閑話 リカルドとアリシア
8月23日。
アルシオン王国。クロスフォード伯爵領。
クロスフォード伯爵領の領主であるリカルド・クロスフォードは、実に多忙だった。
戦功として受け取った領地は、元々持っていた領地の六倍以上。
戦功といえば聞こえはいいが、領主を失った土地を押し付けられたともとれる。
家臣団も増員されてはいるが、人手不足であることは否めない。
とはいえ、そこは知恵者と知られるリカルド・クロスフォードである。親類を頼り、領地が落ち着くまで人員を借りることで乗り切るつもりだった。
ただ、彼の計算はそうそうに破綻する。
頼りにしていた息子と娘が揃って、隣国のレグルスに向かってしまったからだ。
王命である。
逆らえるわけはない。
元々、レグルスへ親善大使として向かうことはユウヤが望んだことである
しかし、もう少し待ってくれてもいいではないかと、リカルドは王家の者たちに文句を言いたい気分だった。
もっとも、王都から派遣されてきた文官たちの働きによって、その文句はいつの間にか消えてしまっていたが。
それでも多忙は多忙である。
リカルド自身が判断を下さねばならない案件は山ほどある。
それゆえに、リカルドの休憩時間は貴重なのである。
「というわけで、お引き取り願えないかな? アリシア」
「なにが、というわけで、ですか? せっかく、訪ねてきたというのに……」
机で紅茶を飲むリカルドの前で、アリシアが仏頂面を浮かべる。
そんなアリシアの反応にため息を吐きつつ、リカルドは机に山積みになっている書類を指さす。
「僕は忙しくて、今は貴重な休憩時間だ。聡い君ならわかるだろ?」
「ええ、わかります。けど、私は同時に知っています。リカルドおじ様が度々、お忍びで出かけていることも」
「うっ……どうしてそれを……」
「ブライトフェルン家の者は至る所にいるんです。では、リカルドおじ様。お忍びで出かける時間があるのですから、私と話す時間もありますよね?」
笑顔で告げるアリシアを見て、リカルドは、厄介な子に育ったと内心で呟く。
子供の頃から聡明ではあったが、最近では悪知恵が働くようになり、厄介さが倍増し始めている。
今はまだ侯爵の娘ゆえ、大したことはないが、アリシアがブライトフェルン侯爵の地位を手に入れた日には、どんな厄介事を吹っ掛けられるかわかったものではない。
そこまで考えて、リカルドは溜息を吐いた。
どうせ、そのときには自分も伯爵などという欲しくもない爵位から解放されていると思いなおしたのだ。
アリシアの厄介事に付き合うのはユウヤ。
それは昔から決まっていることなのだ。
「わかった、わかったよ。君の話を聞こう」
「流石、おじさま。話が早いわ。実はこの前、レグルスに関して嫌な噂を聞いたんです」
リカルドは椅子に腰を掛けなおしつつ、眼鏡の位置を直す。
レグルスに関しての噂はリカルドにも届いていたからだ。
使徒を三人も抱える強国レグルスで滅多なことがあるとは思えないが、それでも息子と娘がいるのだ。
リカルドとて心配はしていた。
「僕も幾つか噂は聞いているよ。王の生誕祭が襲われるとか、賊たちが集まって国の重要拠点を襲撃しようとしているとか、そういう類のものだね?」
「ええ。普段なら鼻で笑うところですけど、今のマグドリアならやりかねないかと思うんです」
「確かに。今のマグドリアはチェックを掛けられた状態だ。一手間違えれば、そのままチェックメイトまで向かってしまうだろうね」
リカルドは言いながら、顎に手を当てる。
マグドリアは大国ではあるものの、多くの兵を先の戦で失った。
アルシオンだけならば、残った兵でも十分に対抗できるだろうが、レグルスが相手となれば話は違う。
アルシオンへの万が一の備えが必要なくなったレグルスは、マグドリアに二人の使徒を同時に投入できる。
それを防ぐにはマグドリアも使徒を二人投入した上で、互角の兵力を持つ必要がある。
だが、レグルスにはアルシオンという同盟国がいる。
アルシオンが援軍を派遣すれば、兵力差は広がる一方であり、たとえ使徒でも苦しい戦いになるだろう。
「ゆえにレグルス国内を混乱させる。わかりやすい手だ。ただ、効果が薄いね」
「効果が薄い?」
「ああ。マグドリアはレグルスに攻め込まれたくないんだ。だから、レグルスの動きを止めたい。しかし、生誕祭を襲撃したり、施設を襲撃されたりしたくらいじゃレグルスは止まらない」
「足止めにもならないと?」
「その通り。施設を破壊されようが、生誕祭を邪魔されようが、マグドリアを追い詰められるなら必要なことだと割り切るだろうね。アークレイムとマグドリアに上下を抑えられているのは、レグルスの長年の懸案だったからね。賢王と名高いレグルス王なら、生誕祭を襲撃されたことを口実にして、民の意識をマグドリアに向けることだってあり得る」
リカルドは言いながら、それがかなり高い確率で起きるだろうことを予想していた。
半端な攻撃では巨人を怒らせるだけなのだ。
しかし、とリカルドは思考をさらに早める。
気がかりなのは、マグドリアにも策士がいるということ。
それも大陸屈指の策士だ。
「マグドリアの使徒であるテオドール・エーゼンバッハは、レグルスの攻勢を防ぎ続けた名将にして、稀代の策士。そのテオドールが中途半端な攻撃をレグルスに仕掛けるとも思えない」
「何か他の意図があると、おじさまは考えているんですね?」
アリシアは興味津々と言った様子で身を乗り出してくる。
そんなアリシアを見て、リカルドは呆れた表情を浮かべる。
「アリシア。行っておくけれど、レグルスに危険が迫っているといっても、君が行くことはあり得ないよ?」
「なっ! そ、そんなこと考えていません!」
「それなら安心して、僕も考えを話せるよ。もっとも、僕らがいくら考察したところで、もう遅いだろうけれど」
図星を突かれて悔しそうにしているアリシアを尻目に、リカルドは紅茶を淹れなおす。
そしてその紅茶の風味を楽しみながら、一言告げる。
「外交問題だろうね」
その一言にアリシアが怪訝な表情を浮かべる。
外交問題というのは、一国では成立しないからだ。
「まさかアルシオンとレグルスが揉めるように仕向ける気だと?」
「そうできたら完璧だろうけど、無理だろうね。よほど大きな問題じゃなきゃ、今の両国が揉めることはない」
「じゃあ、どこと外交問題を起こさせる気だと?」
すぐに答えず、リカルドは紅茶を飲む。
その仕草にアリシアは見覚えがあった。
子供の頃、幾度も見たことのある仕草だ。
話し相手に考えさせるために、わざと勿体ぶっているのだ。
アリシアは悔しげに唇を噛みしめ、頭の中で可能性を考える。
アークレイムと揉めさせるという可能性。
ありえない。アークレイムとマグドリアは繋がっており、わざわざ矛先をアークレイムに向けるならば、こんな手間は取らない。
小国と揉めさせるという可能性。
これもありえない。小国が群立する一帯は広大だが、単独でレグルスとことを構えられる国はない。
となると、考えられる国はあと一つ。
「まさか、ラディウスと揉めさせる気ですか?」
「おそらくね。ロードハイム公爵が狼牙族を保護した時点で、その懸念はあった。レグルス国内で狼牙族に何かがあれば、ラディウスも黙っていないだろうからね」
「ですけど、レグルスは狼牙族を保護したんですよ? 何かあったとしても、ラディウスが動くだなんて」
「ラディウスという国はね。逃げた魔族によって作られた国なんだ。そして彼らには負い目がある。大陸から逃れる際、いくつもの部族を置き去りにしたという負い目だ。狼牙族もその一つだ。彼らが絡めば、ラディウスは動くさ」
リカルドの言葉には確信があった。
しかし、アリシアにはそうは思えなかった。
「もしもそうだとしても、レグルスも対策を講じるでしょうし、そもそも、ラディウスが動けばアルシオンがまず最初に狙われるんですよ?」
「そうだね。魔族と戦うのは金輪際ごめんなんだけどねぇ」
のんびりした口調でリカルドは告げる。
その口調にアリシアは頬を引きつらせる。
「それなら至急、レグルスに援軍を!」
「それも無理だ。なにせ時間がない。生誕祭は今日からだ。間に合わないさ」
「なにか手はないんですか!?」
「ないね。今は現場にいる人たちを信じよう。それに敵の手はそれだけじゃないと思うしね」
呟き、リカルドはため息を吐く。
ラディウスが動くように仕向けるという作戦と同じくらい効果的な作戦が、もう一つある。
むしろそれが本命だろうと、リカルドは睨んでいた。
「まだあるんですか?」
「敵も必死なんだろうさ。ただ、これには重要な駒がいる。それがマグドリアの手に残っているかどうか、だろうね」
「駒?」
「そう、駒だ。もちろん、それはマグドリアの指揮官から見た場合だけどね。あんまり好きな例えじゃない。けれど、それが一番しっくり来るはずだ」
言いながらリカルドは紅茶を飲み干す。
そして机から立ち上がる。
「その駒の名前は狼牙族。マグドリアに未だ彼らがいるなら、生誕祭を襲うのは彼らだ。そして、たとえ生誕祭への襲撃が失敗しても、レグルス国民から魔族への負の感情が生まれるだろう。そしてラディウスとレグルスは緊張状態に陥る。それがマグドリアの使徒が描いたシナリオだろうね」
「それは……急いで知らせねばならないことじゃないんですか!?」
「平気さ。向こうにはセラもいるし、使徒たちもいる。それにユウヤもいるしね。マグドリアはまた思い知ることになるんじゃないかな? どれだけクロスフォードが厄介か、ということをね」




