第二十四話 シルヴィア
城を出た日の深夜。
かなり走り通して、距離を稼いだ俺と付き従っている騎士たちは、小さな森の近くで夜営をしていた。
道案内を務めるのはエルトの護衛だった騎士で、数は三人。
あとは俺の護衛としてアルシオンの騎士が六人。
俺を含めて、総勢十人の援軍だ。
……。
言葉にすると頼りないが、大事なのは俺が行くことだ。
数じゃない。
そして、その俺ですら保険だ。
ロードハイム公爵領にはクリスがおり、ロードハイムの騎士たちもいる。
賊の動きは伝わっているだろうし、今頃、迎撃態勢を整えている頃だろう。
万が一に備え、そして完璧を期すために俺たちは派遣されている。
その自負があるのか、騎士たちは皆、緊張した様子だった。
おかげで、ちっとも隙がない。
騎士たちは見張りを交代しながら周辺を警戒している。
当然、勝手に出歩けば気づかれる。
だが、俺にはやらねばならないことがあるのだ。
「おや? どうかされましたか? 大使」
見張りをしていたロードハイムの騎士が声をかけてくる。
年は三〇後半。
やや浅黒なのが特徴的な精悍な男だ。
エルトの護衛を引き受けていたあたり、エルトの騎士の中でも信頼されているのだろう。
そしてエルトが信頼するような騎士だ。
立ち振舞いも隙がない。
今も俺の様子を注意深く探っている。
「ちょっと夜風に当たりつつ、夜食でも、と」
干し肉とパンをいくつか手に持ち、俺は笑う。
出発前に食料はかなり多めに持ってきている。
そう指示を出したからだ。
だから、この程度の夜食は問題にはならない。
「では、自分もお供しましょう」
「いえ、それには及びません。少し……一人になりたいんです」
微かに神経質そうな表情を浮かべる努力をしつつ、俺は騎士にそう言う。
別に今回の任務に気負っているわけではないが、こういえば少しは配慮してくれるだろうという思惑だ。
そして、その思惑はずばり的中した。
騎士は何か察したような顔をしたあと、何度か頷き、上げかけた腰を再度下ろした。
そんな騎士の配慮に感謝しつつ、俺は軽く礼をして、その場を離れた。
●●●
夜営をしている地点とは、森を挟んで反対側。
そこに俺は来ていた。
理由はもちろん、俺を追いかけていたはずのシルヴィアと会うためだ。
なにしろ急な出立だった。
シルヴィアも俺たちを追うのに苦労しただろう。
まずはそのことについて謝罪しなければ。
「シルヴィアー? おーい、シルヴィアー?」
騎士たちに気付かれない程度の声量で、俺はシルヴィアの名を呼ぶ。
普通、この程度の声量じゃよほど近くにいないかぎり、聞こえないだろうが、そこは魔族だ。
身体能力に優れる魔族なら、当然、耳も人間とはくらべものにならないくらい良いだろう。
この程度の声量でも気付いてくれるはずだ。
まぁ、確証はないのだけど。
そこから少しの間、俺はゆっくり歩きながらシルヴィアの名を呼んだ。
だが、シルヴィアは一向に姿を現さない。
さすがに俺にも焦りが出始める。
まさかとは思うが、ついてきていない、なんてことはないだろうな。
馬は結構なペースで飛ばした。
シルヴィアは空を飛べるから大丈夫だろうと思っていたけれど。
これは失敗したか?
そう思ったとき、後ろからガサガサと音がする。
とっさに振り向き、腰の剣に手をあてる。
「妾を呼ぶのは誰じゃ……?」
「俺だよ」
「お主は誰じゃ?」
予想外の返答だ。
斜め上とかそういう次元じゃない。
木で姿を隠しているシルヴィアは、俺に声だけで相対している。
その声には多分に不満の色が含まれているのは察することができた。
「おいおい……怒ってるのか?」
「知らぬ人間に怒るものか。妾と話をしたくば、まずは貢物を出すがいいのじゃ」
チラリと顔を半分だけ出して、シルヴィアがそう訴えてくる。
まぁ、その要求は予想していた。
俺たちを追う以上、シルヴィアは俺たちから目を離すことはできない。
飲まず食わずの追跡なのは言うまでもない。
ディアナのことだ。
気を利かせて、シルヴィアに食料や水を持たせているだろうが、シルヴィアは魔族のせいか、とにかく食う。
携帯食料では足りないのはわかっていた。
「はぁ……一応、干し肉とパンを持ってきたけど?」
「本当かっ!?」
干し肉とパンを出した瞬間、シルヴィアが勢いよく飛び出してくる。
そして、俺の前まで来ると、俺の周りをグルグル回って、干し肉とパンを探し始めた。
「どこじゃ? どこにあるのじゃ?」
ピョンピョンと小さく跳ねている仕草を見ると、どうしても犬のような感じを覚えて仕方がない。
餌付けをする飼い主の気分は、こんな感じなんだろうか。
俺はポケットから干し肉とパンが入った袋を取り出す。
瞬間、シルヴィアが勢いよく俺の手にしがみつく。
「食料!」
「馬鹿!? 待て!」
いくらシルヴィアが小柄でも、しがみ付かれればバランスが崩れる。
たたらを踏みつつ、俺はシルヴィアに待機を命じる。
俺の言葉を聞いて、シルヴィアは腕を離して、その場で立ち止まる。
だが、視線は俺の手の袋から離れない。
今にも俺の手ごと食いそうな目だ。
どうやら相当、腹が減っていたらしい。
「まったく……食料を持ってこなかったわけじゃないだろ?」
「あの程度の量じゃ妾は満足できぬのじゃ。妾、竜じゃぞ?」
大変、説得力のある言葉だ。
黒い羽と尻尾を揺らしながら、シルヴィアは胸を張る。
そもそも人間とは食う量が違うというのは、ディアナにも予想外だったか。
まぁ、いろいろとバタバタしてたからな。
「しょうがない。とりあえず、今日はこれで我慢してくれ」
「うむ。いただくのじゃ」
袋を渡すと、シルヴィアはその場で座り込んで、袋を喜々として開く。
尻尾がすごい勢いで揺れているから、さぞ楽しみにしていたんだろう。
「むっ。味気ない」
「文句を言うな。明日は村に着くから、そこならもうちょっとマシなのを食べさせられるから」
「それなら我慢するのじゃ。空腹時は味より量じゃしの」
「頼むから空腹のあまり、俺たちの食料を食い尽くすような真似はやめてくれよ?」
俺はシルヴィアの横に腰を落としながら、そう釘をさす。
さすがにそんなことはしないだろうが、シルヴィアは追い詰められれば何をするかわからないところがある。
というか、それは使徒全員に共通することだけど。
「真にどうしようもなくなったら、動物たちを狩るから大丈夫じゃ。今日は不慣れな追跡だったゆえ、そのような暇はなかったが、だいたい、お主たちのペースは掴んだのじゃ。明日は食料調達はどうにかできるじゃろう」
「そんな余裕があるのか? 明日も飛ばすぞ?」
「なんじゃ? 今日のペースで飛ばしておったのか? 妾はてっきり、気を遣ってゆっくり走っているのかと思ったぞ?」
パンを口に運びつつ、シルヴィアは小首を傾げる。
その目は冗談を言っているようには見えない。
マジでそう思っているようだ。
「マジかよ……。どんだけ速く空を飛べるんだよ……」
「まぁ、お主たちをついつい追い抜いて、見失いかけるほどには速く飛べるのじゃ。そもそも詳細な目的地さえわかれば、妾なら一日程度で行けるのじゃ」
「それはそれは。便利なもので」
俺はパタパタと動く羽に手を伸ばす。
人間にはあり得ないモノだ。
やっぱり興味がそそられる。
柔らかいのか硬いのか。
そもそもどんな手触りなのか。
興味は尽きない。
尽きないのだけど。
「かぷり」
羽にたどり着く前に、伸ばした手はシルヴィアに噛みつかれた。
痛い事は痛い。
結構、シルヴィアの歯が尖っているから、これ以上、強く噛まれると血が出るだろう。
それはシルヴィアもわかっているのか、本気ではない。
だが、牽制ではある。
「……なぜ噛んだ?」
「はあはおあえあ」
「分かった! 待て! 噛みながら喋るな!」
喋ると自然と力が入るのか、どんどん歯が食い込んでくる。
それに危機感を覚えて、俺はシルヴィアから手を退ける。
「妾の羽に触ろうとするとは、無礼じゃぞ?」
「え? 羽に触ろうとするのは無礼なのか?」
「そもそも、お主はぶしつけに女の体に触ることが無礼だとは考えぬのか?」
ジト目でシルヴィアが俺をにらむ。
正論が返ってきた。
これには反論の余地もない。
まったくもって、そのとおり。
俺が悪い。
「いや、そうか……飾りじゃないんだもんな。ごめんごめん」
「なんだか軽いのぉ……。まぁいい。覚えておくのじゃ。竜族にとって羽は特別なものじゃ。気安く他者に触らせるなどあり得ぬのじゃ」
「じゃあ、尻尾は?」
「尻尾は羽ほどじゃないが、まぁ他者には触らせぬのじゃ。触れたら、妾の爪をお見舞いするゆえ、その右手は引っ込めておくのじゃ」
揺れている尻尾に伸ばしかけた右手を、左手で押さえつける。
どうも近くで揺られていると、気になってしまう。
いかんいかん。
さすがに失礼だったな。
俺には珍しくとも、シルヴィアにとっては生まれたときからある体の一部だ。
触れられることはもちろん、こうして珍しがられることもいい気分ではないだろう。
「失敬失敬。以後、気を付けるよ」
「やっぱり軽いのぉ……。ま、お主らしいがの。今日のところは気を利かせて食料を持ってきたことに免じて許してやるのじゃ」
「それはどうも。そういえば、気になってたんだけどさ」
「なんじゃ?」
「どうして一人で来たんだ? お供くらいつけないと、他の人も心配するんじゃないのか?」
これはずっと気になってたことだ。
ラディウスの使徒であるシルヴィアは、間違いなくラディウスの重鎮。
しかも対アークレイムの切り札だ。
いくら打撃を与えたとはいえ、アークレイムは大国だ。
その気になれば、いくらでも軍を編成できる。
そんな状況で、シルヴィアが一人でレグルスに行くことを周りはよく容認したものだ。
同族を大切にする魔族らしいといえば魔族らしいのかもしれないが、シルヴィアの世間知らずっぷりを見ると、誰か事情に通じているお供がついてくるべきだったと思う。
そんなことを思っていると、シルヴィアが黙り込む。
その顔にはなにやら大量の汗が浮かんでいる。
まるで、隠し事がバレたときのような反応だ。
「……」
「……」
「……まさかとは思うが……黙ってきたのか?」
「だ、黙ってではないのじゃ! ラディウスの王には許可を取った! 暇を少し貰うと!」
「行先を告げなかったのかっ!?」
「告げたら止められるじゃろうが! だいたい、お供など不要なのじゃ!」
「俺がいなかったら、行き倒れてただろうが! っていうか、マジかよ!? ってことは、今、ラディウスは全力でシルヴィアを探してるのかっ!?」
大変だ。
いや、本当に大変だ。
下手したら、捜索部隊が大陸に来る可能性がある。
そんなことになったら、まずアルシオンが混乱し、その余波がレグルスに来る。
いや、もう来ているかもしれない。
「その点は心配いらないのじゃ。置手紙をしてきたし、妾がいない間の防衛戦略も練ってきた。まぁ、一人か二人くらいが妾を追ってくるかもしれぬが、内密に動くゆえ、騒ぎにはならぬはずじゃ」
「そうか……それはちょっと安心した……。けど、すでにシルヴィアがいる時点で騒ぎになっているってことを自覚してくれ……」
「それは少しは感じてるのじゃ。次からはもう少し上手くやるのじゃ」
「頼むから次は極秘裏に来るなんてことはしないでくれ……。いや、もう次はなしにしてくれ……」
「なんじゃ? お主は妾が来るのが嫌なのか?」
不満そうに唇を尖らせて、シルヴィアは食料が入っていた袋を俺に投げつける。
それを片手で受け止め、俺はため息を吐く。
「嫌いとかって話じゃない。俺の胃が持たない」
「ふむ、ならば次回はお主がラディウスに来るのじゃ。ここ百年は人間が歓迎されたことはないが、お主なら問題あるまい」
「待て。勝手に決めるな。ラディウスと国交を持つのは良い事だと思うが、俺が架け橋になるのはごめんだ。そんなアークレイムから狙われそうなことできるかよ……」
「ならば極秘裏に来るのじゃ。狼牙族の件もある。妾はお主から、狼牙族が丁重に扱われていること聞いておるが、ほかの者は違う。妾がこの目で見て、説明したとしても、ラディウスに移らせることを望む者は大勢いるはずじゃ。その話し合いのためにも、お主は一度、ラディウスに来るべきじゃ」
そう言ってシルヴィアは無邪気に笑う。
自分がとんでもないことを言っている自覚がないのだろう。
その話し合いに俺を巻き込むのはやめてほしい。
狼牙族をラディウスに移らせることになれば、否応にでもアルシオン国内を通ることになる。
魔族を国内にいれるというのは、アルシオンには中々ハードルが高い。
ましてや狼牙族だ。
自国を攻めた狼牙族に誰もいい感情など抱いてはいない。
そこでまず躓くだろうことが予想できる。
どうみても前途多難。
そんな話に巻き込まれるなんて御免被る。
「とりあえず、その話は保留だ。今は目の前のことを片づけるのが先決だからな」
「狼牙族の里が狙われておるそうじゃな? 妾の力が必要か?」
「俺が何とかするから、大人しくしててくれ……」
シルヴィアが手を貸してくれれば、あっさり終わるだろう。
それは間違いないが、今以上に面倒なことになる。
釘を刺し、俺はその場を後にした。




