでもないし、確率的には確かに三つ目がある可能性はある。
となると、三つ目があれば作戦が破綻することになる。
まぁ、ある程度、近づいていればどうにかなるだろう。
「三つ目があるとして、同じ個所で使うことはないはずだ。誘爆の可能性があるからな。それなりに距離を置いて、向こうは使うだろう。仮に左、右、正面に配置していたとして、左と正面を排除してくれるなら、残りの右は俺が片づける」
「あなたも弓を使うつもりですか?」
「まさか。目立ってしまうし、そもそも弓はそんなに得意じゃない」
「ではどうやって離れた位置にいる相手を攻撃するつもりですか? 騎馬で近づいたとしても、結構な距離があることは間違いないですよ?」
クリスの疑問に俺は近くを通っていた騎士を指さす。
何の変哲もない騎士だ。
特別な部分などどこにもない。
ただし、俺とは違う点が一つある。
「投げ槍を使うのさ。余波は……しょうがない。この際、諦めて、周りの重装騎兵に任せるさ」
「飛距離に自信があるんですか? 投げ槍が届く距離で爆発させたら、いくら周りを固めていても、無事では済みませんよ? その後に敵に攻撃を加えることを忘れていないでしょうね?」
「忘れてないさ。平気平気。自信はある。悪い結果にはなりはしないさ」
俺がそう言うと、クリスは反論をすぐにひっこめた。
それは俺への信頼が半分と。
敵の陣地が俄かに騒がしくなったからだった。




