第七話 回想終了
8月10日。
国境から二日ほどの距離にある狼牙族の里に俺たちは来ていた。
なぜ来ているのかと言えば、どうせ通り道だから見ていけとエルトが強引に決めたからだ。
唯一反対できる権限を持っていたフィリスも、狼牙族の今後の処遇は気になっていたらしく、見事に乗り気になってしまった。
というわけで、王都に行くのには少々、回り道をしてエルトの領内の端にある里に来たわけだ。
だがしかし。
「俺は行かないほうが穏便に話が進むかと」
里の近くで俺はフィリスにそう告げた。
フィリスは意外そうな表情を浮かべた後、首を傾げる。
「なぜかしら?」
「彼らの戦士長を殺したのは俺ですから。ただでさえ、彼らはアルシオンに複雑な感情を抱いているはずですから、殿下と俺が同時に行くのは得策ではありません」
「確かに。それは一理あるかもな。そもそも、彼ら狼牙族は閉鎖的な一族で人間嫌いだ。私は保護した恩で特別扱いだが、お前はそうもいかないな」
エルトが横から俺の言葉に賛同する。
ここに連れてくる前にその思考にたどり着いてほしかった。
エルトも俺も狼牙族と戦ったが、俺は彼らの戦士を殺し、エルトは殺さぬように努力した。
加えて残った生き残りも保護している。
対応に差が出るのは明白だ。
フィリスだけならまだしも、あの戦で名を上げた俺が行けば、良い感情は抱かないだろう。
「じゃあ私も待ってたほうがいい?」
セラの問いかけに俺は唸る。
難しい質問だ。
クロスフォードの名を持つ以上、彼らにとっては印象の良い相手ではない。
けど、セラとセラが指揮した部隊は狼牙族と戦ったわけじゃない。
難しいところだ。
加害者の親族であるわけだし、間接的には加害者ともいえる。
あまり摩擦を起こさないように、セラにも待機してもらったほうがいいのかもしれない。
「セラは平気だ。フィリス王女の付き人とでも言えば問題ないだろ」
「いや、それはそうだけど……なんかあったらどうする?」
「何もないさ。彼らの中にも罪悪感はある。それを踏み越えて、恨みや憎しみを優先させるかもしれない相手はお前だけだ」
「うっ……お前、言いにくいことをはっきり言うなよ……」
エルトの言葉に俺は項垂れた。
戦争をしていたんだ。
当たり前だが人を殺した。
恨みや憎しみを買うのも覚悟の上だった。
けれど、覚悟していたからといって、平気なわけじゃない。
特に狼牙族との戦いは後味の悪いものだった。
仕方がなかったと思うし、許して欲しいとは思わないが、自分が恨まれている対象だと言われると心に来る。
「だからここで待ってろ。里には狼牙族の子供たちが大勢いる。可愛いぞー。耳が柔らかくてなぁ」
エルトがセラを馬に乗せて話し始めた。
セラはエルトの話に食いついている。
フィリスも興味があるのか、聞き耳を立てている。
仕方ない。ここはエルトに任せておくか。
「殿下とセラを頼む」
「ああ、任せておけ。少々、話し込むからそこらへんでも散歩してきたらどうだ?」
「気が向いたらな」
俺はそう言ってエルトたちを送り出す。
侍女たちもついて行ったため、残るのは護衛の兵士たちと俺のみ。
向こうはエルトがいるし、何かあるとも思えない。
ここ最近、フィリスの傍で気を抜く機会もなかったし、エルトの言ったとおり、散歩でもしてくるか。
「そこらへん散歩してくる。ここの警備は任せたぞ」
そう言って俺は馬に乗って出発した。
●●●
八月ともなれば暑い日差しが降り注ぐ。
馬に乗って散歩を始めて三十分と経たない内に、俺は暑さに参っていた。
「やばい……こんなに暑くなるなんて……」
朝はそんなに暑くなかったのに。
日差しが出始めてから一気に暑くなり始めた。
これはやばい。
どこかで涼まないと。
そんなことを思っていると、前方に森が見えた。
しかし、その森は少し変だった。
「霞んでる……?」
見えることは見えるけれど、どうにも形がはっきりしない。
蜃気楼か何かだろうか。
それにしては何だか見え方がおかしい気がするけれど。
試しに視界強化を使ってみると、その森の姿がおぼろげながら見え始めた。
その森は不思議な森だった。
深緑の森はこの暑さの中では非常に涼し気だし、何より周りと隔絶したような静けさが森にはあった。
それが決定打だった。
その静けさに惹かれて、俺は馬を森へと進ませる。
少し進むと、その森が蜃気楼で浮かび上がった幻ではないことがわかる。
確かにそこには森があった。
かなり手前まで近づくと森を覆っていた見えにくさもなくなり、はっきりと森の全容が見えた。
そこまで大きな森じゃない。
けれど深さを感じる森だ。
「涼しそうだなぁ」
呟きつつ、俺は馬を中に進ませる。
ただ、馬が森の中に入りたがらない。
せいぜい入口付近までで、奥にはどれだけ促しても進まない。
「はぁ……仕方ない」
俺は近くの木に馬を繋ぐと、奥へと足を進めた。
木の影に隠れるだけでも暑さはかなり和らぐが、森の奥からはひんやりとした冷気が漂ってくる。
おそらく泉か何かがあるんだろう。
この暑さだし、服を脱いで水浴びをするのもいいかもしれない。
そんなことに胸を弾ませながら、俺は無警戒に森の中へと進んでいった。
●●●
回想終了。
よもや先客がいるとは。
しかも女性。
だけど、幾らなんでもこれは予想できないだろう。
狙ってやろうと思ってもできない。
つまり不慮の事故だ。
「って、聞いてくれないよなぁ……」
矢から逃げている内に、泉からは遠ざかり、少女の姿が見えなくなった。
けれど、依然として矢の脅威は去っていない。
「このっ! ちょこまかと!」
俺は強化を使って、剣で矢を払おうとするが、矢はこちらをあざ笑うかのように軌道を変えていく。
変幻自在とはまさにこの事だ。
まるで当たる気がしない。
「くそっ!」
どうにかこの矢を撒くなり、叩き落すなりしないと、この追い掛けっこは終わらない。
森から出るという手もあるが、遮る物がなくなれば串刺しにされかねない。
森から出ても追ってこないという保証もないし。
とにかくここで何とかするしかない。
そう覚悟を決めたとき、微かに足音が聞こえた。
そちらへ視線を向けると、矢を構えた男がいた。
どう考えてもこの矢を操ってる黒幕だろう。
「矢が駄目なら本体だ!」
言いながら、急激に方向転換を行い、男のほうへ走る。
強化された身体能力により、森の中の悪路を瞬時に走破し、男に接近する。
話を聞いてくれる感じではないし、とにかく無力化をするしかない。
体への強化を切って、勢いを殺す。
その状態で剣を構えながら突っ込んだとき、俺は何かにぶつかった。
正面衝突だった。
一瞬で視界が歪み、仰向けに倒れる。
脳が揺れたのか、上手く体を動かせない。
それでも何とか視線を向けると、俺の進路上には大きな木があった。
こんな木はさっきまでなかった。
見落とすわけがないのに。
何がなんだかわからないまま、俺は必死に体を動かそうとする。
だが。
「勝負ありですね」
体が完全回復する前に、黒髪の少女が俺の前に現れた。
服を身に着け、手には短剣が握られている。
その短剣で何をする気なのかは聞く気になれない。
「こういう物は不得手なのですが……あまり苦しまないように殺してあげますから」
全く救いにならないことを言って、少女が短剣を振りかぶる。
その瞬間、体の感覚が僅かに戻ってくる。
必死に体を捻って、ぐるぐると横に転がる。
軽い音が横から響いて来た。
短剣が地面に刺さった音だ。
くそっ。
この子はマジだ。
「ちょっと、待て……!」
「待ちません」
そう言って少女は短剣を引き抜き、再度構える。
不得手とか言ってたけど、構え方といい、間合いの取り方といい、かなり慣れている。
達人というほどじゃないけれど、護身術レベルには十分すぎるほどだろう。
不慣れな短剣でこれなら、慣れている獲物を使ったら、どんな戦士になるやら。
とんでもない人間の水浴びを覗いてしまったと、俺は後悔しながらジリジリと少女から距離を取る。
体はまだ万全じゃない。
頭は痛いし、早く動ける自信もない。
戦場でもないのに命の危機だ。
しかも覗き魔として殺されようとしている。
ここで殺されたら、さぞや無念だろうな。
そんなことを思っていると、少女が動きを止める。
どうやら何か気になることがあったようだ。
「青地に……銀の十字……?」
少女は小首を傾げて、何やら思案している。
できれば、そのフレーズから答えに至ってほしいものだ。
「もしや……アルシオンの銀十字ですか?」
「まぁね……。アルシオン王国クロスフォード伯爵公子、ユウヤ・クロスフォード」
「……」
少女の顔色が一気に変わる。
最初は青くなり、やがて我に返って、深刻そうな表情を浮かべ始めた。
「そ、そんな……それじゃ口止めなんてしたら……」
「戦争じゃないか……?」
時折来る断続的な頭痛に耐えつつ、俺はそう答える。
レグルス領内で俺が死ぬのは非常に問題だろう。
なにせ親善大使だ。
しかも、この反応を見るに少女はレグルス王国の関係者。
どう考えてもアウトだ。
というか、既にこの状況がアウトだが。
「取引をしよう」
「取引……?」
「ああ。俺はここで起きたことを誰にも言わない。だからあんたもさっきのことは水に流してくれ」
命を狙われたことは事実だ。
けれど、それはまぁ俺にも非がある。
だからなかったことにする。
それで少女も退いてくれるなら安いものだ。
「あなたが約束を守る保証は?」
「家名と背中の銀十字に誓って」
これで信じてくれるか怪しいけれど、今は言葉でどうにかするしかない。
長い沈黙が流れる。
少女はその間、片時も俺から視線を外さなかった。
やがて、少女は短剣を下ろした。
「いいでしょう。ただし、あなたが約束を破れば、今度こそ殺します」
「助かる。それと悪かった。覗く気はなかったんだ」
「いいから忘れてください……!」
少女は軽く口調を強めながら、背を向ける。
その背を見送りながら、周囲を警戒するが、人の気配はない。
先ほどはいたはずの男の気配も、だ。
「いなくなれば気づくはずなんだけどなぁ……」
木がなぜか見えなくなった点といい、不可解なことも多い。
矢もどこにも落ちていない。
あのまま回収した可能性もあるけれど、それにしたって矢の風切り音くらい聞こえてもいいはずだ。
「どうにもおかしいな……」
呟きながら立ち上がる。
そしてそのまま泉のほうへと足を進める。
別に泉に興味があるわけじゃない。
興味があるのは、木だった。
矢が貫いた木があったはずだ。
それを確かめに行く。
だが。
「やっぱりないか……」
矢が貫いたはずの木に穴はない。
再生したなんていう馬鹿なことはないだろうから、普通に考えれば実際は貫いてなかった、というところだろう。
「幻術か」
幻術は魔法の一種だ。
強力な使い手ともなれば、無い物を有るように見せられるし、有る物を無いように見せられるという。
先ほどの矢も木もすべて幻術なら納得がいく。
わざわざ少女が姿を現して、俺にとどめを刺そうとしたことも。
だが。
「魔法をいつ使ったのやら……」
魔法には詠唱が伴う。
どれだけ優秀な使い手でも、魔法の名を口にする必要がある。
少女はいつそれをやったのだろう。
というか、俺はいつから幻術に掛かっていたのやら。
「考えるだけ無駄か」
優秀な魔導師ならおそらく軍に所属しているはずだ。
また会う機会もあるだろう。
どうしても気になるなら、そのときに聞けばいい。
そう思ったとき、俺は泉の傍に髪飾りが置いてあることに気づく。
ちょうど、少女の服が置かれていた場所あたりだ。
「急いでて忘れたパターンか……」
近く寄ってみると、花をあしらった可愛らしいデザインだ。
あの少女が髪に飾れば、さぞや映えるだろう。
「ふむ……どうしよう」
慌てて気づいて取りに帰ってくる可能性もある。
だが、気づかない可能性もある。
その場合、この髪飾りはここに置き去りというわけだ。
結構、精巧な細工が施してあるし、それは勿体無い。
しばし思案したあと、俺は髪飾りを拾い上げた。
「あの口ぶりからすれば、俺に会いに来ようと思えば来れるってことだろうし、預かっておくか」
殺しに来れるなら会いにも来れるだろう。
もしも戻ってきて、髪飾りがないなら真っ先に俺を疑うはず。
それなら向こうから俺に接触してくるだろう。
逆に気づかないなら俺から探せばいい。
あれほどの美人だ。
見つけるのも簡単だろう。
そう思いながら俺は森を後にした。




