第二十二話 青の魔剣
「言っている意味がわかっているんですか!?」
よろけたままクリスが強い口調で問い詰めてくる。
笛吹きの家系であるクリスには、あの笛は神聖な物なんだろう。
理解はできるが、そこに配慮はできない。
「わかってる。だが、あれが必要なんだ」
「あれはロードハイム家に伝わる幻獣の角笛! ロードハイム家の家宝なんですよ!? それを貸せと!? 厚かましいにもほどがありますよ!」
「だからこそ、借りる価値がある」
俺はクリスにそう告げて、エルトへ視線を向ける。
エルトは半笑いを浮かべ、俺を見ていた。
「ユウヤ。常識というものを知っているか?」
「ま、一応は」
「今、お前が言っているのは激しく常識外れだぞ? なんでも貸してやるとは言ったが、家宝を貸せと言われるとは思わなかった」
まったくもって予想外。
そう言いたげなエルトは、椅子の背もたれに背中を預け、足を組む。
「家宝ゆえに、敵も騙される」
「一度しか使えない手だぞ? 別動隊を討ったとして、本隊に勝てるのか?」
「砦を攻撃する本隊を、二万で背後から急襲する。それがアルシオンに残された手であり、それを成立させるまでが俺にできることだ。それで勝てなきゃ、なにをしても勝てやしない。まぁ、勝てなくても王都を落とせないくらいまで削るつもりだ。レグルスとしては願ったり叶ったりだろ?」
「たしかに。レグルスとしては、アルシオンとマグドリアが潰しあえば言うことはない。だが、それで国は守るだろうが、お前はどうなる?」
別動隊が背後から攻めても勝てない場合は、不毛な消耗戦を仕掛けることになるだろう。
完全な泥試合だ。
勝ったとしても、マグドリアは王都を落とす戦力を維持できない。
問題はその後だが、今、勝たなければ次はない。
「死ぬ気はないけど……生き残る確率は低いだろうな」
「自己犠牲か? らしくないぞ」
「……だが、アルシオンが負ければ、アルシオンの民はマグドリアの使徒によって、狂戦士となり、レグルスに向かう尖兵となるだろう。自国の兵士すらたやすく使い捨てる奴だ。そんな奴がいる国にアルシオンを渡すわけにはいかない」
マグドリアの最終目標はレグルスのはず。
そのために、攻めやすいアルシオンを攻めた。
その展望がある以上、アルシオンの次はレグルスだ。
そして、占領した国の兵を使うのは常套手段だ。
使い潰しても惜しくはないのだから。
家族のことを思えば、アルシオン兵も逆らいはしないだろう。家族のために、狂って敵に突撃していく。
そしてそれを迎撃するのはエルトとロードハイムの騎士たちだ。
その未来は避けたい。
「私は王の命令がなければアルシオンの国内には入れない。そして、王はアルシオン軍が敗れた時を見計らって、私に援軍へ向かうように告げるだろう。王都での最後の攻防の中、助けに来てくれたレグルス軍を演出するためだ」
「わかってる。だから、援軍は頼まない。笛さえ貸してくれれば……あとはアルシオンがなんとかする。侵攻されてるのはアルシオンだ。これはアルシオンの問題だからな」
俺の言葉にエルトは黙り込んだ。
その顔から内心は読み取れない。
今、エルトが何を考えているのか。
俺には予測することすらできない。
怒っているのか。それとも呆れているのか。
少なくとも、好ましい感情は抱いていないだろう。
「……エルトリーシャ様。今、答えを出さずともよいのではないでしょうか?」
「そうだな。ユウヤ。出陣は許可するが、笛を渡すかはもう少し待て」
そう言ってエルトは口を閉ざした。
もう喋りたくないと言わんばかりの態度に、俺はクリスと顔を見合わせる。
不機嫌というわけじゃない。
ただ、考えたいといった様子だ。
こういうエルトを見るのは初めてだった。
●●●
翌朝。
俺はクリスに武器庫に案内された。
「あなたの鎧はボロボロでしたし、剣も切れ味が落ちていました。ですから、装備を選べとのことです」
「それはありがたいな。エルトは?」
クリスに問いかけると、クリスは微かに沈んだ顔で首を横に振った。
「そうか」
頼むことは頼んだ。あとはエルト次第だ。
これに関してはできることはない。
一度、エルトのことは忘れるべきだろう。
エルトが笛を貸してくれなくても、出陣はするのだ。
装備選びは手を抜けない。
「ここにある物なら何でも使っていいのか?」
「ええ。お好きな物をどうぞ。ここはロードハイム家の私的な武器庫ですから」
そう言われて、俺は武器庫を見渡す。
武器庫は二つの部屋に分かれており、右が武器で左が防具となっている。
どちらも量は膨大だ。とてもじゃないが、個人が抱える量じゃない。
ここにある武器と防具だけで、千人くらいの兵士は完全武装できるな。
「さすがはロードハイム公爵というべきか」
俺は試しに近くにあった剣を握る。
俺の強化は物に影響を与える。
剣の質というのは非常に大事だ。
なにせ、強化に耐えきれなければ、武器は崩壊する。
ヘムズ平原で使っていた剣は、リカルドが昔使っていた剣で、クロスフォード領内じゃ一番の名剣だった。
「四倍ってところか……」
「何の話ですか?」
「こっちの話だ。気にするな」
クリスの問いにそう誤魔化す。
俺は剣や防具に触れれば、それがどれくらいの強化に耐えきれるかわかる。
かなり大雑把で、手に持った物がだいたい何キロくらいあるかが、感覚でわかるといったレベルだ。
それでも武具の質を見抜くには十分だ。
「さすがにいい剣がそろってるな」
やや反りの入った剣を抜いてみる。
大体、十倍くらいか。
前使っていた剣と同じくらいだろう。
「意外です。なかなか目利きができるんですね」
「まぁ、特技の一つってところかな」
クリスもかなりの腕を持つ。
この武器庫には何度も来たことがあって、業物がどれかは大体把握しているんだろう。
俺がその業物ばかりに手を伸ばすから、目利きと称したわけだ。
「ここにある剣のほとんどは、先代の公爵様が集められたものです」
「先代のロードハイム公が? なぜ? ロードハイム公はあまり戦に出る方じゃなかったはずだけど?」
「その認識で間違いはありません。先代公爵様は生涯で数えるほどしか戦場に出ていません。この武具を集めたのは、エルトリーシャ様のためです」
「エルトの?」
「子もなく、奥様にも先立たれた先代公爵様にとって、エルトリーシャ様は可愛くて仕方がなかったのです。エルトリーシャ様のために、剣や防具を買い漁るのが先代公爵様の日課だったのです」
なるほど。
それならこの量も納得だ。
ただ、さすがはレグルスきっての大貴族。
子供にかける金が違いすぎる。
それに。
「結構、偽物を掴まされてるな?」
「剣の心得はほとんどない方でしたから。最初のほうは高い物はいい物だと思い、一番高い物を買ってきては、エルトリーシャ様がダメ出しをしていました。目利きができるようになったのは、亡くなる一年くらい前ですね」
「目利きができるようになったことが驚きだな」
「努力をされたのです。エルトリーシャ様はあまりプレゼントで喜ぶ方ではありませんから。それでも業物を見れば喜んでいました。そんなエルトリーシャ様が見たくて、独学で学んだそうです。いつも剣を手に入れてくるたびに言っておられました。この剣で守りたいものを守りなさい、と」
クリスは懐かしそうに微笑む。
エルトが幼少の頃からずっと一緒ということは、クリスにとっても父親や祖父のような存在だったのかもしれない。
しかし、変わった人だ。
使徒というのは例外なく人間兵器だ。
敬うと共に、恐れる者も少なくない。
そんな使徒を自分の子供として引き取り、我が子のように可愛がる。
中々できることじゃない。
「ですから迷っているのです」
「……笛を貸すかどうかを、か」
「ええ。あれは先代公爵様の形見です。容易に貸せるものではありません。それに……」
クリスは微かに躊躇ってから、視線を背ける。
その様子が気になったので、俺は剣を選ぶのをやめて、クリスに問いかけた。
「それに?」
「……エルトという愛称は先代の公爵様がつけた愛称です。先代公爵様が亡くなってからは、だれもエルトリーシャ様をその愛称では呼ばなくなりました」
「クリスは呼ばないのか?」
「僕は昔からエルトリーシャ様とお呼びしていますから。早々、変えられません。だから、あなたは特別なのです。そして、そんなあなたの頼みだから悩んでいるのでしょう」
「……」
クリスにそう言われて、俺は小さくため息を吐いた。
エルトを悩ませているのは、他ならぬ俺自身だ。
俺にはどうすることもできない。
●●●
それからしばらく、俺は無言で剣を選んでいた。
そんな俺にクリスも何も言わない。
剣を触って、良さそうな物は手に取る。
その繰り返しが続く。
そんなとき。
奥のほうに立て掛けられたロングソードが目に入る。
鞘には装飾はない。
柄には青い宝石が埋め込まれているが、それ以外はただの無骨な剣だ。
だが、その剣が非常に気になった。
だから近づき、手に取る。
「驚いたな……」
今まで見てきた剣の中で、最も業物で二十倍が限界だった。
けれど、その剣は五十倍にも耐えられる。
よほど名のある職人の作品なのだろうか。
軽く引き抜くと、その刀身はやや細く、微かに青く光っていた。
「魔剣か……」
魔剣とは、魔法の技術を剣に落とし込んだ剣だ。
付与術師と呼ばれる魔導師が、長い年月を作り出す物だ。
効果は剣が折れるまで続き、その効果もあって、下手な剣よりよほど強力だ。
ただ、狙って作れる物ではなく、名のある付与術師でも生涯で一つ作れるかどうかという代物だ。
基本的に昔に作られた物が多く、大抵は遺跡なんかから発掘されるという。
俺も見るのはこれが初めてだ。
「なぁ、クリス」
「なんですか?」
「ここに魔剣があるんだが?」
「魔剣? おかしいですね。そういう貴重な剣は宝物庫のはずですが……。まぁ、ここにあるのなら選んで問題ないかと」
魔剣を選んでいいとは。
太っ腹なことだ。
これを手に入れようとして、身を滅ぼす剣士たちが出るというのに。
「じゃあ、これを借りる。構わないか?」
「どうぞ。ただ一応、エルトリーシャ様に許可を取りましょう。大切な物かもしれませんから」
「そうだな。鎧はサイズの合う軽鎧がいいけど、ちょっと疲れたし、まずはエルトのところに行こう」
そう言って、俺はその剣を持つ。
不思議と俺に馴染む剣だ。
ヘムズ平原で壊れた、長年使ってきた剣よりよほど自分の剣という感覚がする。
これも魔法の力なのだろうか。
「あ……」
「……調子はどうだ? いいのは選べたか?」
武器庫を出て顔をあげると、エルトが歩いてきていた。
エルトは普段通り声をかけてくるが、いつもの覇気がない。
しかし、そんなエルトだったが、俺の手にある剣を見て、目を見開く。
「それは……!?」
「武器庫にあったんだ。やっぱり貴重な物か?」
エルトは俺の質問に答えず、剣を手に取る。
懐かしむように青い宝石を触り、ゆっくりと引き抜いていく。
「……本当に武器庫にあったのか?」
「ああ。奥に立て掛けてあった」
「あれだけ探しても見つからなかったのに……。さすがはユウヤと言うべきか……」
「大切な物みたいだな。俺は別のヤツを選ぶよ」
エルトの様子から、思い出の詰まった物であることは察しがついた。
だから気を利かせたのだけど、エルトに腕を掴まれた。
「待ってくれ! お前が使ってやってくれ……」
「いいのか?」
「これは父が初めて買ってきた業物なんだ。偶然、綺麗な剣が手に入ったと言って持ってきた。ただ、幼い私には手に余る剣だったから、武器庫に保管してたんだ」
「いや、待て待て! そんな大切な物を使えるか!」
俺がそう固辞すると、エルトは首を横に振って、剣を鞘に納めた。
そして、その剣を俺の胸に押し返してくる。
「剣は持ってて嬉しい芸術品じゃない。戦場で使われる武器だ。この剣に活躍の場を与えてやってくれ。私には他に剣がある。お前が使わないなら、他の者に与えるが……私はお前に使ってほしい」
「けど……」
「くどいぞ! 私が使えというんだから使え! 父もその方が嬉しいはずだ」
強引に押し付けられる形になった俺は、どうするべきかしばらく悩み、エルトがさらに押し付けてきたので、仕方なく受け取る。
エルトはそれを見て、満足そうな笑みを浮かべた。
「腰に差して見ろ」
「はぁ……こうか?」
左の腰に差すと、エルトはさらに笑みを深めて、何度もうなずく。
「うんうん。いいじゃないか。似合っているぞ。その剣の銘は〝ブルースピネル〟。魔法の効果は永続。その剣は例え何人斬ろうが、雨風にさらされようが、決して切れ味が落ちない。戦場でこそ輝く青の魔剣だ」
「本当にいいのか? 魔剣だぞ? それにお前の思い出の品なんだろ?」
「何度も言わせるな。私が探しても見つからなかったのに、お前には見つけられた。その剣が、そして父がお前を選んだんだ」
「そんなものか?」
「そんなものだ」
エルトはそう言うと、クルリとターンを決めて、俺に背を向ける。
そのままこちらを見ずにエルトは告げる。
「ありがとう。ユウヤ。その剣を見て、なんだか勇気が出た」
「……お前が勇気のないときなんてあるのか?」
「あるさ。けど、今は満ち溢れてる。父はずっと言っていた。守りたいものを守りなさい、と。使徒なのだから欲張っていいのだと。だから私は欲張るぞ!!」
そう言ってエルトは走り去った。
まるで嵐みたいな奴だ。
急に来て、急に去る。
掴みどころがないなんてもんじゃない。
「どうなってる?」
「さぁ……。ただ、心は決まったようですね」
そういうクリスの目には強い光が宿っている。
それは戦いに向かう者の目だった。




