第三十六話 再度、目覚めて
二話連続投稿ですのでお間違えの無いように
薄っすらと目を開ける。
異常に体が怠く、眠気も強い。
見えるのは知らない天井と、
「エルト……?」
「おはよう。お寝坊さん」
笑みを浮かべてエルトがそんなことを言う。
なぜ自分が寝てたのか思い出せず、ゆっくり記憶を掘り返していく。
確か、俺は……。
「……そうだ! マグドリアは!?」
「馬鹿。動くな。体に悪いぞ」
ベッドから跳ね起きると、エルトに無理やり横にさせられる。
仕方なく、顔だけエルトに向けると、不機嫌そうな表情をエルトは作った。
「テオドールの指揮の下、整然と撤退していった」
「そうか……すまない。俺がもっと早くレクトルを討っていれば……」
ラインハルトと俺の戦いは一進一退だった。
勝敗が分かれたのは後半だ。
だが、そのときにはレクトルはかなり遠くにいた。
相当早い段階で逃走したんだろう。
おそらくラインハルトと俺が交戦し始めた時には逃げていたんだ。
予想するべきだった。
兵士を平然と切り捨てる奴なのは、奴の言動を見ていればわかったはずなのに。
「まぁ、気にするな。使徒というのは、どういうわけかしぶといからな。天に愛されているという意見もあるし、そういう奴だから使徒になれたという意見もある。今回は私のミスでもあるしな」
「エルトのミス? 冗談はよしてくれ……」
「いや、もう一人のマグドリアにいた使徒、テオドール・エーゼンバッハの介入は予想していなかった。奴がまさかあのタイミングで現れるとはな……」
苦虫を噛み潰したような表情をエルトは浮かべる。
完全にしてやられたと思っているんだろう。
だが、二人しかいない使徒が同じ戦場に現れることを予測できるものなどそうはいない。
仕方がなかった。相手が上手だったわけだ。
「しかし、テオドールはレグルス方面に展開してたんだろ? 向こうをほったらかしにしてきたってことか?」
「ヘムズ平原に展開していた一万の軍を私が叩いたのを聞いて、あっさり防衛中だった城を放棄して撤退したらしい。それを罠だと思って、レグルス軍はすぐに攻撃はできなかったようだな」
「なるほど。けど、それにしたって到着が早すぎないか?」
「奴の神威は影法師。見た通り、影を操り、影から影にも移動できる。それを利用したんだろう」
「影から影に移動って……何でもありだよな」
神威はチートな能力だ。
実際、何でもありだが、それにしたって影から影に移動だなんて馬鹿げてる。
エルトにしろ、そのテオドールという使徒にしろ、戦いを繰り返してきた使徒の神威は、戦歴の浅い俺やレクトルよりも何段も上にいる。
こんなのが三人もいるレグルスという国が、どれだけ強国なのか、今更ながら理解できる。
「戦上手で武勇もある。それに今回のように城を捨てる行為も平然とやる。良くも悪くも名誉にこだわらないし、誇りもない。厄介な相手だ。派手な戦果はないが、それはレグルスと戦い続けてきたからであって、テオドール自身の力は使徒の中でもトップクラスだろうな」
「確かに手段は選ばないな」
セラを人質にしたのを思い出して、内側から怒りがこみあげてくる。
誇りや名誉を重んじる騎士や将軍とはまた違ったタイプなのは間違いない。
「奴がいるせいで、レグルスはマグドリアを落とし損ねている。奴だけで使徒二人分くらいの働きはして見せるからな」
レグルスは野心的な国ではないが、厄介な敵国は早々に片づけたいと思っていたはずだ。
けれど、マグドリアとの戦いは一進一退でいつも決着がつかない。
その理由がテオドールか。
「まぁ、私もお前もしてやられたわけだ。お互い気にしないことにしよう」
「気にするなと言われてもなぁ……俺は全然手柄を立てられていないし」
「ラインハルトを討ち取ったじゃないか。お前はよくやった。完全勝利とは言えないが勝ったんだし、ほら、喜べ!」
そう言ってエルトは笑みを浮かべる。
確かに、落ち込んでても仕方がないか。
亡国の危機は去ったんだ。
それだけでも良しとするか。
「わかった、わかった。それで、俺はどれくらい寝てた?」
「二週間くらいだ」
「……二週間?」
「ああ、二週間だ。ちなみにここはアルシオンの王都にある城だ」
二週間寝ているって、もう気絶じゃなくて昏睡だよな。
それだけ強化を二倍にした反動が大きかったというわけか。
下手したら、死んでたんじゃないか、俺。
「それと獣人たちは私が保護する形で収まった。ラディウスに行けるかどうかは、今後の彼ら次第だな。アルシオンとしては被害を受けたわけだし、素直にラディウスまでの船を出したりはしないだろうからな」
「そうか……負担じゃないか?」
「いいさ。正式に決まったわけじゃないが、レグルスと私個人に対して、アルシオンの国王は多額の恩賞を約束した。獣人たちを養うくらい何てことはない。それにアルシオンの国王は私の頼みは笑顔できいてくれるしな」
それはそうだろうな。
エルトは正式な外交使節というわけではないけれど、窮地に駆けつけてくれた使徒であり、公爵だ。
エルトの頼みはレグルスの頼みに等しい。断れるわけがない。
「そうか。しっかり恩賞を貰えたなら安心だ。国王がなにもしないなら、本当にお前の臣下にならなくちゃと思ってたところだし」
軍を動かすのだってタダじゃない。
兵糧や馬の餌、矢や剣、槍の武器。
加えて騎士たちへの報酬。
これらに加えて、死んだ騎士の家族への保証など、エルトが金を使う場面はいくらでもある。
「待て待て。恩賞は国を救われた国王からの対価であって、お前個人から対価を受け取ってはいないぞ? 個人的な借りはずいぶんと溜まってるはずだ」
「子供の頃に命を救ったんだろ? ならそれでチャラだ、チャラ」
「なに!? 私は二度もお前の命を救ったぞ!」
「ありがとう。感謝してる」
「言葉だけで足りるか!」
エルトは目を吊り上げて怒りをあらわにする。
とはいっても、渡せるものなんて何もない。
「じゃあ、何が欲しいんだ?」
「うん? そうだなぁ……欲しいモノ、欲しいモノ」
「俺が渡せるモノだぞ?」
「わかってる。うーん……今はないな」
だから借りだ、とエルトは言う。
保留というわけか。
しかし、デカい借りだ。
しかもエルトのことだ。とんでもない場面で請求してきそうだ。
「戦に呼び出すのは勘弁してくれよ……?」
「戦以外にお前の活用法があるのか? まぁ、マグドリアはすぐには動けないだろうし、当分戦はないけどな。なんなら二人で遠征に出向くか? アークレイムに。それで貸し借り無しにしてやるぞ?」
「やめろ。お前と遠征なんて、いくつ命があっても足りない……」
楽しそうに語るエルトの目は、結構本気だった。
というか、俺の価値は戦だけかよ。
くそー。
頼むぞ、レグルス王。こいつの好きにさせるなよ……。
遠い地にいるまだ見ぬ王に願いつつ、俺は体を動かす。
そもそも大きな怪我を負ったわけじゃなく、強化の反動で寝てただけだから、体は動く。
かなり鈍っているみたいだけど。
「さて、そろそろ起きたことを皆に伝えよう。セラはずっと心配していたぞ?」
「二週間も寝てたら誰でも心配するよな……。これは平謝り決定だな」
「アルシオンの銀十字も妹には勝てないか。ああ、そうそう。忘れてた。お前の父親が伯爵位を貰ったぞ」
お土産でも貰ったかのような口調でエルトは告げた。
俺は一瞬、何のことかわからずに思考停止する。
「どうした?」
「もう一度言ってくれるか?」
「アルシオンの」
「違う違う! その後だ!」
「その後? ああ、お前の父親が伯爵位を貰ったぞ」
「……一大事だ。我が家が伯爵に上がるなんて……」
「大げさな。たかが伯爵で」
くっ。
さすが公爵だけあって言うことが違う。
たかが伯爵だなんて、俺には口が裂けても言えない。
「お前の父親の戦功を思えば、それでも足りないぞ。セラは金銭を要求して貰っていたが、それも微々たるものだ。お前にも褒美をって話があるだろうから、できるだけ戦功に見合う報酬を要求するんだぞ?」
「家全体への褒美じゃないのか!?」
「当たり前だろ? お前、もしかして寝てて馬鹿になったか?」
エルトが口に手を当てて首をかしげる。
その顔は深刻だ。
本当に馬鹿になったと思ってるな、こいつ。
「馬鹿にはなってない」
「じゃあ、元からか」
「おい!」
「冗談だ。まぁ、子爵家だしな。ちょっと褒美の大きさに驚くかもしれないが、大きな戦で決定的な働きをすれば、爵位は上がるし、領地も増える。金銭や宝物を貰える。それは当たり前だ。そのための王家なんだからな」
そんなこと百も承知だ。
俺だって予想はしていた。
けれど、今回は勝利というにはこちらの被害が大きかったし、使徒も討ち取れなかった。
結果だけ見れば痛み分けだ。
それなのに爵位が上がるとは予想外だった。
「……実感がわかない。待ってくれ。褒美とか何を要求すればいい? っていうか、褒美を要求って不遜じゃないか?」
なんだか事が大きすぎて頭がパンクしそうだ。
大体、褒美って向こうが決めるものじゃないのか。
一体、何を要求すればいいんだろう。
欲しいものとか別にないし、セラみたいに金銭か?
「ふふ、楽しい奴だな。お前は。まぁ、私がお前なら侯爵の地位を要求するな。それでも大人しいくらいだ」
「こ、侯爵!? ここはレグルスじゃないんだぞ!?」
「どこの国でも一緒だ。褒美に差があれば、他国に人が流れるからな。クロスフォード家は伯爵に昇進したが、お前個人の戦功は飛びぬけてる。正直、個人的に侯爵の地位を貰っても問題はないぞ?」
エルトの言葉に思わず眩暈がしてくる。
十五で侯爵だなんて。
そんな予定は俺の未来予想図には存在しない。
「もうちょっと大人しめなやつはないか……?」
「あんまり大人しい褒美だと、王家の名に傷がつく。そうだなぁ……何か役職を貰ったらどうだ?」
「役職?」
「ああ。騎士団長とか他国への使者とか」
「騎士団長は却下だ。ずっと国境に居なくちゃじゃないか。他国への使者も面倒そうだな……」
俺の感想にエルトは呆れたようにため息を吐く。
しかし、すぐに笑みを浮かべてエルトはある提案を俺にした。
「では、とっておきの策をお前に授けてやろう」
「おお! 勿体ぶらずに最初から教えてくれよ」
「それじゃお前は感謝しないだろ? いいか。アルシオンの王はある役職の人選に苦慮している。お前はそこに名乗りを上げろ。名誉ある役職だが、そんなに忙しくない。お前にはピッタリだ」
「名誉ある役職なのに、忙しくない? なんだよ。その役職って」
普通、名誉には責任がつきまとう。
名誉があって楽なら、誰もが飛びつきそうなものだけど。
俺の問いにエルトは笑みを深める。
「我がレグルス王国への親善大使だ。両国の関係はあまり親密じゃないからな。互いに親善を深めることが内密に決まっている。だが、まだ肝心の大使が決まっていない。我がレグルスのことを知っていて、レグルスの有力者と関係のある者が望ましいが、アルシオンの高位貴族にはピッタリの者はいない」
「そこで俺ってわけか……伯爵の息子じゃ力不足だけど」
「褒美という形なら問題はない。どうだ? これなら獣人の問題も私とお前で解決できるぞ。なんなら一緒にラディウスに行ってやってもいい」
エルトはこれからのことが楽しみで仕方がないのか、笑顔を絶やさない。
しかし、この流れから察するに。
「お前、こうなることを予想してたな……」
「いやいや、今、思いついたぞ。本当だ」
「嘘つけ。まぁいいや。ほかに案があるわけじゃないし、お前の思惑に乗ってやる」
「本当か!? 本当にいいのか!?」
自分で提案したくせに、エルトが顔を輝かせる。
どうやら、俺が乗ったことが予想外だったらしい。
「外交大使じゃなくて、親善大使だろ? レグルスは嫌いじゃないし、断る理由がないからな」
「そうか、そうか。じゃあ、ロードハイムで待っているぞ! 約束だからな! 破ったら、攫いに行くから覚悟しておけよ!」
「あ、ああ……」
攫うって怖いわ。
どんだけ俺を連れてきたいんだよ。
でも、と思う。
レグルスでのエルトとの日々は楽しかった。
それがまた続くと思うなら。
悪くない。
そう思えた。
「エルト」
「ん?」
「また……お世話になるよ」
「ああ、よろこんで!」
そう言って部屋を出るエルトの後を俺はゆっくりと追った。




