第二十九話 アリシアとフェルト
移動準備は慌ただしい。
指揮官たちはクロック砦まで連れて行く兵を選び、選ばれた兵は移動の準備を始める。
傷を負い、すぐには動けない兵士たちは悔しそうな顔に微かな安堵の色を浮かべつつ、準備をしている兵を見ている。
そんな光景を見ていると、横から頬を突かれた。
「……なんだよ?」
「なんだよじゃないわよ。私への挨拶は?」
俺の頬を突いた犯人、アリシアは目を細めて挨拶を求めてくる。
たしかに、挨拶してないな。
セラの相手をした後は着替えをして、すぐに軍議だった。
暇がなかったのだ。
「そう言えば忘れてた。久しぶりだな。アリシア」
「忘れてた……? あんたね!!」
「悪い、悪い。バタバタしてたからさ。生きてて良かったよ」
撤退に成功しただろうな、とは思っていたけれど、アリシアは完全に安全な場所にいたわけじゃない。
万が一があったかも知れないと考えていた、
だから、こうしていつもと変わらない様子を見ると安心できる。
まぁ、絶対にいるとは思っていたけど。
「このっ! それは私の台詞よ! 馬鹿! どれだけ行方不明だったと思ってるの!? 一カ月よ! 一カ月! 皆、あんたが死んだと思ってたわ!」
「でも、アリシアは俺が生きてると思ってたんだろ?」
死んだと思っていたなら、この反応はあり得ない。
生きているか、死んでいるか。
半々くらいに思っているんだろう。
そうでなきゃ、こんな風に言い合えるわけがない。
「っ……信じてたわよ……! 当たり前じゃない! 死んでなんていたら承知しないわよ! でも、でも……」
「悪かった。心配をかけたな。こうして無事だから安心しろ」
「……心配なんてしてなかったわよ! 諦めが悪いあんたのことだから、どっかで人様に迷惑をかけて生きてるって思ってたわ!」
「正確な分析だな。さすがは腐れ縁なだけはある」
俺がそう言うと、アリシアは俺をキッと睨み、背を向けた。
怒っているように見えるが、こういうときのアリシアはそんなに怒ってない。
ただ、感情表現に困っているだけだ。
「そういえば、俺の兵士たちはしっかり領内に戻れたか?」
「……何人か怪我したけど、全員戻ったわ。けど、この戦に参戦してるわよ。そのうち、来るんじゃないかしら?」
「そうか。無事だったか。ありがとう、アリシア」
「な、なんで礼を言われなきゃいけないのよ!?」
振り向き、アリシアがこちらに顔を向ける。
パタパタと手を振って慌ててるあたり、本当に予想外な言葉だったらしい。
けど、俺には当たり前な言葉だ。
「だって、お前が面倒を見てくれたんだろ? 侯爵は敗残兵の収拾で忙しかったはずだし、お前が気を使ってくれなきゃ、指揮官のいない部隊なんて碌な扱いを受けないはずだ」
いくら侯爵の縁者の部隊とはいえ、その縁者はいなかった。
撤退時のトラブルは、下手をすれば戦よりも酷い場合がある。
敗戦のショックが抜けないまま、疲弊し、痛む体を引きずり、領地に戻るのだ。
後ろから敵が来るのでは、と怯え、そこから来る不安から少ない兵糧の取り合いが始まる。
同士討ちで全滅した軍だって存在するくらいだ。
かなりキツイ状況だったのは聞くまでもない。
そんな中で、クロスフォードの兵が無事だったのは誰かが気を使ってくれたからだ。
彼らをまとめてくれたからだ。
侯爵にそこまで余裕があるわけがない。
なら、アリシア以外あり得ない。
「侯爵の兵も大勢死んだはずだ。初めての戦が負け戦で、やばい撤退の気分はよくわかる。そんな中でもお前は俺の兵に配慮してくれた。礼以外に何も言えないさ」
「っ……!」
アリシアが黙り込んで、俯く。
肩を震わせている様子は、普通じゃない。
心配になって覗き込むと、アリシアの目には涙が溜まっていた。
「え? あ、おい……」
「やめてよ……。そんな言い方しないでよ……。ユウヤのほうが何倍も辛かったはずでしょ……?」
「いや、まぁ、辛かったけどさ……そっちも辛かったことは事実だろ?」
「だからやめてよ! 私は……ユウヤが必死で戦ってるときに逃げてたの! 辛かっただろ、とか、お礼を言われるような女じゃない!」
頭を振って、アリシアは顔を上げた。
その目は微かに充血しており、涙はもう溢れんばかりに目に溜まっている。
「アリシア……」
「私は……逃げたの……」
アリシアはプライドが高い。
敵を目の前にして、撤退は相当大きなダメージだったはず。
そして、自分が逃げているときに俺は戦っていた。
それが心に影を落としている。
悔やんでも悔やみきれない。
そんな思いが表情から、涙から伝わってくる。
「でも……ここにいる。もう一度、戦ってるだろ? ほぼ確信してた。絶対にいるって。アリシアはそういう奴だから。負けっぱなしじゃ終わらない。だからここにいる。そうだろ?」
「それは……」
「俺もここにいる。俺も負けっぱなしじゃいられないから。あの日、俺とアリシアの行動は違ったかもしれない。でも、ここにいる。あの日、あの時、俺も、アリシアも、多くの命を守るために行動した。その結果が今だ。あの時の行動なんて些細な問題だ。俺たちはそれぞれできることをやった」
アリシアにはブライトフェルン侯爵の跡取りという立場があった。
多くの兵に指示をだし、侯爵を補佐しなければいけなかった。
本人は逃げたと思っているようだけど、役割を果たしただけだ。
逆の立場なら、俺も迅速な撤退のために指示を出し続けたはずだ。
「それとも手を抜いたか? できることをやらなかったか?」
「っ! 馬鹿にしないで! やれることは全部やったわよ! 私とお爺様が頑張ったから、今もアルシオンは戦力を保っていられるんだから!」
「なら、いいじゃないか。お前は後方指揮官で、俺は前線指揮官だった。そこで最善を尽くしたから今がある。だから、今日の勝利は俺たちの手柄だろ? 気にするなよ。お前が後ろにいたから、俺は安心して戦えた」
「っ……!」
せき止められていた涙が一気に溢れだした。
頬を涙が伝い、アリシアは手で何度も拭うが、涙は一向に収まらない。
「……ユウヤが私を泣かしたってリカルドおじ様にいいつけてやる……」
「おいおい……」
呆れながら、俺は苦笑する。
アリシアが泣いているのを見るのは、これが二度目だ。
一度目はアリシアの父親が亡くなったとき。
アークレイムとの小競り合いだった。
ほとんど死者は出なかったが、アリシアの父は敵の矢に射抜かれて死んだ。
そしてアリシアは葬儀中は気丈に振る舞い、親族だけになったらようやく涙を流した。
それはもう号泣だった。
あれほど対処に困ったのは前世を含めても、そうはない。
そして今もどうしようかと思っていると、アリシアが俺の腕を掴んで、引っ張った。
「おわぁ!」
アリシアに引っ張られ、一歩踏み出す。
するとアリシアは俺の胸に顔を押し付けた。
そして、俺の体に隠れるようにして、体を小さくした。
「知らない人に泣き顔見られるなんて嫌……」
「ならこんなところで泣くなよ……」
「泣かした癖に……」
軽口には応じるが、一向に泣き止む気配はない。
周囲にはあまり人はいないが、このままじゃ本当に誰かに見られてしまう。
アリシアの心情もそうだが、俺としても変な噂は困る。
今の状況は、泣いてるアリシアを胸の中に引き込んでいるように見えなくもない。
「せめて天幕に行こう。本当に情けない顔を見られるぞ?」
「……止まらないんだから仕方ないじゃない……馬鹿」
「どうして俺が罵倒されなきゃならんのだ……」
「罵倒で済んでるんだから……いい方よ。ユウヤじゃなかったら、魔法で焼却してるんだから」
怖い言葉を発しているんだけど、小さくなって泣いている姿を見ていると、ちっとも怖くない。
涙が止まらず、俺の胸に額を押し付ける姿は、年相応の少女のものだ。
「はぁ……できるだけ早く泣き止めよ。それまでは胸を貸しておいてやるから」
「……酷い胸。硬いし、汗臭いし、薄いし」
「はいはい。悪かったな」
「……ユウヤ」
「どうした?」
「……おかえり。生きててよかった」
「ようやくかよ。ただいま、アリシアも生きててよかった」
●●●
ようやくアリシアが泣き止み、移動しようとした時。
彼女は唐突にやってきた。
「お帰りなさいませ! ユウヤ様!」
目が回りそうな縦ロール。
戦場なのに豪奢なドレス。
相変わらずブレない人だと思いつつ、俺はやけに好意的というか、馴れ馴れしい態度に一歩退く。
「えっと……ただいま帰りました。フェルト・オーウェルさん……」
記憶が正しければ、まともに喋ったことはない。
喋っていたのはいつだってアリシアだったはず。
「そんな! さん付けなんて、他人行儀ですわ! どうぞ、遠慮なさらずフェルトと呼んでくださいませ」
「……」
なんだろう。
この感じ。
美人が顔を赤らめて、名前で呼んでほしいと言っているのに、なんだか喜べない。
なんでかわからないけど、目の前のフェルトが肉食獣とか狩人とか、こう、狩る側に見えて仕方がない。
「おい、アリシア! なんだ、この人!?」
「あんたがヘムズ平原で助けるからこうなっちゃったのよ!」
小声でアリシアに問いただすと、そう答えが返ってきた。
ああ、確かに。
ヘムズ平原で助けたな。
今の今まで忘れたけど。
「ヘムズ平原ではお世話になりましたわ。それで、よろしければ、そのお礼を私の天幕で」
「離れなさい!」
俺の腕に胸を押し付けて、隙あらば連れていこうとするフェルトに、アリシアが手刀を放つ。
フェルトは俺から離れ、アリシアと睨みあう。
ふくよかな胸が離れたことは少々、残念だけど、その誘惑に負けたら、完全にあっちのペースに飲まれる気がする。
気を付けよう。
この人は危険だ。
「お礼は必要ありません」
「そんな! いけませんわ! オーウェル家の娘として、命を救っていただいた礼をしないなど!」
「ふん! オーウェル家の娘? 成金らしくお金でも渡すのかしら?」
「アリシア。少し黙っていていただけるかしら? わたくし、ユウヤ様と喋っているの」
バチバチと二人の視線がぶつかり合う。
正直、面倒くさい。
だいたい、今は移動準備のはず。
この二人にだって準備はあるだろうに。
聞いた話じゃ、王女率いる魔導師部隊に所属しているとか。
今回の主力の一つだと言うし、こんなところで油を売っている暇はないだろう。
「フェルトさん」
「はい!」
「本当にお礼は結構です。正直、あのときはアリシアを助けるために狂戦士を討っただけですので」
「なっ!?」
俺の言葉にフェルトは愕然として、一歩、二歩と後ずさる。
そんなフェルトを見て、アリシアが勝ち誇ったように胸を張る。
「あ~ら、残念ね、フェルト。あなたは私のついでだったらしいわよ? まぁ、私のおまけだったとしても気を落とさないで。私とあなたじゃユウヤとの信頼関係は雲泥の差だもの」
「まぁ、ついでって言えば、アリシアもついでだけどな。俺の目的は侯爵への伝令だったし。あの場が落ち着かないとおちおち報告もできないから」
そう言って、場を収めようとしたのだけど、アリシアは小さく小刻みに肩を震わせ始めた。
「おーほっほっほっ! ざまぁありませんわね! アリシア! 信頼関係があるのについでだなんて、可哀想で涙が出てきてしまいますわ!」
「このっ! 訂正しなさい! 私を助けに来たといいなさい!!」
「いや、嘘を言えるかよ。あのときは、侯爵への援軍のつもりだったから、誰を助けに来たといえば、侯爵だ」
「いいから訂正しなさい!!」
今にも魔法を放ちそうなアリシアを見て、俺は本能的に逃走することを選んだ。
もう構っていられるか。
この二人と関わると昔から碌な目に遭わない。
関わらず、逃げるが勝ちだな。
「じゃあ、俺は失礼!」
「あ、こら! 待ちなさい!」
「ああ! お待ちになって!」
二人が伸ばした手からすり抜け、俺は脱兎のごとく逃げ出した。




