第十二話 少女の正体
銀髪の少女を拾ってしまった。
厄介だとわかっていたのに。
目の前で串焼きを勢いよく食べる少女を見て、俺はため息を吐いた。
腹を空かせて路地裏にいるとか、エルトじゃあるまいし。
「聞きたいことがあるんだ」
「なんじゃ? 答えられることなら答えてやるぞ?」
一旦、食べるのを止めて少女がこちらに顔を向ける。
フードを被ったままので、目より上は見えないが、整った顔立ちなのはわかる。
女の子の一人旅ではさぞや苦労することだろう。
「恩着せがましい言い方になるけど、村で助けて、今も食糧を恵んだ。それなりに貸しがあると思うんだ」
「そうじゃな」
「だから答えて欲しい。君は使徒か?」
俺の質問に少女は沈黙で答える。
そして少女は周囲を見渡す。
周りにこちらを見ている人はいない。
だが、誰が聞き耳を立てているかわからない。
迂闊に秘密は口にできないか。
「難しい質問ゆえ、回答は避けるが、お主に敵対しないことだけは約束しよう」
「まぁそれが答えみたいなものだけど。それに君の言葉は信用できない」
この子は十中八九、使徒だ。それか使徒に近しい者だ。
そんな子がレグルスの王都に来て、一体、何をしようというのか。
「む。心外なのじゃ。妾はこれでも義に厚い。恩を仇で返すような真似はしないのじゃ」
「なら、これには答えてもらう。何をしにレグルスへ?」
「それは……」
言いよどむ少女を見て、俺は少女の前にあった残りの串焼きと注文した果汁水を自分の方へ引き寄せる。
「あ!? なにをするのじゃ!? あ~妾の串焼きが~」
「喋ったらあげる」
「ぐぬぬ! 人質とは卑劣じゃぞ! 騎士にあるまじき行為じゃ!」
「騎士じゃないし。そもそも人じゃないし」
少女は頑張って手を伸ばすが、テーブルの向かい側にいる俺には手が届かない。
小柄な少女が必死に手を伸ばしている姿を見ると、なんだかとっても心が痛むけど、情けは無用だ。
この子の目的さえ聞ければ安心できる。
嘘をつく可能性があるし、嘘を見抜ける自信もないけれど、それは仕方ないことだ。
それを言い出すとキリがない。
「のぉ、返しておくれ。妾の串焼き」
「喋ったらね」
「あんまり表沙汰には出来ぬ案件なのじゃ……」
「そう言われると心の平穏のためにも聞いておかないと」
何か良からぬことを考えているわけじゃない。
それは少女の雰囲気からわかるし、村での言動からも察しはつく。
だけど、それはあくまで俺個人の印象だ。
たとえ良いことでも、レグルスに対して不利益になることならば、レグルスは容赦なく少女を捕まえるだろう。
この子が捕まるところは見たくない。
目的がレグルスにとって不利益になるようなら、なんとか説得したいところだ。
「むぅ……ならばよい。僅かじゃが空腹は紛れた。そのことには感謝するのじゃ」
そう言って少女は椅子から降りて、とぼとぼと路地裏に向かって歩いていく。
その背中には哀愁が漂っており、見る者に憐憫の情を抱かせる。
なんだろう。
自分がとんでもない畜生に成り下がったような気がする。
数歩進んで、少女がお腹を押さえてこちらをチラリと見る。
だが、頭を振って、少女はまた歩き始めた。
心なしか歩き方が安定していないように見える。
ああ、もう!
成るようになれ!
俺は心の中で叫びながら、少女の後を追う。
「わかった。もう聞かないよ」
「……いらないのじゃ」
串焼きを差し出すが、断られる。
けど、俺はこれと似たような状況を経験したことがある。
串焼きをゆっくり動かすと、少女の視線が動く。
ああ、やっぱり。
この子はエルトに似てるんだ。
プライドが高いところとか、基本的に上から目線だとか、意地っぱりとか、そういうところが。
「わかった。たしかに俺が卑怯だった。空腹の人間から食べ物を取り上げて、秘密を聞こうとするなんて、貴族として恥ずべき行いだ。その点は反省している」
「……」
「そこで、だ。どうだろう。お詫びに君の好きな食べ物を買う。それで俺の卑怯な行いを帳消しにしないか?」
少女の顔がパァっと明るくなる。
「本当かっ!? 嘘ではあるまいな!?」
わかりやすい子だ。
自分のプライドを傷つけない答えがあれば、それで納得できてしまうんだろう。
よく言えば素直だし、悪く言えば単純なんだ。
もっとも、誰に対してもそうかはわからないけれど。
「嘘は言わない。ただ、人を待ってるから」
そう言った瞬間だった。
俺は慌てた様子の少女によって、路地裏に引き込まれる。
かなり強い力だった。
しかも速い。
何が少女をそうさせたのか。
そう思い、少女の視線を追うと。
「エルト?」
「エルトリーシャ・ロードハイム。さすがの妾もあれほどの達人の前では素性を隠し切れん。武の結晶のような女じゃからな」
「なんだかわからないけれど、とりあえず、エルトを警戒しているってことでいいかな?」
「そうじゃ。会うわけにはいかぬ。あの女と揉め事を起こしては、妾の目的が果たせなくなる」
少女はそう言いながら、俺を路地の奥へと引っ張っていく。
なかなかどうして力が強い。
これは解放してもらえそうにないな。
「ちょっ! 俺の待ち人はエルトなんだけど!?」
「妾との約束を果たすためにも、諦めるのじゃ!」
マジか。
最初にいなくなったのはエルトだけど、それにしたって置いてけぼりにしたら、どれほど怒り狂うかわかったもんじゃない。
しまったなぁ。
情に流されて、地雷を踏んだ。
面倒事は嫌いだ。それは本当だ。
けれど、困っている人を見捨てるほど非情にもなれない。
ときどき、自分の難儀な性格が嫌になる。
面倒事が嫌なら手を差し伸べなきゃいいのに。
「なんじゃ? ため息なんぞ吐いて」
「自分がちょっと嫌いになったんだ。元々、そんなに好きじゃないけど」
少女に半ば引きずられるようにして、俺は路地を歩く。
中々に入り組んだ路地を歩き続け、ようやくたどり着いたのは、王都の正門近くだった。
城からかなり離れている。
大通りを真っすぐ行けば城だから、迷子になる心配はないけれど、結構、エルトがいた場所から離れたな。
「ふむ……ここはどこじゃ?」
「知らずに歩いてたのか……っていうか、正門は見たことあるでしょ? ここに入るときに通るはずだし」
「知らんのじゃ。通ってないからのぉ」
さらりと少女がとんでもないことを言う。
王都に入るには審査を受ける必要がある。
もちろん、人が行うことだから、潜り抜けることは可能だろうけど、普通の人間ならまず不可能だ。
それ以外の方法としては城壁を突破するという方法があるが、分厚く高い壁を突破するのも非現実だ。
加えて王都を囲う城壁には見張りが立てられており、不審な動きをすれば一発でバレる。
警備を騙す以外の手で、バレずに侵入するのは、使徒でも難しいはずだけど。
どうやって入ったんだ、この子は。
「さて、妾はお腹が空いたのじゃ。それはもうペコペコなのじゃ」
「はいはい。けど、どうしてそんなにお腹が空いてるんだ?」
俺は何か食べられそうな店を探しつつ、少女に問いかける。
エルトみたいに財布を落としたのか、それとも別の理由なのか。
どちらにしろ面白そうな答えが聞けると俺は期待していた。
しかし。
「うむ、妾が迂闊じゃった。まさか物を食べるのに金がいるとは……国では普通に出てくるから失念しておったのじゃ」
「……はい?」
「じゃから、金がかかると思わなかったのじゃ」
まさかまさかの発言だ。
エルトを超えるとは予想外。
斜め上とはこのことだ。
食べ物を買うのに金がかかるなんて常識中の常識だ。
貨幣制度が導入される前の時代からタイムスリップでもしてきたのか、この子は。
「ん? ってことは路銀を持っていないの?」
「路銀? 当たり前じゃ。外なら手頃な獣がおるし、移動も別に苦じゃないからの」
なんだろう、この子。
箱入りのお嬢様なのか、生粋の自然児なのか。
なんとなく後者の気がするけれど、にじみ出る王者の気質を見るかぎり、それだけではない気がする。
「君は本当に何者なんだ?」
「君じゃない。妾の名はシルヴィアじゃ。正体は明かせぬ」
シルヴィアは頑なに自分の正体を口にしない。
言っては駄目な決まりでもあるのか、言うと不利になるのか。
まぁ気になるけど諦めるか。
また機嫌を損ねられても困るし。
そんなことを思っていると、見回りの兵士が俺とシルヴィアのほうへ近づいて来た。
「失礼。そちらの方、フードを外していただけますか?」
丁寧な口調だ。
高圧的な態度ではない。
ちょっとした確認程度のつもりだろう。
しかし、その言葉にシルヴィアは大きく肩を震わせて、警戒態勢を取った。
兵士のほうは気づいていないが、これは攻撃を仕掛けるかどうか迷っている状態だ。
「どうしました? フードを取っていただけますか?」
「失礼。見回りの方。実は妹は少々、目立つ容姿でして」
そう言いながら俺はシルヴィアを後ろに庇い、自分の顔が兵士によく見えるようにする。
兵士は訝しむように目を細めるが、やがて何かに気づいたように目を見開く。
「く、クロスフォード大使!?」
「お静かに。お忍びですので。バレると面倒なことになりますから、見なかったことにしていただきたい」
「し、失礼しました! 大使の妹君とは知らず!」
「こちらこそ、怪しい恰好ですみません」
そう言って俺は兵士を下がらせて、シルヴィアを連れてその場を離れる。
兵士とのやりとりで、少し注目を集めたからだ。
とはいっても、少し兵士と話しただけだ。
大きく目立ったわけじゃないから、場所を離れれば問題ないだろう。
「……なぜ助けたのじゃ?」
「〝彼を〟助けたのさ。攻撃する気だっただろ?」
「……正体を知られるわけにはいかんのじゃ」
「なるほど。この暑い中、フードを被ってるのは、顔を見られちゃ困るからか」
「……その通りじゃ。しかし、不思議な男じゃのぉ。今は妾の正体をする絶好の機会だったではないか」
俺は大通りから人気のない路地裏に入る。
後ろを確認して、追手がいないことにホッと息を吐いた。
「確かに。兵士にフードを捲らせればシルヴィアの正体はわかったかも。けど、そんなことしたらシルヴィアが困るだろ?」
「当たり前じゃ」
「だからさ。どうでもいい誰かが困ってたら、さすがに助けないけど、シルヴィアとは約束があるし、それなりに仲良くなった気がしてる。困ってたら助けるよ」
ま、使徒と思われる人間に暴れられたら困るっていうのもあるけれど。
しばらく歩いて、かなり人気のないところまで来た。
さて、この後、どうしようかな。
シルヴィアはお腹空いてるらしいし。
「……ユウヤ」
「ん? お腹空いた? ちょっと待って。今、考えるから」
「確かにお腹は空いてるが、それは置いておくのじゃ。お主はマグドリアとの戦いで獣人と戦ったと聞く。獣人は……怖かったか?」
いきなりだな。
しかも変な質問だ。
「獣人じゃなくても、戦場で出会う敵はみんな怖いよ。俺の命を狙ってるわけだし。ただ……」
「ただ?」
「誰が一番勇敢だったかと聞かれたら、獣人、狼牙族の戦士長と答える。あいつとマグドリアのラインハルトだけは誇りがあった。だから斬っても倒れないし、最後まで向かってきた。本当に殺されるかと思ったよ」
「……そうか。勇敢だったか……。お主はそれを踏まえて、獣人を、魔族をどう思うのじゃ? 殺されかけたのじゃろ?」
ずいぶんな質問だ。
無神経ともいえる。
だが、シルヴィアの目は真剣だ。
どうしても聞きたいという意思を感じる。
「……関係ないかな。人と魔族の間に差はないと思う。見た目は確かに違うけど、彼らは家族や親しい人のために戦った。俺も家族や親しい人のために戦った。だから内面は変わらないと思う。魔族だからどうとかは思わないよ」
「恨みはないのかの?」
「あの戦争で俺が恨むとするなら、それは一人だけ。マグドリアの使徒、レクトルだけだ。結局、マグドリアの兵士も狼牙族も奴の駒にされた。奴だけは恨んでも恨み足りない」
一瞬、負に満ちた感情が心に広がる。
けど、それも一瞬だ。
それらを押さえつけて、俺はシルヴィアを見る。
「満足かい?」
「うむ。お主が信用に足ることはわかった」
そう言ってシルヴィアはフードを脱ぐ。
長い銀色の髪が零れ出てくる。
ただ、それ以上に俺の目を引いたのは尖った耳と。
「角……?」
微かに捩れた黒い角がシルヴィアの頭頂部にあった。
こういう動物的特徴を持つ種族を俺は知っている。
魔族だ。
「シルヴィアは……魔族だったのか?」
「いかにも。妾は黒竜族のシルヴィア。ラディウスの使徒じゃ。魔族と人が変わらないと言ったお主に頼みがある。どうか、狼牙族が匿われている場所を教えてほしい。妾はこの目で彼らの無事を確かめたいのだ」
それは今日一番どころか、前世を含めた俺の人生の中で最も驚愕に値する告白だった。
最強と謳われるラディウスの使徒がこんな少女だったなんて。
いや、それ以前に。
「……早くフードを被るんだ! ラディウスの使徒がこんなところにいるってわかったら、大問題になる!」
「頼むのじゃ! 妾を助けると思って!」
「わかった! わかったから! 協力する! だから、目立つな! 今、王都にはレグルスの使徒が三人集結してるんだ! 刺激したらどんなことになるか!」
そう言って俺は無理やりシルヴィアのフードをかぶせる。
そして空を見上げてから、がくりと首を下に向ける。
大変なことになっちまったぞ、これは。
大きくため息を吐きながら、俺はしばし途方に暮れたのだった。




