第十六話 寝ぼけてたんです
夜。
与えられている部屋のベッドで横になった俺は、自分が抱えている問題を整理していた。
まず、第一の問題。
これは言うまでもなくシルヴィアの存在だ。
他国の使徒、しかもラディウスの使徒がレグルスの王都にいるということは重大な問題だ。
他の使徒や軍の関係者に発覚すればその場で交戦状態になることは目に見えている。
そしてそれは匿っている俺も一緒だ。
だからこそ、この問題は慎重に解決する必要がある。
シルヴィアの目的は、ロードハイム公爵領にある狼牙族の里にいくこと。
そのためには狼牙族の里の場所を把握し、なおかつロードハイムの騎士たちの監視を潜り抜けなければいけない。
これが第一の問題。
そして第二の問題が、レグルスの使徒であるディアナだ。
ディアナは謎に包まれた使徒〝だった〟。
しかし、その素顔と神威を俺は知ってしまった。
ディアナの実力行使は回避したが、秘密を知った以上、放置しておいてはもらえないだろう。
ディアナの行動を黙認する代わりに、協力を約束させたから、シルヴィアの一件はおそらく解決できる。
しかし、その後が問題だ。
ディアナにとっては秘密を握られている状態だ。
いつまた、短剣を持ち出すかわかったもんじゃない。
急務なのはディアナの信頼を得ること。
まずは、レイナの乱入でうやむやになったディアナの髪飾りを返すところから始めるべきだろう。
そして、ある程度の信頼関係を築いた後に、シルヴィアのことを話すのがベターだ。
これが第二の問題。
そして第三の問題が、エルトから頼まれたセラを貸し出す件だ。
エルトは戦場を見渡せる広い視野を持つ。
だが、暗躍やら策謀やらは得意ではない。
もちろん、それらを見抜くのも得意ではない。
だからこそ、そちらの方面で活躍できるだろうセラをアドバイザーとして欲しがっている。
問題なのは、セラがフィリスの護衛兼話し相手ということだ。
フィリスにとって、レグルスは異国の地。
しかも、毎日毎日、レグルスの男性貴族と食事やらお茶を共にし、ひっきりなしに求婚されている。
正直、ストレスは溜まる一方だろう。
そんなフィリスからセラを引き離すのは心苦しいし、フィリスも容易には承諾しないだろう。
さらにいえば、護衛の観点からも問題が生じる。
俺がいない間、護衛の一切を取り仕切っているのはセラだ。
もちろん、フィリス付きの護衛隊には隊長が存在するのだけど、慣れない土地で、しかも貴族の館を行ったり来たりするため、フィリスの護衛は非常に難しい。
そのため、セラが逐一指示を出し、万全の護衛を敷いているわけだ。
そのセラが抜けるのは護衛に穴が空くことと同義だ。
いくらエルトのためとはいえ、その危険を冒していいものかどうか。
少なくとも、セラの代役、もしくは護衛の強化が必須だろう。
「はぁ……全部、使徒のせいだ……」
改めて思い直すと、全部に使徒が関わっている。
セラの言う通り、俺は使徒と縁があるようだ。
それも悪縁の類だろう。
そうでなければ、短期間で俺にこんなに問題が降りかかるわけがない。
「どう動くべきか……」
どれも面倒なことこの上ない。
当たり前だ。使徒が関わっているのだから。
一番、簡単そうなのは第三の問題。
一番、難しいのは第一の問題。
ディアナの信頼を得るというのも難しいが、そこは何とかなるだろう。
使徒とはいえ人だ。
よほど相性が悪くなければ、ある程度の信頼関係は築けるはずだ。
「目下の問題はシルヴィアか……」
王の生誕祭に向けて、王都には人が集まり始めている。
人が集まれば、トラブルも増える。
魔族だと露見すれば大問題だし、そんなに時間はない。
ただ、シルヴィアの問題を解決するためには、ディアナの協力が必要不可欠だ。
ディアナはなぜか狼牙族の里の近くにいたし、幻術の神威でシルヴィアの姿も誤魔化せる。
つまりは、ディアナの信頼を勝ち得るのが先決というわけだ。
思い切ってエルトにすべてを告げるという手もありといえばありだけど。
「すでにシルヴィアを匿っていることを知ったら、エルトは激怒しそうだしなぁ……」
他国の使徒を匿うとは何事か、と怒り出すのは目に見えている。
だいたいエルトだけじゃなく、レグルス王の耳に入ったら、俺の首が飛ぶ。
やっぱり秘密裏に事を運ぶのがベストだな。
「あー、胃が痛い……」
腹をさすりながら、俺は目を閉じる。
せめていい夢が見れますようにと、願いながら。
●●●
夢を見ていた。
幼い頃の夢だ。
といっても、ほんの数年前だ。
セラが家に来たばかりの頃。
両親がどちらもいない日があった。
クロスフォード家ではとても珍しいことだ。
その日は激しく雨が降る日で、夜になると雷が鳴り始めた。
近隣の村の心配をして、窓から外を窺っていると、部屋のドアが開いた。
そこには寝間着姿のセラがいた。
相変わらずの無表情だったが、いつもより心なしか沈んだ表情なのは読み取れた。
俺でもうるさいと思う雷だ。
怖いと思っても不思議じゃない。
一緒に寝るかと問いかけると、セラは頷き、俺のベッドに入って丸くなった。
雷が鳴るたびにセラは体を震わせて、目をつむった。
それをどうにかしてやりたく、寝付くまでずっと頭を撫でていた。
大丈夫、側にいるよと、声をかけながら。
どうしてそんな夢を見ているのか。
今は雨でもないし、雷も鳴っていない。
セラがベッドにいるわけでも。
?
そこで俺は自分の腕の中に何かがいることに気づいた。
腕に伝わるのは人肌だ。
セラが潜り込んだのかと思い、意識を覚醒させる。
「ちょっ!? いい加減に!?」
耳に伝わるのは押し殺した声。
聞き覚えのある声だ。
そして、これが一番大事なことだが。
セラの声じゃない!?
俺は目を一気に開き、自分の腕の中にいる人物を確認した。
流れるような黒髪に、飲み込まれそうなほど深い紺碧の瞳。
細く、折れてしまいそうなほど華奢なのに、女性らしく出るところは出ていて、見た目以上に抱き心地がいい。
その姿を見るのは二回目だった。
一回目は泉で、二回目はまさかのベッドで。
ずいぶんと変な状況でお目にかかるものだ。
そこにいたのはディアナ・スピアーズ、その人だった。
それも本当の姿とはレアだ。
「……なにをしてるんだ?」
「私の台詞です!」
「ぐうぇっ!?」
平手で思いっきり頬を叩かれた。
生涯初の女性からのビンタだ。
まさかベッドの上で経験することになろうとは。
「……痛っ……人のベッドに潜り込んでおいて、なにを……?」
「潜りこんだ!? あなたが私を引きずりこんだのではないですかっ!? そのあとは、無遠慮に私を抱きしめて、頭を撫でたりとやりたい放題! 死にたいんですかっ!?」
小声で一気にまくしたてる。
どうやら、外を見回っている兵士に気づかれないようにしているらしい。
しかし、ディアナを引きずりこむとは。
俺も命知らずなことをしたものだ。
多分、セラと勘違いしたんだろうけど。
そこで俺は気づく。
そもそもおかしいことがあるのだと。
「……なぜ、俺の部屋に……?」
「今更ですか……。その……髪飾りを返してほしくて……」
「また後日という話と言ったはず……」
レイナが乱入してきて、さすがにこれ以上、ディアナといるのは拙いと思った俺は、たしかに後日、渡すと言った。
それをディアナも了承したはずだ。
「それは……そうですが……すぐに返してほしくて……」
ぼそぼそとディアナが告げる。
その姿は可憐の一言だった。
綺麗だとは思っていたが、改めて間近で見るとさらに綺麗だ。
エルトと比べても遜色ない。というか、優っているという人がいてもおかしくない。
絶世の美女。
その言葉にふさわしいだろう。
それが俺のベッドの中、というか腕の中にいるというのは、男としてなんともくるものがあるのだけど。
寝る前に決めたばかりだ。
ディアナの信頼を得ると。
もうすでに信頼関係が崩壊しそうな勢いだが、これ以上、悪化させるわけにもいかない。
「……なるほど。申しわけない。少々、寝ぼけていたようで」
「随分とふざけた寝ぼけ方をするようで」
ディアナは笑みを浮かべるが、頬は引きつっている。
まぁ、どう考えても怒っているだろう。
顔も神威も何もかも隠したい女性が、男のベッドの中に引きずり込まれたのだ。
正直、よく殺されなかったものだ。
「夜遅くに無断で部屋に入ってきたそっちにも非がある。夜這いと間違われても不思議じゃない」
「よ、よ、夜這い!?」
ディアナが顔を真っ赤にして、自分の行動を振り返る。
夜に、単身で、男の部屋に忍び込む。しかも、見回りが気づいていないということは、わざわざ神威を使ったのだろう。
俺だからよかったものの、下手したら襲われている。
自分でも気づいたのか、ディアナが暴れ始める。
「見ないでくださいっ! 離れてくださいっ!」
涙ぐんだ声で言いながら、ディアナは俺をベッドの端まで追いやって、自分はベッドの中央で布団にくるまり、丸くなる。
「人のベッドでまた無茶を……」
言いつつも、俺はベッドから降りる。
多分、幻術で姿を変えてないのは、そんな余裕がないくらい混乱しているからだ。
今は落ち着く時間が必要だろう。
そう思い、俺は机の上に置いてある箱を取り出す。
その箱を開けると、中から花をあしらった可愛らしい髪飾りを取り出す。
それを持って、俺はディアナの様子を窺う。
まだ混乱から立ち直ってはいないようだが、この髪飾りさえ手に入れれば、ディアナが俺の部屋にいる必要はなくなる。
まだ落ち着いていなくとも、渡しておくか。
「ディアナ……さん」
どう呼んでいいかわからず、とりあえずさん付けをする。
短剣で脅され、部屋まで拉致られたのを考えると、敬語を使う関係ではない。
かといって、エルトのように遠慮せずに喋れる仲かというと、そうでもない。
今の俺とディアナの関係は、なんとも奇妙な関係といえるだろう。
友人というほど仲が良くはないが、赤の他人といえるほど関係が薄いわけでもない。
「はいっ!?」
俺の声にディアナが布団の中で上ずった声をあげる。
予想以上にテンパってるようだ。
「えっと……これ」
どう声をかけていいかわからず、とりあえず髪飾りを差し出す。
すると、勢いよく布団から手が伸びてきて、髪飾りを奪っていく。
そしてまた布団の中に籠った。
どうやら、布団から抜け出すという選択はないらしい。
まいったなぁ。
もう時刻は深夜だ。
俺としてはすぐに寝たいのだけど。
「……ユウヤ・クロスフォード」
「はいはい? ベッドを明け渡す気になってくれましたか?」
「あなたは私を見ても何とも思わないんですか?」
無視された。
遠まわしに早く出ていけと言ったつもりだったのに無視された。
くそー。
これは話に付き合わないといけないパターンか。
俺はベッドの端に腰かけて、ため息を吐く。
「それは偽りのディアナ・スピアーズ? それとも本物のディアナ・スピアーズ?」
「……本物の方です。今の私の姿です」
「綺麗だなぁと思った。あとは……意外にデカい?」
「死にたいんですか?」
「おわっ!?」
布団の中から短剣を持った腕が出て来た。
怖っ。
なんだよ。そっちから聞いてきた癖に。
「真面目に答えてください……」
「真面目に答えてるって。正直、外見から受ける印象なんてそんなもんでしょ。綺麗だとか、不細工だとか。清潔だとか、不潔だとか。そんなことくらいしかわからない」
本心からの言葉だ。
見た目からわかることなんて、それくらいしかない。
目を見て、その人のことがわかる仙人みたいな人も、世の中にはいるかもしれない。
けど、俺は違う。
「外見だけじゃその人のことはわからない。話してみないと内面なんてわからないし……外見に関しては……美人だなぁとしか感じなかったというのが本音で……」
「……」
これは幻滅されたか?
いや、そもそも幻滅されるほど好感があったか怪しい。
けど、質問からして無茶だ。
自分を見てどう思うかなんて、普通なら聞かない。
「……私の一族はアークレイムとレグルスの国境付近にいた少数部族でした」
唐突にディアナが語り始めた。
俺はそれを意外に思いつつ。耳を傾ける。
同時に、非常に不謹慎だが、こうも思った。
これ、長話になったら嫌だなぁ、と。




