第十話 レグルスの軍議
エリアール大陸で賢王と呼ばれる王は一人しかない。
その王が俺の前に姿を現した。
顔を下げつつ、上目だけで王の様子を観察する。
若くして強国であるレグルスの王位を受け継ぎ、ここまで保ってきた。
若き名君。
レヴィン・レグルス。
癖のある茶毛に紫の瞳。
背もそこまで高くなく、体つきも細い。
武人肌な人間ではないことは確かだろう。
「お待たせして申し訳ない。フィリス王女殿下」
「お久しぶりでございます。陛下」
「確かに久しぶりだ。僕が王子時代に一度会ったね。綺麗になった」
「ありがとうございます」
レヴィンの視線が俺に移る。
しばらくレヴィンは俺を観察する。
いや、値踏みといったほうがいいだろうか。
俺という人間がどれほどの価値があるのか。
それを見ているのだろう。
「ユウヤ・クロスフォード大使。いや、アルシオンの銀十字殿と呼ぶべきかな? 会えて光栄だ」
「お初にお目にかかります。陛下。私もお会いできて光栄です」
「そう言ってもらえると嬉しいね。僕は君に無理難題を吹っ掛けた側だから、恨み言の一つくらい覚悟していた」
「滅相もありません。アルシオンへの援軍、感謝の言葉もありません」
顔を伏せながら俺はそう告げる。
その気持ちに偽りはない。
同盟国というわけでもないのに、レグルスはエルトを派遣した。
確かに無理難題だったが、それでも感謝が色あせることはない。
「私からも改めまして、援軍の件、お礼申し上げます」
「いやいや、礼ならエルトリーシャに言ってくれ。僕は君たちを見捨てるつもりだったからね」
一瞬、玉座の間が沈黙に包まれる。
笑っているのはレヴィンだけだ。
フィリスは何と答えていいのかわからず、俺のほうを見てくるが、俺だってこの空気で何を言えばいいのかわからない。
「陛下。そのようなことを聞かせるために、私たちを呼んだのでしょうか?」
「だったら帰るぜ。用もないのに呼び出すなよな」
ディアナの言葉に乗る形で、レイナがその場を去ろうとする。
そんなレイナをレヴィンは笑顔で引き留める。
「まぁまぁ。まずは挨拶からというのが基本だよ」
「長げぇんだよ。これだけの面子を揃えたんだ。軍議以外にやることねぇだろうが」
「その通りなんだけど、段取りというのがあるんだよ。まぁ、もう台無しだけど」
そう言ってレヴィンはため息を吐く。
それに合わせて、鎧を着た護衛たちが何やら地図を取り出し始める。
本当に軍議が始まるらしい。
ただ、問題が一つある。
「陛下。フィリス殿下と私は下がらせていただきます」
「いや、君たちも居てくれ」
「他国の軍議に顔を出すわけにはいきません」
「普通ならそうなんだけどね。今回は君たちにも参加してもらいたい」
レヴィンはそう言って俺たちに参加を促す。
しかし、これだけの面々をそろえた以上、国家規模での戦略を描くはず。
それをいくら同盟国とはいえ、アルシオンの人間が聞いていいはずがない。
「しかし!」
「アルシオンのためだ」
エルトがいきなり横から口を挟む。
アルシオンのため?
意味が分からない。レグルスの軍議を聞くことが、どうアルシオンに優位に働くのか。
まさか、マグドリアやアークレイムにでも売れとでも言うんじゃないだろうな。
「ユウヤ・クロスフォード。ここに三人の使徒が揃っている意味がわかるかな?」
「……国境の脅威が去ったということでしょうか?」
「その通り。アークレイムもマグドリアも我々に休戦を申し込んできた。そして僕はそれを受けた」
「それが我々が軍議を聞く理由とどんな関係が?」
「簡単だよ。二つの国が休戦を持ちかけておいて、奇襲を仕掛けてくるのは珍しくはない。アルシオンは戦がひと段落したと思っているようだけど、我々からすれば、これからという感じだ。だからお二人には軍議を聞いてもらいたい。そしてアルシオンに戻ったら、王とその重臣たちの気を引き締めてほしい」
レヴィンはそう言って、柔らかな笑みを浮かべる。
だが、目だけは俺とフィリスを鋭く貫いている。
ここでレグルスの軍議を聞き、アルシオンの気の緩みを正せとレヴィンは言っているのだ。
強い口調で命じられたわけじゃない。
むしろお願いに近い言い方だ。
だが、今まで受けたすべての言葉よりも強制力を感じる。
賢王と呼ばれるだけはあるということか。
「承知いたしましたわ。陛下」
「……御意」
そう言って俺とフィリスはその場を離れる。
俺たちがいたのは王の正面。
そこに大きな地図が敷かれる。
大陸の中央一帯が描かれた地図だ。
そこにはレグルス軍の戦力とアークレイム、マグドリアの戦力が記されていた。
「現在、マグドリアはレグルスとアルシオンに二万ずつの守備軍を置き、その他の国境に兵を少しずつ散らしている。自国を守るのすら容易じゃない。敵国に攻め込む余力はないと見ていい」
レヴィンは言いながらこちらを見る。
「君がかなりボロボロにしてくれたおかげで、マグドリアは身動きが取れない。感謝しているよ」
「ロードハイム公爵、ひいてはレグルスの助力があればこそです」
「その通り! 私への褒美は忘れないでもらおうか? 王よ」
「わかっているよ。次にアークレイムだけど……こっちはマグドリア以上に深刻だ」
微妙な表情を浮かべてレヴィンはため息を吐く。
そして視線をエルトたち、三人の使徒へと向ける。
「何か?」
「使徒というモノへの認識を改めねばならなくなった」
「何だよ。あたしたちが普通の人間だと思ってたのか?」
「少なくとも……君たちは人間だ。ラディウスの使徒に比べれば、ね」
レヴィンの視線が地図に移る。
そこにはラディウスは描かれていない。
大陸南部を支配するアークレイムの天敵であるラディウス。
魔族による国家であり、海を隔てた先にある島を領土としている。
しかし、アークレイムの一部も領土として保有している。
奪い取ったのだ。
力で。
「ラディウス方面に展開していた守備軍が一夜で壊滅した。アルシオンに兵力を割いた隙を突かれたようだよ」
「一夜で守備軍が? 守備軍の数は?」
「私の部下の報告では二万以上。ラディウス側は二千程度だとか。相変わらずラディウスの使徒は規格外ですね」
エルトの質問にディアナが淡々とした口調で答える。
その答えに皆がざわめく。
いくら何でも二千程度で二万を壊滅させるなんて、滑稽な作り話にしか聞こえない。
しかも一夜だ。
いくら使徒でも理不尽すぎる。
「味方なら申し分ないけれど、ラディウスは灰色。白でも黒でもない。一つ間違えれば、僕たちにも襲い掛かってくる。本当に頭の痛い国だよ」
「心配ないだろ。ラディウスが来るならアルシオンが盾になってくれる。そのために同盟国にしたんだろ?」
レイナがあっけらかんとした口調で告げる。
少しは俺とフィリス殿下に気を遣って欲しい。
流石のレヴィンも微かに笑みが引きつっている。
思っていても言ってはいけないことというのがある。
アルシオンも馬鹿じゃない。
ラディウスへの盾として期待されていることもわかっている。
レグルスが善意で同盟を結ぶわけがないのだから。
「レイナ。お前は少し政治というのを学んだほうがいいぞ?」
「はっ! その政治を無視して、アルシオンを助けた奴がよく言うぜ」
「なに!?」
「なんだよ!?」
「二人とも。喧嘩をするなら他所でやってもらえますか?」
ディアナに注意されて、エルトとレイナはばつの悪そうな顔をしてそっぽを向く。
すごいな。
二人を言葉だけで止めた。
中々どうして、地味な顔立ちといっても侮れない人だ。
「さて、話を戻すよ。アークレイムもマグドリアも正面からレグルスとやりあう余力がなくなった。だから、休戦してきたわけだけど、逆を言えば、それ以外の手を打ってくる可能性がある」
「内部に潜入しての攪乱、貴族への調略、もしくは暗殺。どちらの国もやりそうですね」
「その通り。正面切っての戦は終わった。けれど、これからは第二の戦だ。正面切っての戦いならレグルスは負けない。けれど、こちらの戦場は向こうに分がある。だから集まってもらった。敵が打ってきそうな手を教えてほしい。ここでの対処を誤れば、その代償は高くつく」
そうレヴィンが言うと、その場の全員が頷き、あれこれと意見を出し始めた。
そのどれもが建設的で、ありえそうな案ばかりだった。
それらをレヴィンが聞き、時にはエルトたちに意見を求め、軍議は進んでいく。
アルシオンではあり得ない光景だ。
横を見れば、フィリスもびっくりした様子で目を瞬かせている。
「レグルスはすごいわね」
「はい。王がしっかりとリーダーシップを発揮している。強いわけです」
「そのレグルスがここまで危機感を抱いてる。アルシオンはもっと危機感を抱かなきゃということね」
「それはそうですが、どうやって危機感を生ませるつもりですか?」
他者の心は操れない。
どれだけこちらが危険を説いても、聞く耳を持ってもらわねば始まらない。
危ないと感じるのは、その人自身だからだ。
俺がいくら危ないと感じても、聞く側が感じなければ意味はない。
「さぁ? それは後でゆっくり考えるわ」
「のんびりですね……」
「今は勉強する時間だもの。こんな風に精力的に軍議が進むなら、私がでしゃばる必要はなくなるわ。何がアルシオンと違うのかしら?」
「……失礼ですが、王ではないかと」
俺が視線を逸らしてそう言うと、フィリスはくすりと笑う。
「そうよね。帰ったら退位を迫ろうかしら」
「……冗談ですよね?」
「一つの手よ。国のために手を尽くすのは王族の役目。老いた王をひきずり下ろすのが必要なら、躊躇ったりしないわ」
そう言ってフィリスは意欲的な光を目に宿らせて、レグルスの軍議に集中する。
レヴィンが刺激したせいで、フィリスに火がついてしまった。
ただ、この場合の被害者は俺ではないだろう。
間違いなく被害を受けるのは、フィリスの兄であるエリオットだ。
王としての理想像を見たフィリスは、エリオットにそれを求めるだろう。
哀れとしか言いようがない。
これで城下で遊ぶ時間はさらに少なくなったな。
そんなことを思いつつ、俺はディアナに視線を移す。
どうにも違和感を覚える。
何がと聞かれると詳しく説明できないが、何かが気になる。
何だかテレビの中にいる人を見ているような、ガラス越しに見ているような。
そんな気がする。
ただの気のせいかもしれない。
だが、気になる。
ほかの人を見ても、何にもないのに、ディアナを見るとそんな違和感に襲われる。
俺の目が変というわけじゃないだろう。
たぶん何かある。
ただその何かがわからない。
そのときディアナと視線が合った。
その瞬間、ディアナの茶色の瞳が紺碧色に変わった気がした。
「!?」
だが、それは一瞬だった。
次の瞬間には、ディアナの瞳は茶色に戻っていた。
そしてディアナへの違和感も消えていた。
だが、それが俺の胸に渦巻く違和感を強くさせた。
ディアナには何かがある。
俺はそう確信した。




