第二十三話 出陣
活動報告に地図をのっけました。
「出陣だ!」
剣を選んでいた日の昼。
慌てた様子でエルトが俺の部屋に入ってきた。
そして開口一番、そう叫んだ。
「……は?」
「出陣だ! 急げ!」
あっけにとられる俺を見て、エルトは待ち切れずに、傍に立て掛けてあった魔剣ブルースピネルを俺に投げてよこす。
そこでようやく、俺の思考は働き始める。
「本当に出陣するのか!?」
「だから言ってるだろ! もうクリスには指示を出した! お前はアルシオンの兵を率いろ!」
「おいおい! どういうことだ!? ちょっとくらい説明しろ!」
俺が説明を求めると、エルトは途端に不機嫌な表情を形作る。
眉が吊り上がり、眉間にしわがよる。
私は不機嫌だと、顔で表現したエルトは次に笑顔を浮かべる。
「いいから準備をしろ。説明は後だ」
「……了解」
その笑顔に、絶対に逆らってはいけない何かを感じたせいか、質問は喉で止まって口から出てこなくなった。
よしと、エルトは呟き、周囲を見渡す。
「私物はないな?」
「当たり前だろ。あ……俺のマントってあるか?」
「もちろん。ボロボロだったが直してあるぞ。あとでクリスが渡す。アルシオンの銀十字が銀十字を背負ってなくては話にならんからな」
先ほどの威圧的な笑みから、ニコリとした微笑みへ表情が変わる。
その変化に見とれていると、またあの威圧的な笑みが浮かんでくる。
「急げと言わなかったか?」
「わ、わかった。ちょっと待ってくれ」
鎧は動きやすさを重視した軽鎧だ。
色は銀。特別凝った作りではないが、軽く、動きやすい。
クリスのチョイスだが、しっかりと体にもフィットしている。
その鎧を着用し終えると、エルトは一つ頷き、自分についてくるよう告げて部屋を出る。
そのまま早足で歩くエルトの後を俺は追う。
「これからどうする?」
「出陣だと言っただろ? すぐに出る」
「……まさか今から馬に乗って出るのか?」
「そのまさかだ。これは時間との戦いだ。兵には移動しながら準備をさせる。ロードハイムの騎士が遅れるなら遅れるで構わない。だが、私とお前、そしてアルシオンの兵士たちはいち早く進む必要がある」
「どこへ……?」
俺の質問にエルトは呆れたようにため息を吐く。
歩みは止まらないが、エルトは顔だけを俺のほうへ向けた。
「私とお前が向かう場所もわからないのか?」
「まさか……出陣許可が出たのか!?」
「条件付きだがな。笛も貸してやる。だから、必ず別動隊を倒せ。そしたら私が援軍に向かう」
それはアルシオンにとって、救いの言葉に近い言葉だった。
正直、エルトの援軍は諦めていたのだ。
どう見ても、レグルスがアルシオンを助けるメリットのほうが少なかったからだ。
「……ありがとう。それと……すまない。無理をしたんだろ?」
「礼なら戦いが終わってからだ。それとそんな無理はしていない。王を怒鳴りつけたくらいだ」
「そうか……うん?」
今、聞き捨てならない言葉を耳にしたような。
俺の聞き間違いだろうか?
王という言葉が聞こえた気が……。
「細かいことはいい。まずは国境にいる奴らを叩く。敵は約五千。対して、こちらはアルシオンの兵を合わせても集まるのは千五百というところだろう」
「急な話だからな。領内の騎士たちはこちらに向かってる途中だろうに」
エルトの騎士はリオスにだけ駐屯しているわけじゃない。彼ら以外にもロードハイム公爵領には多くの騎士がいる。
ただし、彼らは領内の各地に散っている。
普通は彼らを招集してから戦場に向かうのだが、今は領地の大きさが災いしている。
どれだけ馬を飛ばしても、昨日の今日では間に合わない者が大半だ。
「彼らとはあとで合流する。相手は五千だが、最初から殲滅する気はない。突撃して奴らの陣内に穴を開ける。それがお前の道だ。私が作ってやる。お前はとりあえずついてこい」
なんともいい加減な言葉だが、どうしてだろう。
エルトが言うととても頼もしく聞こえる。
こちらは千五百で向こうは五千。
戦力差は三倍を超える。
普通なら突撃なんてしない。
包囲されて殲滅がオチだからだ。
しかし、エルトが率いる以上、そんな数の差は意味をなさなくなる。
「私の神威をお前は知らないだろ? いい機会だ。その目で焼き付けるといい。そして思い知れ。自分がどれだけ得難い友人を得たかを」
楽しげに笑うエルトは弾むように廊下を歩く。
その体には覇気が満ち溢れ、歩みには自信が満ち溢れている。
その姿だけは三年前と変わらない。
そうだ。エルトという少女はそういう少女だった。
自信家で、不敵で、大胆で。
そしてかっこいい少女なのだ。
●●●
城を出ると、騎士たちが大慌てで戦支度をしていた。
その中にはアルシオンの兵士たちも見受けられる。
「使徒様、若君」
「レオナルド。準備はどうだ?」
「強行軍になるということなので、傷が浅い者を二百五十名選抜いたしました」
「二百五十か……」
意外に少ないな。
四百人全員が使えるとは思っていなかったが、三百は使えると思ってたんだが。
「他の者も参加を希望しましたが、強行軍にはおそらく耐えられません」
「わかった。仕方ない。動ける者たちで行こう。レオナルド。副官として支えてほしい」
「はっ。非才の身ではありますが、全力を尽くさせていただきます」
そう言って騎士の礼を取るレオナルドに頷き、俺はエルトに視線を移す。
エルトはエルトでクリスから報告を受けていた。
「どうだ?」
「あと数日あると思って、集結を遅らせたのは拙かったな。リオスの町にいる騎士は五百だが、全員を連れて行くわけにもいかない。半数の二百五十を連れて行く。あとはアルシオン兵と国境付近にいる千と合わせて千五百だな」
「ヘムズ平原方面にも騎士はいるだろ? 呼び戻さないのか?」
今から向かうレグルスとアルシオンの国境は、ヘムズ平原とは少し離れている。
だが、一日、二日の距離のはずだ。
呼び戻そうと思えば呼び戻せるはず。
「敵軍はまだ移動中だ。ヘムズ平原から侵入される可能性もあるからな。そちらにも数を残しておきたい」
「守備の辛さか」
「そういうことだ」
ヘムズ平原からレコン山脈の北側を守備していたアルシオンの騎士団は、ヘムズ平原での戦いで壊滅している。
生き残りはいるだろうが、騎士団としての形は崩れている。
つまり、マグドリアはそのどこからでもレグルスに侵入できるわけだ。
それがある以上、戦力を一か所に集中することはできない。
「敵の目標はあくまでこちらの足止めのはずだ。クラック砦までの最短ルートであるレコン山脈北側にある街道を封鎖するだろう。普通なら躱すが、今は時間が惜しい。そこを攻める」
「さっきから時間を気にしてるが、それは条件に関係あるのか?」
エルトは先ほど、歩きながら条件付きだが出陣の許可をもらったと言った。
もちろん、その許可はアルシオンとマグドリアの戦への出陣許可だろうが、エルトの口ぶりではレグルス王は決戦には参加しないスタンスだったはず。
それを覆すためにエルトは王に掛け合ってくれたのだろう。
ただ、そこで条件を突きつけられたはず。
だからエルトは時間を気にしているんだ。
「ああ。別動隊同士の戦いで、アルシオンが勝たない限り、介入はするなと言われた。それとお前への条件もある」
「なんだ? 俺への?」
「まぁ、お前だけというよりアルシオン全体だがな。王は開戦から一日で決着をつけろという条件を突きつけてきた。意味はわかるな?」
開戦から一日。
マグドリアの侵攻速度にもよるが、クロック砦にたどり着くのはおそらく六日から七日。
別動隊はそれより前に本隊から別れ、オルメイア平原に向かう。
そして、ここからオルメイア平原までは約一週間。
数万規模の戦いを一日で決着をつけろというのも無茶だが、時間的な面でも無茶苦茶だ。
「開戦してから一日で決着をつけるには、それまでに間に合う必要がある。強行軍で向かえばギリギリ間に合うかどうか。それはどうにかする。だが、それよりも……アルシオンの別動隊は一日で終わらせようとするだろうか……」
「普通はどれだけ急いでいても、数万規模の戦いじゃ最初は小手調べから入る。ヘムズ平原のように一日で決着がつく方が稀だ。アルシオンは攻勢に出るだろうが、一日で終わらせようとするには、捨て身になる必要がある」
「……だが、それくらいやらないと敵の使徒の予想を裏切れない。向こうは数日は持つと思って別動隊を出すはず。それを一日で破れれば、敵の使徒を後手後手に回せる、か」
「だが、失敗すればアルシオンの別動隊は打つ手がなくなるばかりか、下手をすれば敵に突破される。それをするのは賭けだ。だが、賭けに出なければ勝てない。アルシオンがあくまで勝ちに出るかどうか。それを王は見ているんだろう」
侵攻されている以上、リスクは承知で迎撃しなければ敵を押し返すことはできない。
だが、侵攻されている戦。つまり国が掛かった戦で攻めに出れるだろうか。
捨て身でやられれば次はない。プレッシャーのかかる戦では、普通は安全策に流れやすい。
だれかが提案したとして、指揮官がそれを受け入れるだろうか。
「アルシオンの命運は別動隊を指揮する第三王子の器と、お前の武勇にかかってる。お前だけじゃ別動隊は討てないし、王子と別動隊だけでも決め手に欠ける」
「王子には期待できないな……あの第二王子の弟だしな……。まぁ、こればかりは行ってみないとわからないか」
「そういうことだ。私にも国境のマグドリア軍を一日で排除しろという命令が出ている。私もお前も時間に追われているわけだ」
そこで俺とエルトの馬が到着する。
クリスを含むロードハイムの騎士たちや、アルシオンの兵士たちも準備ができたようだ。
「とにかく急ぐぞ。まずは国境だ」
「わかった」
「皆の者! 目的地はレグルスとアルシオンの国境だ! 私に遅れずついてこい!!」
そう号令をかけて、エルトは馬を走らせる。
その背を追って、ロードハイムの騎士たちも馬を走らせる。
「俺たちも遅れるな! 強行軍になる! 遅れた者は置いていくゆえ、覚悟しておけ!」
俺もアルシオン兵に号令をかけて、エルトとロードハイムの騎士たちを追っていく。
隊列が縦長になるが、仕方ない。
今は速度がなによりも必要なのだ。
整然と行進する暇はないのだ。
「ユウヤ・クロスフォード」
「ん? どうしたクリス。エルトの傍にいなくていいのか?」
リオスの門を抜けて少しして、前のほうにいたクリスが俺のほうまで下がってきた。
その手には青い布がある。
「そのエルトリーシャ様からのお言葉です。マントを羽織って前に来い、と」
「暇になったな」
「退屈を嫌うお方ですから」
そう言ってクリスは苦笑しつつ、俺にクロスフォード家のマントを差し出してくる。
それを片手で受け取り、広げる。
穴がいくつか空いていたはずだが、すべて修復されている。
リカルドから受け取ったときのように、青地には銀十字が輝いている。
「ありがたいな」
「アルシオンの銀十字ですからね。軍旗もそうですが、将の恰好というのは大切なものです。敵にとっては、恐怖の象徴であり、味方にとっては心強い姿。それを見せるのも将の役割です」
「難しいことを言うなよ……俺は背伸びが嫌いなんだ」
「背伸びをするのが将です。自分がどれだけ矮小でも大きく見せ、どれだけ怖くても強気なことを言う。誰かを率いるとはそういうことです」
クリスの言葉はまさしくその通りだろう。
ヘムズ平原では無我夢中だったし、必要に迫られた。
だが、今は違う。
命に危機にあるわけじゃない。
エルトの下で平穏のままでいることもできた。
それを蹴ったのは自分の意思だ。
だから、これは俺の戦いなんだ。
駆り出された戦いじゃない。だれかが始めた戦いでもない。
俺が望み、俺が始める戦いだ。
俺はマントを肩の留め具で留めて、背中に流す。
ふんわりと風に流され、マントは俺の背中に広がった。
「さて、行くか。まずは退屈しているお姫様の御機嫌とりをしなくちゃだからな」
そう言って、俺は馬を走らせた。
エルトの後を追うロードハイムの騎士たちを追い抜き、少しして先頭を走る薔薇色の髪を見つける。
「来たか」
「退屈だと聞いたからな」
軽くからかい交じりの笑みを浮かべて、俺がそういうと、エルトは微かに頬を膨らませる。
「退屈だと悪いか?」
「悪くはないさ。いくらでも付き合ってやる」
「なんだか上から目線だな……。言っておくが、お前を前に呼んだのは退屈しのぎだけじゃないぞ?」
「じゃあ、ほかにどんな理由がある?」
エルトは微かに笑い、俺のマントを指さす。
意味がわからず首をかしげると、おかしそうにエルトは噴き出した。
「わからないか?」
「わからない」
「お前を目立たせるためだ」
「俺は見世物かよ……」
そう言って肩を竦めつつ、ため息を吐いた。
そんな俺を見て、エルトはクスリと笑う。
「そう言うな。良く似合っているぞ。かっこいい」
「そりゃあどうも。お世辞でも嬉しいね」
「本心だぞ?」
「疑わしいな」
「本当なのに……」
そんなやりとりをしながら、俺たちは馬を走らせた。




