プロローグ
「……」
生きていれば、拙ったなぁ、と思う瞬間が必ずある。
宿題を忘れたときや、不用意な発言で場の空気を乱したときなどに感じてしまう、その感覚を俺は静かな森の中で感じた。
目の前には泉。
場所はレグルス。
レグルスは比較的温暖なため、八月ともなればかなり暑い。
だからだろうか。
なんとなく涼しげな森に立ち寄って、冷気に誘われるがままに歩いていたら泉にたどり着いた。
問題なのはその泉で、水浴びをしていた女性がいたことだ。
腰まで届く艶やかな黒髪に、飲み込まれるのではないかと思うほど深い紺碧の瞳。
華奢な体型で、腕や足はもちろん、腰もびっくりするくらい白く、細い。
しかし、女性らしい丸みを帯びた曲線は十分すぎるほどにある。
とても綺麗な少女だ。稀有と言ってもいいだろう。もしくは絶世というべきか。
年は俺より一つか二つ上だろうか。大人びて見える。
泉で水浴びをしていたせいか、その美貌と相まって、とても神秘的な雰囲気を纏っている。
妖精のような容姿といえばいいだろうか。儚さと危うさを感じさせる。触れれば消えてしまいそうな感じがする。
男性が女性に求める理想像と言っても過言ではないだろう。
エルトがその勇猛さや立ち振る舞いから戦女神を連想させるなら、少女はその神秘的な雰囲気から月の女神のような落ち着いた存在を思わせる。
そこまで考えてから、俺はハッと我に返る。
髪と水で決定的な部分は隠されているが、それが何の救いになるだろう。
俺は覗き確定の犯罪者で、向こうは覗かれた被害者だ。
別に故意でやったわけじゃないし、水浴び中という立て札があったわけじゃない。
けど、こういう場合は男が悪い。
それは世界が変わっても変わらない真理だ。
ただし。
「えっと……その……ごめんなさい!」
「仕方ありませんね……申しわけありませんが、命を貰います」
この世界の女性は前世より好戦的だ。
頭を下げたのに、無情にも死刑宣告が返ってきた。
少女を見れば、体を隠しながら衣服のあるところまで移動している。
そして服で体を隠すと、その紺碧の瞳を俺に向けた。
少女に見惚れて、緊張感とは無縁だった俺は、そこでようやく頭を戦闘モードに切り替える。
風切り音が聞こえてくる。少女とは別の方向からだ。
とっさに横に避ける。
矢が俺のいた場所を通り過ぎていった。
少女の仲間が森に潜んでいるらしい。
「ま、待ってくれ! わざとじゃ!」
「どういう理由があれ、私を見た以上は死んでもらいます」
「ちょっと!?」
聞く耳を持たない少女に抗議しようとするが、それは敵わない。
なぜなら。
「なっ!?」
背後から風切り音をあげて、避けたはずの矢が戻ってきたからだ。
体をひねって間一髪避けると、矢が地面に刺さる。
危なかった。今のは本当に危なかった。
「中々の身のこなし。この森に侵入しただけのことはありますね」
「いや、侵入って……普通に入ったけど!?」
「普通では入れませんよ」
少女は俺の言葉を取り合わない。
そして少女の後ろから三本の矢が同時に飛び出てくる。
複数人が同時に撃ったわりには距離が近い。
同時に三本も矢を放つなんて、ありえない。
俺も弓を使ったことはあるが、あれはそんなに命中率のいい武器じゃない。
戦場でもまとめて放つから当たるんであって。
そこまで考えて、思考を放棄して俺は逃げの一手を打った。
なぜだかとんでもなく嫌な予感が走ったからだ。
この予感は知っている。
死の予感だ。
「勘が良いですね」
背中を向けているため、背後から言葉が来る。
同時に複数の風切り音。
転がるようにして、大きな木の後ろに隠れる。
俺の僅かに上を矢が貫通していく。
三本ともだ。
どう見ても普通の矢の威力じゃない。
巨木を貫くとか槍でも難しいぞ。
しかも。
「やっぱりホーミングかよっ!?」
三本の矢は大きく迂回して、俺のほうに迫ってくる。
どういう原理か知らないが、あの少女は矢を操れるらしい。
最悪だ。
マジでやばい。
下手したら、ここで殺される。
「ああもう! どうしてこうなった!?」
足を動かし、矢から逃げながら俺は大きくそう叫んだ。




