第三十二話 狼牙族の戦士
「くっ!」
声が漏れて、体勢が崩れた。
体を狙った横薙ぎの一撃を、ギリギリで躱したからだ。
ラインハルトと相対してから結構な時間が経っている。
そろそろ決着をつけなければ、獣人が応援にやってくる。
そう思ったとき、獣の遠吠えが耳に届く。
「もう来たか!」
視線を砦の方向に向ければ、兵と兵の間を縫うように駆ける影がある。
数百の獣人がこっちに向かってきていた。
「警戒しろ! 獣人が来るぞ!」
「よそ見とは余裕だな!」
ラインハルトが俺に指示を出させまいと、攻撃してくる。
それを凌ぎつつ、俺は近くで戦うエドガーとレオナルドに声をかける。
「エドガー! レオナルド! 頼んだぞ!!」
「お任せを!」
「若君はラインハルトに集中してください!」
しっかりとした返事が返ってくる。
これだけで安心というわけではないが、今の俺には二人に任せるしかない。
ラインハルトを相手にしながら、部隊の指揮は難しい。
しかも相手は獣人だ。
適当な指揮では容易く突破される。
「獣人が来た以上、君たちは失敗だ。諦めろ」
「そうは行くか。獣人もお前も突破すればいいだけのことだ」
強気な言葉を発して、自分を奮い立たせる。
まだ終わりじゃない。
指が一本でも動くかぎり、諦めない。
その意思が伝わったのか、ラインハルトは何も言わずに剣を構える。
とにかく、こいつをどうにかしないと始まらない。
そう思ったとき、俺は風を切り裂く音を聞いて、咄嗟に馬を横に走らせた。
本能的にマズイと感じたからだ。
爆発音と共に今まで俺がいた場所が爆ぜる。
いや、正確には爆発したわけじゃない。
何かが物凄い勢いで落下してきたのだ。
立ち込める土煙の向こうで、人型の何かが起き上がる。
こんな理不尽な力を発揮するのは人間じゃない。
「我らを突破するとは豪気なことだ」
青い髪に、青い耳と青い尻尾。
そして琥珀色の瞳。
精悍な顔立ちの男がそこには立っていた。
「我が名はグレン。狼牙族の戦士長。アルシオンの銀十字。我らが一族の悲願のために死んでもらう」
「グレン。一対一の勝負に割り込まないでもらおう」
「ふん。騎士道というやつか。興味はない。獲物は仕留められるときに仕留める。それだけだ」
そう言ってグレンは俺に接近してくる。
剣で牽制するが、低い位置から迫ってくるためやりにくい。
こんな敵は初めてだ。
それに戦士長というだけあって、動きが速く、力も強い。
爪での攻撃を受けると、剣が弾かれて体勢が崩れる。
ラインハルトに加えて、こんな難敵が出てくるなんて。
予想してなかったわけじゃない。
だが、予想の中では最悪の状況だ。
「どうした! アルシオンの銀十字!」
「くっ!」
馬の小回りが利かないのを利用して、グレンはグルグルと俺の周囲を回って、隙を見て攻撃してくる。
これじゃジリ貧か。
そう思ったとき。
「はっ!」
背後から馬蹄の音と気合が聞こえてきた。
咄嗟に馬から飛び降りるようにして、横に飛ぶ。
空中で体をひねると、ラインハルトが剣を突き出した体勢を取っていた。
一対一に拘るのをやめたか。
「卑怯ではあるが、君の首は私が取る」
「俺の首は俺の物だ。簡単にやれるか」
そんな言葉を発している間に、後ろからグレンが爪を振り下ろしてくる。
馬に乗っているときはそんなに気にならなかったが、グレンはデカい。
二メートルはあるだろうか。
俺との身長差は四十センチほど。
体重も相当差があるだろう。
階級制のスポーツならあり得ない対戦だ。
それが起こり得るのが戦争なのだけど。
「このっ!!」
グレンの爪を弾き、ラインハルトの剣を避ける。
どちらも一流の戦士ゆえか、それなりに連携を取ってくる。
グレンがかく乱し、ラインハルトが絶妙なタイミングで攻撃してくる。
かと思えば、ラインハルトが力技で俺の動きを封じ、グレンが背後から攻撃してくる。
厄介な二人だ。
「はぁ、はぁ……」
剣を地面に刺し、杖代わりにする。
一気に体力を持って行かれた。
まだ掠り傷程度だが、攻撃も徐々に避けられなくなっている。
馬から降りた以上、足を止めたらやられる。
「そろそろ幕か……二対一になったのは不本意だが、これも戦場の理か」
「小さな体でよくやった。もう楽になれ」
そう言って二人が接近してくる。
退路はない。
この二人から逃げるには、速度が足りなすぎる。
ここで終わるわけにはいかない。
たとえ使徒を討てないとしても。
この二人だけはここで討たねば。
エルトの障害になる。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、体を起こす。
地面から剣を抜き、だらりと構える。
それを見て、グレンとラインハルトは近づくのをやめた。
なにかあると感じたのだろう。
どうせここで戦い続けても、やられるのは目に見えている。
ならば賭けに出るのも悪くない。
大きな賭けだ。
命を賭ける大一番。
それでも。
「……」
やれることはやろう。
悔いを残すよりは何倍もマシだ。
「強化……二倍」
体に力が漲ってくる。
だが、それは一時的なモノだ。
やがて反動が来る。
おそらく筋肉痛なんかじゃ済まないだろう。
内臓をやられるかもしれない。
だから。
「お前らはここで討つ!」
二倍の身体能力を生かして、俺はグレンの懐に潜り込み、剣を跳ね上げる。
「くっ!」
グレンは体を引くが、それでは間に合わず、胸に一筋の線が走った。
そのまま今度はラインハルトへ向かう。
「いきなり速くなるとは!」
ラインハルトは驚きながら剣を振るうが、それを剣で受け流して、馬の上にいるラインハルトを蹴り飛ばす。
ただの蹴りだが、二倍に強化されている。
ラインハルトは顔をしかめながら馬から吹き飛ばされる。
これでラインハルトの機動性も奪った。
あとは。
「うぉおおお!!」
グレンのみ。
背後から雄たけびをあげて襲い掛かってくるグレンの爪を頭の上で受け止め、弾き返す。
そのまま振り返って、グレンの横腹を切り裂く。
先ほどとは違う。
動けないほどじゃないが、それなりに深いはず。
「ぐっ!!」
呻きながらグレンが俺から距離を取った。
そこでラインハルトが体勢を立て直して、俺のほうに向かってくる。
まだまだ二対一ではあるが、これなら何とかなる。
そう思ったとき。
グレンが大きな雄たけびを上げた。
「うぉぉぉぉぉ!!」
「くっ!」
鼓膜が破れるかと思った。
まるで音波兵器だ。
だが、驚くのはそれからだった。
グレンの見た目がどんどん変化し始めたのだ。
背は大きくなり、肩や胸は肥大化する。
体毛が伸び、爪や牙も大きくなる。
最も変わったのは顔だ。
その顔はどう見ても狼だった。
「人狼……!?」
魔族の中には体を変質させることができる者もいるというけれど、グレンもそれに当てはまっていたか。
どう見ても先ほどより戦闘向きな体だ。
これで先ほどより弱いということはないだろう。
「使徒よ! このグレンに力を! 貴様の敵を排除する力を!」
そう言ってグレンはさらに雄たけびを上げる。
いや、これは雄たけびというよりは遠吠えだ。
チラリと敵の本陣に視線を移せば、プラチナブロンドの少年がグレンに手を向けている。
あいつがマグドリアの使徒か。
あと一人くらいは狂化できる力を残しておいたのか、それとも無理をしているのか。
どちらにしろ。
「人狼の狂化か……もう狂犬だな……」
最悪の敵が出来上がった。
「ワレラノ……ヒガン!!」
今まで流暢に喋っていたのに、唐突に片言に変わった。
狂化の影響か。
それでも喋る内容は伝わる。
理性はまだあるな。
「このっ!!」
四足で飛び上がり、前腕を振り下ろしてくる。
それを受けるのは拙いと判断して、前に踏み出し、交差する軌道で避ける。
そのままグレンの背後を取って、その背中を斬りつける。
しかし。
「ちっ! 硬い!」
皮膚が硬く、致命傷にはならない。
今、ブルースピネルの強化は、体力消費を抑えるために十倍に留めている。
だが、これは上げざるを得ないか。
「武器強化……三十倍」
「……」
今の状況じゃこれが限界だ。
これで効かなきゃ、ちょっとまずい。
「ウォォォン!!」
「本当に狂犬だな!」
連続して振り回される爪をステップで躱す。
こいつの攻撃を受け止めれば吹き飛ばされるのは目に見えている。
受け流すか、避けるか。
どちらかしかない。
そんな考えが頭をよぎったが、俺が避けるだろう場所にはラインハルトがいた。
誘導されたか!
狂化しているってのに理性があるってのは厄介なものだ。
「躱せないなら!」
爪が振り下ろされる前に、俺は前に突っ込む。
躱せないなら、攻撃させなければいい。
懐に潜り込み、下から肩口までを切り上げる。
まさか前に出てくるとは思わなかったのか、グレンは攻撃を受けて一瞬、動きを鈍らせた。
その隙は逃さない。
三十倍なら斬れる。
狙うのは首。
この一撃で決める!
「はぁぁぁ!!」
おびただしい量の血が飛んだ。
しかし、グレンは倒れない。
代わりにグレンの左腕が宙を舞い、地面に落ちた。
「咄嗟に左腕を犠牲にしたか……」
グレンは大したことはないとでも言うように、俺をにらみつける。
その目にはまだ戦意がある。
一種の興奮状態である狂化時じゃなければできない芸当だ。
普通なら痛みで意識と動きが鈍る。
「マダダ……」
「何がお前をそうさせる? 悲願とは何だ!?」
「ワレラノヒガン! ラディウスニムカウコト!」
ラディウスに向かうこと。
それが悲願だとグレンは言う。
ならば、なぜ戦う。
アルシオンと交渉すればいいだけの話だろうに。
「それなら俺が何とかしてやる! マグドリアにつくな!」
「コドモハミステラレン!」
その言葉だけでマグドリアが獣人を従わせるのに、何をしたのか理解できた。
俺の背後で剣を構えるラインハルトをにらみつける。
「知っていたのか?」
「知らぬほうがおかしい。承知の上だ」
「人質を取ることが正しいことか? そこまでして勝ちたいか? そこまでして死体を積み上げたいのか?」
ラインハルトは首を横に振る。
聞く耳は持たないか。
すでにこいつは諦めている。
国を、そして使徒を止めることを。
自らを一人の戦士と割り切り、その役目を果たすことだけを考えている。
「ラインハルト……お前はあの使徒とは違うと思っていた。一本筋の通った騎士なのだと思ってた」
「耳が痛いな。もう喋るのはやめよう……。ここは戦場。勝った者が正しいのだよ」
「そうかい。なら、お望みどおり剣で語ってやる。そしてお前たちが間違っているということも証明してやる!」
一瞬でラインハルトの間合いに入り込み、ラインハルトの腹部を切り裂く。
だが、鎧の分だけ浅い。
その間にラインハルトとグレンが同時攻撃を仕掛けてくる。
グレンの攻撃を躱し、ラインハルトの剣を受け止める。
そのまま、力任せにラインハルトを押していく。
ラインハルトは反撃を狙うが、俺は攻撃を止めない。
左から右に。右から下に。
下から上に。上から左に。
体重を移動させながら、剣を振るう。
一回振る度に、ラインハルトの鎧が弾け飛び、鮮血が舞い散る。
苦悶の表情を浮かべながら、ラインハルトは反撃するが、すでに剣に勢いはない。
「終わりだ!」
「ウォォォ!!」
体勢を崩したラインハルトに止めの一撃を放とうとしたとき、後ろからグレンが現れる。
爪を上から下に振り下ろす攻撃だ。
大振りで隙だらけ。
だから咄嗟に剣を引いて、グレンの胸に剣を突き差した。
「馬鹿野郎……!」
グレンが血を吹き出し、みるみる人間へと戻っていく。
後ろでラインハルトが立ち上がるのが気配でわかった。
だから、剣を抜こうとしたとき。
グレンに体を掴まれた。
「我ら……狼牙族は……狙った獲物は逃さん!!」
「くっ! この……ごほっ!」
力づくで振りほどこうとするが、その瞬間に力が抜けた。
口から大量の血がこぼれる。
攻撃を食らったわけじゃない。
強化を二倍に引き上げた反動だ。
足から力が抜け、視界がグラつく。
ラインハルトの姿が薄っすらと捉えられるが、体が動かない。
なんとか逃れようとするが、グレンの腕が邪魔で動けない。
「……やれ!」
「うぉぉぉ!!」
「くっ!」
万事休す。
そんな言葉が頭を駆け巡る。
諦めてはいけないと思っていても、体がついてこない。
負けてたまるかと思っていても、腕も足も動かない。
俺にできたのは振り下ろされる剣をただ見ていることだった。
しかし、剣は予期せぬ動きをする。
途中で止まったのだ。
気付けば、俺の周りには光の粒子が漂っていた。
そして。
澄んだ音が戦場に響き渡った。




