第二十七話 自軍強化
「進め! とにかく進め!」
敵兵の海の中を俺たちは進んでいく。
恐慌状態のマグドリア兵には、俺たちがエルトの軍に見えている。
笛の音と掲げる軍旗がそうさせたのだ。
だが、それも長続きはしない。
進めるときに進まなければ、敵の反撃に遭う。
「落ち着け! 皆、落ち着け! あれはレグルスの使徒を装うアルシオンの部隊だ!」
声を出す馬上の指揮官。
だが、恐慌状態の兵士たちには通じない。
焦り、不安、恐怖。
負の感情は伝達しやすい。
そしてそこから中々抜け出せない。
だが、絶対に抜け出せないわけじゃない。
流れは必ず変わる。
俺たちの足が止まり、向こうに落ち着く余裕が生まれれば、兵士は冷静になってしまう。
だから。
「くっ!」
俺は声を出し、落ち着くように命じている指揮官に剣を振るう。
指揮官は持っていた槍で俺の剣を払う。
中々できる。
けれど、こんなところで時間をかけるわけにはいかない。
「武器強化……十倍」
五十倍まで耐えられるブルースピネルにとっては、十倍くらいなら大した負担にもならない。
刀身を包む青い光が輝きを増す。
見た目の変化はそのくらいだが、剣としての威力は別物だ。
再度、俺は指揮官に剣を振るう。
先ほどと同じように指揮官は槍で弾こうとする。
しかし。
「なっ!?」
ブルースピネルは槍の刃を切り裂き、指揮官の左腕を斬り飛ばす。
そのまま俺は指揮官を素通りする。
片腕を斬り飛ばされた以上、抵抗はできないだろう。
退くなら退くでいいし、なおも戦線にとどまるなら後方の兵士たちにやられる。
「レオナルド!」
「はっ! ここに!」
俺の左後方から声があがる。
槍を持ったレオナルドが、馬を走らせ、俺の近くによってくる。
「軍旗を変える準備を始めろ!」
「もうですか!?」
「本陣近くの奴らはもう気付いてる! 正体を明かしたほうが効果的だ!」
現在の位置はマグドリア軍の半ばほど。
本陣まではまだ距離がある。
今は快進撃といえるほど順調だが、ここからはそうもいかない。
これ以上、エルトの幻影は持たない。
だが、持たないなら持たないでいい。
マグドリアにとって、エルトも恐ろしいだろうが。
「俺自身も恐ろしいはずだからな」
目の前に立ちふさがった兵士の胸を突き差し、そのまま横に裂いて、次の兵士を切り伏せる。
切れ味が落ちないブルースピネルと、武器強化が成せる技だ。
普通の剣じゃこうはいかない。
「さすがは使徒様から頂いた魔剣ですな」
レオナルドが感心したように呟く。
武器強化の力も魔剣の力だと思っているようだ。
それならそれで好都合だ。
不自然だと疑われるよりよほどいい。
「準備が整いました。いつでも変えられます」
「よし! 合図があったら変えろ!」
軍旗を変えるタイミングは、兵の質が変わった瞬間だ。
使徒を騙る偽物になら立ち向かえても、ヘムズ平原の悪夢を引き起こした銀十字には立ち向かえないはずだ。
恐怖というのは、そう簡単には消えない。
「死ねぇ!!」
部隊と部隊の間を抜けると、兵の動きが変わる。
整然と槍を構えて、俺を迎え撃ってきた。
槍の穂先を切り裂き、部隊の中に割り込んだ時に、俺は左手を掲げた。
「旗を掲げろ!!」
「ははっ!!」
後ろで大きな声がして、旗を持っている兵士が、付け替えた軍旗を掲げる。
先ほどまでロードハイムの旗だったが、今は青地に銀十字の旗。
率いるのは、同じ模様のマントを着た男。
それだけ揃えば、あの戦場にいた者は察しがつくだろう。
今まで意気揚々と向かってきていた歩兵の腰が引ける。
そのまま抵抗すらできず、固まったまま俺に斬られていく。
誰かが呟いた。
「銀十字……」
それがキッカケだった。
ゆっくりと、だが確実に俺の正体が浸透していく。
そして、恐怖に耐えきれなくなった兵士が叫び声をあげた。
「アルシオンの銀十字だ!!」
「ヘムズ平原の悪魔だ!!」
どっと兵士たちが後ずさり、俺の道を開ける。
阻止しなければとわかっていても、足が出ないのだろう。
「アルシオンの兵士たちよ! ヘムズ平原を生き残った勇者たちよ!! ヘムズ平原の屈辱を! 犠牲を! 今ここでぶつけろ!」
「おおお!!」
「使徒のいないマグドリアなんて怖くないぜ!」
「俺たちを止めたきゃ狂戦士を連れて来い!!」
後ろから雄たけびが響き、マグドリア兵への攻撃が苛烈になる。
逃げて楽しかった者などいない。
追い詰められて、嬉しかった者などいない。
あの屈辱はだれも忘れられない。
あの恐怖をだれも忘れられない。。
狩り出される獣の気分を味わい、逃げることしかできなかった。
今、マグドリアにそれらをぶつけなければ、一生心からそれらは拭えない。
「続け! アルシオンの兵士たち! このユウヤ・クロスフォードが諸君らの道を作ろう!!」
決死の覚悟での突撃という点でいえば、今もあの時も変わらない。
だが、ここには黒騎士団もいなければ、狂戦士が出てくる心配もない。
俺たちを阻むのは無数の雑兵。
数の暴力だけが俺たちの敵だ。
「進め! 立ち止まるな! 俺について来い!!」
立ち止まれば、飲み込まれる。
今は恐怖に飲まれている敵兵も、やがてヘムズ平原での怒りを思い出す。
そうなれば不利なのは俺たちだ。
そうなる前に決着をつける。
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突撃を開始して、一時間。
本陣ももう目前まで迫った。
だが、その前に兵士たちが限界に近付いていた。
「ぐっ!」
横から突き出された槍が腕に掠り、レオナルドが呻きながら、その兵士を突き殺す。
しかし、その後から続々と兵士が現れる。
本陣近くの兵士は精兵ばかりだ。
どいつもこいつもそれなりに武器を使う。
一対一なら何の問題もないが、それが四方からやってくるとなれば話は違う。
一万の敵兵の中では、俺たちは海に取り残されたボートよりも矮小な存在だった。
横から攻撃を仕掛けていたアルシオンの騎兵団の姿はもうない。
そのせいでこちらに攻撃が集中している。
囲まれた以上、突破しなければいけないのに、俺自身の体力も限界に達しつつあった。
「くそっ! しつこい!」
まとわりつく虫を払うように剣を振るえば、敵兵の命が一つ散る。
だが、また新たな敵兵が現れる。
もう後ろのほうの味方はやられ始めている。
彼らを守らなきゃいけないのに。
近くに見える本陣を落とさなきゃいけないのに。
本陣は遠く、味方を守る余裕がない。
武器強化も、体への強化にも余裕はある。
だが手が足りない。
全てを守るには、俺の二本の手では、一本の剣では足りない。
「殺せ! アルシオンの銀十字を殺せ!」
「拾った命を捨てに来た愚か者共め!」
「ヘムズ平原で死んだ者たちと同じところに送ってやれ!」
あちこちから飛んでくる罵詈雑言に心がやられそうになる。
自分を奮い立たせ、剣を振るい、声を上げる。
だが、味方を鼓舞する声が届かない。
一万人が俺たちの死を願い、声を発しているからだ。
これじゃ、ヘムズ平原のときと変わらない。
あのときも死なせ、今も死なせている。
世界のどこかで散る命に興味はないけれど、せめて、関わった者たちの命は守りたいと思っているのに。
自分の手の中にある命だけは取りこぼさないようにと思っているのに。
俺の手は小さく、命が次々と零れ落ちていく。
「若君! あなたと戦えて光栄でした!!」
一人の兵士が腹を刺されながら、敵兵を数人道ずれにして、馬から落馬する。
崩れ落ちるその顔は満足そうに笑っていた。
その笑顔が憎たらしかった。
その笑顔を見るべき人たちがいるはずなのに。
なぜ、俺なんかに見せるのか。
「死ぬな! 生きろ! 戦え! 生きるために戦え!!」
声を張り上げる。
一体、何人に届いているのか。
気持ちすら届かない。
敵兵に遮られる。
膨らむのは無力感と、そんな自分への怒り。
「ちくしょう……!!」
背伸びをした結果がこれか。
エルトと約束したのに。
クロック砦で会おう、と。
それなのに、こんな何てこともない奴らに足止めをされている。
黒騎士団の団長でも、狂戦士でも、使徒でもない。
エルトならば歯牙にもかけない奴らに俺は捕まっている。
使徒エルトリーシャ・ロードハイムが友と呼んでくれた俺が!
数の暴力にやられている!
そんなことが許されていいはずがない。
いつでも堂々としているエルトの友人として、胸を張れる友人でなければいけない。
少なくとも、こんなところでやられる奴をエルトが友と呼んだなんて、事実を作るわけにはいかない。
「調子に乗るな!」
向かってきた敵兵を切り伏せ、返す刀で逆方向の敵の顔を切り裂く。
無様な悲鳴を上げる敵兵を無視して俺は本陣を見つめる。
距離はそこまでじゃない。
勢いに乗れれば、必ずたどり着き、敵将を討てる。
勢いが必要だ。
キッカケが必要だ。
今、必要なのは策じゃない。単純な力攻めを打ち破るための力だ。
エルトの神威のように。
絶対的な何かが必要だ。
狂戦士のような勢いが必要だ。
あの爆発力が必要だ。
今は。
「強い軍が必要だ……!」
弱いなら、足りないなら。
強化すればいい。
そういう神威なのだから。
マグドリアの使徒ができて、エルトができて。
俺にできないわけがない。
戦から目を背け、神威の向上を怠ったからできていないのなら、今、目覚めればいい。
今、試せばいい。
使徒は総じて優秀な将軍であり、単騎で数千の兵を屠れる猛者だ。
神威にはそれだけの力がある。
俺も反動を考慮せず、自分に強化を重ねがけすれば、それに似たことができるだろう。
だが、それだけなら使徒はそこまで恐れられない。
万の軍を用意すればいいだけのことだからだ。
使徒が恐れられるのは。
神威の力が使徒の味方にまで効果を及ぼすからだ。
使徒に率いられた軍は、どれだけ弱小の軍でも一騎当千の猛者揃いになる。
「アルシオンの兵士たちよ……。俺の戦友たちよ! 背中の銀十字を見ろ! これがお前たちに力をくれる! 思い出せ! ヘムズ平原での突撃を! あのときのお前たちはもっと強かった!!」
あのときだって万の軍に突撃した。
ボロボロの兵士ばかりだった。
それでも狂戦士のように戦えたのは、おそらく俺が無意識に彼らを強化したからだ。
なら、今もできるはず。
俺の味方に、俺の銀十字を追う者たちに。
「自軍強化……!!」
俺の軍に強化の力を。
そのまま俺は走り出す。
馬に強化を掛け、無理やり突破を図る。
目指すのは本陣。
そこに陣取る敵将だ。
「若君に続け!!」
「行くぞぉ!!」
後ろから声が上がる。
その声は覇気に満ち溢れ、さきほどまでの劣勢を感じさせない。
すぐに俺の横にレオナルドが並ぶ。
その槍さばきは見事であり、その威力は敵の体に風穴を開けるほどだ。
「若君!! お下がりを! 今なら私でも先頭が務まります!」
「ぬかせ! だが、そう思うなら抜いてみろ!」
「それでは! はっ!!」
レオナルドが俺の隣に並び、槍を振るっていく。
やがて、続々と俺の横に兵士たちが並んでいく。
包囲陣を敷いていたマグドリア兵はどんどん命なき骸へと変えられていく。
僅かな間に、俺たちの周囲に夥しい数の死体が積みあがり、大地が血で真っ赤に染まる。
兵士たちの個々の武勇で包囲を食い破ったのだ。
「行くぞ! 狙うは敵将、ただ一人!!」
本陣の兵までたどり着いたとき、俺は声を張り上げた。
すでに俺の檄を妨げるマグドリア兵の声はない。
代わりに響くのは、アルシオン兵の気迫の声と、マグドリア兵の悲痛な叫びだ。
さきほどまでの優勢が一気にひっくり返ったことが信じられないのか、本陣の兵は茫然としている。
その表情には見覚えがある。
初めて狂戦士を見たときの俺たちの表情だ。
似て非なる者だが、見る者には同じようにしか映らないだろう。
「くっ! アルシオンの銀十字!! ヘムズ平原で死んだ弟の仇!!」
馬に乗った兵士が斧を持って迫ってくる。
あれだけ巨大な斧だと、槍のように斬るというわけにはいかないだろう。
だから。
「武器強化……三十倍」
一気にブルースピネルの強化を倍加させ、その斧へ目がけて剣を振る。
こいつに時間をかけて、敵将に逃げられるわけにはいかない。
「馬鹿め! 剣で斧に勝てるか!!」
「邪魔だ!」
斧と剣がぶつかり合う。
いや、正確には斧に剣が入り込む。
そのまま剣は止まらず、分厚い斧を切り裂き、馬上の兵士の胴も両断する。
まるで野菜か何かを斬ったかのような感触だ。
切れ味だけでなく、余波が生まれ、前方にいた敵兵たちは吹き飛んでいる。
さすがに魔剣にしてもおかしい威力だ。
「今はだれも気にしないか」
味方は本陣の敵兵を仕留めるのに忙しい。
もう本陣にいた兵士たちは半数近くやられている。
この分じゃ、もう持たないだろう。
そう判断して、さらに奥に馬を進める。
「……お前が敵将か?」
「いかにも」
敵将は壮年の男だった。
灰色の鎧に身を固め、上等なマントを羽織っている。
その周りには決死の表情の兵士たちがいる。
だが、敵将はその兵士たちを下げ、剣を持って馬を前に進める。
「アルシオンの銀十字……ヘムズ平原の悪魔……本当に悪魔のような小僧だ」
「褒め言葉と受け取っておこう。言い残すことはあるか?」
「ふん! 覚えておけ。勝つのはマグドリアだ! 我らの使徒が貴様も貴様の兵士たちも殺す! あの世で先に待っているぞ!!」
そう言って敵将は馬を真っすぐ走らせてくる。
それに応じて、俺も真っすぐ馬を走らせる。
馬と馬がぶつかり合う瞬間、俺の馬は横に跳躍する。
それは馬というよりはカモシカに近い動きだった。
信じられないモノを見るような目で、敵将は俺の動きを追ってくる。
空中で俺は腕を引く。
何をする気か察したのか、敵将は顔を歪ませて呟いた。
「化け物め……!」
「初めて言われたよ」
着地と同時に首を貫く。
三十倍に強化されたブルースピネルの突きは、敵将の首を刎ね飛ばし、後ろにあった天幕を崩壊させる。
一瞬、静寂が走る。
敵将の近くにいた兵士たちは、恐怖で顔を引きつらせ、武器を落とす者もいる。
一押しすれば、マグドリア兵全体がそうなるだろう。
「敵将! ユウヤ・クロスフォードが討ち取った!! まもなくレグルスの使徒、エルトリーシャ・ロードハイムもやってくる! 臆した者は逃げるがいい! 臆さぬ者は掛かってこい! だが、その身でヘムズ平原で死した数千の魂を受け止める気で来い! 我らは容赦はしない!!」
剣を掲げ、周囲の兵士たちに伝える。
将軍が討ち死にしたという報は全軍に走るだろう。
立て直すにしろ、逃げるにしろ。
俺たちを含めたアルシオン兵から離れる必要がある。
この戦、俺たちの勝ちだ。
そう思ったとき、アルシオン軍から大きな歓声が聞こえてくる。
向こうにも伝わったか。
「俺たちも……勝ち鬨だ!!」
剣を大きく掲げ、上空へ吠える。
それにつられて、アルシオンの兵士たちも吠え始めた。
それがマグドリア兵には獣の遠吠えにでも見えたのだろう。
恐怖でさらに顔を引きつらせ、彼らは武器を捨てて逃げ出した。
これでエルトとの約束は果たした。
エルトが援軍として来てくれる。
そう思うと大きな安心感が心の中に広がった。




