エピローグ 影の使徒
薄暗い小屋のような場所にレクトルはいた。
体には無数の傷があり、壁に大の字で磔にされている。
「うぅ……僕は……使徒なん……だぞ……」
虚ろな表情でレクトルは呟く。
小屋の奥。
そこにある粗末な椅子に座る三十代ほどの黒髪の男が笑った。
「呆れた奴だな。まだそんなことを言う元気があったのか?」
黒髪の男は立ち上がる。
マグドリアのもう一人の使徒であるテオドール・エーゼンバッハだ。
「使徒、使徒、使徒。口を開けばそればかり。それしか言葉を知らないのか?」
「……テオ、ドール……僕にこんなことをして……」
「ただで済むと思ってるのか、か? それはてめぇにそっくりそのまま返してやるよ。何万も動員した侵攻を失敗したあげく、ラインハルトを失いやがって! あいつはてめぇの何倍も役に立つ駒だったってぇのに!」
「……僕を守るために死んだんだ……本望だろうさ……」
レクトルが笑う。
それに対して、黒髪の男、テオドールはさらに深く、凄惨な笑みを浮かべた。
「わかってねぇな……。人ってのは増えるまでに時間が掛かるんだよ! てめぇの粗末なモンで増やしてみるか? その後、育つのにも十数年の時間が必要なんだぞ!? 出陣前に言ったよな? 駒を大事にしろって。てめぇはそれがなってねぇから負けるんだよ!」
テオドールは手から黒い影を生み出し、それがレクトルの右腕に伸びていく。
手首より先がなくなったレクトルの右腕。
包帯が巻かれたそこに、影が突き刺さる
「うわぁぁぁぁぁぁ……!!!!!!」
「自分が誰よりも偉いなんてアホな考えは捨てろ。使徒なんてのは気まぐれに生まれた存在なんだ。傷つくし死ぬ。ちょっと特殊な力と戦いが得意な人間なんだよ」
「うう……」
レクトルはうめき声を上げて、ぐったり体を弛緩させた。
いまだに影はレクトルの傷口を攻めているが、体を跳ねつかせるだけで声は出ない。もう悲鳴を上げる体力も残っていないのだ。
「てめぇは躾がなってねぇ。しっかりと躾てやるから覚悟しとけ! ったく! これだからクソガキは!」
テオドールは黒髪をかき上げて、乱暴に椅子に座りなおす。
「ガキに権力を持たすと、碌なことにならねぇって典型例だな。口ほどにもないとは、こいつのためだけにあるみたいな言葉だぜ」
悪態をつきながら、テオドールは周囲に異常がないか探る。
たとえ使徒であるテオドールとはいえ、同格の使徒であるレクトルを拷問すれば問題になる。
それゆえに、人里離れたところにある小屋にレクトルを監禁していた。
戦場から生きて戻ったにもかかわらず、レクトルが姿を見せない理由は、表向きは傷の治療であり、マグドリアの関係者は誰もテオドールを疑っていなかった。
「テオドール様」
小屋の中に音もなく、小柄な人影が現れる。
黒装束に身を包んでおり、顔も完全に覆われているため、性別すらわからない。
「べリルか。レグルスはどうだ?」
「国境にて戦力を集結中です。この機に攻め込む気でしょう」
「はっ! もう遅ぇよ。俺が撤退したときに罠を疑わずに攻め込むべきだったな。まぁ、そうさせねぇように仕向けたわけだけどな」
「それともう一つ」
そう言ってべリルは小屋の隅に視線をやる。
そこには大きな袋が用意されていた。
テオドールはそれを見てニヤリと笑う。
「よくやった」
「ありがとうございます」
「バレてはいないな?」
「山賊の仕業に見せかけました。まさか同じマグドリアの者が死体を強奪するとは思わないでしょう」
べリルはそう言って、袋を引きずり、テオドールの前に持ってくる。
そして袋の口を開けて、中を露出させた。
そこには金髪の青年。
ラインハルトの遺体が入っていた。
テオドールが撤退時に持ってきた死体だ。
形式上は家族の下に送られたが、その移動中に襲撃して奪ったのだ。
「はっ。黒騎士団の団長が子供の御守で死ぬってのは可哀想だからな。その死体は俺が有効活用してやるよ」
そう言ってテオドールは自身の影を操り、ラインハルトの死体へと注入していく。
やがて、ラインハルトの指がピクリと動く。
そして目も開き、ゆっくりと起き上がった。
「気分はどうだ? ラインハルト」
「問題はありません。テオドール様」
完璧な受け答えにテオドールは満足そうに笑みを浮かべる。
「いつ見てもお見事ですね」
「動かせる死体には限りがあるから、優秀な駒にしか使えないがな。馬鹿なガキのせいでマグドリアは一気に人材難だ。貴重な駒は再利用していかねぇとな」
そう言ってテオドールはレクトルの方を見る。
意識を失い、頭もだらりとしている。
「さて、こいつをまず駒に仕立てねえと安心して国境にも行けやしねぇ。このまま王の前に出したら、アルシオンに再侵攻とか言い出しかねないからな」
「殺してから死体を操るわけにはいかないので?」
「神威は使徒にしか扱えねぇ。なんとなくわかる。殺せば神威が消える。だから、こいつは従順で、もう少しマシな判断ができる駒に調整する。使い勝手の悪い神威だが、使い方次第じゃ強力だからな」
「では、それは私にお任せを。三日もあれば十分です」
べリルの言葉にテオドールは頷く。
レグルスが動く以上、国境を留守にするわけにはいかないからだ。
残存兵力を回収するために、テオドールは国境の城をいくつか捨てている。
これ以上、捨てれば防衛が難しくなるのだ。
「まったく……ガキが俺の指示を無視したせいで、計画が台無しだぜ」
「ヘムズ平原で待機という命令ですか?」
「ああ。ヘムズ平原さえ確保できれば、レグルスは二つの方面で軍を展開することになる。アルシオンはアークレイムに任せて、俺たちはレグルスに専念してれば、今頃国境を突破しているのは俺たちのほうだった。なのに、このガキは王から全権を託されてるのは僕だ、とか抜かしやがって!」
怒りを思い出したのか、テオドールは影の鞭を生み出して、何度かレクトルを殴りつける。
その光景を見ても、ラインハルトは眉一つ動かさない。
当然だ。
神威の力で動いていても、ラインハルトは死んでいるのだ。
「ああもう! 当分は防衛と戦力の回復か……やってらんねぇぜ」
「御辛抱を。私の部下が北方で素質のある子どもを攫っています。アークレイムから受け継いだ例の実験が成功すれば、即戦力となります」
「魔導師が持つ素養を禁術で限界まで強化させる研究。一つの魔法に特化させることで、人工的な神威を作る実験。人造使徒計画か……。あんまり不確かなものには頼りたくない。ほどほどにして、北方の小国を探れ」
「御意。攻め込みますか?」
「併合するのが一番てっとり早いからな」
問題は、とテオドールは呟き、南の方向に視線を向ける。
その先には長年戦ってきた敵国がいる。
「レグルスがそれまで大人しくしているかどうかだな」
「アルシオンにも警戒が必要では?」
「ふん、仮にもこいつも使徒だ。それなりに損害を与えてる。すぐに戦争ができるようなダメージじゃねぇさ。気を付けるのは……アルシオンの銀十字だけだ」
「アルシオンの銀十字? 大将軍のウェリウスではないので?」
予想外の名前にべリルが驚く。
テオドールは残酷な笑みを浮かべて、鼻で笑う。
「あのジジイは長くない。それよりも……新しい使徒のほうが問題だ」
「新しい使徒!? アルシオンの銀十字が!? 確かですか!?」
「確証はねぇ。だが、使徒を倒すのに必要なのは使徒だ。覚醒しきってなくて、気付いてねぇのか、隠しているのか。どちらにしろ、使徒であることは間違いねぇよ。戦いの詳細を聞けば、どう考えても普通じゃないのは誰にだってわかる」
テオドールはそう言うと、目を瞑って椅子の背もたれに体重を預ける。
レグルスとアルシオンはこの機に親交を結び、同盟国となるだろう。
一方、マグドリアは数万の兵と将を失い、ヘムズ平原も失った。
レグルス国境の戦況も悪化し、悪い事尽くめと言える。
「参っちまうぜ、本当に。これはマグドリアだけじゃ持たねぇな」
「如何いたしますか?」
「アークレイムを動かす。それとラディウスもだ。幸い、アルシオンもレグルスも火種を抱え込んでくれたしな」
「獣人でございますね?」
「仲間を大切にする哀れな魔族共を嫌う奴は多い。アルシオンにも、レグルスにも、な。そいつらを利用できれば、奴らの戦力を削れる上に、アルシオンは第二のアークレイムとして、ラディウスの攻勢に晒される。だが……」
テオドールはそこで言葉を切り、レクトルを見つめる。
その目は厄介者を見る目だった。
「こいつの馬鹿さが露呈すれば、矛先は俺たちに向く。獣人をラディウスに行かせるな。必ず皆殺しにしろ」
「お任せを」
べリルの返事を聞き、テオドールは立ち上がる。
まずは国境の守備をしなくてはいけないからだ。
「さぁ~て……第二ラウンドと行くか」
テオドールはそう言って残酷な笑みを浮かべると、ラインハルトと共に影の中へと消えて行った。




