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使徒戦記  作者: タンバ
第一章 アルシオン編
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閑話 レクトル・スペンサー

 クロック砦の攻防戦が始まったのは、オルメイア平原での戦いが始まったのとほぼ同時だった。


 攻撃するのはマグドリア軍二万。

 砦を守るのはアルシオン軍三万。


 数の差は一万。

 クロック砦も堅牢で、高い壁と多くの投石器で武装されていた。

 

 その威容は易々と抜けぬことをマグドリア軍の兵士たちに知らしめていたが、マグドリア軍を率いる使徒、レクトル・スペンサーは鼻で笑っていた。


「ふん。みすぼらしい砦だ。僕の相手があれで務まると思ってるのか?」


 特徴的なのは青白い肌に鋭く尖った顎。

 髪はプラチナブロンドで、瞳の色は青。


 体つき細く、背は標準。


 顔立ちは整ってはいるが神経質そうであり、実際、そのとおりであった。


「アルシオンを侮ってはいけません。レクトル様」


 そんなレクトルの横に控えるのは、深い色の金髪にアイスブルーの瞳を持つ青年。


 繊細な美貌を持ち、一つ一つの動作が様になる。

 身に着けるのは黒き鎧。


 マグドリアが誇る黒騎士団の団長であるラインハルトだ。


「さすがはアルシオンに出し抜かれたことのある男の言葉は違うな?」


 レクトルはラインハルトの忠告に一瞬、顔をしかめ、すぐに嘲笑うような笑みを浮かべて言葉を返す。


 ヘムズ平原でみすみすユウヤを逃がしたことを言っているのだ。


 そんなレクトルの皮肉にラインハルトは気にせず、言葉を放つ。


「その通りでございます。出し抜かれた男ゆえ、アルシオンの底力はよく知っています。第二の銀十字が現れるとも限りません。ゆめゆめ、油断なさらぬよう」

「ちっ! わかっている! お前などに言われなくてもな! 僕は使徒だぞ? 神に選ばれた存在だ!」

「存じております。それゆえ、我らはあなた様に命を預けているのですから」

「なら、余計な忠告をするな! だいたい、お前は僕への忠誠心が足らないんだ! 前線の兵士を見ろ! 僕の言葉に歓喜し、僕が死んで来いと言えば死んで来る! あれが忠誠だ!」


 レクトルの言葉にラインハルトは微かに眉を動かす。

 しかし、レクトルは気付かない。


 レクトルにとって、自分の言葉は絶対であり、誰かがそれを否定することなどあり得ないと考えているからだ。


「僕の言葉は神の言葉。僕の行動は神の行動だ。次からは口を慎め! まったく、陛下もなんでお前なんかを寄越すんだ!」


 ラインハルトは静かに礼をして、数歩下がる。


 正々堂々を好み、騎士としての道を外すことなく生きてきたラインハルトにとって、レクトルは許容しがたい存在だった。


 自分を疑わず、自分以外の他者は全て見下している。

 使徒という至尊の地位にいることをよく理解し、その地位が侵されることを何より嫌う。


 それゆえに、兵士を駒のように扱い、死なせることに何ら罪悪感を抱かない。


 使徒でなければ。

 ラインハルトはそう何度も思っていた。


 だが、レクトルはまぎれもなく使徒であり、使徒が至尊の位にいるのも事実だった。


 それは血筋などという曖昧なモノで証明されているわけではなく、聖痕と神威。

 そして戦の強さで証明されている。


 レクトルは貴族ではない。

 出自すらはっきりしない少年だ。


 レクトルは突如、マグドリアの王宮に現れ、使徒の証である聖痕を示したのだ。

 そしてマグドリアは使徒として受け入れた。


 それが誤りだったのかどうか。

 それはラインハルトにはわからない。


 ただ、レクトルが立てた作戦により、アルシオンは追い詰められているというのは事実であった。


「アルシオンも馬鹿なことをしたものだよ。使徒もいないのに、僕と戦うなんて。大人しく降参すればいいのに。まったく、僕は使徒の中でも最も優秀だと言うのに」


 どうして戦ってもいないのに、どの使徒よりも優秀だと言い切れるのか。


 もはやその自信にラインハルトは感心した。


 けれども、その自信に足る実力をレクトルは持ち合わせていた。


「全軍攻撃開始。まずは普通に攻城戦だ。敵を休ませるな。遠距離から絶え間なく矢を放て」


 的確な攻撃指示を受けて、マグドリア軍が動き始める。

 攻城戦では騎兵の出番はほとんどないため、ラインハルトは戦場全体を俯瞰する。


 バリスタや投石器などの遠距離攻城兵器による攻撃から始まって、

歩兵たちが弓を構えて、無数の矢を砦に浴びせる。


 しかし、敵からも当然、反撃がある。

 敵の投石器から放たれる石は、歩兵を蹴散らし、マグドリアの攻城兵器を破壊する。


 兵の数も差があるため、矢の雨が降る量はマグドリアのほうが多かった。


 それがしばらく続く。

 地道だが、確実な手だった。


 攻撃側ゆえの主導権を上手く使っている。

 しかし。


 その程度で終わるならば使徒とは恐れられない。


 ラインハルトは多くの使徒を知っている。

 今まで出会った使徒は、敬意を払うに足る者ばかりだった。


 しかし、レクトルはそんな使徒たちとは一線を画する。


 優秀かどうかさておき。

 最も手段を選ばず、狡猾であることだけは確かだろうと、ラインハルトは確信していた。






●●●






 夜。


 マグドリア軍は初日の攻撃を切り上げて、陣地へと引き上げていった。


 クロック砦の堅牢さに手を焼いたといった様子だったが、マイセン・ブライトフェルンは違和感を覚えていた。


「使徒がこの程度で終わるか……?」


 その呟きは誰にも拾われない。


 初日を無事に終えたアルシオン軍には、充実した雰囲気が広がっていたからだ。


 指揮官である貴族たちはさきほど軍議を終え、自分の部屋へと下がっている。


 マイセンだけが砦の最上部にいて、敵軍を観察していた。

 ゆえに、最初に異変に気付いたのもマイセンだった。


 辺りは暗闇が支配している。

 砦の中は松明で照らされているが、敵の陣地は遠く、マイセンの目では詳細な様子は見て取れなかった。


 けれど、マイセンは気付いた。


 何かが砦に向かって走ってくるのを。

 それはマイセンが見た動く物の中で、最も速かった。


 かなりの距離があるマグドリア軍の陣地とクロック砦をいとも容易く踏破し、


「ぐわぁ!!」


 砦の守備に当たっていた兵士の頭を刎ね飛ばした。


 それは一瞬にして、始まりだった。


 〝彼ら〟は続々と砦へと乗り込んできた。

 〝彼ら〟は砦の守備兵を片づけると、松明を倒し、明かりを奪い始めた。


 そこでようやくマイセンは声を発することができた。


「敵襲! 敵襲だ!」


 その間にも砦の守備兵たちは駆逐され、松明は倒されていく。

 瞬く間に砦の前線部分は明かりを失った。


 そこは暗闇が支配する場所だった。


 だが、〝彼ら〟には問題のない場所だった。


 〝彼ら〟はとても人間に似ているが、人間とは目の構造、鼻の構造が違う。

 だからこそ、彼らはこう呼ばれる。


「獣人……! 馬鹿な! 魔族が人に協力するとは!?」


 マイセンはその事実に戦慄した。

 魔族は人と敵対関係にあるといってもいい。


 なにせ、かつて大陸の各地にいた魔族を、東の島に追いやったのは人だからだ。


 多くの種族が人間によって殺され、種として終わらされた。

 長い寿命を持つ魔族は、いまだにそのことを忘れてはおらず、当時から生きている魔族もまだまだいる。


 ゆえに人と魔族は手を取り合わない。

 それが常識だった。


 しかし、常識は覆された。


 さらにマイセンは驚愕の事実に気付く。

 獣人たちはかなり連携の取れた動きをしていた。


 それは仲間意識の強い獣人にとっては当たり前のことだったが、マイセンが驚いたのはそこではなかった。


 薄っすらと見える闇の部分で、獣人たちは躍動している。

 その動きはいくら獣人といえど、ありえないもので。


 マイセンには使徒の狂化に掛かっているようにしか思えなかった。

 だが、彼らは連携している。


 ヘムズ平原のとき、狂戦士は連携などできなかった。

 目の前の敵をただ倒すだけの存在だった。


「獣人は狂化の際にもそれなりに考えて動けるというのかっ!?」


 それは絶望的な推測であり、しかし、現状を説明できる推測だった。

 

 獣人が敵側にいるだけでも絶望的なのに。

 その獣人が狂化にかけられ、なお連携が取れるほどの知性を保っているなど、もはや冗談だと笑いたくなるような出来事だった。


 しかし、絶望ばかりもしていられない。


 砦に侵入してきた獣人の数は多くても数百体。


 三万の兵を動員すればどうとでもなる。


「態勢を立て直せ! 敵は少数だ! 囲んで討ち取れ!」


 マイセンは上から声を張り上げ、指示を飛ばす。

 そろそろ眠りについていた兵士や、貴族たちも起き始めた。


 ここからだと気合を入れて、マイセンは下へと場所を移した。






●●●






「ふん、必死だな」


 マグドリア軍の陣地で、レクトルは椅子に座りながらクロック砦を眺めていた。


 獣人による夜襲。

 それがレクトルの最初の一手だった。


 人間の狂戦士は理性を無くすため、夜襲のように撤退の判断が必要な作戦にはあまり使えない。


 しかし、獣人たちはその強靭な精神ゆえか、それとも人間とは体の作り自体が違うせいか、狂化を施してもそれなりに理性を保てていた。


 それを利用して、彼らに夜襲を仕掛けさせたのだ。


 他者を狂化させることしかできないレクトルにとって、獣人の存在は戦術の幅を大きく広めてくれた。

 ただし、レクトルがそれに感謝することはないが。


「使徒よ。我が狼牙族の悲願。叶えてくれるという約束を違えるなよ?」


 青い髪に、青い耳と青い尻尾。

 そして琥珀色の瞳。


 精悍な顔立ちの男がレクトルにそう釘をさす。


 男の名前はグレン。

 狼牙族の族長の息子にして、狼牙族の戦士たちを束ねる戦士長である。


 そんなグレンの言葉にレクトルは鼻を鳴らす。


「ちょっと活躍したからといっていい気なものだ。アルシオンを落とせたら、約束どおりラディウスに行くといい。大陸は人の物だ。お前たちがいると穢れる」

「よかろう。約束を守ると言うなら異論はない。ただし、約束を違えれば、貴様の首を四六時中狙うゆえ、忘れるな」


 そう脅しをかけて、グレンはレクトルから離れていく。

 レクトルは首を振って、ため息を吐く。


「これだから野蛮な獣は……」

「聞こえているぞ?」

「そうか。それは残念だったな。耳の良さを恨め。それと、あと少ししたら貴様の群れを呼び戻せ。夜襲は断続的に行う」

「了解した」


 距離が離れたところにいたグレンに大きめの声で指示を出し、レクトルは面白くなさそうにグレンから視線を外し、クロック砦を見る。


 砦からは絶え間なく悲鳴が聞こえており、それだけで中の様子が想像できた。


 レクトルは酷薄な笑みを浮かべて、足を組み、腕の上に顔を乗せる。


 すべては計画通りだった。

 これでアルシオンは夜を眠れず、被害を出しながら朝を迎える。


「別動隊が突破されようが、どうだっていいさ。僕にかかれば二日で砦の戦力を無力化できる。まんまと姿を現した残りのアルシオン軍もめちゃくちゃにしてやる」


 笑みを深め、レクトルはクロック砦から聞こえてくる悲鳴に耳を傾ける。


 人の絶望した声はレクトルの耳にはとても心地よかった。

 それを聞いただけでも、胸の中にあったモノがスッとなくなったような気がした。


 だが、


「まだだ……。まだ僕が味わった屈辱の半分にも満たない……! ヘムズ平原での屈辱は、無惨な死で償ってもらうぞ! アルシオン!」


 ヘムズ平原での最後の一幕。

 黒騎士団に阻止されたとはいえ、完全にレクトルは一本取られていた。


 黒騎士団がいなければ、手傷を負っていたかもしれない。

 そう思えば思うほど、屈辱が湧き出てくる。


 神の代理人、神の子を自負するレクトルにとって、認めているのは使徒だけであり、それ以外は王だろうが、英雄だろうが、すべて下等な存在なのだ。


 その下等な存在に一本取られただけでなく、恐怖を味あわされた。

 レクトルにはそれが屈辱だった。


「ユウヤ・クロスフォード……。お前のせいだぞ。お前が悪いんだ。お前の頑張りがアルシオンを苦しめる……。いるなら出て来い……。この手で泣いて詫びるまで拷問し、最も苦しい殺し方で殺してやる……!!」


 怒りを瞳に宿しながら、レクトルはグッと拳を握る。

 そのとき、狼の遠吠えが響き渡る。


 グレンの遠吠えだ。

 狼牙族の意思疎通の方法であり、今は撤退の合図であった。


「ふぅ……まずは砦を攻略するか」


 気持ちを整理し、レクトルはそうつぶやいた。

 その顔には子供のように無邪気で、残酷な笑みが浮かんでいた。


 

 

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