第十四話 ディアナ・スピアーズ
ゆっくりとディアナが俺に近づいてくる。
その手には短剣。
そして視線は俺に向いている。
この瞬間、ディアナの存在に気づいているのは俺だけだ。
セラもフィリスもディアナのことを認識できていない。
幽霊みたいなものだ。騒いだところで俺が変人扱いされるだけだろう。
しかし、いくらなんでも、大使の暗殺なんてするわけがない。
わざわざ短剣をちらつかせているのは、おそらく脅し。
「ユウヤ? どうかしたのかしら?」
「いえ……扉が開いたことにびっくりしてしまって」
フィリスの言葉にそう返す。
ちょうどそのとき、俺の真後ろにディアナが立った。
「私の言葉は二人に届きません。会話を続けながら聞いてください」
ディアナが平然とそう喋る。
しかし、フィリスもセラも反応しない。
姿を隠すだけじゃなく、音まで聞こえなくさせるなんて。
さすがは神威というべきか。
エルトの光壁も展開する範囲を絞れば、硬度が上がる。
それと同様に、少数の対象だけなら何でも誤魔化せるのかもしれない。
「私の勘は非常に当たります。今回も嫌な予感がしてきてみれば、彼女たちは私の神威に近づきつつある。当然、あなたは察していることでしょう。泉での事といい、あなたは本当に碌な事をしませんね」
ディアナは平坦な口調のまま、短剣を俺の首に当てる。
ひんやりとした金属の感触に、どっと背中から汗が流れ出る。
やっぱり泉で出会った少女はディアナだったか。
確信はなかったのだけど、本人のご登場で確信できてしまった。
「私の神威なら今ここであなたを殺しても、気づかせないことも可能です。それを踏まえて、まずは話題を変えていただけますか?」
脅しだ。
そうわかっていても、従わないわけにはいかない。
水浴びを覗かれたとき、ディアナは本気で俺を殺す気だった。
今は脅しでも、気が変われば本気で殺しにきてもおかしくない。
「やっぱり幻を見せる神威?」
「ま、まぁいずれわかるときが来るだろうし、今は気にしないでおこう」
「? 気になるって言ったのはユウヤのほう」
セラの言葉に少しだけ短剣が震える。
ディアナが力を込めたのだ。
怖ぇよ。なんだよ。この人。
どんだけ秘密主義なんだよ。
「それはそうなんだけど……本人に聞かないかぎり真相はわからないし、考えるだけ時間の無駄かなぁと」
「今は味方だけど、もしかしたら敵になるかもしれない。敵の分析は必要」
「セラのそういうところは嫌いじゃないけど、言葉に気を付けような……。ここはレグルスの城だからさ。誰が聞いてるかわからないし」
本人が俺の後ろにいて、聞いているとは口が裂けても言えない。
さて、どうしたものか。
そう思ったとき、フィリスが助け船を出してくる。
「それもそうね。使徒について嗅ぎまわっているなんて思われたら、私たちが来た意味がなくなってしまうわ」
「そうです! 俺たちは親善のために来たわけで、対レグルスのために来たわけじゃない。考察はまた今度にしましょう」
「ユウヤ、変」
セラが疑いの眼差しを俺に向ける。
できればその眼差しで、後ろのディアナを見つけてくれると嬉しいんだけどなぁ。
無理な相談か。
「あら? もうこんな時間ね。セラ、ドレスを選ぶのを手伝ってもらえるかしら?」
「そういえば、夕食はレグルスの侯爵ととられるとか?」
「そうなの。私より一回りは上の男性よ。気が滅入ってしまうわ」
「それもお仕事。じゃあ、ユウヤは出て行って」
フィリスとセラが立ち上がって動き始める。
どうにか会話は立ち消えた。
これで文句はないだろ。
「部屋を出てください」
ディアナがそう告げて、短剣を引く。
それを確認して、俺は小さく息を吐いてから立ち上がる。
「では、俺は失礼します。セラ、殿下をよろしく」
「任せて」
「また時間が空いたらお茶をしましょう」
「かしこまりました」
礼をして、俺はその場を去る。
俺に後ろにはピッタリとディアナがついてきていた。
●●●
城の上階。
そこにあるディアナの部屋に俺は連れられてきていた。
ディアナの部屋にも護衛がついているし、上階にはレグルスの有力者が結構いる。
俺がディアナの部屋に入るところを見られたら、噂になりそうなものだが、その点は問題ない。
ディアナの神威によって、俺は姿を消されているからだ。声もディアナ以外には届かない。
「確かにこれなら誰にも気づかせずに殺せるな……暗殺向きだ」
「理解できているようでなによりです。私の軍と対峙して、不可解な死を遂げた将軍は多くいますから」
冷たい眼差しを俺に向けながらディアナは告げる。
なんとなく呟いただけだったのに、正解だったとは。
しかし、実際、どうやって暗殺しているのやら。
エルトの能力以上に攻撃力のない神威だ。
ディアナ自身が短剣でぶすりとやっているのだろうか。
あまり想像したくない絵だ。
見えない敵に短剣で刺され、自分の叫びは誰にも届かないというのは、まさしく地獄だ。
「……余裕ですね」
「別に余裕ってわけじゃないけれど……」
ディアナは目を細めて、俺の様子を観察してくる。
今は剣を身に着けておらず、武器は携帯していない。
そんな状況で慌てないことが不思議なんだろう。
ただ、俺はディアナが本気で俺を殺す気がないことに気づいている。
それが余裕に見えるのかもしれない。
「私の神威は極秘中の極秘。知っているのは私の側近と国王陛下くらいです。その意味がわかりますか?」
「国の極秘事項。その秘密に触れた以上、俺は無事では済まないと?」
「ええ、そのとおりです」
「そう言われてもなぁ。別に確証があったわけじゃない。そっちが出て来たから、結果的にわかっちゃっただけで」
所詮、予想は予想。
答え合わせがないかぎり、俺やセラの妄想に過ぎなかった。
だが、神威を見せて、ここまで過剰な反応をされると嫌でもそれが本当なのだとわかる。
ぶっちゃけ、自分で墓穴を掘っている。
「わ、私の早合点だと言いたいんですかっ」
「うん、まぁ、そうなるかなぁ。エルトもそうだけど、レグルスの使徒は意外に短絡的というか、衝動的というか」
ディアナの顔が赤く染まる。
自分でも失敗したなと、思っているらしい。
ディアナは動くべきじゃなかった。
どうせ、俺にバレたところでレグルスに大きな痛手はない。
釘を刺す程度で留めておけばいいものを、刃物を出して、自分の部屋まで連れてきてしまったから、場の収めどころを見失ってしまっている。
よほど自分のことを知られるのが嫌なんだろうけど、今はその性格が失敗を招いている。
「で? これから俺はどうすれば? 王の前に出て、洗いざらい吐けばいい? 予想してたら、拉致られましたって」
「それは困ります!」
言っちゃったよ。困るって。
自分から。
いやぁ、どうしようかな。
話をどう進めていいのかわからない。
このまま帰らせてもらうっていうのも難しいだろうし。
「それじゃあ、どうしろと? ここで他言しないことを誓おうか?」
「あなたの言葉は信用できません! 喋らないという約束を破ったのはそっちです!」
「いやいや、喋ってないから。使徒ディアナの神威の話はしたけれど、そもそも泉で見た人が、使徒と同一人物だと思わないし。泉での一件に関しては誰にも喋ってない」
しばしディアナが黙って、考え込む。
難しい顔をしているが、別に難しい話をした覚えはない。
どこらへんから俺たちの話を聞いていたかは知らないが、自分の神威の話をしていたから、勘違いしたんだろう。
俺が泉での出来事を話し、その流れで神威の秘密がバレそうだと。
まぁ、俺の中では繋がったからすべて勘違いというわけではないけれど。
「……」
しばし呆然としたあと、ディアナが右手に持っている短剣を見て、汗を流す。
幻術で姿を誤魔化しているのに、芸が細かいな。
それとも姿は誤魔化せていても、本体が汗を流したり、血を流したりするのは隠せないのだろうか。
「さて」
「は、はいっ! なんでしょうか!?」
いきなり声が大きい。
しかも裏返ってるし。
もう完全に動揺してるな。
仕方ないか。行動が裏目に出ているわけだし。
「俺はこれからどうすれば?」
ただ、ディアナの動揺とかはどうでもいい。
問題なのは俺の今後だ。
帰っていいなら帰りたい。
「……できればこのことは内密に……」
短剣を机の上に置いて、ディアナが頭を下げる。
言われるまでもない。
使徒の不祥事なんて、歓迎するのは敵国だけだ。
ここでわざわざ表沙汰にして、俺が騒いだところで、レグルス王の心証が悪くなるだけだろう。
それに証拠がない。
それだけディアナの神威は完璧だ。
ただ、それを馬鹿正直に教えるのももったいない。
ここは巻き添えを食ってもらうとするか。
「ディアナ・スピアーズ公爵」
「は、はいっ」
「あなたに短剣を突き付けられたとか、部屋に拉致されたとか、何度も脅されたとか、そういうことは他言しない」
「うぐっ……」
俺の言葉にディアナがダメージを受ける。
肩を落として、深刻な落ち込みを見せられると心が痛むが、今は情に流されている場合じゃない。
幻術の神威は非常に使える。
俺が今、抱えている問題を解決するのに。
「もちろん、泉の一件も他言しない。今の俺は親善大使だから。使徒に襲われたとか言ったら、大問題だ」
「はうっ……」
グサリと言葉の矢が刺さって、ディアナが涙目になる。
どうも幻術で地味な姿を見ているせいか、涙目が可愛いとは思えない。
けど、実際は泉で見た姿が本当なのだろうし、どう反応していいのか困る。
「ただし、他言しないかわりに、今、俺が抱えている問題を解決するのに協力してほしい」
「問題……ですか? 私に協力できることならば」
「そう言ってもらえると助かる。では、これで失礼する」
そう言って俺は一礼して、ディアナに背を向ける。
言質は取った。あとは、ディアナに協力してもらって、シルヴィアを狼牙族の里に連れていけば万事解決だ。
我ながらなかなかの機転といえるだろう。
大逆転と言ってもいい。
そんな意気揚々な俺に、ディアナが声をかける。
「ユウヤ・クロスフォード」
「なにか?」
「その……私がこのようなことに及んだ理由を聞かないのですか?」
「自分の秘密が他人に漏れるのが嫌だからでは?」
「それは……その通りですが……」
「まぁ、行き過ぎと言えなくもないけど。大なり小なり人には秘密がある。それを隠そうとするのは、別に悪いことじゃないさ」
徹底的な秘密主義者。
それがディアナ・スピアーズという人間なんだろう。
その秘密の一端に触れたから、俺はディアナに目をつけられた。
それだけだ。
その秘密主義に至った経緯とか、そもそも姿を偽っている理由とかには興味はない。
そもそも秘密主義者に質問するのも馬鹿らしい。
そう思ったとき、俺はあることに気づいた。
「ああ、そういえば泉の近くに髪飾りが落ちてた。あれは君のだろ?」
「あれを持っているのですか!?」
「保管してある。協力の件を話すときに返すよ」
やはりディアナの物だったか。
しかし、予想以上に食いつきがいい。
思っていた以上に大事な物だったのだろうか。
「それは……協力しなければ返さないということでしょうか……?」
なんだか悲しみ一杯の表情でディアナが告げる。
まるで人質でもとられたかのような表情だ。
これはちょっと予想外だ。
「いや、そういうわけじゃ……なんなら今から渡すけれど」
「本当ですか!? 嘘偽りはありませんか!? あれは亡き母の形見なのです!」
ディアナが俺の服を掴んで、迫ってくる。
その表情は鬼気迫っていた。
そのあまりの剣幕に俺は慌てて頷く。
しかし、それだけではディアナは納得しない。
「では、すぐに案内してください!」
「わかった、わかったから。少し落ち着けって……」
そう言って肩に手を置き、ディアナを落ち着かせようとしたとき、屋のバルコニーに小柄な少女が着地した。
ここは城の上階。
そのバルコニーに着地できるような人物は数人しかいない。
「ふぅ~。なんとか撒いた……ぜ……」
風の神威を操るレイナだ。
そのレイナは部屋の中にいる俺とディアナを見て、思考停止状態に陥っている。
なにも事情を知らない人間からすれば、ディアナと俺は体を寄せ合っているように見えるだろう。
しばし時が流れ、ようやくレイナが活動を開始する。
「お、お邪魔しましたっ!!」
「ちょっと!?」
絶対、変な誤解をしている。
拙い。これは止めねば。
そう思って、レイナを引き留めようとしたが、さすがは風の神威を持つ使徒というべきか。
風に乗って、レイナはどこかへと去っていってしまう。
「あー……変な誤解をされたな……」
呟きは風に流される。
俺はこれからのことを思い、深いため息を吐いた。




