第三話 大使派遣
エリアール暦448年7月28日。
王都にて俺は親善大使への任命を受け、レグルス訪問を命じられた。
自分で言い出したことだ。
文句はない。
ただ。
「妹を頼んだぞ」
エリオットのニヤニヤ顔と同行者には納得いかない。
今回、クロスフォード家からは少数の護衛しか連れて行かない。
セラもリカルドも仕事が山積みなためついて来ない。
当然、アリシアやフェルトもついてこない。
当たり前だ。親善のためとはいえ、大使は大使。
国の重要人物しか今回のレグルス訪問にはついてこない。
そう、国の重要人物だ。
「殿下。どのような意図でフィリス殿下を……?」
「やっぱり男ばかりで訪問するより、女がいたほうがいいだろう? 逆の立場ならオレも美人がいたほうが嬉しいからな」
「それでご自身の妹をレグルスに向かわせるんですか?」
今回の同行者にフィリスの名前が突然、挙がった。
どのような意図があるにせよ、戦争が終わったばかりなのに王族が他国に向かうのは危険すぎる。
レグルスは強国だし、アルシオンにも友好的に接するだろう。
けど、軍の強さが問われない戦いもある。
少数で潜入してこちらを襲うという手だってあるのだ。
危険すぎる。
「お考え直しください」
「本人が行きたいと言ったんだ。将来、レグルスと婚姻する可能性もあるのだから、自分も顔見せに行ったほうがいいと、わざわざ父を説得してな」
「それならばもう少し情勢が落ち着いてからでもいいではないですか! 敵がもしもレグルスの者を装って、フィリス殿下を襲った場合、両国の同盟に傷が入ります!」
「そうならないために護衛にも手練を用意したし、お前もいる。しかもレグルスの護衛もつく。刺客程度が数人で襲うのは非現実的だ」
それはそうだ。
そうだけど。
「なにかあったら、責任が取れません!」
「そうだな。体に傷がついたら、嫁の貰い手がいなくなるかもしれない。そしたら、責任を取って貰ってやってくれ」
「殿下!」
真面目に俺の話は聞いてもらえない。
俺を馬鹿にしているわけじゃない。
それは態度でわかる。
けれど、決定的なまでに危機感に差がある。
「行かせてやってくれ。あいつが他国に行こうとするなんて初めてなんだ。オレからの頼みだ。お前が困ったときは協力するから、今回は引き受けてくれ」
そう言ってエリオットが頭を下げる。
それを見て、俺は深いため息を吐いた。
承諾はしたくない。
したくはないが、これは国王が許可したことだ。
覆せる可能性があるのはエリオットくらいだったが、そのエリオットもフィリスがレグルスに行くことに賛成している。
もう俺じゃ覆せない。
なら、仕方ない。
せめて対策だけするか。
「わかりました……。ただし条件があります」
「本当か! なんでも言ってくれ!」
「クロスフォード伯爵領に文官を何名か派遣していただけませんか?」
「うん? 文官? なんでだ?」
おそらく武勇に長けた者を護衛に加えろとか、そんな条件を予想していたのだろう。
俺の申し出にエリオットは首を傾げた。
けど、必要なのは武勇に長けた者じゃない。
不測の事態に対処できる切れ者だ。
「フィリス殿下の話し相手兼護衛として、セラを連れていきます。ですので、領内には父上しか残りません。過労で倒れられては困りますので、文官を派遣してください」
「……少し前にお前はオレに他国に行くのは危険だと言わなかったか?」
確かに。
間違いなく言った。
そして今もその考えは変わっていない。
「背に腹は代えられません。いつ、どこで、誰が襲撃してくるかわからない以上、セラの探知魔法は非常に有効です。できればセラに危険な役目は任せたくありませんが、王女殿下の安全のほうが大切です。それに」
「それに?」
「俺が不在のときに護衛の指揮を取れる者が必要です。その点でいえば、セラはアルシオンの中で最も信頼できますから」
そう言って俺は、失礼します、と告げて部屋から退室した。
●●●
7月31日。
俺とフィリスを含めた一行が王都アレストを出発した。
セラとは国境付近で合流する手はずになっている。
「わがままを聞いてくれてありがとう。ユウヤ」
「いえ、王家の方のご要望はできる限り叶えるのが、臣下の務めですから」
丈夫な上に乗り心地も抜群な馬車の中でそう俺はフィリスに答えた。
極めて事務的な俺の答えにフィリスは何度か目を瞬かせたあと、こちらを覗き込むような形で問いかけてくる。
「もしかして……怒っているのかしら?」
「いいえ。怒ってはいません」
「嘘よ。声が刺々しいわ」
「本当ですよ。怒ってはいません」
俺はフィリスの目を真っすぐ見ながら答える。
事実、怒ってはいない。
俺は単純に呆れているだけだ。
この情勢下で他国に行こうとするフィリスに。
「なら、その態度は止めて。せっかく城を抜け出せたのに、ちっとも楽しくないわ」
「はぁ……殿下。一つ申し上げておきますが、レグルスに遊びに行くわけではないのですよ?」
「わかっているわよ。レグルスについたらちゃんと王女としての仕事はするわ。でも、馬車の中でも王女らしくしていないといけないのかしら?」
フィリスはこちらを試すように笑う。
フィリスが王女らしくしていたら、俺は非常に気まずい思いをするだろう。
フィリスはそれでもいいのかと暗に問いかけているのだ。
「……レグルスではちゃんとしてください」
「ええ、約束するわ。こう見えて、人の目は気にするほうなの。変な評判が立たないように、完璧な王女を演じて見せるわ」
「そうだと良いんですが……。しかし、またどうしてレグルスに行こうと思われたんですか?」
フィリスがウキウキ気分でバスケットを取り出したのを見て、俺はそんな質問を投げかけた。
完全にピクニック気分だから、気が滅入ったとか、外を見たいとかそんな理由だろうと俺は思っていた。
そんな俺にフィリスは笑顔を向ける。
「どうしてだと思う?」
「質問に質問を返すのは感心しませんよ」
「あなたの考えを聞きたいの」
そういわれると答えないわけにもいかない。
俺は考えていたとおりに答える。
「城にばかりいて気が滅入ったか、外を見たくなったのどちらかでは?」
「不正解。でも、まぁ、それもあるわ。あなたも一度、王族になってみるといいわ。一日中誰かにまとわりつかれて、正直、嫌になるわよ?」
「遠慮しておきます。それとエリオット殿下はちょくちょく一人になられているような気がしますが?」
エリオットは城を抜け出し、王都の町に繰り出す常習犯だ。
それは別に今に始まったことではなく、幼い頃からであり、酒場で女を侍らして酒を飲んだり、町にある賭博場で金を撒き散らしたり、やりたい放題だったそうだ。
もっとも、本人は民の暮らしぶりを知るためと言い張っているが。
「エリオット兄様は特別なの。城を抜け出しても、騒ぎにならないもの」
「慣れとは怖いものですね……」
多分、抜け出す頻度が多すぎて、騒ぐのが馬鹿らしくなったんだろう。
一国の王子が城を抜け出しても、誰も騒がないというのは問題な気がするけれど。
「まぁ、さすがに最近はしないわね。仕事が忙しいから」
「そこらへんは真面目なんですね」
「昔から責任感は強かったわ。ただ、自分から何かしようとする人じゃないから、仕事を任せなかったり、誰も期待しなかったりするとすぐに駄目になるの」
典型的なやればできるのにやらない人なんだな。
能力はあっても、意欲というモノが欠けているんだろう。
「なんだかエリオット兄様の話になってるわね。私はあなたの考えを聞いたのに」
クスクスと笑いながらフィリスが視線で俺に答えを促す。
先ほどの答えが不正解となると、とてもじゃないが思いつかない。
おそらく個人的なことなんだろう。
アリシアやフェルトのように幼い頃から仲がいいならまだしも、あまり親しいとは言えない俺には予想は不可能だ。
「降参です。わかりません。教えてください」
両手を挙げて降参ポーズを取ると、フィリスは笑みを深める。
しかし。
「なら教えてあげないわ。せいぜい頭を使って、考えなさいな」
「いやいや……せめてヒントをください……」
困惑している俺の様子が面白いのか、フィリスは機嫌よさそうに笑っている。
笑われるのは構わないけれど、教えてもらえないのは困る。
ここまで来たんだ。教えてもらわないと気になってしまう。
「そうね……今回だから行くことを提案したとだけ言っておくわ」
「……それがヒントですか?」
「はぁ……これでわからないなら、あなたには一生掛かってもわからないかもしれないわね」
さっぱりわからなかったため、アホ面を晒していたら、そう言われてしまった。
しかも呆れた様子で、ジト目付きだ。
ちょっと怒っているような雰囲気もある。
「えっと……これ本当に教えてもらえないパターンですか? 気になるんですけど……」
「駄目よ。自分で考えなさい。他人に相談するのは駄目よ? もちろん、私の言葉を誰かに伝えるのも駄目」
「えっ……」
頭脳労働担当のセラに聞こうと思っていたのに。
目論見をあっさり崩された俺は、情けない表情でフィリスを見つめる。
しかし、フィリスは笑みを浮かべたまま言葉を発しない。
これは本当に教える気はなさそうだ。
「しっかりと考えます……」
「よろしい。さぁ、別の話をしましょう。アリシアからあなたの話はいろいろと聞いているけれど、あなたと二人で話す機会というのは滅多にないから楽しみだわ」
そう言ってフィリスは視線で話をするように促してくる。
これはセラと合流するまでかなり精神的に来るだろうな。
そんなことを思いつつ、俺はフィリスにウケそうな話をピックアップし始めていた。




