第二十一話 ディアナの狙い
遅くなってしまって、申し訳ありません
8月20日
レグルスの城は突如慌ただしくなった。
もちろん、今までも慌ただしかった。
王の生誕祭のために、城の人々は動き回っていた。
しかし、それは期日に迫られているだけで、人々には余裕があった。
だが、今は違う。
今は城全体から余裕が消えていた。
「賊の動きが伝わったか……」
「それとマグドリアとの国境で小競り合いも起きたようです」
俺以外誰もいないはずの部屋で、俺以外の声がする。
もう本当にいい加減にしてくれよ。
「黙って部屋に入るなって言わなかったか? ディアナさん」
「ノックをするのは不自然だと答えたはずです」
ディアナは言いながら、姿を現す。
黒髪の美女が俺の前に現れたわけだが、あんまり嬉しくない。
絶世の美女だろうが、傾国の美女だろうが、迷惑な人には迷惑だなって感情が優先されるらしい。
まぁ、これでディアナが美女でもなく、使徒でもなければブチキレているところだろうし、少しは美女効果を受けているのかもしれないが。
「まぁいいや。国境で小競り合いって?」
「マグドリア軍が挑発行為を行い、こちらが乗ってしまったようです」
「マグドリアとの国境を守ってるのは?」
レイナが王都にいる以上、代わりの者が派遣されているはずだ。
実際、王への挨拶の時に勢揃いしていた将軍たちは既に王都にはいない。
「将軍の一人です。ただし、挑発に乗ったのはレイナの騎士たちのようですが」
「騎士たちか……結構チョロそうだよなぁ。使徒をバカにしたら速攻だろうな」
かつてエルトへの無礼で、色々と痛い目を見た。
騎士は使徒の信望者たちだ。
自分たちの使徒がバカにされたら、例え味方でも攻撃しそうだ。
「私の部下はそこまでじゃないですよ」
「人望とかなさそうだしな」
会話の流れで出た言葉だった。
別に他意はない。
素直な感想だ。
それがいけなかった。
ディアナの視線が険しいものに変わる。
瞬時に自分の失言に気付いたが、どうしようもない。
発してしまった言葉は飲み込めないのだ。
「……どうせ私は人望がないですよ」
「あー、あれだ……地味な外見にしているからな。仕方ない」
「私はあの外見を気に入っているんです! 顔にも体にも視線は集めないし、相手も気を遣わずにすみますし!」
必死なディアナだが、やっぱりあの外見が原因の一端だろう。
どうせ命を掛けるなら、地味な女よりも美女の方がいい。
軍にいるのは大抵が男だし、男は単純だから美女が後ろにいれば、それだけでやる気を出す。
エルトにしろ、レイナにしろ、魅力の種類は違うが、どちらも魅力的な容姿をしている。
もちろん、二人の実力や将としての態度など、信頼を勝ち取る要因はさまざまだろう。
しかし、二人の容姿が大きな要因であることは間違いない。
「話を戻そう。国境での争いはどうなってる?」
「それで自分の失言を誤魔化したつもりですか? まぁいいでしょう。今はにらみ合いを続けています。敵の使徒も確認されていません」
「けれど、沈静化もしてないわけか。面倒な状況だ。使徒レイナはどう動くんだ?」
「まだ未定ですが、一度、民に顔を見せてから国境に向かうと思います。今回の生誕祭は民を安心させる意味合いが多いですから」
ディアナの言葉を聞き、俺は王都の街へと目を向ける。
平和で人の往来も盛んだが、ここには多くの民が住んでおり、彼らの多くは前線に立つ兵士たちの家族だ。
レグルスがいくら強国でも戦であれば人が死ぬ。
自分の親や子が死ぬかもしれないというのは、耐えられないストレスだ。
そうでなくても、戦争が頻繁に起きれば人は不安を感じる。
たとえ勝っていてもだ。
だから、レグルスはアークレイムとマグドリアが弱体化した好機に、攻め込むことを選択せず、国内を安定化させることを選んだ。
その選択自体は過ちじゃないだろう。
けれど、そのために使徒を三人集めたのはやりすぎだったかもしれない。
使徒が動ければ、何かあったのかと民に感づかれる。
それでは生誕祭の意味がなくなる。
レグルスは混乱への対処法をごっそりと失ったのだ。
いや、賢王とまで言われるレグルス王がそんなことに気付かないはずはない。
使徒とはいえ、三人とも人間だ。
レイナとディアナは国境守備につき、エルトもいつでも二人に加勢できる用意をしつつ、ヘムズ平原を警戒していた。
今回の招集は三人の息抜きを兼ねていたのかもしれない。
残念ながらまったく息抜きになっていないが。
「顔見せをするなら、二十三日までは王都にいるわけか。それまでマグドリアが大人しくしてるかな?」
「平気でしょう。アークレイムは国境から完全に撤退しましたが、マグドリアは一時退いただけで、すぐに軍を配備しました。それでもレイナが王都にいるのは、いつでも対応できる自信と力があるからです」
「風の神威か……」
「はい。レイナは風を自由自在に操る神威を持っていて、それを使えば空だって飛べます。レイナにとって、王都からマグドリア国境は大した距離ではないんです」
「なるほど。ということは、当面の問題は動き出した賊たちか」
「ええ。そのための軍議が開かれます。あなたも出席してください」
「レグルスの軍議に俺が? あんたは俺にシルヴィアを連れていけと言ったけど、俺にはそれが出来る状況に見えないんだけど?」
俺がそう言うと、ディアナは不思議そうに首を傾げる。
どうやら、ディアナと俺とでは見ているものが違うらしい。
「そうですか? 私には絶好の機会に見えますけど?」
「絶好の機会ねぇ。俺にはさっぱりだ。ま、使徒の言うことだし、信用して任せるよ。俺は何をすればいい?」
「簡単です。要請に頷けばいいんです」
●●●
玉座の間に向かう途中、通路で俺はセラに引き留められた。
「ユウヤ」
「セラ? 殿下は?」
「公爵と先に行ってる。私はユウヤに用があったから」
セラはそう言うと俺を真っすぐな瞳で見つめてくる。
こういうときのセラは意外なほどに迫力がある。
多分、大事な用なんだろうな。
「用って?」
「この後について」
「この後?」
どうにもセラは言葉が足りない。
まぁセラからすれば、俺の理解力が足りないんだろうけど。
「ディアナ・スピアーズから聞いてないの?」
「何も聞いてないよ」
「やっぱりディアナ・スピアーズと何か話してた」
「……ま、まぁいいじゃないか」
かまを掛けられたか。
それにまんまと引っかかった俺も俺だけど。
「使徒と仲良くすると姫さまが不機嫌になるから、自重して」
「肝に銘じておくよ。それで? この後、何が起きるんだ?」
「私の予想なら、山賊や盗賊の討伐にロードハイム公爵が出ることはない。というか、それはできない。だから、他の人間が討伐に赴くけど、今のレグルスにはそれにふさわしい人材がいない」
「まぁ確かに。将軍たちはみんな国内に散ってるからな。下手に軍が動けば、民に不安を与える」
「そう。だから、討伐はロードハイムの騎士たちが中心になる」
言いながら、セラは視線をそらさない。
まだ話は核心に触れてはいないからだ。
それだけの話のために、わざわざフィリスを置いて、俺を待ったりしないだろう。
「それで?」
「それが問題。レグルスは多分、公爵の代わりとしてユウヤを選ぶ。ユウヤならロードハイムの騎士たちと問題なく協力できるから」
なるほど。
ディアナが言っていたのはそういうことか。
俺がロードハイム公爵領に向かわされれば、そのときにシルヴィアもつれていける。
部下に加えてもいいし、あとを追って来させてもいい。
単身でレグルスに来るような使徒だ。
いくらでもやりようはある。
それで派遣されてきた俺の一隊ならチェックも緩いだろう。
もしくは、賊が動き出している状況ならチェックすらないかもしれない。
それについては着いてみないとわからないが、おそらく誤魔化そうと思えば誤魔化せる。
それがディアナの案ということか。
賊の話が出た時点で、ここまで思い至ったというなら大したもんだ。
さすがは使徒というべきか。
「合点がいった。けど、それが何か問題か?」
「レグルスに協力的すぎると、アルシオンに居づらくなる。そもそも親善大使であるユウヤには兵士を率いる権限はない」
「そう言われてもなぁ。親善大使としてレグルスに来ている以上、レグルスの要請を断るわけにもいかないだろう? ここで断れば、アルシオンはレグルスの窮地を見捨てたことになる。自分たちは助けてもらっておきながら、だ」
「それは理解できる。けど、理解できない人もいる。ただでさえ、ユウヤは先の戦で手柄を立てすぎた。良く思わない人も多い。面倒が嫌なら断るべき」
「流石に個人の感情を優先するわけにもいかないだろう……」
というか、面倒事が嫌だからって理由で断れるんだろうか。
要請が来るとすれば、使徒か王からだ。
他国とはいえ、王や公爵からの要請を断るには理由がいる。
「だから、アドバイスに来た。けど、ユウヤがアルシオンでどう思われてもいいとか、レグルスに近づいておきたいと思っているなら、必要のないアドバイス」
「おいおい……物騒なことを言うなよ……」
セラが言っているのは、将来的に俺がレグルスに行くということに他ならない。
まぁ、レグルスでの暮らしは悪くないだろう。
エルトもいるし、王も仕えがありそうだ。
だけど、俺はアルシオンの貴族で、クロスフォード伯爵家の跡取りだ。
そんなことをしたら、一族は根絶やしにされる。
それは絶対にやってはいけないことだ。
それにアルシオンだって悪くない。
「俺はアルシオンから離れる気はない」
「……それが聞けて安心した。だったら、レグルスの要請を一度断って」
「大丈夫か? レグルスに行く気はないけど、関係を拗らせたいとも思ってないんだぞ? うちの領地とも近いしな」
「大丈夫。ユウヤは親善大使。けど、今、アルシオン王国の関係者でユウヤより上位の人が一人いる」
「フィリス殿下か?」
「そう。フィリス殿下に要請を受けるか、受けないかを託して。それでアルシオン王家への義理立てはできる。そして、要請に関する責任も姫さまのものになる」
えげつないことを考える。
セラは重要な判断を丸投げすると言っているのだ。
もしも俺が死んだり、アルシオンに不利益なことが起きればすべてフィリスの責任になる。
それはいくら何でも。
「姫さまに頼って。あの人は必要とされたがってる。元々、行動的な人だから。仕事が欲しいの」
「責任を押し付けるのが頼ることか?」
「ないがしろにされるより百倍マシ。王族が臣下の責任を負うのは当たり前。そのためにいるのだから」
アルシオンの王族には当てはまらない言葉な気がするけれど。
まぁ、フィリスなら平気か。
「わかった。フィリス殿下に預ける。ただ、俺としては要請を受けたいんだけど?」
「理由があるの? 面倒事は嫌いなのに?」
「今回はエルトの領地だからな。さすがに見逃せない」
「……それは姫さまに言わないほうがいい。大丈夫。姫さまも政治的な判断はできる。というか、そういう判断力は王家のだれよりも秀でてる」
そう言って、セラは胸を張った。
まるで姉を自慢する妹のようだ。




