第二十二話 ディアナのシナリオ
玉座の間には苛立った様子の使徒たちと、不安そうな顔をしている大臣たち、そして僅かな武官が集まっていた。
端の方ではフィリスが強張った表情を浮かべている。
状況を聞いたのだろう。
残っている武官たちは王都の守備を任されている者たちだろうか。
王都にはかなりの兵力が残されているが、余剰兵力があるわけじゃない。
それは兵を率いる将たちにもいえる。
使徒が国境に居ない以上、その穴を埋めるために将軍たちは各地に配備されている。
だから、王都から討伐軍を派遣できない。
率いる者がいないからだ。
「厄介なことになったな」
「はぁ? こうなることなんて目に見えてただろ?」
「そう思ってたなら、部下に釘を刺しておくべきでしたね」
エルトの言葉に反応したレイナに、ディアナが告げる。
レイナは教師に叱られた子供のように、ばつの悪そうな表情を浮かべる。
エルトには突っかかるレイナも、ディアナにはそういうわけにはいかないらしい。
「エルトリーシャ。あなたの騎士たちはどんな反応をしますか?」
「知らせはもう行っているからな。まずは集結だろうが、ヘムズ平原に主力を向かわせているから、そこまで数は集まらない」
「完全に狙われたというわけですか……しかし、エルトリーシャが狼牙族を保護しているのは周知の事実でも、その隠れ里をどうやって見つけたのでしょうね」
「ディアナ。何が言いたい?」
ディアナの含みある言葉に、エルトが眉をつり上げた。
ただ、ディアナの言いたいことはわかる。
エルトは狼牙族の里を巧妙に隠していた。
しかし、山賊や盗賊たちはアルシオン国境付近に向かっている。
そこには小さな村以外に大した拠点もない。
しかし、そこから少し行けば、狼牙族の隠れ里だ。
進路的にバレていると考えるほうが妥当だろう。
なぜ、バレたのか。
それは確認したほうがいい案件だ。
「あたしだって隠れ里の位置は知らねぇ。ってことは、知ってる奴がバラしたんじゃねぇか?」
「私の部下がバラしたと? ありえない」
「私もそう思います。エルトリーシャの部下が情報を他国に売るとは思えません」
「おいおい、お前が振った話題だろうが……」
呆れたようにレイナがため息を吐く。
だが、ディアナは至って真剣そうな表情だ。
あの様子じゃ最初からエルトの部下を疑ってたわけじゃないだろう。
エルトの部下じゃないとすると、隠れ里に行き来している商人とかか?
「先に行っておくが、隠れ里の場所を知っているのは私の部下でも限られたものだけだ。物資の搬入なども私の部下がしている。外部の者が入る余地はない」
「そうなると、情報が漏れたわけじゃなさそうですね。なら、だれかが尾行されたのでしょうね」
そう言ってディアナは俺たちの方。
つまりアルシオンの使節団を見る。
「なにか?」
「エルトリーシャは王都に来る前に、あなた方を里に案内したと聞きます。そして、私の部下がその周辺でマグドリアの隠密を発見しています。敗残兵を使って、周辺の村を襲わせていたようなので、それだけだと思っていましたが、もしかしたら、隠れ里を探していたのかもしれませんね」
ディアナの言葉に玉座の間が凍り付く。
もちろん俺も。
なんて爆弾を降らせてくれるんだよ。
ずっと疑問だったんだ。
なぜ、アークレイム方面の使徒であるディアナがエルトの領地にいたのかと。
部下が発見したマグドリアの隠密を探してたのか。
捕まえたと言わないあたり、成果はなかったんだろう。
それにしても、敗残兵たちの動きがずっと気になっていたけれど、やっぱり裏にはマグドリアの影があったか。
いや、今はそれどころじゃない。
この場にいる人たちの目が冷たい。
「ま、待て! 彼らを案内したときにつけられたとでも言うつもりか!?」
「ほぼ間違いないでしょう。いくらあなたでも道に不慣れな方たちを案内していては、時間もかかるでしょうし、周囲への警戒も甘くなる。隙があるとすれば、そのときだけです」
「そうだとしても、案内したのは私だ! 責任は私にある!」
「責任どうこうの話をするつもりはありません。ただ、原因の一端はあると伝えたいだけですよ」
そう言ってディアナは俺に視線を向けてくる。
その視線に込められた意味を読み取り、俺は小さく頷く。
ディアナはわざとここでアルシオンを貶めた。
何も言わなければ、アルシオンにとって、この状況は他国で起きた関係のない出来事だからだ。
しかし、ディアナの言葉で俺たちは一瞬で当事者に近い立場となった。
これなら事態に関わっても問題はない。
アルシオンに戻ってからも、失態を取り戻すためと言い訳ができる。
これはだいぶ助かるな。
ディアナとしても、こっちに話を振りやすくなるだろう。
そうこうしている間に、王が玉座の間に入ってくる。
皆が膝をつくが、すぐに立つように告げられる。
「状況は皆、聞いているね? マグドリア国境での小競り合い、そして国内の賊が一斉に移動を始めた。普段であれば大した問題ではないが、今は民を安心させるために開催する僕の生誕祭が間近に迫っている。派手に動けば、民に不安が広がる。それは避けなければいけない」
そう言ってレグルス国王、レヴィンは使徒たちのほうへ視線を向ける。
何か嫌な予感がしたのか、三人の表情が険しいものへと変わる。
そしてそれは杞憂ではなかった。
「だから、僕はこの件を大事にはしたくない。使徒である君たちが動かず、かつ問題が綺麗に解決できる方法はないかな?」
無茶ぶり。
そんな言葉が頭を過る。
使徒たちは魔法の何十倍も強力な神威を持ち、それぞれ将として破格の力を持っている。
だが、自分たちという強力な駒を使わずに厄介事を解決しろというのは使徒といえど難しいだろう。
「おい、それはあたしに、あたしの騎士たちを助けに行くなって言ってるのか?」
「そうだね。動けば確実に民にバレる。それは避けたい」
「ふざけんなよ? 民の不安なんか知ったことかよ。あたしの騎士たちの命のほうが百倍大切だ!」
「レイナ。君の騎士はそんなに軟弱なのかい?」
「馬鹿にすんな! あたしがいなくても、あたしの騎士たちは国境を守り抜く。そんなことはわかってる! だけど、あたしがいれば助けられる命が、あたしがいないことで失われる。その理由が民の不安なんてバカバカしい理由なんて許さねぇってだけだ。あたしの騎士たちには王都に家族がいる奴もいる。そいつらの死より、民の不安のほうが大切だなんてありえねぇ!」
民を不安にさせないための策が、民の家族を死なせる。
それは確かにあってはならないことだ。
国という大きな組織では、小さな犠牲は付き物だ。
人が掠り傷くらいなら平気なように、国にとっての掠り傷として兵が死ぬことは多くある。
ただ、避けられる傷は避けるべきだ。
そんなことに気付かないレヴィンじゃないはずだ。
「それは理解しているよ。だから言ってるだろ? 大事にしないで、綺麗に片付く方法はないかい?」
「あたしが行かなきゃ、マグドリアは攻め込む」
「そうとも限りませんよ。マグドリア、そしてアークレイムとの休戦協定は生きています。休戦協定で明記されたのは、本格的な会戦を避けることと、使徒は国境から離れること。まだこの二つは守られています」
「だからどうしたってんだ? 休戦協定を破るのなんて、マグドリアにとっちゃ朝飯前だぞ?」
「ええ。ですが、レイナが向かうとレグルスが破ったことになります。国境での小競り合いなど日常茶飯事。たとえ、休戦協定が結ばれていても、です。その点から考えると、レイナをおびき出すのがマグドリアの目的でしょう」
ディアナの言葉を聞いて、レヴィンが大きく頷く。
同意見といったところか。
マグドリア方面にレイナをおびき出し、ロードハイム公爵領にエルトをおびき出す。
やはり双方とも陽動で、狙いは手薄になった王都か。
それがわかっているから、極力使徒は動かしたくないのだろう。
「休戦協定なんて知ったことかよ。あたしが待機したら、したでマグドリアは攻め込んでくるぞ?」
「マグドリアの兵力じゃ国境は抜けません。今は兵力を回復したいときなのに、そんな愚かな行為をテオドールがするとも思えません。断言してもいいですが、レイナが行かなくても国境が戦場になることはないでしょう」
きっぱりとディアナは言い切る。
よくそこまで言い切れるものだ。
個人の武勇に頼らないディアナの言葉は、不思議な凄みがある。
エルトはただついて来いと言うだけで士気は上がる。
それはレイナも同じだろう。
多くの言葉は必要としない。
全幅の信頼を受け、その信頼に自らの武勇で応えられるからだ。
だが、ディアナは違う。
たとえ神威を使おうと、前線で戦うのは兵士たち。
兵士を指揮するのは将たちだ。
彼らを納得させなければ、戦にならない。
ディアナはそんなことを毎回繰り返しながら、戦に勝ち続けてきた。
その経験に裏打ちされた言葉、そしてディアナの読みには説得力がある。
「では、狼牙族の里への襲撃も陽動か?」
「それは陽動だろうと防ぎにいくしかないでしょう。所詮は山賊や盗賊は利用されているだけ。マグドリアやアークレイムにとって、失っても痛くもかゆくもない駒です」
マグドリアにとって兵は貴重だが、賊はどうでもいい。
その差がこちらの対応の差になってくる。
賊の攻撃には躊躇がない。
止めに行かねば、狼牙族は良いようにやられるだろう。
騎士たちがおり、戦士たちがいたとしても多勢に無勢だ。
護衛している側は、護衛対象を完璧に守って、初めて勝ちを手にできるが、襲撃側は護衛を抜けて、少しでも被害を出せば勝ちだ。
たとえ数人でも命を落とせば、人間が魔族を襲った事実は出来上がる。
その人間がレグルス軍の鎧を着用していれば、ラディウスの矛先はレグルスに向きかねない。
「とはいえ、王都で何かあったときにエルトリーシャがいないというのは不安です。エルトリーシャほど防御に長けた使徒はいませんから。民を守ることを考えれば、エルトリーシャは絶対に動かせません」
「じゃあ、どうする? 大規模な討伐軍を出せば、民が不安がる。だが、ロードハイムの騎士たちを効果的に率いることができるのは私だけだ。ほかの将が行ったところで、あまり役には立たないだろう。だが、私の領地に残っている騎士たちだけでは不安もある」
手詰まりであることをエルトは告げる。
自分を使うしかないと、エルトはレヴィンに示すが、レヴィンを首を横に振る。
「君は絶対に王都から動かさない。王都の守備も割きたくない」
「わがままを言うな! 一度守ると誓った以上、狼牙族は私にとって守るべき領民だ! 一人たりとも傷つかせる気はない!」
「僕も気持ちは一緒だ。ただ、マグドリアやアークレイムにしてやられるのも御免だ。僕は最善を求めたい」
「……では、一つだけ策がございます」
ディアナはそう言って微笑む。
その笑みに思わずドキリとしてしまう。
今、俺にはディアナは黒髪の美女に見えている。
だが、周りには地味な田舎娘にしか見えていないだろう。
だから、今の笑みでドキリとしたのは俺だけだ。
それが妙に気恥ずかしい。
絶世の美女ともいえるディアナが、自信ありげに微笑むのが、あそこまで魅力的に映るとは。
予想外だった。
気を取り直す意味をこめて、俺は大きく息を吸う。
「策とは?」
「アルシオンに協力していただくのです。狼牙族の里がバレた原因の一端は、アルシオンの使節団の可能性もありますし、ここはひとつ協力していただきたいものです」
「私たちにできることがありますでしょうか?」
ディアナの言葉にフィリスが代表して応える。
ディアナは大きく頷き、視線を俺に向ける。
その視線を追って、玉座の間にいる全員が俺を注視する。
「アルシオンの銀十字。ユウヤ・クロスフォード親善大使をお貸しいただきたいのです。ロードハイム公爵領で匿われていたあなたなら、ロードハイムの騎士たちとも問題なく協力できるはずです」
そう言ってディアナは笑みを浮かべる。
というか、ドヤ顔に近い。
完全にシナリオどうりといった顔だ。
まぁここまでの手腕は見事というほかない。
完全に場を掌握し、自分が望む方向へ話を進めた。
しかし、残念ながら俺にも立場がある。
素直に頷くわけにはいかないのだ。
「いかがですか? クロスフォード親善大使」
「……その要請には応えかねます」
そう返した瞬間、ディアナは目を何度も瞬かせた。
完全に素の反応だ。
笑いを噛み殺しつつ、俺は言葉を続ける。
「私に決定権はありませんので。私はアルシオンの貴族。王家にのみ忠誠を誓っています。ですので、この場ではフィリス殿下だけに従います。どうしても私の力が必要なら、どうぞフィリス殿下をお通しください」




