第十九話 王女のわがまま
8月18日。
その日の朝方。
俺はフィリスの部屋にいた。
エルトに頼まれた、セラを貸し出す件について相談するためだ。
かなり緊張して行ったのだけど。
「セラがいいなら別に構わないわよ?」
「……あんまり忙しくならないなら」
このようにあっさり問題は片付いた。
おかしいな。
もっと難航すると思ってたのに。
「意外そうね?」
「ええ、正直意外です」
「まぁ、そうよね。ユウヤにとって私はわがままな王女だものね」
クスクスと笑いながらフィリスは慣れた手つきでお茶を淹れて、セラと俺の前に出す
セラはそのフィリスが淹れたお茶を飲みながら、ソファーに座って読書をしている。
フィリスの部屋にいるとはいえ、セラにとっては自由時間なのだろう。
「そのようなことはありません」
「あら? ならもっとわがままを言ってもいいかしら?」
「……勘弁してください」
俺が項垂れると、フィリスは勝ったと言わんばかりの笑みを浮かべる。
まったく、かなわないな。
どうにもフィリスと話すとペースを握られてしまう。
「さて、じゃあセラがいなくなった後の話をしましょうか? セラがロードハイム公爵の下に行くなら、ユウヤは私の傍にいてくれるのよね?」
「できるだけそうします。ですが、ずっと一緒というわけにもいきませんので、レグルス側から護衛を引き出します。少し仰々しくなりますが、質が落ちる以上、量でカバーします」
「護衛が増えるのは嫌だわ」
フィリスが口をとがらせるが、それに付き合うわけにもいかない。
俺の役目はレグルスとの親善。そしてフィリスの警護だ。
フィリスの身の安全を第一に考えなければいけない立場にある。
護衛の要だったセラが抜ける以上、それを補わなければいけない。
「セラが戻るまでの辛抱です」
「うーん、そうねぇ。そういえば、ロードハイム公爵はセラに何をやらせるつもりなのかしら? 知恵袋と言っても、色々あるでしょ?」
フィリスの言葉は想定内だ。
結局、セラに説明しなければいけない以上、ここで言っても問題ないだろう。
「ロードハイム公爵の家臣たちの多くは領内にいます。そのため、公爵には補佐役が不足している状況です」
「使徒に補佐が必要なのかしら?」
「使徒も万能ではありません。公爵は戦術家ではありますが、戦略家ではありません。戦略を練らないこともないでしょうが、得意としているわけではないのです。ですから、広い視野を持つセラを補佐に求めています」
「どうして? 戦争でもするつもりなのかしら?」
フィリスが椅子に深く腰掛け、笑みを深める。
その目が怪しく光り、俺を捕らえた。
これは全部説明しないとダメなパターンか。
ここらで誤魔化したいところなんだけど、心変わりされても困るしな。
「表立った戦争ではありません。ただ、公爵が保護している狼牙族を、敵国が利用する可能性が浮かび上がってきました。その対策のために、公爵はセラを求めているんです」
「初耳だわ」
「でしょうね。殿下の耳に入るほどに話が広まっていたら大変です」
王の生誕祭前にゴタゴタがあるのは避けたい。
それがレグルスの共通認識だ。
だから、多くのことが水面下で進められている。
俺が知っているのは氷山の一角だろう。今、レグルス国内では様々な勢力が動いているはずだ。
「ユウヤは信頼されているのね。レグルスの内情を明かされるほどね」
「事情も説明せずにセラを渡せと言われても、頷くわけにいきませんから」
「ふ~ん、まぁそういうことにしておきましょうか」
そう言ってフィリスは立ち上がる。
そして読書中のセラの後ろに回り込み、セラを抱きしめる。
セラは微かに眉間に皺を寄せるが、抵抗はしない。
「ねぇ、セラ。レグルスはいろいろとお困りのようだけど、私はどう動くべきだと思う?」
「姫さまは動いちゃダメ、以上」
「あら。なら自分で決めるわ。そろそろレグルス貴族の相手はうんざり。元々、誰とも結婚するつもりはないし、明日からの会談は全部キャンセルにしましょう。私もレグルスが抱える諸問題に首を突っ込むことにするわ」
「殿下!?」
とんでもない発言に思わず声を大きくしてしまう。
扉の前で警護していた兵士が、驚いた様子で入ってくる。
「何事ですかっ!?」
「……いや、なんでもない。下がってくれ」
兵士が居たんでは話が進まないため、兵士をすぐ下げさせる。
その間、フィリスはずっと笑みを浮かべたままだ。
「アルシオンの銀十字をここまで慌てさせるなんて、私も中々ね」
「冗談は止してください。殿下は無理やりついてきたんです。その上、勝手な行動だなんて困ります」
「あら? その言い方だとやっぱり鬱陶しいと思っていたのね?」
笑顔を絶やさず、フィリスはそんなことを言ってくる。
まったく。
ペースを崩さない人だ。
ここまで向こうの思ったとおりに話が進んでいる気がする。
助けを求めるようにセラを見るが、セラは本から目を離さない。
どちらにも協力しない中立というところか。
「ご自分のお立場をわかっていますか?」
「ええ。だからあなたを振り回しているのよ? 王女じゃなきゃできないわ」
「それなら面倒事にわざわざ近づかないでください。俺を振り回すのは許されても、レグルスを振り回すのは王女といえど許されませんよ?」
「振り回すだなんて心外だわ。私はレグルスのために協力をするのよ?」
「余計なお世話という言葉をご存じですか?」
「余計かどうかを決めるのはユウヤじゃないわよ?」
ああもう。
話は平行線だ。
これじゃいつまで経っても話は終わらない。
フィリスを言い包められればいいのだけど、フィリスはそこまで単純じゃない。
俺の知り合いの中じゃ最も女性らしいというべきか。
口が上手いのだ。
「ユウヤの言う通り、私は元々来るはずのなかった人間。だから自由に動かせてもらうわ」
「そういう問題じゃありません。遊びじゃないんですよ? マグドリアもアークレイムも、狼牙族を利用してレグルス国民の魔族への感情を悪化させようとしている! それの対処をエルトはしているんです! 意味がわかりますか? もしも刺客がレグルスに入ってきていたら、邪魔だと判断されて、狙われる可能性だってある!」
「あら? 意外に深刻なのね。レグルスが魔族に敵対する国となれば、ラディウスが動くわね」
「わかったらなら」
「そうなるとラディウスへの盾としてアルシオンは利用される。先日、使徒レイナが言っていたものね?」
しまった。
しゃべりすぎた。
アルシオンに関係あると言われてしまえば、俺はフィリスを止められない。
王女としての責務と言われてしまえば、何も言い返せないからだ。
「ユウヤの負け」
「セラ! お前からも殿下に何とか言ってくれ!」
「嫌。私もそろそろ、レグルスの貴族が姫さまに求婚して撃沈されるのは飽きた。姫さまにも気晴らしは必要。私と一緒にロードハイム公爵に協力すれば問題ない。あの人の近くなら安全
飽きたって何だよ。
その理論が成り立つなら、俺も使徒の相手は飽きた。
項垂れる俺を見ながら、フィリスは笑みを深めて勝利宣言をする。
「そうね。そうしましょう。ユウヤ、ロードハイム公爵に伝えてちょうだい。私とセラが協力するって」
「……考え直してもらえませんか?」
「決めたことよ。それに私がセラやロードハイム公爵と一緒に行動していれば、護衛の問題は片付くわ」
非常に悔しいが、その通りなので言い返せない。
下手に問題へ関わると、何に巻き込まれるかわかったもんじゃないが、その危険を差し引いても、エルトの傍なら確かに安全だ。
エルトも背に腹はかえらないし、セラを借りる代償として、フィリスの面倒を見るくらい受け入れるだろう。
でも、何かあったら間違いなく俺の責任だ。
せめてフィリスにはおとなしくしていて欲しかったのだけど。
無理な相談か。
アルシオン王家の中で、王としての資質を最も受け継いでいるのはフィリスだ。
そもそも性格的に大人しくしているタイプじゃない。
これは予想してしかるべき展開というべきか。
「……わかりました。ただ、くれぐれも邪魔をしないように。そして危ないことはしないでください」
「まるで私の保護者みたいな言い方ね?」
「ええ、文字通り保護者ですから。あなたの身を守ることが俺の役目なんです。でも、俺は完璧じゃないので、守れない場合もあります。ですから、危険には近づかないでください」
「善処するわ」
そう言ってフィリスは笑顔を浮かべる。
してやったりという表情を見て、これもすべて計算通りなのではないかと思わなくもないが、今更そんなことを思っても遅い。
一度でも手の平で転がされた以上、俺になすすべはない。
今はフィリスの思惑通りに動くしか手はないのだ。
●●●
「というわけで、フィリス殿下を頼む」
「……」
昼頃。
俺は結果報告のためにエルトの部屋に来ていた。
予想通りというべきか。
盛大にエルトは顔をしかめた。
「私に王女のお守りを押し付けるのか?」
「本人が望んだんだ。文句なら飽きもせず求婚を繰り返す、レグルスの貴族たちに言え。原因は奴らだ」
「はぁ……」
俺の言葉にエルトはため息を吐き、頭を抱える。
気持ちはわかる。
逆の立場なら、俺も同じようなリアクションをしてしまうだろう。
「まぁ、セラを貸してほしいと言ったのは私のほうだ。一人くらいのおまけは我慢しよう」
「そう言ってくれると助かる」
「お前はどうするんだ? 暇なら私を手伝ってくれ」
エルトの頼みに俺は言葉に詰まる。
暇ではない。断じて暇ではない。
しかし、抱えている用事を言うわけにもいかない。
まさか、レグルス王都にいるラディウスの使徒を、エルトの領内に極秘裏に潜入させる段取りを考えている、など言えるわけもない。
レグルスの王以上にバレてはいけない人間だ。
そもそも、エルトは除け者にされることを嫌う。
俺が内密に計画を進めていることがバレたら、その計画の内容がなんであれ怒るに決まっている。
「いや、暇ではないな……お前以外の使徒とも親睦を深めろとエリオット殿下に言われていてな……」
「なにぃ?」
「そう怒るな。アルシオンの立場はまだ不安定なんだ。レグルス内でもアルシオンの地位は低い。それを引きあげるためには、てっとり早く使徒にアルシオンよりになってもらうのが一番なんだ」
「む……それは確かにそうだが……」
実際、これに近いことは言い含められている。
親善大使というのは曖昧な役職だ。
国の好感度を上げるのが仕事だが、それだってやり方が決められているわけじゃない。
しかも、国の好感度をあげると言っても、末端の貴族から好感度を得ても旨みはない。
できるだけ国政に影響を及ぼせる人間が望ましい。
そういう意味で、俺が使徒と親しくなるのは国家戦略と言えなくもない。
「本来なら貴族たちへの根回しとかもしなくちゃいけないんだが、俺はそういうの苦手だからな。せめて、使徒に名前を憶えてもらえるくらいにはならないと、レグルスに来た意味がなくなる」
「……まぁそういうことなら。ただ、あんまり深入りするなよ? 謎の多い女と好戦的すぎる女だ。ろくなことにならないぞ?」
お前が言うか、と喉まで出かかったが、それを何とか飲み込む。
ここでエルトの機嫌を損ねるのは拙い。
エルトは当分、狼牙族への一件に掛かりきりになるだろう。
その間にシルヴィアを潜入させる方法を考えなければ。
もしもマグドリアやアークレイムが本気で狼牙族を狙うならば、普通に襲撃するような真似はしないだろう。
手のこんだ奇襲か、それとも物量作戦か。
どちらにしろ、ロードハイムの騎士たちの守りを突破する策を用意するはず。
できればその前にシルヴィアを送り込みたい。
そうすれば、狼牙族の安全は保障されたようなものだ。
まぁ、シルヴィアが力を発揮したら、シルヴィアはレグルスには居られないが、そのときはそのときだ。
うまく逃げてもらうとしよう。
狼牙族に味方した魔族を、レグルスも積極的には追ったりしないだろうし。
そこまで考えて、俺はため息を吐く。
レグルスに来てから、何だかアルシオンに居たときより忙しくなった。
楽な役職だというから、親善大使の座を手に入れたのに。
まったくもって話が違う。
「どうした? ため息なんて吐いて?」
「いや……楽な仕事なんて早々ありはしないんだなと、思い知っただけだ」
そう言って俺はエルトの部屋から退室した。




