閑話 マグドリアの切り札
二話連続投稿です。
これが二回目です。
ユウヤたちがリースの町で休息を得ていた一日前。
エルトはヘムズ平原にいた。
「まったく、こんなことだろうと思ったぞ」
「よほどエルトリーシャ様を介入させたくないようですね」
平原に陣を張るマグドリア軍を遠目で観察しながら、エルトとクリスは馬を並べる。
場所はマグドリア軍の側方にある丘の影。
時刻はそろそろ日が落ちようかという頃。
まさか敵がいるとは思っていないマグドリア軍は、エルト率いる五千の騎士にまったく気づかず、偵察も出していなかった。
エルトたちは国境での戦いが終わったあと、ヘムズ平原の動きを調査するために、こうしてやってきたのだ。
「見ろ。あの油断しきった陣を。攻撃してくれと言わんばかりじゃないか」
「とはいえ、敵は一万です」
「所詮、寄せ集めだ。レグルスとの戦に精鋭を回している以上、こちらには質の低い兵士が集まる。二倍程度なら脅威にもならん」
倍の軍に対して、エルトはそんな評価を下し、鼻で笑う。
いつもどおり自信満々な姿を見て、クリスは軽くため息を吐いた。
「では、目の前の敵軍はいいとして、陛下の命に背いてよかったのですか?」
「背いた? なぜ?」
「このヘムズ平原はマグドリアの領地です。陛下はアルシオン国内に入ることを許可されましたが、マグドリア領に入ることは許可されていません」
クリスの言葉にエルトは大げさに首を横に振った。
その顔は悪戯好きな子供のようである。
「馬鹿を言うな。私の記憶が正しければ、ヘムズ平原の半分はアルシオン領だ。ここもアルシオン領だろ?」
「ヘムズ平原での戦いで変わりました」
「冗談はよせ。ヘムズ平原の戦いはまだ続いている。アルシオン国内でな。この平原がどうなるかは、クロック砦での勝敗次第だ」
「そのような屁理屈を陛下に告げるおつもりですか?」
「もちろんだ。だいたい、前線の状況は刻一刻と変わる。戦の前に決めた約束など、早々守れるものか」
身も蓋もないことを言い切るエルトにクリスは呆れる。
国王との約束を守れないならば、一体、何を守るのか、と。
「……では、ユウヤ・クロスフォードの戦を見届けられないのはどうするおつもりですか?」
「ああ、それは私も非常に悩んだ。ユウヤの雄姿を見届けてやろうと思ってたんだが……しかしだ。私は公爵として、使徒としてだな」
「エルトリーシャ様が参戦できるかどうかは、別動隊の内容と結果次第です。このままここで戦をして、クロック砦に行っても、その内容と結果を知る術がありません」
「はぁ……クリス。少しは楽にできないのか?」
軽口に付き合わないクリスに、エルトは呆れた様子で視線を向ける。
クリスは心外だと言わんばかりの表情を浮かべる。
「僕はずっと前からこの調子です。今更文句を言うなんて……」
「ああ、ユウヤが懐かしいな。打てば響くように言葉が返ってくる。どうして世の中はユウヤばかりじゃないんだろうか」
「不気味なことを言わないでください。そんな世の中になったら、秩序が崩壊します」
「そうだな……世の中がユウヤばかりだったら、ユウヤの存在意義がなくなってしまう。それは困る」
「そういう問題ではなくてですね……」
いつまでも本題に触れないエルトに、クリスはそろそろ痺れが切れそうになった。
そんなクリスを見て、そろそろ茶化すのは限界だと察したエルトは、東へ視線を移す。
「平気だ。ユウヤは必ず勝つ。それを確認する必要はない」
「しかし……」
「それにあの腹黒王の目が放たれているはずだ。条件を満たせなければ、必ず私に知らせが来る。介入するな、とな」
「わかりました。エルトリーシャ様がそうおっしゃるならそうなのでしょうね」
クリスは一つ頷き、腰の剣に手をかける。
そのクリスの行動にエルトも頷き、エルトも剣に手をかけた。
「ここからクロック砦までは私たちなら五日というところだろう。オルメイア平原での戦いが一日で終わったとして、移動にさらに一日。かなりギリギリだが、やってやれないことはない」
「そうですね。では、早々に片づけると致しましょう」
そう言って二人は笑いあい、同時に剣を抜く。
微かに遅れて、騎士たちもそれぞれの武器を準備する。
「さて、日も落ちた。行くぞ!」
エルトは剣を空に掲げて、マグドリア軍へと振り下ろした。
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日が落ち、微かに太陽の残光だけが平原を照らす。
そんな平原をエルトを筆頭としたロードハイムの騎士たちが疾駆した。
天幕を用意し、休む準備を進めていたマグドリア軍はまったく対応ができなかった。
「組織的な反抗をさせるな! クリス!」
「はっ!」
「二千を率いて左の陣を潰せ!」
「了解しました!」
エルトの指示を受けたクリスが二千を率いて、左へと流れていく。
それを横目で見送ったエルトは、マグドリアの軍旗が集中している場所を目指す。
「まずは指揮官を潰せ! 雑兵は後回しただ!」
後方の騎士たちは心得たとばかりに、逃げ惑う兵士たちを無視し、指示を出そうとしている者を集中的に攻撃していく。
しかし、一万もいれば中には冷静な者もいる。
「右から騎兵が百!」
「中々早い立て直しだ! 百騎長ボーダン! 相手をしてやれ!」
「心得ました!!」
エルトの本隊からボーダンと麾下の騎士たちが分かれ、新手の百騎へ向かっていく。
ボーダンは巨大な戦斧を振り回しながら、向かってくる騎兵に名乗りをあげる。
「使徒エルトリーシャに仕える騎士、ボーダン! 貴様らの相手をしてやる!!」
槍を突き出す先頭の相手を構わず戦斧で薙ぎ倒し、ボーダンは笑いながら、敵の騎兵を切り裂いていく。
「あいつもノリノリだな」
「使徒様! 敵将らしき男が!」
「そうか。今度の将は歯ごたえがあるかな?」
不敵な笑みを浮かべて、エルトは目標である敵将を探す。
それはすぐに見つかった。
大きな軍旗の下、馬に乗って兵を呼び集めている。
「悠長なことだ。逃げるか攻めるかすればいいものを! つまらん奴だ!」
定石通りの対応にエルトは目を細め、鋭い視線を敵将に向けた。
ユウヤに向かって言う言葉とは違い、その言葉には侮蔑が含まれていた。
「それで一万の兵の将とは笑わせる!」
エルトは馬に速度を上げさせる。
後ろの騎士たちも置いて行かれまいと、全力でエルトを追うが、エルトとの距離は徐々に広がっていく。
「使徒様! お一人では!」
「そう思うならついてこい!」
後方の騎士に笑いながら返しつつ、エルトは目前まで迫った敵将を見据える。
初老の男だ。
エルトの接近に気付き、配下の兵士たちに防御を命じるが、その程度で止められるなら苦労はしない。
エルトは光壁を展開し、剣を振らずに敵兵を吹き飛ばす。
まるで斬るに値しないと言わんばかりに。
「貴様が敵将か?」
「……いかにも。我が名は!」
「興味はない」
剣を抜いて名乗りを上げようとする敵将に向けて、エルトはそう言って神速の剣を振るう。
首を刺し貫かれた敵将は、言葉を発することなく馬から崩れ落ちた。
エルトはつまらなそうに、剣についた血を払う。
「まったく……これでは国境にいた将のほうがまだマシだぞ? マグドリアも人材不足ということか?」
呟きながら、エルトは自分を囲む兵士たちを一瞥する。
彼らは槍を手に持ち、エルトを囲んでいるが、腰は引けており、その顔には恐怖が張り付いていた。
「散れ。向かって来れば容赦はしないし、私の騎士たちは私に刃を向けた者も容赦はしない」
エルトの清冽な声と荒々しく響く馬蹄の音を聞いた兵士たちは、恐怖の色を濃くして、一斉に武器を放り出して逃げ出した。
そんな兵士たちを呆れた表情を浮かべながら、エルトは見送る。
「少しは骨のある奴はいないのか?」
そのときだった。
エルトは背後に気配を感じ、解いていた光壁を再度展開する。
「ちっ!」
「ほぉ?」
後ろから飛びかかってきたのは覆面をした男だった。その男の攻撃は光壁に阻まれる。
その攻撃にエルトは関心したように声をあげた。
男の攻撃は〝爪〟だった。
「魔族か……しかも獣人。おかしいな? 私はマグドリアの陣地を攻めたはずなんだが?」
獣人とは魔族の一種であり、亜人種だ。
人の三倍、四倍ほどの寿命を持ち、圧倒的な身体能力も持っている種族である。
獣の耳や尻尾などがあるという特徴を持ち、体のどこかに独特の紋様が浮かぶ。
ただし、成長は人よりも遅く、繁殖力でも劣る。
「そのマグドリアに協力してるんだ。悪いが死んでもらうぞ。レグルスの使徒!」
地面を両手と両足で蹴り、獣人はエルトの横に回り込む。
そこから一気に跳ねて、鋭い爪でエルトの首を狙う。
その攻撃をエルトは剣で受け止める。
「おもしろい。その話をもう少し詳しく聞かせてもらおうか?」
「話すことなんて、ない!」
爪と剣がせめぎ合うが、獣人は足を跳ね上げてエルトの顔を狙う。
それをエルトは体を逸らすことで避ける。
「くそっ!」
「残念だな。私はたくさん聞きたいことがあるのに」
「舐めやがって!」
怒涛の連打。
手と足の爪を使った攻撃を、エルトは剣一本で弾いていく。
そして。
「獣人は魔族の中でも最も身体能力が高いというが、お前はそうでもないな」
「なに!?」
「昔、魔族の傭兵と戦ったことがある。今のお前の比ではなかった。お前、魔族の子供だな?」
「ふざけるな! オイラはもう大人だ! 少なくともお前よりは年上だ!!」
再度向かってきた獣人に対して、エルトは剣を振った。
それは今までよりも格段に速く鋭い一撃だった。
その一撃で獣人の覆面が剥がれる。
獣人は少年だった。
狼のような耳を持ち、首筋に紋様があるが、外見はそこまで人と大差はない。
顔の造形は幼く、エルトの指摘どおり子供だということが一目でわかる。
「やはり子供か。嘘はよくないぞ?」
「お前よりも年上だ!」
「獣人と人間は成長が違う。お前が三十年生きていたとしても、獣人換算でいえば十歳くらいだろ?」
「くっ……!」
図星なのか、獣人の少年は悔しそうに唇を噛みしめる。
先ほどの一撃で、エルトが本気を出せば敵わないということも少年には理解できた。
ゆえに少年はその場で腰を下ろす。
「殺せ! 無様な姿は晒さない!」
「子供を殺す趣味はないんだ。だいたい、獣人を含めて、魔族はことさら子供を大事にすると聞くが? どうして戦場に出てきた?」
出生率の低い獣人、そして魔族全体にとって、子供は一族の宝であり、無暗に戦場へ出したりはしない。
子供が一人で戦場にいることに、エルトはとてつもない違和感を覚えていた。
そして、それに対する答えをクリスが持ってきた。
「エルトリーシャ様!」
「ん? 随分とまぁ奇妙な客人を連れてきたな」
「申し訳ありません」
急いで駆け寄ってきたクリスの馬には、獣人が乗っていた。
謝罪しつつ、クリスは共に馬へ乗っていた獣人の老人を馬から降ろす。
小柄な老人だ。割りと小柄なクリスよりも頭一つさらに小さい。
少年と同じように狼のような耳があり、尻尾も生えている。
一目で獣人とわかる老人だが、年なのか杖をついている。
「長老!? 人質とは卑怯だぞ! 人間はいつもそうだ!」
「これ、カシム。儂は保護されてここにいるのじゃ。安心せい。皆、レグルスの方々に保護されておる」
「保護? 穏やかじゃない話だな。協力していたのではないのか?」
エルトの問いかけに、獣人の長老は杖をついたエルトの前に出ると、頭を垂れた。
「お初にお目にかかる、使徒殿。狼牙族が長老、ルダールと申します」
「レグルス王国の使徒、エルトリーシャ・ロードハイムだ。戦場ゆえ馬上から失礼する。それと手短に状況をお伝え願いたい」
「はい。我が狼牙族はラディウスに行き損ねた一族でございます。マグドリアの奥地でひっそりと暮らしていたのですが、半年ほど前にマグドリア軍によって皆、捕らえられてしまいました」
「捕らえられた? 獣人の一族が? マグドリアごときに?」
エルトが疑問を並べると、長老であるルダールではなく、獣人の少年、カシムが答える。
「人質を取られたんだ!」
「なるほど。気に食わない作戦だが、同族意識の強い魔族には効果的だな。それで降伏し、マグドリアへ協力を強要されたのか?」
「その通りでございますが……我らの意思も介入しております」
「ほぉ? 自発的に協力したというなら、私はあなたにも容赦するわけにもいかないのだが?」
「嘘を言っても仕方ありません。我らは……アルシオンを落とせばラディウスに渡らせるという約束をマグドリアから持ちかけられ、それに乗ったのでございます」
深々とルダールは頭を下げ、ついで膝を折る。
それを見て、カシムが悲鳴のような声をあげる。
「長老!?」
「どうか、一族の者の命は救ってくだされ……ここには老人や子供、非力な女しかおりませぬゆえ、どうか、どうか」
「頭をあげろ。戦闘に関係のない者の命は奪わない。だが、情報だけは貰うぞ?」
「ありがとうございます、ありがとうございます。私に喋れることならばなんなりと」
そう言うルダールにエルトは最も気になり、そしてほぼ確信していることを聞く。
「戦える者はどこにいる?」
「マグドリアの使徒と共にアルシオンへ……」
「やはりか……。クリス! 長老を含めた狼牙族は一時、レグルスにて保護する! 長老、ここにはどれほどの狼牙族がいる?」
「五百人ほどでございます」
「よし、クリス。千人を選抜しろ。長老たちの護衛を任せる」
「畏まりました。エルトリーシャ様。この場の敵はどうなさいますか?」
クリスは敗走している敵軍へ追撃をするかどうかを問う。
その質問にエルトは首を横に振った。
「将が討たれ、敗走した軍を立て直すのは容易じゃない。すぐにはレグルスには攻め込めないだろう。それに、それどころじゃなくなった」
そう言ってエルトは東側を見る。
ユウヤやエルトの目的地であり、決戦の場となるクロック砦がある方向だ。
「身体能力の高い獣人に狂化は最悪に近い組み合わせだ! 急ぐぞ! マグドリアの切り札は想像以上に強いカードだ!」




