第二十話 動き出す局面
8月19日。
朝から俺は部屋に籠って、シルヴィアを狼牙族の里に送り込む方法を考えていた。
机の上に何枚も紙が散らばっており、それには浮かび上がった案が書いてある。
ただし、どれも不採用だが。
強行突破が不可能な以上、騎士に怪しまれない形で潜入するのがベストな方法だ。
だが、敵国の刺客が狼牙族を狙う可能性を指摘されたエルトは、里の警備をさらに厳重なモノにするだろう。
とりあえずチェックが厳しくなるのは目に見えている。
荷物に忍び込ませたり、変装させるにも限界がある。
頼みの綱だったディアナの幻術も離れた場所までは効力を発揮しない。
いや、そもそも馬で数日の距離がある場所で、神威の効果が続くと思っていたほうが問題か。
そして問題はそれだけじゃない。
「どうやって狼牙族の里に向かうべきか……」
場所を知っているディアナは城を離れられない。
俺が行くと言えば、案内役くらいつくだろうが、王の生誕祭前に王都を離れるのは拙い。
だけど、狼牙族に行く馬車があるとも思えない。
地図を手に入れるのも楽じゃないだろう。
そもそも、単身でシルヴィアを向かわせたところで見つかるのがオチだ。
そんな危険は冒せない。
結局、ディアナの協力を得られても進展はないに等しい。
「あ~……全部放り出してアルシオンに帰りたい」
「人を巻き込んでおいて、ずいぶんと身勝手ですね?」
独り言に言葉が返ってくる。
まさかと思って後ろを振り向くと、そこにはディアナがいた。
扉が開けられているから、扉から入ってきたのは間違いない。
俺の部屋の前には兵士が常駐してはいない。
ただ、そのかわりに、この階には多くの人がいる。
その人たちの目をわざわざ誤魔化して、音もなく部屋に入ってくるとは。
秘密主義というか、もうコミュ障なんじゃないかと疑いたくなる。
「とりあえず……黙って入ってこないでくれる?」
「姿を消してるのにノックするのは変だと思うのですけど?」
「そもそも姿を消していることが変だって自覚してくれないかなぁ……」
呆れつつ、俺は椅子から立ち上がって部屋の扉を閉める。
まったく、どうして普通に来れないんだろうか。
いや、普通に来られても困るのだけど。
「エルトリーシャがフィリス殿下を連れて城を出たので、今しかないと思ったんです。そうでないとあなたに会うのは夜とかになってしまいますから」
「夜じゃダメなの?」
「よ、夜はいろいろと危険ではないですか……」
何やら落ち着かない様子でディアナが視線を逸らす。
今頃になってこの前のことが恥ずかしくなったのか。
遅い気もするが、まぁ遠慮なく来られても面倒だし、よしとするか。
「はいはい。じゃあ、危険のない昼間に来た理由を聞こうか?」
「何だか扱いが雑ですね……。まぁいいでしょう。私の意見を伝えに来ました」
「意見?」
「ええ。ラディウスの使徒に関する意見です。彼女を即刻、王都から出すべきです。王都に置いておくのは危険すぎます」
一般常識を知らないくせに、常識的な意見が出て来たものだ。
それは俺も考えていた。
わざわざ爆弾を抱えているのも馬鹿らしい。
一度、横に置くのが賢明だろう。
ただし。
「素直に言うことを聞いてくれるかなぁ……なんだかんだ王都を楽しんでるみたいだし」
「それはそちらで何とかしてください。大体、要求ばかりするなんてわがまますぎます」
「まぁ、使徒だからねぇ」
使徒はわがままだ。自己中心的といってもいい。
自分がやると決めたことは絶対にやる意思を持っているし、邪魔する者を排除することもいとわない。
自分の道に他人が割って入ったら、道は譲らず、譲らせる。
それが使徒だ。
「使徒で一括りにしないでください!」
「自覚なしか……」
呆れてものも言えない。
人のベッドを占領しておいて、よく言う。
こういうのが一番性質が悪い。
エルトは自分が自己中心的だという自覚がある。
「私は人に迷惑をかけません!」
「俺はこの前、迷惑をかけられた」
間髪入れずに言い返すと、ディアナは口ごもる。
どうやったって言い訳はできない。
迷惑をかけたことに関しては事実だからだ。
「それは……あなただって私に迷惑をかけているじゃないですかっ! おあいこです!」
「最初に迷惑をかけたのはそっちだろうに……はぁ、まぁいいや。この話は不毛だし」
どっちが悪いかだなんて話は無駄だ。
今はそれどころじゃない。
そんなことを思っていると、ディアナがいきなり真剣な表情を浮かべる。
そして小さな手鏡を取り出す。
「これは通信用の魔道具です。音声だけしか届きませんし、長時間の使用もできませんが、ちょっとした連絡用には十分です」
そう説明してから、ディアナは何かしらの言葉を唱える。
起動用のパスワードといったところだろうか。
「何かわかりましたか?」
『はっ。国内の山賊、盗賊たちが続々と移動を開始しています。王都に向かう商人や民に紛れているため、どこの部隊も対応できていません』
男の声だ。
くぐもっていて聞き取りづらいのは、手鏡から少し離れているからだろうか。
しかし、便利な魔道具もあったもんだ。
簡易の携帯電話みたいなものだ。
これがあれば、戦場のような混乱した場所でも正確な情報を拾い集められる。
まぁ戦場以外でも使い道はいろいろあるわけだけど。
真っ先に戦場が出てくるあたり、最近、エルトに毒され始めたかもしれない。
「目的地は?」
『正確な位置はわかりかねますが、アルシオン国境方面かと』
「わかりました。ほかには?」
『王都に向かう隊商が襲われ、荷を奪われました。中身は兵士の鎧です』
それを最後に通信は途絶える。
ディアナは静かに手鏡をしまって、俺に視線を向ける。
会話を聞いていた限り、敵さんが動き出したようだ。
「山賊や盗賊を使って、狼牙族を襲撃する気でしょう。レグルスの兵士を装って」
「なるほど。さっきの相手は隠密か?」
「ええ。私の神威は直接相手に攻撃するタイプでもないですし、私自身も強くありませんから。情報収集は欠かさないようにしているんです。自慢じゃないですが、私の配下の情報収集能力はほかの二人の比じゃありません」
言っているがディアナは何だか誇らしげだ。
自慢じゃないとか言ってるけど、自信は持ってるんだろうな。
というか、ほかの二人はそもそも隠密を抱えているのか怪しい。
直接的に強い二人は、そこまでしなくてもどうにかなることが多いだろうし。
ただ、今はディアナの情報収集能力に感謝だな。
おかげで敵の動きが察知できた。
「わかっているなら対処するだけだ。山賊や盗賊たって、せいぜい数百だろ?」
「数百の賊だけでロードハイムの騎士たちを突破できると思うほど、敵も馬鹿ではないでしょう。予備の兵力なり、策があると考えるのが妥当です」
ディアナは言いつつ、王都の街並みに視線を移す。
そこはもうすぐに迫った王の生誕祭のために、人や物であふれかえっている。
人も物もせわしなく動き、止まるということを知らないような慌ただしさだ。
「ですが、もしかしたら敵の狙いは王都なのかもしれません」
「それこそまさかだろ。今、王都には使徒が三人、いや四人いるんだぞ?」
「イレギュラーは数えないとして、三人。しかし、エルトリーシャの領内で問題が起きればエルトリーシャを引き離すことはできます。マグドリアが動けば、レイナも領内に戻ることになるでしょう」
「王都には使徒が一人か……それでも一万くらいの兵がいると思うけど?」
「陥落が目的ならそうでしょうが……王の生誕祭を妨害し、王の権威を失墜させる。レグルス軍の防衛能力に疑問を抱かせる。もしくは、民間人を狙うなど、やりようはいくらでもあります。一番、厄介なのは民間人を狙われた場合です。広範囲をカバーできるエルトリーシャやレイナならともかく、私では民間人を守り切れません」
流石は使徒というべきか。
瞬時にそこまで思考するとは。
だが、そうそう上手く事は運ばない。
王都にだって防衛部隊がいるし、狼牙族の里にもロードハイムの騎士たちがいる。
エルトが行かなくても平気だろうし、王都の防衛部隊もそこまで無能じゃない。
敵の侵入をそう易々とは許さないだろう。
「考えすぎじゃないか?」
「よくその楽観的思考で生き残れましたね……。敵の作戦を主導するのはおそらくマグドリアの使徒、テオドール。こちらの嫌がることを絶対に仕掛けてきます。そしてこちらの予想もしない手を用意してくるはずです」
「予想もしない手?」
「そうです。こちらの裏をかく手。こちらの虚をつく手。こちらの思惑とは別方向からの手。そういう策略が得意な使徒です。直接対峙した場合より、こうして大局を操られるほうが嫌な使徒といえるでしょう」
ずいぶんと詳しい。
ディアナはずっとアークレイム方面にいたはずだから、テオドールと刃を交えることはなかったはずだけど。
「詳しいな?」
「危険な男です。常に警戒を払っていました。それでもわからないことだらけです。レイナならもっと詳しいでしょうが、何度も戦っているレイナですら、考えが読めないというほどですから、不気味な使徒なんです」
「そいつが自国の劣勢を覆すために、何か仕掛けてきている。それだけで警戒を引き上げる理由になるわけか……。それでも王都を狙うなんて非現実的だ」
「何か手を用意するはずです。直接的にではないにしろ、間接的にでもレグルスに打撃を与えられる手を。やはり、何かある前にラディウスの使徒には王都を離れてもらいましょう」
ディアナはそう言って、俺を真剣な表情で見つめてくる。
それは説得をしろということだろうか。
あんまり気乗りしない。
王都にいるから、まだ俺の監視下に置けているが、外に出したらどんな問題を起こすことやら。
「王都から出しても火種であることには変わらないぞ?」
「平気です。狼牙族の里に向かってもらい、そのまま帰って頂きますから」
「……はっ?」
「あなたに狼牙族の里に連れて行ってもらいます。ロードハイムの騎士たちは……上手く誤魔化してください。誤魔化せるような状況にしますから」
そう言ってディアナは勝手に納得して、勝手に部屋を出て行った。
取り残された俺は、深くため息を吐く以外に何もできなかった。




