第十八話 使徒接触
窓の向こうにシルヴィアがいる。
その状況は俺にとって、最悪に近い状況だった。
もっとも恐れていた使徒と使徒の接触。
それがもう間近に迫っているからだ。
もう少し、ディアナからの信頼を得て、事情を説明したうえで会ってもらう予定だったのに。
どうしてこのタイミングで来るんだよ。
窓の向こうで、シルヴィアはプカプカと宙に浮きながら、窓を開けろと視線で催促してくる。
俺はそれに首を振って、視線でディアナを示す。
しかし、シルヴィアは不機嫌そうな表情を浮かべただけで、俺の意図にはまったく気づかない。
頼む、気づいてくれ。
ここにいるのはディアナ・スピアーズなんだ。
シルヴィアとて、使徒と接触するのはまだ早いと思っているはずだ。
気づいてさえくれれば、空気を読んでくれるはず。
そう思って、なんとかシルヴィアにディアナのことを気づかせようと声を出そうとした。
ときには遅かった。
なにかただらぬものを感じたのだろう。
ディアナが勢いよく窓のほうを見る。
それにシルヴィアは軽く驚いたように目を見開くが、それ以外の反応はしていない。
つまり、ばっちり羽を伸ばして飛んでいるところを見られた。
「魔族!?」
「あ~! ストップ!」
ディアナの目が一瞬で戦闘モードに切り替わる。
それを見て、俺はディアナの口を両手で抑える。
「んー!? んん!!」
「言いたいことはわかるけど、ストップ! 騒がれると困るんだ! レグルスの王都が火の海になる!」
俺はそう言うが、ディアナは俺を睨んで暴れる。
話を聞いてくれる状況じゃないか。
あー、もう。
どうしよう。
「なんじゃ? お主の女ではなかったのか?」
諸々の原因が素知らぬ顔で部屋へと入ってくる。
窓には鍵がかかっていなかったらしい。
「違う。この子はディアナ・スピアーズ。レグルスの使徒だ」
「ほう? 謎多き使徒がここまで見目麗しい少女だったとはのぉ。しかし、情報ではあまり整った容姿の女とは伝わってきておらぬ。幻術系の神威という噂もあながち的外れではなかったのかのぉ」
「んー! んー!」
「はいはい。話だけ聞いて。ここにいる子はシルヴィア。ラディウスの使徒だ。狼牙族の様子を確かめるために、無断でレグルスに入ってきた困った子だ。そんでもって、狼牙族の様子を自分の目で確かめるまではラディウスに帰る気がない頑固者でもある」
ここまで言えばディアナなら察してくれるだろう。
どうにかしてシルヴィアに満足して帰ってもらわねば、民たちに被害が出かねない。
ここは穏便に事を進める必要があるのだ。
「のぉ、ユウヤ」
「なんだよ? 勝手に来たことの謝罪なら後にしてくれ」
「そうではなくての。息が出来ぬようじゃぞ?」
シルヴィアはディアナを指さして、呆れたようにつぶやく。
ハッとして俺はディアナを見ると、ディアナは意識を失う寸前だった。
●●●
「殺す気ですかっ!?」
ベッドの上でそうディアナが叫ぶ。
もちろん、声は抑えめだ。
シルヴィアの前だからか、姿は変えている。
俺の目にはさっきと変わっているようには見えないが、シルヴィアには地味な姿に映っているらしい。
俺とシルヴィアは部屋のソファーに腰かけている。
今の距離感が、そのまんまディアナと俺たちの距離感と言えるだろう。
「いやぁ……面目ない」
「配慮に欠けるのぉ」
「それとあなたは何、当然のように居座っているんですかっ!?」
ディアナがシルヴィアを指さして、指摘する。
自分の言葉がブーメランとなって自分に返ってきていることには気づいていないらしい。
ここは俺の部屋だ。
居座っているという点ではディアナもシルヴィアと変わらない。
「ユウヤに用があったのじゃから、それが終わるまでいるのは当然じゃろ?」
「ラディウスの使徒がアルシオンの銀十字に用があると?」
「うむ。露店を回っていたら、なかなか美味しい食べ物を見つけたのじゃ。土産として持ってきた」
そう言ってシルヴィアは大事そうに抱えていた袋から、いくつかの食べ物を取り出す。
乾燥した果物や鳥のささみ、あとはハンバーグみたいなのが串に刺さったもの。
またいろいろと持ってきたものだ。
というか、大人しくしてろと言ったのに、露店を回っているとは何事だろうか。
「さぁ、食べるのじゃ! 妾の自信作じゃ!」
「シルヴィアが作ったわけじゃないだろ……」
呆れつつ、俺は串焼きを手に持って食いつく。
ディアナとのやりとりで眠気はもうどこかへ行ってしまった。
代わりに小腹が減っていたのでちょうどいい。
しかし、迂闊だった。
まさかこのタイミングでシルヴィアが訪ねてくるとは。
城には来るなと言い含めておくべきだった。
「なに平然と食べているんですかっ!? あなたの横にいるのはラディウスの使徒ですよ!? 和まないでください!」
「そう言われてもなぁ。じゃあ、ここでやり合えばいいのか? 数千で数万を瞬殺する使徒相手に?」
喜々とした様子で土産を口にしているシルヴィアは、どう見てもそこまで大層な人物に見えない。
しかし、僅かな間でも一緒にいた俺にはわかる。
シルヴィアは間違いなく使徒だ。
そう確信させる何かをシルヴィアは持っている。
そして、絶対に敵に回してはいけない。
そんな予感がしている。
「それは……」
「それともアルシオンと関係ないからって見過ごせばよかったか? レグルスの王都で使徒同士がぶつかりあう可能性を」
「……その言い方は卑怯です」
「卑怯で結構。シルヴィアを匿った以上、俺の首も危ういし、この件は何とか内密におさめる。もう察しはついていると思うけど、協力を要請したかったのは、この件なんだ」
シルヴィアにとって、ディアナほど好都合な人間はいない。
他者を欺く神威を持ち、狼牙族の場所も知っている。
ディアナとしても、この件を知った以上、知らんぷりはできないだろう。
今は王の生誕祭を間近に控えている。
面倒事は避けるべきなのだ。
「あなたは……厄介な人ですね」
「語弊がある。厄介事が俺のほうに飛び込んでくるだけで、俺自身は厄介の種になった覚えはない」
「あなたに巻き込まれた私にとっては、似たようなものです……」
「レグルスが関わっていることなのに、俺ばかり負担を強いられるのはおかしいだろ? やっぱりレグルスの使徒も関わるべきだと思うんだ」
ディアナの言葉にそう返しつつ、俺は土産に手を伸ばし、何もつかめないことに気づく。
見れば、けっこうあったはずの土産がなくなっている。
横を見ると、シルヴィアが幸せような顔で頬を膨らませている。
「はぁ……土産の意味をわかってるか?」
「一つあげたじゃろ? お主のお金で買ったものじゃからこそ、あげたのじゃぞ? 妾が自分の獲物を他者に分け与えるなど滅多にないことじゃ」
「はいはい。それはありがとうございました」
呆れつつ、俺はソファーから立ってベッドへと向かう。
それを見て、シルヴィアが首を傾げた。
「もしかして、妾はお邪魔じゃったか?」
「まぁ、邪魔したのは確かだな」
「そうかそうか。それはすまなかったのぉ。しかし、お主も隅におけんのぉ。レグルスの使徒を部屋に連れ込み、ベッドに押し倒すとは」
「押し倒す!? 誤解を招くような言い方はやめてください!」
「そうだ。俺が連れ込んだんじゃなく、無断で入り込んできたんだ」
「なんと!? 夜這いじゃったか!? 本当にお邪魔したようじゃのぉ」
申しわけなさそうに呟き、シルヴィアがそそくさと窓へと歩いていく。
ディアナは顔を真っ赤にして、口を何度も開けたり閉じたりしている。
反論しようとしているが、上手く言葉にできないのだろう。
「それじゃあ、妾は失礼するのじゃ。次はそちらから会いに来てくれると助かるのぉ。人目を盗んで飛ぶのは一苦労じゃからの」
「わかった。できれば、城に近づかないでくれ。この城には三人の使徒がいるんだ。何の拍子でバレるかわかったもんじゃない」
「もう私にはバレていますけど?」
「バレたんじゃない。巻き込んだんだ。誰かにこの事を告げてもいいけど、俺はディアナ・スピアーズが共犯のように喋るから」
「脅しじゃないですか……」
拗ねたようにディアナは口をとがらせる。
だが、反論はない。
協力者となることには同意してくれるらしい。
かなり危ない橋だったが、なし崩し的に巻き込むことができた。
結果オーライというべきか。
「では、失礼するのじゃ。ユウヤ、ディアナ・スピアーズ」
そう言ってシルヴィアは窓から出ていき、夜の闇に消えていく。
しかし、どういう原理で飛んでいるんだろうか。
いくらシルヴィアが小柄といっても、背中の翼だけじゃ飛べるわけがない。
魔力を使って、浮いているんだろうか。
だとしたら、何のための翼だ、ということになるが。
「……」
「不服みたいだな?」
「あなたのやり方が気に入りません。私に近づいたのも裏があったからなんですね?」
「まさか。シルヴィアがラディウスの使徒と知ったのは先日だ。どうするべきかと考えていたら、そっちから近づいてきた」
俺は自分の言っていることが間違っていないことを確認しながら、頷く。
俺から近づいたなんて、誤解だ。
どう考えてもディアナのほうから近づいて来た。
「それは……そうですけど……」
「まぁ、利用してやろうとは思ってたけど」
「やっぱり!?」
酷いとでも言うように、目を見開きディアナは俺に非難の視線を向けてくる。
だが、短剣を突き付けて、脅しをかけてきたのはディアナのほうだ。
利用される程度で済んでいるのだから、マシな扱いだと思う。
「じゃあ、そっちが俺の立場ならどうする? エルトに相談するか?」
「そんな恐ろしいことができるわけないじゃないですかっ! 王都に使徒がいると知ったら、エルトリーシャは人の話を聞かずに剣を抜きます」
「そうそう。良くお分かりで。そうなると知らせずに穏便に、内密に事を収束させる必要がある。使えるものは何でも使うさ。王都に潜入されてる時点で、こっちに選択肢なんてない。シルヴィアはああいう性格だから、他意はないだろうけど、こっちからすれば王都の民を人質に取られたようなものだ」
何もかも可能性だ。
シルヴィアが力のない民を巻き込むような戦いをするとは思えないが、相手が使徒となれば手加減などできないだろう。
だいたい、王の生誕祭前に他国の使徒の潜入を許すなんて、発覚すれば王都の防衛能力に疑問符がつく。
結局、どんな展開になろうと内密に進めることになるはずだ。
「問題はどうやってシルヴィアを狼牙族の里に連れていくか」
「私の神威に期待しているなら、それは無駄です。いくら私でも遠く離れた相手の姿を偽れません。王の生誕祭がある以上、私は王都を離れられない。そうなると、せいぜい、王都周辺くらいまでしか力は届きません」
「それでも十分すごいけれど、足りないか……。ロードハイムの騎士たちに見つかったら騒ぎになるしな……」
さて、どうするべきか。
ディアナという協力者が増えたところで、問題は解決していない。
ディアナは狼牙族の里の位置を知っている。
けれど、王都を離れられない。
つまり道案内は不可能だ。
それは俺も変わらない。
よほどの事態が起きない限り、俺も王の生誕祭には出席せねばならない。
そのために来たのだから。
「ままならんなぁ……」
呟きつつ、俺は急激な眠気に襲われた。
シルヴィアとディアナの接触という難関を乗り切って、緊張の糸が切れたようだ。
「とりあえず、考えるのは明日だな。帰ってくれるか?」
「扱いがぞんざいです。丁重に送り届けるくらいできないんですか?」
「別に呼んできてもらったわけじゃないし。そもそも、そっちを送り届けたあと、俺はどうやって帰ればいい? 使徒の部屋は上階。俺が行ける場所じゃない」
「それは、遊んでいたとか、用があったとかいえば」
「そんな誤解を招きそうなことをできるかっ! はぁ……どうして使徒は一般常識に欠ける奴らばっかなんだ……」
「私は三人の中じゃ一番まともです!」
それはそうかもしれない。
だが、所詮は使徒の中ではという話だ。
夜に男の部屋に来て、ベッドの上にいる時点で、常識のある女ではない。
それを指摘するのも面倒になってきたので、俺はため息を吐いてドアを指さす。
今日はもう疲れた。




