閑話 王都の情勢
8月23日
王都では生誕祭が始まっていた。
例年よりもかなり大がかりな生誕祭に、王都中の人々が浮かれた。
ただし、王都の中心である王城ではその限りではなかった。
「生誕祭が始まってしまったな……」
大臣の一人がポツリとつぶやく。
場所は玉座の間。
王は民に姿を見せているため、この場にはいない。
その警護に当たっているエルトリーシャもいない。
しかし、それ以外の有力者は集合していた。
レイナとディアナ。
フィリスとセラ。
そして大臣たち。
全員が生誕祭までにアークレイムとマグドリアの動きを掴もうと動いたが、ほとんど手がかりらしい手がかりは掴めなかった。
唯一、怪しいと思えるロベルトもこれといった動きはなく、手詰まり状態だった。
「これから三日間は一瞬の気の緩みも許されませんね」
ディアナが呟くと、横でレイナがため息を吐く。
「ったく……正面からやり合えば負けねぇのに」
「相手もそれは承知の上。意地でも姿は見せないでしょうね」
「ってことは最後まで受け身かよ……性に合わないぜ」
「そうは言っても、今の王都は人で溢れてる。この中から怪しい者を見つけるなんて、現実的じゃありません」
ディアナの言葉にレイナは再度ため息を吐いた。
そんなレイナとディアナを見て、大臣たちが視線を伏せる。
襲撃があるという確証はない。
だが、可能性は大いにある。
そんな状況では頼りの使徒といえど、できることは限りがあると思い知らされたからだ。
「セラ? どうかしたの?」
フィリスが横にいるセラに声をかける。
セラはその声に応えず、顎に手を当てたまま考え込んでいる。
セラには何もかもが不自然だった。
アークレイムにせよ、マグドリアにせよ、軍事的行動に出ずに、レグルスの動きを封じるのが目的のはず。
そのためにレグルス国内を荒らすという手段を取るはず。
しかし、その予兆は見えない。
生誕祭が失敗した程度ではレグルスは止まらない。
逆に生誕祭の妨害を民に訴えて、レグルスが一気に弱体化したマグドリアに攻め込む可能性のほうが高い。
そうならないためには大規模な妨害が必要だが、それにしては敵の動きが大人しい。
目的は何なのか。
手段は何なのか。
そこから間違っているのかとセラは考えていた。
「セラ?」
「ん? どうしたの? 姫様」
「それは私の台詞だわ。どうしたの? 黙り込んで」
「考え事。アークレイムとマグドリアは何を考えてるんだろうって」
「何をって、それは生誕祭を台無しにすることを考えているんじゃないのかしら?」
「台無しにした程度じゃレグルスを怒らせるだけ。レグルスが動けなくするには、もっと大きな仕掛けが必要。だけど、大きな仕掛けを用意するなら動きが見える。それが見えてこないから不思議」
セラは表情を変えないまま、ディアナに視線を向ける。
ディアナはそんなセラの視線を真っ向から受け止めて、首を縦に振る。
「それは私も思っていました。敵は何を考えているのかと」
「襲撃以外に何かあるのかよ?」
「普通は襲撃。それも重要人物の。王や高位の貴族、それか使徒の。けれど、それをするには使徒を潜入させるか、暗殺者を大量に用意する必要がある。しかし、その気配はない。もしも私たちが気付かないレベルでその準備をしているのであれば、私たちに打つ手はありません」
「あり得るのか?」
「ないですね。そんなことができるなら、とうの昔に私たちは暗殺されています」
ディアナは断言して、それゆえに眉をひそめた。
あり得ないとわかるゆえに、敵の動きが不可解だった。
一体、何を狙っているのか。
やるからにはレグルスに打撃を与えるまでやらなければいけない。
そんなことは敵も承知のはず。
だが、今のところ怪しい動きはない。
仕掛けがない状態で生誕祭をかき回したところで、せいぜい嫌がらせ程度。
望む結果は得られない。
「今は警戒するしかないでしょう。幸い、本来、ロードハイム公爵領に向かうはずだったエルトリーシャが王都にいます。防御において彼女の右に出る者はいない。よほどのことがないかぎり、重要人物がやられるなんてことはないでしょう」
そう言ってディアナは大臣たちを安心させた。
とはいえ、エルトリーシャがいるからといって、命の安全が保障されているわけではない。
エルトリーシャとレイナはここ数年間で名を挙げた使徒である。
それはここ数年間で劇的な活躍を示したということだ。
アークレイムの侵攻を防ぐだけだったディアナとは違い、二人は与えられた戦場で積極的に行動し、多くの勝利を手にしてきた。
そしてその都度、神威を使ってきた。
戦績の多さは情報の多さに繋がる。
レイナにしろ、エルトリーシャにしろ、神威の弱点を見つけられていてもおかしくはないということだ。
常勝無敗の使徒が、初めての敗戦で命を落とすことがある。
頼りの神威を攻略されてしまうからだ。
そうやって命を落とした使徒は数知れない。
加えていえば、そういう場合の戦は真っ当な戦ではない場合が多い。
地形的に特殊であったり、新兵器が持ち込まれたり、新たな使徒が台頭してきたり。
不確定な要素が多いという点では、今回も似たようなものだ。
エルトリーシャの鉄壁の防御に過信すれば、その代償を命で払うことになりかねない。
最悪なのは国王であるレヴィンが命を落とすことだ。
レグルスは代々、使徒を複数抱えてきた特殊な国だ。
そういう定めなのか、二人以下になったことがないのだ。
そんな国の王にまず求められるのは器量。
使徒を使いこなし、受け入れる器なのだ。
今の王家で、それがあるのはレヴィンのみ。
ここでレヴィンが死ねば、最悪の場合、内乱になる可能性すらある。
それによって得をするのはマグドリアとアークレイムだ。
アークレイムはアルシオンを攻め、レグルスの混乱をさらに広めるように動くだろう。
先の戦で疲弊したマグドリアは国力を回復し、機を見てレグルスに攻め込んでくるだろう。
ゆえに王がやられる事態だけは避けねばならない。
今はここ数十年で最大のチャンスなのだ。
上下をマグドリアとアークレイムという大国に挟まれたレグルスは侵攻を跳ね返しても、決定打を与えることはできずにいた。
どちらかが不利になれば、かならずもう一方が動くからだ。
しかし、アルシオンとの戦でマグドリアは多くの兵力を失った。
この機を逃すわけにはいかない。
なんとしてもマグドリアを攻めねばならない。
そこまで考えて、ディアナは首を横に振る。
それは向こうも承知のこと。
だからこそ、必死にこちらをかく乱しようとしているのだ。
まずは必死の一手を躱すことを考えねばならない。
そうでなければ次の手は打てないのだから。
そのためには敵の狙いを見定める必要がある。
生誕祭を狙うのは間違いはない。
王都は浮かれ、警備はしづらくなる。
重要人物を狙うにしろ、王都を混乱に陥れるにせよ、このときほどやりやすいことはない。
問題はそれだけが敵の狙いではないということ。
転んでもただでは起きないレヴィン王は、生誕祭を台無しにされたならば、それを喧伝してマグドリアを攻めるだろう。
民は怒り、兵士の士気は上がる。
それでは逆効果だ。
だから、敵にはもう一つ何か策がある。
レグルスを動けなくする策が。
情報が圧倒的に足りない。
そして人手も。
ディアナはそれを痛感していた。
生誕祭に人手を取られ、王都で自由に動ける者はほとんどいない。
ディアナの手勢も、多くはアークレイムとの国境に残っている。
バラバラに動いていては、敵の狙いにはたどり着けない。
上手く情報を統合し、共通の意思で動く必要がある。
そう考えて、ディアナはセラを見た。
セラは無表情のままディアナの視線を受け止める。
「セラフィーナ・クロスフォード。あなたは父君から軍略を学んでいるとか?」
「少しだけ」
「謙遜は結構です。ユウヤ・クロスフォードはあなたを聡すぎると評していました。父君に負けず劣らずの知恵者なのでしょう?」
「ユウヤが? 信用しないほうがいい。ユウヤが鈍いだけだから」
その一言に大臣たちは何とも言えない表情を浮かべた。
アルシオンの銀十字が鈍いならば、多くの将兵たちが鈍いことになってしまうからだ。
「では、少なくともユウヤ・クロスフォードよりは知恵者なのでしょう? 力を貸していただけませんか?」
「姫様に聞いて」
「あなたたち兄妹は本当に私に押し付けるのが好きなのね……」
引きつった笑みを浮かべながら、フィリスはディアナに向かって頷く。
それを了承と取ったディアナはセラの下まで歩いていき、その手を握る。
「我がレグルスのことに巻き込むのは心苦しいですが、どうか知恵を貸してください。情けないかぎりですが、今は人手が足りません」
「姫様がいいなら幾らでも。どうせ、もう巻き込まれている」
セラはそう言って、何をすればいいの? と問いかける。
ディアナは少し考えたあと、
「まずは考察から始めましょう。もしかしたら見落としがあるかもしれません」
そう言ってディアナはセラを伴って、玉座の間を後にした。




