第七話 マイセン・ブライトフェルン
使者が来てから二日。
出陣の日は来た。
途中でブライトフェルン侯爵の軍と合流し、ヘムズ平原へ向かう形になる。
俺にとっては初陣。盗賊や山賊の盗伐に出向いたことはあっても、戦に参加するのは初だ。
「気を付けて行くんだよ」
「わかっています」
屋敷の入り口で、リカルドがそう俺に声をかける。
わかっていると言ったけれど、これが初めての戦だ。なにを気を付ければいいのかすらわからない。
ま、そのために経験豊富な兵士たちを連れていくのだけど。
「ヘムズ平原までは通常の行軍速度で約七日。十日の猶予には、一日の余裕がある。無理せず、のんびり進むんだ」
「はい。戦場に着く前に疲れてしまっては元も子もないですからね」
「そのとおり。指揮官足る者、必ず兵士に気を配るんだ。それが君を必ず助ける」
「はい。では、そろそろ行きます」
俺は苦笑しながら、リカルドの後ろを見る。
そこには、リカルドの背中に隠れ、不満そうな顔だけを覗かせているセラがいた。
俺が出陣すると聞いてから、ずっとこの調子だ。
「見送りくらい笑顔でしてくれないか?」
「……嘘つき」
「嘘? 俺、嘘ついたか?」
「……本を買ってくれるって約束した」
ああ、たしかに約束した。
次に商人が来たときに、見てみようって言ったな。
でも、商人が来るのは不定期だし、これから戦だから守れそうにない。
たしかに嘘つきだ。
「悪い、悪い。父上に買ってもらってくれ」
「……ユウヤが買ってくれなきゃ嫌だ」
「まいったなぁ……。じゃあ、帰ってきたら買ってあげる。いや、行軍中に面白そうなのを見つけたら、買っておこう。お土産としてね。だから期待して待ってるといい」
「……本当?」
「ああ、本当だ」
「……本当に……帰ってくる?」
切実な目が俺をまっすぐ見つめてきた。
戦に行く以上、絶対はない。
けれど、セラは怖くて仕方がないんだ。
やっとできた家族を失うのが。
それを和らげるために、約束するくらい何ということはない。
ちゃんと帰ってくればいいだけの話だ。
「ああ。約束するよ。お土産持って帰ってくるよ」
「……嘘じゃない?」
「嘘じゃない。俺が嘘ついたことあるか?」
「この前ついた。ユウヤは結構、嘘をつく」
不満そうに唇を尖らせながら、セラはリカルドの背中に隠れるのをやめた。
そして、微かに逡巡したあと、握っていた手を俺に差し出してくる。
ゆっくりと開かれたセラの手には小さな緑色の宝石が握られていた。
宝石には穴があけられており、紐が通されている。
「これは?」
「お守り。ユウヤは危なっかしいから、これに守ってもらって」
「危なっかしいって……。言いたいことはあるけど、今はありがたくもらっておくよ。ありがとう」
礼を言って、セラから受け取り、それを首にかける。
セラに見せると、満足そうに頷いている。
「じゃあ、僕からも」
そう言ってリカルドは畳まれている青い布を取り出した。
それに俺は見覚えがあった。
「これって……」
「ああ。クロスフォード家の当主がつけるマントさ。青地に銀色の剣十字が描かれている」
クロスフォード子爵家が掲げる軍旗と同じ模様だ。
代々、受け継がれているマント。
これを着ることは、すなわちクロスフォードの全てを背負うことに等しい。
「できれば……着たくはなかったです」
「避けられない問題も生きていればあるさ。君は跡取りだからね。これは避けられないことだよ。ただ、いざとなった捨てても構わない。生きて帰ってこそ、だ」
「はい。肝に銘じておきます。では、行ってきます」
「行ってらっしゃい。武運を祈るよ」
「行ってらっしゃい。ユウヤ」
そう送り出され、俺は用意されていた馬に乗る。
兵はすでに町の外に待機している。
二十五名の専属兵士と、七十五名の徴兵された男たちだ。
ただ、全員が戦の経験がある。俺よりもよほど頼りになるだろう。
彼らを率いて、ヘムズ平原に向かう。
そして戦の状況を巧みに見極め、無事にここまで帰す。それが俺の役割だ。
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百人というのは結構な人数だ。
下手な会社よりも人数は多い。
それを率いるというのは大変だと感じていたのだけど、上には上がいた。
クロスフォード子爵領を出て、ヘムズ平原に向かうこと二日。
主要街道に出た俺たちは、ブライトフェルン侯爵の軍と合流した。
ブライトフェルン侯爵の軍は四千。そのうち、騎兵は一千五百。歩兵も徴兵された兵ではなく、侯爵の領内を守る専属の兵士だ。
整然と行進する様を見て、俺は顔を引きつらせつつ、列の中央で馬に跨るブライトフェルン侯爵の下へ挨拶に向かう。
「ブライトフェルン侯爵。ご挨拶に伺いました」
長身で茶髪。
すでに老人と呼ばれる年齢だが、背筋はピンと伸び、未だに覇気に満ちた男性。
それがマイセン・ブライトフェルンだ。
跡取りであった息子を亡くしたため、今もこうやって戦場に出てくるが、四千を率いる将としての貫禄は十分にある。
しかし、俺は次の言葉を発することができなかった。
マイセンの横に予想外の人物がいたからだ。
俺の反応をマイセンは想定済みだったのか、小さくため息を吐いている。
「あら、ユウヤ。遅かったわね」
特徴的な茶髪に青い瞳。
俺の又従姉であるアリシアだ。
最後にあった一年半くらい前は、性格だけは一丁前って感じだったけど、今は体つきもグッと女性らしくて、とても魅力的に成長している。
腰は細いし、手足も長い。ただし胸はあんまり育ってないが。
「ユ・ウ・ヤ? 今、失礼なこと考えなかった?」
「いや、どうしてお前がこんなところにいるのか、その理由を考えてた」
視線を読まれたか、それとも顔に出てたのか。
アリシアに突っ込まれて、俺はすぐに答えを返す。
実際、アリシアがここにいるのは非常に疑問だったし。
「ふぅん? まぁいいわ。当然、ブライトフェルン侯爵家の跡取りとして、戦に向かうためよ」
「悪いことは言わない。帰れ。侯爵もどうして連れてきたんですか?」
親戚として、アリシアが戦に出るのを黙っているわけにはいかない。
アリシアは自分が姉のつもりかもしれないが、俺にとってはアリシアは少々困った妹みたいなものだ。
戦に出る必要性がないのに、わざわざ危険に身を置くなんてありえない。
「そう言うな、ユウヤ。儂も止めたのだが……」
「今からでも帰すべきです」
ただでさえ不透明な戦だっていうのに、ブライトフェルン侯爵家の跡取りを連れていくなんて。
正直、冗談じゃない。
「別に前線で戦おうってわけじゃないわ。お爺様の横で戦の空気に触れるだけよ。だいたい、同じ初陣じゃない。偉そうなこと言わないで」
「あのなぁ……」
「もう決めたことよ。ユウヤにだってとやかく言われる筋合いはないわ」
「……そこまで言うならもう止めない。けど、前には出るなよ?」
深くため息を吐いて、俺はそのままアリシアの横に馬を並べる。
話をしている間に、クロスフォード子爵家の兵士たちは、隊列に入っている。
「前進」
侯爵が告げると、四千の隊列が動き出す。
「リカルドは怪我だそうだな?」
「はい。申し訳ありません。若輩の身ながら、名代として全力を尽くさせていただきます」
「お前は聡い子だ。心配はしていない。ただ、こういう戦のときはリカルドは頼りになるからな……。リカルドはなんと言っていた?」
俺はどう話すべきか悩み、チラリとアリシアを見る。
アリシアが怪訝そうな表情を見せる。
「なによ?」
「いや……父上にはブライトフェルン侯爵にだけ伝えろと言われていて……」
「私は跡取りよ。聞いて問題がある?」
「アリシア。少し離れていなさい。皆も距離を取れ」
「お爺様!?」
アリシアは不満の声をあげるが、勝手知ったる護衛の兵士たちは言われた通り、俺と侯爵から距離を取る。
「リカルドは儂にとって、頼りにある知恵者だ。そのリカルドが息子のユウヤに儂にだけ、と伝言を託した。それならば儂だけが聞く。従えないのならば帰れ」
「うっ……わかりました」
渋々といった様子で、アリシアが馬を軽く走らせて距離を取る。
ある程度、距離を取ると、アリシアは俺のことをずっと睨みつけてくる。
自分が蚊帳の外なのが気に食わないんだろう。
「それで? リカルドはどう予想した?」
「アルシオンが負ける、と」
俺の言葉にマイセンはしばらく黙り、静かに目を閉じる。
一分くらいが経っただろうか。
マイセンは小さく息を吐く。
「そうか……我らは負けるか」
「あくまで予想ですが。アークレイムとマグドリアが裏で繋がっているならば、一連の流れはマグドリアが描いたシナリオということになります。ならば、マグドリアには確かな勝算があるはずと」
「その予想が正しければ、マグドリアはアークレイムを動かしてまで、こちらに隙を作ったのだ。たしかに勝利できると確信する何かがあるのだろうな。そうでなければ、踏み切りはしないか……」
「はい。それと……」
一つ意見を言おうとして、俺は口をつぐんだ。
これからは自分の意見であり、確証もなにもないからだ。
「なんだ? 言ってみろ」
「はい。これは自分の意見ですが……マグドリアは二人目の使徒を発見したのではないでしょうか?」
「ほぅ……大胆なことを言う。どうしてそう思う?」
「いくらマグドリアが策を巡らせても、こちらは最終的に四万を超えます。対して、マグドリアは一万だとか。そこから兵数の上乗せがあったとしても、よくて二万から二万五千といったところでしょう。そこから戦力差をひっくり返すには」
「使徒の力が必要か……。歴史上、突如現れた使徒によって国力のバランスが崩れることはよくあった。今回もそうなる可能性はあるか……。しかし、そうならない可能性もある」
「もちろんです。それに使徒とはいえ、倍近い戦力差を覆すのは難しい。問題なのは、闘い慣れた騎士団はアークレイム方面に出ていて、こちらがまとまりのない貴族連合だということです。陛下が御出陣されれば、また違うでしょうが」
「今回、指揮を執るのは第二王子殿下だ。戦の才能ははっきり言ってない。まぁ、それは陛下も含めた王家全体がそうなのだがな。問題は、殿下は自分が人並み以上に優秀だと考えている点だ。こういう指揮官は周りの意見を聞かない」
マイセンは王家の人間に聞かれれば、不敬罪と問われておかしくないことをさらりと言ってのける。
それだけ思うところがあるということだろうか。
「指揮官がしっかりせねば、勝てる戦も勝てない。しかも、向こうには勝算があるときた。今からでもアリシアを帰すべきか……」
「そうするべきだと思いますが……今、帰しても黙ってついて来かねないというのが怖いところですね」
「まったくだ。はぁ……。儂の傍に置いておく以外ないか。リカルドは他にはなんと?」
「はい。撤退を念頭に置くように、と」
「初めから撤退を前提に考えねばならんとはな。しかし、お前のところはいいが、儂たちは前衛を任されるだろう。自慢ではないが、儂は人よりは戦上手だからな」
「存じています。ですから、今回は防御に重点を置いて戦うのがよろしいかと。使徒がもし出てくるならば、どのような神威なのか把握するまでは動くべきではありませんし、使徒以外に向こうが手を用意しているならば」
「ああ。その手がなんなのかわからなければ、動きようがない。憂鬱なものだな。だが、こんな気分で戦場に向かう貴族は儂とお前だけだろうな」
「そうでしょうね。ほかの貴族は意気揚々と平原に向かっていると思いますよ。自分が勝てると信じているでしょうし、考えているのはどうやって功績を立てるか、というところでしょう」
俺とマイセンは同時にため息を吐き、肩を落とした。
それをアリシアが不審そうに見つめてくる。
俺は誤魔化すために曖昧に笑いかけたが、アリシアはそれが気に入らなかったのか、ふん、とそっぽを向いてしまった。
まずは行軍中にアリシアの機嫌を取らなければいけないか。
「ユウヤ」
「はい?」
「儂にもしものことがあれば、アリシアを頼む。あの娘だけは生きてもらわねばならない」
「ご冗談を。侯爵にも生き抜いてもらわねば困ります。クロスフォード子爵家が辺境でのんびりやれているのは、あなたの親戚だからなんですから。あなたの後ろ盾を失えば、今よりは間違いなく生き抜くことが難しくなる。我が家のためにも生き抜いてください」
「ふっ……それならば頑張らなければだな。まずはアリシアの機嫌を取ってこい。そしたら、行軍中の儂の話し相手だ。リカルドの代わりはしっかりと務めてもらうぞ?」
「最初が一番難しそうですね。できる限り、楽しい話ができるように善処します」
そう笑いながら言うと、俺はいまだにムッとした表情を浮かべるアリシアの下へ馬を進めた。