第二十四話 そしてプロローグへ
エリアール暦448年6月初旬。
レコン山脈とヘムズ平原の間にある、レグルスとアルシオンの国境。
そこでマグドリア対レグルスの戦闘が開始された。
マグドリア軍は五千の内、二千を前線に出した。
対して、俺やアルシオン兵を含めたエルトの兵は一千五百。
数はそこまで差はないが、こちらは二日の行程を一日余りで走りぬいたばかり。
馬も兵たちは疲れ、数も劣る。
どう考えても不利は否めないのだが。
「やられるのは敵ばかり、か」
圧巻の突撃についていきながら、俺は呟く。
周囲を見渡せば、倒れているのは敵兵ばかり。
槍は折れ、剣は持ち主の手から零れ落ちているが、その中に味方の物はない。
戦場に漂う不快な死の匂いも、すべて敵兵の死体から発せられたもので、こちらの味方は意気揚々と剣や槍を振り回している。
戦いは激しい。
だが、一方的なものだ。こちらが攻めで、マグドリア軍が一方的にやられている。
苛烈な攻めにマグドリア兵は必死に抵抗しているが、それは意味をなさない。
使徒エルトリーシャ・ロードハイムの神威は、本人の性質とは正反対に、防御よりのモノだ。
エルトが光壁と呼ぶこの神威は、エルトが生み出した光の粒子が壁となる神威だ。
作り出された光壁は硬く、よほどの達人か魔導師、もしくは高位の魔族でもなければ破れない。だが、使徒の能力としては地味といえる。
ただ、その効果範囲が尋常ではない。
エルトは自分を含めて、数千の騎士たちをこの光壁で覆える。
つまり、エルトはもちろん、エルトが率いる騎士たちにも攻撃が届かないということだ。
しかも光壁はこちらの攻撃を通し、敵の攻撃を通さない。
全体への展開を止めて、一か所に集中すればさらに硬度を増す。そうなってはエルトと同じ使徒以外には絶対に破れないだろう。
超攻撃的な性格のエルトが持つ神威は、絶対防御の神威というわけだ。
さらに敵には絶望的なことに、エルト自身も剣の達人だ。
俺など足元に及ばない。強化を使っても互角にすら持ち込めないだろう。
そんなエルトが先頭を切って突撃するのだ。
敵は恐れ、道を開ける。勇敢な者は褒美とばかりに斬り捨てられる。
エルトに触発されて、騎士たちも奮起する。
彼らの攻撃は苛烈さを増し、敵兵を打ち倒していく。
そもそも攻撃が届かないため、恐怖を感じない。そして防御をする必要がなく、攻撃に集中できる。
そんな軍が弱いわけがない。
後方にいるマグドリア軍の指揮官は頭を抱えているだろう。
すでに先鋒の二千は敗走しつつある。
単純な突撃だから、兵の損失はそこまでじゃないだろうが、勝敗はもう決している。
後方の三千は、敗残兵を纏めてから再戦する気のようだ。
「今のところは順調か」
俺を含めたアルシオンの兵士たちは、兵力と体力の温存のために、全体の半ばほどで戦っている。
前後をロードハイムの騎士たちに守られているし、エルトの神威もしっかりと機能しているため、今のところ損失はない。
ただ、エルトの神威も無限ではない。
使徒の神威は体力を消費する。使徒も人である以上、限界というものがあるのだ。
周囲から敵兵が退いていく。
それと同時に、停止の合図が出る。
それを見て、俺は馬を先頭集団に走らせた。
槍や剣に血を滴らせた騎士たちを追い抜き、白地に赤い戦女神が描かれたエルトの軍旗と、赤地に金色の獅子が描かれたレグルス王国の軍旗を見つける。
その下には疲れた様子も見せず、マグドリア軍を見つめるエルトがいた。
「エルト」
呼びかけると、そこで初めて俺の存在に気付いたのか、エルトが快活な笑みを浮かべる。
「ユウヤか。怪我はないか?」
「あると思うか?」
エルトの神威の庇護にあって、早々怪我をするわけがない。
本人もわかっているのだろう。
それでも言ったのは、自分の神威を誇示したいからだろう。
もうちょっと安易に言えば、称賛が欲しいんだろう。
「大したものだよ。正直、ここまで圧倒的だと敵が可哀想になる。」
「可哀想か……。私の感想は張り合いがなくて面白くない、だがな」
「エルトリーシャ様と張り合える者など、大陸でも数えるほどしかいないかと」
エルトの横にいたクリスがそう突っ込む。
確かにその通りだ。
エルトは間違いなく使徒の中でもトップクラスの力を誇るだろう。
張り合えそうなのは、ラディウスにいるという魔族の使徒と、その使徒と互角に渡り合うアークレイムの使徒くらいだろうか。
「確かに。歯ごたえのある奴が出てきて、時間がかかっても困るしな。ユウヤ。これからどうする?」
「これから? 選択肢があるのか?」
俺の返しにエルトはもちろん、と頷く。
そして剣を持っていない左手の指を二本立てた。
「まずは私たちと一緒に突撃して、敵本隊を突破する選択」
「もう一つは?」
「敵は私の攻撃が怖くて密集体形を敷きつつある。だから、その脇をすり抜けていく選択だ。もちろん、囮として私たちは突撃するがな」
「最初の選択の利点は確実に敵を突破できることです。二つ目の選択の利点は早いこと。敵を突破せず、脇をすり抜けるだけですから。ただし、少数の追手が放たれる可能性はあります」
クリスがエルトの案に補足を入れる。
どちらにも利点がある。
だが。
「脇をすり抜けるのと、突破するの。そんなに時間が変わるか?」
「変わるわけないだろ? どっちもほぼ全力で馬を走らせるんだから」
エルトにとって、マグドリア軍は障害物にはなり得ないらしい。
それなら取るべき選択は決まってる。
「一緒に行くさ」
●●●
「ユウヤ! 敵将は目の前だ! どちらが先に首を取るか勝負だ!」
「勘弁してくれ……エルト。俺は敵の将軍なんかとやりあう気はない」
「意気地なしだな」
「なんとでも」
馬を走らせながら、俺は肩を竦める。
面白くなさそうにエルトは俺から顔を背けた。
だが。
「ふん、ならいい。とりあえずついてこい。特等席で私の勝利を見せてやる!」
「いや、だから、人の話聞いてる? あ、ちょっと!!」
エルトが速度を上げる。
同時に、エルトに付き従う騎士たちも速度を上げる。
そうなると俺も上げざるを得ない。エルトの力の範囲外に出るのはまずい。なにせ、ここは敵軍の真っ只中なのだから。
「あ~……ついてきたの失敗だったかなぁ」
呟き、ため息を吐く。
どうせ、将軍の首を刎ねたときに、傍にいなければ不貞腐れるか、怒るかのどちらかだ。
敵の将軍よりもエルトの機嫌を損ねるほうがよほど恐ろしい。
だから俺は、もうかなり離れたところにいるエルトの背中を見据えて、馬の腹を蹴った。
マグドリア軍の陣形は、ほぼ真っ二つにエルトとロードハイムの騎士たちによって切り裂かれている。
わざわざ密集して守りを固めても、止める術がないのだからどうしようもない。
死体の数を増やしただけだ。
とはいえ、後方にいるのはマグドリアの将軍だ。
曲がりなりにも将軍の地位にいるのだから、弱いということはないだろう。
エルトが負けるとは思えないが、俺のほうに向かってこられても困る。
こんなところで強化を使えば、後の移動に支障が出る。
「まったく……俺にはこの後、予定があるってことを失念してるな……」
興が乗ったというべきか。
それとも気分が高揚したというべきか。
なんであれ、先ほどよりは満足そうな様子でエルトは戦場を駆けている。
剣を合わせているわけじゃないから、何とも言えないが、将軍の周りを守るだけあって精鋭のような気がする。
ここに来て、エルトを恐れ、避ける者は一気に減ったから、技術はともかく気持ちの面では、さきほどの兵たちとは雲泥の差がある。
「見えたか……」
大きく掲げられているのは、黄色の生地に黒い狼が描かれた軍旗。
マグドリアの軍旗だ。
その旗の下には馬に乗った男が大剣を構えている。
一目でわかる。
あれがこの軍の将だと。
「さすがは将軍だな……」
エルトの姿を認めた敵将は、馬を走らせ、エルトへ向かっていく。
勇気がなければできない行為だ。
蛮勇だが。
玉砕覚悟の体当たり。
そんな気分だろうが、そんな攻撃が通用するなら、どこの国も使徒をわざわざ公爵の地位を使っても自国に引き込んだりしない。
普通の人間ではどうにもならないから〝使徒〟なのだ。
「甘いぞ!」
「なにっ!?」
敵将の突撃はエルトの光壁によって止められる。
馬は壁に当たり、前のめりに倒れ、敵将は宙に投げ出された。
しかし、敵将が地面に落ちることはなかった。
宙に浮いた敵将を、エルトの光壁が受け止めたのだ。
受け止めたという言い方は正しくないか。
この場合は拘束したというべきか。
四方を光壁で囲まれた敵将は、無防備の状態でエルトの突撃を受けた。
「化け物めぇ!!」
「そんな台詞は聞き飽きた!」
敵将の首が宙に舞う。
同時に体も地面へと落下した。
だが、エルトの突撃は止まない。
今は敵を突破するのが最優先だからだ。
●●●
敵軍を突破してたから、しばらくしてからエルトは停止した。
マグドリア軍は陣形を縦に引き裂かれ、将を失った。
しかし、いまだに数千の兵がおり、立て直す素振りを見せている。
「さて、ここでしばしのお別れだ。ユウヤ。私は奴らを殲滅してから後を追う」
「ああ。わかった。決戦の場はクロック砦だ。遅れるなよ?」
エルトはこれから敵軍を殲滅したあと、騎士たちの集合を待つことになるだろう。
その時間次第ではクロック砦の戦いに遅れる可能性はある。
「まずは別動隊を倒し、私が援軍に入る条件を満たしてから言え」
「平気さ。手は貸してくれなくても、笛は貸してくれるんだろ?」
俺がそう言うとエルトはニヤリと笑う。
条件を出したレグルス王への意趣返しのつもりなのだろう。
「そのとおりだ。私は王との約束通り手は貸さない。兵も貸さない。ただ、餞別代りに笛を貸してやるだけだ。所詮、笛だからな。こんなのは結果に何の影響も与えない」
そう言って、エルトはクリスに目配せする。
クリスは頷き、大切そうに保管された木箱を取り出した。
「ロードハイム家の家宝。幻獣の角笛です。特別な吹き方はありません。ただ息を吹き込めば、音色がしっかりと出ます」
「それは助かるな。特別な吹き方があったら、クリスについて来てもらわなきゃだからな」
「冗談にしては笑えませんね。あなたについて行くなんて絶対に嫌です」
「きついなぁ……」
クリスは角笛が入った木箱を俺に手渡し、顔を背ける。
そして少ししてから、軽く礼をする。
「……ユウヤ・クロスフォード。僕もあなたの武運を、及ばずながら祈っています」
「ありがたい。必ず返す。だから、お前も遅れるなよ?」
「もちろんです」
クリスはしっかりと頷き、俺から離れていく。
すでにエルトの軍旗も渡されている。
角笛も貸してもらった。
アルシオン兵の準備もできている。
あとは出発するだけだが。
まだ最後の挨拶が終わってない。
「あまり気負うなよ?」
「無茶を言うな。気負うに決まってる」
馬を寄せてきたエルトがそう言って俺の肩を叩く。
それに苦笑して返すと、エルトは柔らかな笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。お前ならやれる。もしも負けたら、私のところにやってくればいい。お前の家族、領地ともに受け入れてやる」
「やめろ。戦うのが馬鹿らしくなるだろ?」
「逃げ道があると心にゆとりが生まれないか?」
「その逃げ道に逃げ込みたくなるだけだ。戦う気力が湧いてこない」
脱力した様子を見せると、エルトは笑った。
いつも通りの笑みだ。
自分の感情をそのまま表現した笑顔。
その笑顔を見ていると、不思議と落ち着く。
「……そろそろ行くよ。お前から十分、援護を貰ったからな。あとは俺なりにやってみる」
「そうか……。死ぬなよ?」
「もちろん」
「……武運を祈る。クロック砦で会おう。辛くなったら、私を思い出せ。お前の危機には必ず駆けつける。私の誇りと名誉に誓ってだ」
それはエルトの最後の援護だった。
その言葉を聞いた途端、重荷が下りた気がした。
後ろにエルトがいる。
エルトが来てくれる。
そう思えば。
なにも怖くない。
「行って来る」
「ああ、行って来い」
そう言って、俺とエルトは馬を離す。
エルトはレグルス方面へ。
俺はアルシオン方面へ。
けれど、すぐに会うことになる。
これは別れというよりは、始まりなのだから。
道はすぐに交わる。
「目標! オルメイア平原! 我らの歩みにアルシオンの命運が掛かってる! 一歩進むごとに民の命が救われると思え! 行くぞ! 俺の背中を追って来い!!」
そう号令を発し、俺は先頭を切って走り出した。




