第四話 合流と異変
8月8日。
俺とフィリスの一行は、レグルスとの国境近くまでたどり着いた。
通常なら七日から八日ほどの行程だったが、余裕を持って九日での到着だ。
ここにある王家所有の別荘で、レグルスから来る護衛と合流した後、レグルスの王都へと向かう。
とりあえず、ここで少しだけ休憩できるわけだ。
流石にずっと馬車に揺られているのはきつかった。
ただ、馬車に乗り慣れているフィリスはそこまでではないらしい。
馬車自体が乗り心地が良かったというのも理由の一つだろう。
それでも俺は馬のほうが楽だと感じたけれど。
「もうセラはついているかしら?」
「おそらく。王都からの早馬ならクロスフォード領には四日から五日ほどで伝わります。そしてここまでは三日から四日。何事もなければついているはずです」
「楽しみだわ。セラとお喋りするのは楽しいもの」
「セラも殿下に親しみを持っているようですし、これからもよろしくお願いします」
「言われなくても、これからも可愛がるわ。セラが嫌がったって聞かないんだから」
そう言いながらフィリスは馬車から降りる。
外にはズラリと騎士たちが並んでいる。
ヘムズ平原で壊滅した国境守備の騎士団の生き残りと、各地から補強された騎士たちで作られた暫定的な騎士団だ。
守備範囲はヘムズ平原だが、マグドリアはヘムズ平原から完全に撤退しているため、こうやってお出迎えと護衛のために足を運んでくれたわけだ。
マグドリアの脅威は遠のいたとはいえ、ここは国境。
ヘムズ平原とも目と鼻の距離だ。
何かあるとは思えないが、何かあったときのために騎士が一千ほど来ているという話だ。
「フィリス王女殿下、クロスフォード大使。長旅お疲れさまでございます。これから短い時間ではありますが、ここでの護衛は我らが引き受けますゆえ、ごゆるりとお休みください」
そう言ったのは騎士たちの代表者。
そして俺にとっては見知った相手だ。
「頼みます。レオナルド騎士団長」
「はっ!」
フィリスはそう声をかけて、別荘へと歩いていく。
馬車を護衛していた兵士や、フィリス付きの侍女たちも続く。
しかし、俺はその場に残り、久しぶりにあったレオナルドと握手を交わした。
「久しぶりだな。レオナルド」
「お久しぶりです。若君」
そう言って笑みを浮かべるレオナルドの表情は、気恥ずかしいのか、ピリッとしない。
着ているのは騎士団長だけに許された鎧で、各部の造形は職人が腕によりをかけたモノだ。
「直接は言ってなかったな。騎士団長への昇進、おめでとう」
壊滅した騎士団の再建はアルシオンにとって急務だった。
だが、一万の騎士が湧いて出てくるわけではない。
そこで暫定的にだが、五千の変則的な騎士団が作られた。
その団長にレオナルドはなったわけだ。
戦争のあと、レオナルドは騎士をやめてクロスフォード家に来ようと思っていたらしいが、王自らに指名されては逃げられない。
このまま行けば、正式に一万となる騎士団でも団長の地位が与えられるだろう。
この若さでの団長はおそらく史上最年少のはずだ。
「暫定的に率いているだけです。やっていることも、たいしたことではありませんから」
「それでも国境を任さているのは事実だ。陛下は人を見る目がある。確かに、お前に任せておけば失敗はない。俺もお前がこのマグドリアとの国境にいてくれるなら心強い」
「ありがとうございます。若君にそう言って頂けると光栄です」
そう言ってレオナルドは視線を後ろに向ける。
そこには膝をつき、控えている騎士たちがいる。
いずれも若い。
俺と同じくらいの年代だろう。
「各地から増員として派遣されてきた騎士たちの多くは、若君と同じくらいの年代の若い騎士で、騎士になってから日の浅い者ばかりです。それでも非常に熱心で真面目な者ばかりですので、こうして連れてきました」
「何でも経験だからな。危険の少ない任務でもやっておくのは悪くない」
そう俺が答えると、レオナルドは苦笑する。
あれ?
なんか間違ったこと言ったかな。
「それもありますが、若君に会わせたくて連れてきたのです」
「俺に? どうして?」
「アルシオンの銀十字。その名は先の戦で大陸中に轟きました。そして、その英雄が自分たちと年が変わらないと聞けば、誰だって憧れます」
そう言われて年若い騎士たちに視線をやると、なんだか非常にキラキラした目で俺を見ていた。
視線を逸らして、俺は頬を掻く。
「こういうのは……苦手なんだけど……」
「そうおっしゃらずに、少しだけ話をしてあげてくれませんか?」
レオナルドが頭を下げる。
ここで断ればレオナルドの面子は丸つぶれだ。
昇進したばかりの騎士団長の面子を潰すわけにもいかない。
仕方ない。
「フィリス殿下もいるから、あんまり長い時間は無理だぞ……」
「ありがとうございます! では、質問のある者!」
そうレオナルドが声を掛けたら、全員が手を挙げた。
あー、これは面倒だな。
表情を輝かせている少年騎士たちを見ながら、俺は心の中でため息を吐いた。
●●●
「遅い」
部屋に入って言われたのはそんな言葉だった。
言葉を発したのは仏頂面のセラだった。
その理由はフィリスにある。
「挨拶は済んだかしら?」
「一応は。しかし、なぜセラを膝の上に?」
フィリスはセラを膝の上に乗っけていた。
膝の上スタイルが最近のマイブームみたいだ。
「セラが乗りたいと言ったのよ」
「姫様が無理やり乗っけた……」
「嘘はいけませんよ。殿下」
セラが自分から人の膝の上に乗るわけがない。
だいたい、シートベルトみたいにがっつり手でホールドしておいて、自分から乗ってきたというのは苦しい。
「信じてくれないのね……」
「状況証拠的に嘘ですからね」
体をジタバタさせて、拘束を解こうとしているセラを見て、自発的に膝の上にいると思う奴はいないだろう。
「つまらないわ。もう少し良い反応を返して欲しかったのに……」
そんなことを言いながらフィリスはセラを解放する。
拘束が解けた瞬間、セラが勢いよく俺の後ろに回り込んだ。
「姫様は私を人形かなにかと勘違いしてる」
「あら? そんなことないわよ? 人形みたいに可愛い女の子だと思ってるわ」
「似たようなもの!」
確かに、結果的に人形扱いされるなら、どう思われていようと一緒だな。
俺にしがみ付いて離れないセラの頭を撫でながら、苦笑を浮かべる。
こんなやりとりは家ではない。
セラをこんな風に構う者がいないからだ。
セラは大人びているせいか、周りも大人のように扱う。
仕事を率先して片付けていくし、今では誰も子供扱いしない。
俺にとっては妹のままだが、それでも露骨な子供扱いはちょっとできない。
けれど、フィリスはそれをやる。
ありがたいことだ。
子供が子供で居られる時間は驚くほど短い。
特にセラのように能力のある子供は。
「どうかしたのかしら?」
「いえ、大したことはありません」
フィリスが聞いてくるが、首を横に振る。
わざわざ伝えることじゃない。
セラもいるし、フィリスも意識してやっているかわからないからだ。
そんなことを思っていると、部屋のドアがノックされた。
「大使。よろしいでしょうか?」
レオナルドの声だ。
レグルスの迎えが来るには早すぎる気がする。
「失礼します」
フィリスに一言断り、俺はドアを開けて部屋から出る。
そこには少々、険しい顔のレオナルドがいた。
「どうした?」
「はっ! 哨戒に出ていた小隊が帰還したのですが、報告によれば百人規模のならず者たちが、近くの村に向かうような動きを見せていると」
「ならず者? 山賊か盗賊か?」
俺の言葉にレオナルドは頷く。
百人規模の山賊、盗賊というのは結構、大規模だ。
そもそも一か所にそんなにならず者が集まることが稀なのだ。
「村の様子は?」
「自警団が動き出しているようです。ただ、詳しいことはわかりません。その……村はレグルス領内ですので」
「レグルス領内!? ならレグルス軍に任せておけ。俺たちが動くのは筋違いだ」
「それが……レグルスは最近、マグドリアの動きが怪しいため、国境に兵力を集中しており、アルシオンとの国境は手薄なのです」
「……」
厄介なタイミングで厄介なことが起きるものだ。
敵の罠かと疑いたくなる。
ここで見捨てるのは簡単だ。アルシオンも、そしてレグルスも俺を責めはしないだろう。
ただ、俺の目的はレグルスとの親善。
その役目を受けながら、レグルス領内の村を見捨てるのは拙い。
責められることはないが、印象は悪くなる。
助けられる場所にいて、助けなかったのだから。
「レグルス軍が間に合う可能性はあるのか?」
「ほぼないかと。元々、自警団だけで事足りるような地帯ですから」
アルシオンが平和ボケしていたおかげで、ここら一帯にも備えは必要なかったわけか。
小さな村が点在しているだけだろうし、仕方ないか。
「敵の正体はわかっているか?」
聞きながら、俺にも心当たりがあった。
アルシオンは敵国に攻め込むことはしなかったが、自国の守備は厳重にしていたし、山賊や盗賊の討伐も積極的だった。
レグルスも大規模な賊の存在を見逃したりはしないだろう。
つまり、今回の敵は最近、現れた者たちだ。
そして大抵、山賊や盗賊というのは。
「装備や練度から見て、マグドリアの敗残兵かと」
「やっぱりか……」
撤退中にはぐれたのか、それともエルトに蹴散らされた者たちの仲間か。
どちらにしろ、先の戦争の生き残りが、自国に帰れずに賊と化したのだろう。
そう思えば、俺にも責任の一端はある。
「復興途中とはいえ、アルシオンはいまだにマグドリアを警戒中で、村や町を襲うのは手間。だから、レグルスを狙うわけか。安易なことだな」
ここで村への襲撃を成功させても、すぐに討伐隊が送られるだけだというのに。
しかし、知った以上、その襲撃も見過ごせない。
「レオナルド。百人ほど貸してくれ」
「はっ! ……はい?」
レオナルドは返事をしたあとに、あっけにとられたような顔で聞き返してくる。
その反応は予想通りだったけど、なかなかに爽快だ。
エルトが唐突なことをよく言うのは、こういう相手の反応が楽しいからなんだろうな。
「百人ほど貸してくれ。俺が出る」
「じょ、冗談はやめてください! あなたは今、大使なんですよ!?」
「冗談なんて言わないさ。どうせ助けるんだ。大使が自ら助けたほうが印象は良くなるだろ?」
「それはそうかもしれませんが……しかし!」
「お前はここで殿下を守れ。何かあったら、すぐに撤退しろ」
指示を与えるが、レオナルドは首を横に振る。
どうやら、俺自身が出ることに納得できないらしい。
「危険すぎます! 私が行きますから、若君は待機していてください」
「本音としてはそうしたいところだけど、騎士団長のお前が騎士を率いて他国に入るのは拙いだろ? たとえ、村を救出するためでもな。けど、親善大使が行くなら向こうだって考慮する」
「屁理屈です! そもそも若君には騎士たちの指揮権はないんですよ!?」
「だから貸してくれって言ってるだろ?」
レオナルドが頭を抱える。
けど、頭を抱えたいのは俺も一緒だ。
できればこんな面倒事は避けたい。
けど、村の襲撃を眺めているだけだったとレグルスに知れれば、個人的に文句を言う奴が一人いる。
エルトだ。
そして迎えに来るのもエルトのはずだ。
間違いなく知られる。
知られれば今まで築いた信頼が崩れかねない。
良くも悪くも感情的なエルトには、論理的な説明はあまり役に立たない。
救えたのに見捨てた。この事実を問題にされる。
「敵がマグドリアなら俺のほうが役に立つ。お前はここにいろ。大使としての要請だ。それとも殿下に話を通して、命令したほうがいいか?」
大使に騎士への命令権はない。
けれど、王族であるフィリスにはある。
騎士たちは王に忠誠を誓い、その子供たちにも従う義務があるからだ。
「若君……無茶をしないでください。あなたが行くなら村には行きません」
「そういうわけにはいかない。報告したのはそっちだろ?」
「まさかご自分で行くだなんて言うとは思いもよりませんでしたから」
「見通しが甘かったな。それで、どうする? 今、こうしている間にもマグドリアの敗残兵どもが村を襲おうと進んでいる。俺の言葉に納得できないなら俺は殿下を通して、お前を説得するぞ?」
数秒、レオナルドと視線が交差する。
そしてレオナルドは諦めたように視線を逸らした。
「……わかりました。お気を付けください」
「騎士と馬の用意をしてくれ。俺は殿下に話をつける」
そう言って俺はレオナルドの返事を待たずに、踵を返して部屋へと戻る。
部屋では仏頂面のセラと嬉しそうなフィリスがいた。
「あー……もしかして聞こえてました?」
「ええ。バッチリと」
「……またお留守番?」
フィリスは何が嬉しいのかわからないが、間違いなく機嫌がいい。
逆にセラは不貞腐れているのか、頬を膨らませている。
「話を聞いていたならわかるだろ? それに二人揃って殿下の傍を離れるわけにもいかない」
「……勝手」
「兄の特権だよ。殿下、出陣しても構いませんか?」
セラの頭を撫でながらフィリスに訊ねる。
この様子なら反対はありえないだろうな。
「もちろん。むしろ、行かないと行っても無理やり行かせていたわ」
「ノリノリですね……」
「そうかしら? 王族として当然の意見だと思うけれど? 王族、貴族は民を守るためにいるの。国が違ってもそれは一緒よ。ましてや同盟国の村が襲われようとしているなら、助けるのは当然よ」
流石は最も王としての資質を持った王女と言われるだけはある。
普段は落ち着きのある上品な女性なのに、こういうときには勇ましいというか、男勝りというか。
ただ、今はその勇ましさに救われる人たちがいる。
「では、行ってまいります。すぐに片付けて来ますので、ご安心を」
片膝を付き、頭を垂れる。
一応、これで王女の命令という形はできた。
これで心置きなく戦える。
「任せたわ。アルシオンの銀十字」
フィリスの言葉に頷き、俺は立ち上がって青いマントを翻しながら外へと向かった。




