閑話 薔薇姫現る
後半部分を修正してあります。
クロック砦から少し離れた街道で、フィリスは十人ほどの兵士と共にいた。
地図にある道を通れば、必ずこの街道を通るはずだからだ。
「遅い……。まだなの……?」
フィリスはユウヤから託された木箱を胸に抱えて、エルトの到着を待っていた。
しかし、すでに戦いが始まってから大分経っている。
奇襲を選択した以上、戦は早く終わる。
勝敗はともかくとして。
今、このときにでも決着がつくかもしれない。
そう思うとフィリスは胸が張り裂けそうだった。
「エルトリーシャ・ロードハイム……お願い……!」
未だに騎馬が駆ける音すら聞こえず、土煙も見えない。
これ以上、遅れれば決定的な瞬間に間に合わなくなる。
「わざと遅れているなんてことはないわよね……」
フィリスは顔を歪めながら、唇を噛みしめる。
政治的に考えれば、両軍が疲弊したときに助けるのが最もレグルスには得だ。
助けるという約束は守れるうえに、疲弊した敵とならば自軍の戦力も削られない。
自分がレグルスの使徒ならば、その判断を下すかもしれない。
そう思えばこそ、フィリスは息苦しさを感じていた。
内心の焦りと不安で、呼吸が乱れているのだ。
ここで意識を手放してしまえれば、どれほど楽だろうかとフィリスは思った。
しかし、それは戦場で戦う者たちへの裏切りに他ならない。
不安程度に押しつぶされては、敵と相対している者たちに笑われてしまう。
自分を奮い立たせ、フィリスは街道を見据える。
少しの変化も見逃さないという気持ちで。
しかし、変化は起きない。
だが、一人の兵士が怪訝そうな顔をする。
「なんだか……音が聞こえないか?」
「何言ってるんだ? 音なんか聞こえないぞ? だいたい、騎馬が走る音が聞こえるなら、土煙くらい立つはずだ」
「そうだよな……けど、なんだか音が」
そう言って兵士はしきりにフィリスたちから見て右方向にある森を見る。
フィリスは少し距離のある森を見て、ハッとする。
地図を思い出したのだ。
ヘムズ平原から真っすぐ進めば、この森を通ると。
もちろん、この森に入る前にも何か所か軍の通行が難しい箇所がある。
それらを突破して、なおかつこの森を突破するだろうか。
一瞬、疑問にかられたフィリスだが、もしも自分だったらと考える。
何ものにも代えられない約束だとするなら。
障害など気にせず、最短距離を通るはず。
フィリスは自分の中から湧き上がる衝動に駆られ、兵士が手綱を持つ馬に乗った。
「殿下!?」
「ついてきなさい!!」
そう言ってフィリスは駆ける。
今いる街道の場所では、もしも森を抜けてきた場合、全力で駆ける騎馬隊には追い付けない。
髪が乱れるのも気にせず、フィリスは全力で馬を走らせた。
森に近づくと、確かに兵士の言ったとおり音が聞こえた。
何かが疾走し、地面を踏みしめる音だ。
それも多数。
フィリスは後ろをチラリと見る。
出遅れた兵士たちは、フィリスに追いつこうとしているが、差が縮まらない。
フィリスはそこで兵士たちと共に行くことを諦めた。
もしも森から出てくるのが山賊やマグドリア兵だった場合、フィリスの命はないだろう。
だが、それでもいいと思えた。
皆と同じ場所で命を賭けられなくとも、ここで命を賭けられるなら文句はない。
ここが自分の戦場だとフィリスは覚悟を決めた。
エリオットの想いを無駄にすることになるが、フィリスは笑う。
思えば、兄の言うことを素直に聞いたことなど今まで一度だってない。
ならば、今も素直に聞く必要などないのだ、と。
いよいよ音が大きくなっている。
音の発生源は近い。
フィリスは馬を右側、砦方面に走らせる。
森を目指しても仕方がないからだ。
森から出てくるのがロードハイムの騎士たちならば、彼らの目標は砦以外にありえない。
ならば、その先頭を行くエルトリーシャ・ロードハイムに角笛を渡すには、先回りをする必要がある。
その目論見はすぐに当たった。
まるで濁流のような勢いで森から騎士たちが出てきた。
馬を走らせ、まったく止まる気配を見せない。
その先頭には薔薇色の髪を靡かせる美しい少女がいた。
その美貌に一瞬、フィリスは見惚れる。
フィリスは自分の容姿にそれなりの自信があった。
笑みを浮かべれば、どんな男性でも虜にする自信もあった。
それが王家の女に求められることだからだ。
しかし、そのプライドは一瞬で砕け散る。
長い行軍で衣服は汚れ、髪も荒れている。
けれど、先頭に立つエルトの姿は自分では敵わないと思うほどだった。
鮮烈な美しさだった。
まるで研ぎ澄まされた剣のように、他者を惹きつけて、飲み込んでしまいそうな美しさ。
それがエルトにはあった。
フィリスはそこで気付く。
ユウヤが自分と話しても、あまり動揺しなかった理由に。
一カ月近くもこんな少女と共にいれば、どんな女にも動揺などしなくなるに決まっている。
胸に沸く敗北感にフィリスは困惑しながら、しかし馬を走らせた。
それは意地のようなものだった。
王女として大切に育てられ、今までの人生で築き上げてきたプライドを総動員して、フィリスはエルトに張り合った。
「使徒エルトリーシャとお見受けします!」
「如何にも。私はエルトリーシャだ。あなたは?」
清冽な声だった。
はっきりとしていて、馬を駆けながらも耳に届く。
「私はフィリス・アルシオン! アルシオン王国の王女です!」
「ほぉ? 王女殿下が何の御用か? 私は見ての通り、貴国を救うのに忙しいのだが?」
必死に馬を走らせるフィリスを見て、エルトは余裕の笑みを浮かべる。
小馬鹿にされている気がして、フィリスは内心で怒りを覚えながら、木箱を見せる。
「ユウヤ・クロスフォードから頼まれました! あなたに返してほしいと!」
「ふふ、律儀な奴だ。戦が終わってからでもいいものを」
今まで凛とした雰囲気が崩れ、明るく、人懐っこい笑みをエルトは浮かべる。
意外な表情にあっけにとられていると、エルトは腕を伸ばして、フィリスから木箱を取り上げる。
「確かに返還していただいた。正式なご挨拶はまた後程に。戦況をお聞きしても?」
「狂戦士を引きずりだし、ユウヤ・クロスフォードが敵の使徒に奇襲を掛ける手筈です! おそらく成功したかと!」
「奇襲? まったく私を待つという選択はないのか、あいつは……。情報ありがとうございます。では、殿下。これにて。あなたに合わせていては、私が遅刻魔と馬鹿にされてしまうので」
そう言うとエルトは馬を一気に加速させ、フィリスを引き離す。
それに続けとばかりに騎士たちも続く。
騎士たちの本気の走りに呆気にとられつつ、フィリスは馬足を緩めて、エルトたちを見送る。
「……頼みます。白光の薔薇姫」
両手を胸の前に組んで、フィリスは祈る。
どうか、エルトが間に合うまで皆が無事であるように、と。
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「間に合うと思うか?」
「間に合わないと思っているのですか?」
エルトは横を走るクリスに問いかける。
しかし、クリスはその問いには答えず、逆に問い返す。
エルトは微かに笑みを浮かべて首を横に振る。
「残念ながら間に合う気しかしないな」
「そうでしょうね。いつも以上に自信に満ち溢れた表情をされていますから」
「そうか? いつも通りだと思うが? まぁ、多少気分が高揚しているところはあるがな」
答えながら、エルトは斜め後ろ走る獣人の少年、カシムに視線を送る。
「カシム。先に言っておくが、お前の同族だろうと向かって来れば容赦はしない。私の友人や臣下を傷つける場合も同様だ。敵の使徒の神威は狂化。正気ではないだろうが、そんなことは関係ない」
「わかってる……。戦場に出た以上、皆、死ぬ覚悟はできてるはずだ。ただ、オイラたちが人質から解放されたってのは伝えたい。あんたたちの邪魔はしない」
「よろしい。まぁ、悪いようにはしない。私の神威は私の性分とは裏腹に、敵を捕獲したり、無力化することにも長けているからな」
エルトは不満そうに唇を尖らせる。
エルトとしては、どうせ神威を授かるならば、戦場を吹き飛ばすような攻撃的な神威が欲しかった。
そちらのほうが自分の性に合っているからだ。
今の神威が嫌いなわけではないが、どうにも迫力に欠ける。
それがエルトには不満だった。
「エルトリーシャ様に攻撃的な神威を授ければ、地形が変わってしまうと神も恐れたのでしょう」
「なにを言う! ちゃんと考えて使う!」
「僕には試し打ちで山が吹き飛ぶ光景しか想像できませんが」
クリスの言葉に話を聞いていた騎士たちも頷く。
ただでさえ攻撃的なのに、神威まで攻撃的では世を混乱させかねない。
神の判断は正常だと騎士たちは思った。
もちろん、口にはしないが。
「クリス。なんだかユウヤに似てきたな。言い回しがユウヤみたいだぞ?」
「なっ!? あんな男と一緒にしないでください! そんな評価をされるくらいなら死んだほうがマシです!」
「そうか? 堅苦しいよりはいいと思うぞ? ただ、ユウヤみたいに癇に障るのは困る。あいつの言葉はときたま、異常に私を不機嫌にさせるからな」
エルトは笑いながら告げる。
言葉と表情が裏腹で、カシムは不思議そうにエルトに質問した。
「そのユウヤってのはあんたの友人なんだろ? 仲悪いのか?」
「まさか。仲が悪い奴のために、こんなところまで来たりはしないさ」
「じゃあ、仲が良いのか?」
「うーむ、難しい質問だ。私はそうでもないが、あいつは仲が良いと思っている」
「はぁ……」
エルトの物言いにクリスはため息を吐き、カシムはその反応でなんとなくユウヤとエルトの関係が把握できた。
「なるほど。あんたのほうがご執心なのか。使徒に気に入られるなんて、珍しい奴だな」
「その言い方には反論したいが……まぁ、面白い奴だぞ。会えばわかる」
そう言ったとき、エルトの視界にクロック砦の姿が飛び込んできた。
その姿はどんどん大きくなっていく。
「クリス!」
「はっ!」
エルトはフィリスから受け取った角笛をクリスに渡す。
クリスは木箱から取り出し、その角笛を構える。
「うん? ユウヤが笛を吹いたということは、間接的な口づけになるのか?」
「ひっ!?」
今、まさに口をつけようとしていたクリスは、いつも出さないような声を出して、角笛を自分の唇から勢いよく離す。
そして余計なことを言ったエルトを睨む。
「え、エルトリーシャ様!?」
「すまないな。嫌なら代わってやろう。私なら構わないぞ?」
「そんなことさせるわけにはいきません! 大体、笛を吹くのは我が一族の役割です! 僕にお任せを!」
そう言いながら、クリスはいつまで経っても笛を吹かない。
そうしている間にも砦は近づいてくる。
何度も砦と笛を交互に見つめ、
「ええい!!」
クリスは意を決して、笛に口をつけ、息を吹き込む。
途端、辺りに旋律が流れ始める。
その音を聞きながら、エルトは剣を抜き、自分の額に当てる。
集中のためだ。
エルトの体から白光する粒子があふれ出る。
そして、それは一目散に、砦の方面へと向かっていく。
まだエルトの目には戦場の全てが映ったわけではない。
だが、エルトの分身ともいえる粒子のおかげで、ある程度、戦場の様子は把握できた。
見えているわけではないが、感覚で粒子の周りが理解できるのだ。
だが、エルトは戦場の様子に興味はなかった。
粒子は加速する。
エルトが興味を持ち、探すのはただ一人。
「……見つけた!」
敵に捕まり、今にも止めを刺されそうなユウヤの姿を見つけて、エルトは小さく笑う。
「手のかかる奴だ」
ユウヤの周囲に粒子を向かわせる。
ユウヤに向かっていた剣が止まったのを確認し、エルトは大きく息を吸う。
「行くぞ!」
そのエルトの掛け声と共に、笛の旋律はより大きく戦場に響き渡った。




