第十九話 三年前
今日中にもう一話更新できたら更新します。
「うーむ……」
夜。
そろそろ人々が眠りにつこうかという時刻。
俺はエルトの執務室で唸っていた。
目の前にはテーブルがあり、その上には盤が置いてある。
チャトの盤だ。
形勢は互角。
相手はエルトだ。
「エルトリーシャ様。紅茶が入りました」
「ああ、すまないな。クリス」
「いえ、エルトリーシャ様のお世話をするのが、僕の務めですから」
「クリス。俺も欲しい」
「……僕はあなたの副官でも執事でもありませんが?」
相変わらずなクリスの態度にため息を吐きつつ、俺は目の前で優雅に紅茶を飲むエルトに訊ねる。
「なぁ、エルト」
「なんだ?」
「俺は客なわけだろう? お前の」
「まぁ、そうなるな。お前が押しかけてきたという見方もできなくはないが」
「それでも客だろ? なんでクリスは客に厳しいんだ?」
「お前が生産性のない居候だからだろうな。あと、私への態度が生意気だから。それと、お前の存在が私にとって不利益だから。加えて、お前みたいに飄々としている男をクリスが苦手だから。最後に、お前がクリスに馴れ馴れしいからだ。わかったか?」
「ああ、ありがとう。よくわかったよ。でも、お前のあげた理由の内、最後以外は俺にはどうしようもないぞ? お前への態度も、お前が望んでるからだし」
「エルトリーシャ様が望まれようと、一線は引くべきです。それが敬意を表すということですから」
なんだかんだ言って、丁寧に紅茶を淹れたクリスが、俺の傍に紅茶を置きながら告げる。
まぁ、たしかにクリスの言うことにも一理ある。
だが、俺はエルトの臣下じゃないし。
「まぁ、一般論はクリスの意見なんだが、ユウヤは気にしなくていいぞ」
「だ、そうだが?」
「そういう態度が気に入らないんです」
ニヤリと笑って告げると、クリスはそっぽを向いてエルトの傍に控える。
「クリスのこともいいが、早く次の手を考えろ」
「ああ、そうだった。どうするかな」
俺は紅茶を口に含みながら考える。
手はいくつかあるが、どれもありきたりだ。エルトは簡単に対処するだろう。
エルトのチャトの腕前は中々だ。リカルド並みかもしれない。
さすがにセラほどじゃないが。
「難しいな」
「負けを認めるか?」
「まさか」
「私は勝ち筋がもう見えているぞ?」
「ほー。すごい自信だな?」
「ああ、なんなら賭けてもいいぞ?」
「なにを賭ける?」
俺はエルトと会話しつつ、エルトの勝ち筋を探す。
自信満々のエルトの様子を見るに、本当に見つかったのだろう。
とにかくそれを防がねば。
落ち着くために紅茶を含んだとき、エルトが爆弾発言をする。
「もしも私が負けたなら、お前の背中を流してやろう」
「ぶっ! 熱っ!?」
思わず紅茶を吹き出した。勢いでカップに入っていた紅茶もこぼしてしまう。
幸い火傷はしなかったが、床を汚してしまった。
「まったく……汚いですよ?」
「エルトの発言が悪いだろ……!」
布巾で手早くこぼれた紅茶を拭くと、クリスが水差しで布を濡らして、俺に差し出してくる。
「どうぞ」
「悪いな……」
「いえ。ですが、言葉で動揺するなんて、アルシオンの銀十字の名が泣きますよ?」
「今のは仕方ないだろ! 男ならみんな吹き出す! お前も男ならわかるだろ!?」
「わかりません。まったく。わかりたくもありません」
ケダモノを見るような目でクリスは一歩ひいた。
あれ、この件に関しては同意してくれてもよくないか。
俺がおかしいのか。
いや、そんな馬鹿な。絶対にクリスがおかしい。
さすが男でエルトの副官を務めるだけはある。
鉄の精神を誇ってる。
エルトの戯れにも動じない心が必要ということか。
「さすがだな」
「なにがですか? なんだかとても不愉快なんですが」
「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ」
万感の思いを込めて称賛すると、さらにひかれた。
おかしいな。男として最大の敬意を払ったのに。
「いいから早く打て。いいかげん、待ちくたびれたぞ」
「ああ、悪い悪い。じゃあ、ここでどうだ?」
なんだかんだ言って、期待してるのか。
駒を移動させる手に力が入る。
それに当然、気付いているのか、エルトはずっと笑っている。
「簡単に動揺しては戦場じゃ勝てないぞ?」
「お前に言われたくない。お前だって結構、動揺するだろ?」
「私が? 笑わせるな。私は動揺したりなんてしない」
「ほぉ。必ず背中を流させてやる。そのときの反応に期待しようかな」
「望むところだ」
そう言って俺とエルトの間に火花が走る。
そんな俺たちを見て、呆れたのかクリスはため息を吐く。
「では、僕は失礼してもよろしいでしょうか? まだいろいろとやることがありますから」
「おお、そうだな。すまなかった。仕事が終わったら休んでいいぞ。私もユウヤを落胆させたら休むからな」
「そうですか。では、僕は執務室で作業をしています。なにかあればお呼びください。ユウヤ・クロスフォード。エルトリーシャ様にいかがわしいことをしないように」
「安心しろ。俺もまだ死にたくないからな」
「そうですか。命を大事にする人で安心です。では、エルトリーシャ様をお願いします」
きっちりとした礼をエルトと俺にすると、クリスは部屋をあとにする。
それを見て、俺はエルトに問う。
「……もしかしてクリスって男嫌いか?」
「今頃気付いたのか? そうだぞ。あいつは男嫌いだ。傍に男を寄せ付けない。だからといって、女を寄り付かせているわけでもないがな」
「同性嫌いってのは大変だろうな」
「まぁ、それでも上辺だけは取り繕うけどな。お前みたいにあからさまなのは珍しい」
「……俺、なんかしたか?」
そこからしばらく無言が続いた。
エルトは俺の質問に答えず、ひたすら駒を動かす。
俺もエルトの言葉を待って、駒を動かし続ける。
対局が終盤に入ったとき、エルトがようやく口を開いた。
すでに盤上の形勢はエルトに圧倒的優勢だ。
「三年前……私とお前が出会ったときのことを覚えているか?」
「もちろん。おかげで今、命拾いしてるしな」
「おかしいと思わないか?」
「なにがだ?」
素で聞き返すと、エルトが目を細める。
あー、これは少しは考えろって顔だな。
ちょっと待て、と言って、俺は考える。
あのとき、なにがおかしかったのかを。
あのときエルトはアルシオンの王都にいた。
それは王の生誕五十周年を祝うためで。
うん?
「使徒が来たなら話が広まるはずだ……」
「そうだ。けれど、私が王の生誕祭に出席したなんて話は広まってない。なぜだと思う?」
「……出席してないからか?」
「御名答。私は別の用事でアレストにいたんだ」
エルトはそう言って駒を動かす。
また一手、俺が追い詰められた。
「どんな用事で?」
「クルーシェという女店主がいただろ?」
「ああ、あのチョコビスケットの」
「彼女は元々、リオスでビスケットを作っていたんだ。師匠の下から独立して、アレストで店をビスケットを広めるというから、いろいろと協力した。私もクルーシェのビスケットが好きだったからな」
「なるほど。最近、勉強したってのはそういう意味か」
あの日、エルトはやけに露店について詳しかった。
俺の質問にも、最近、勉強したと答えていた。
あのときは流したけど、今、ようやくつながった。
クルーシェのためにアレストの露店について調べたのか。
「そういうことだ。そしてあの日、クルーシェの店を訪ねるために、私は少数の護衛だけでアレストに入った。そこで……私は襲撃を受けた」
「襲撃!?」
思わずどこに置こうか悩んでいた駒を落としてしまう。
そんな俺の様子を見て、エルトは苦笑を浮かべた。
「こうして無事だから慌てるな。お前のおかげでな」
「いやいや、待て待て! アレストはアルシオンの王都だぞ!? そこでなぜお前が襲撃される!?」
「そりゃあ、アルシオンとレグルスの戦争を望んでる奴らがいたからだろう。平和ボケしたアルシオンが企むとも思えないし、使徒を失う損失を考えればレグルスでもない。マグドリアかアークレイムだろうな。王都で使徒が死ねば、言い逃れはできない」
「……もしかして、俺は大事に関わったか?」
「もちろん。私が関わる以上、何事も大事だ。ただ、子供といえど私も使徒だ。護衛も手練れだった。数の差で分断されたが逃げ切れた。だが、私は走っている途中に財布を落とし、道も迷い、途方に暮れていた。そんなとき、お前が目の前に現れた」
もうすっかり冷めた紅茶を両手に持って、エルトは笑う。
「最初はなんて奴だ! と思った。襲われ、傷心し、空腹で倒れそうな私の前で、平然と食事をしようとしていたからな」
「知らなかったんだ。まさか、空腹で動けないとは思わないだろ?」
「それでも配慮に欠けた。そのあとは、見せつけるように串焼きを食べた。あの屈辱は今でも忘れられない」
「確かに忘れてなかったな。その執念深さには恐れ入るよ」
落とした駒を拾い直し、俺は盤上に置く。
すでに勝敗はついた。
ここからの逆転はありえない。
だが、ここでやめれば話も途切れてしまうため、投了はしない。
「だが、お前は優しかった。少し意地悪だったが、それでも私は救われた。あのあと、私が大通りを歩いたのは、クルーシェの店に行くためだった。貴族の息子と大通りを歩いていれば、襲撃はないと踏んだんだ。案の定、襲撃はなかった。あとは知ってのとおり、私はクルーシェの店に行き、近くで待機していた護衛と合流した」
「なるほど、なるほど。知らず知らずのうちに俺はお前の護衛だったわけか」
「そういうことだ。大義であった」
「よく言うよ。俺がお前を誘わなかったらどうするつもりだったんだ?」
「無理やりついていったな。お腹も空いていたし、プライドを捨ててお前にたかろうと決めていた」
なんて迷惑な奴だ。
状況的に仕方がないとはいえ、俺への迷惑を考えてほしいものだ。
そんなことを思いつつ、俺は話を戻す。
この話はクリスの話だったはずだから。
「それで? その話がクリスと何の関係が?」
「察しろ。クリスも護衛のメンバーだったんだ」
「……それでなんで俺を嫌う? 俺はお前を助けたのに」
「いや、まぁそうなんだがな。クリスにとっては、あの王都での一件は一生の不覚なんだ。クリスの家は代々、ロードハイム家に仕える側近で、合戦の際には笛吹きを任される伝統ある名家だ」
「笛? ああ、薔薇姫の角笛か。あれはどういう原理だ? 俺の知る角笛とは違う音だったぞ? まるっきり」
「それは今度、話してやる。それで、クリスは幼い頃から私の側近だった。私への思い入れも人一倍強い。三年前の日に首を刎ねてくれと言われたほどだ」
「……きっちりしてるな」
「融通が利かないんだ」
そのときの光景が目に浮かぶ。
頭を下げて、自分への罰を求めるクリスと、困惑するエルトの構図だ。
「しばらく後を引きずったが、あることをしてクリスは立ち直った。そのあとのクリスはすごかったぞ。あらゆることに取り組んだ。なんでもやったな。その奥底にあったのは自分への憤りと、お前への対抗心だ」
「……対抗心? なぜ!?」
「自分の代わりに私を守った同年代の少年。それだけでも気に食わなのに、私はことあるごとにお前のことをクリスに話していたしな。自然と対抗心が芽生えたんだろう」
「……結局お前のせいかよ……」
「まぁ、最後まで聞け。そしてお前が現れた。お前を保護することに利はなかったから、クリスは反対した。そこまでは側近としての判断だ。しかし、目を覚ましたお前は、私にため口を聞き、立ち振る舞いもまるで騎士らしくなかった。クリスの中でのライバル像が崩れた瞬間だな」
エルトはそう言って笑いながら、俺を敗北に突き落とす一手を打つ。
もう完全に詰んだ。
勝ち目はない。
「負けました……けど、それって俺のせいじゃないよな?」
「期待が大きいと、裏切られたときの反動も大きいんだ。しかも、剣の勝負じゃお前が勝っているからな。クリスにとってはたまったもんじゃないだろ」
「俺にとってもたまったもんじゃないぞ……」
「まぁ、許してやってくれ。もちろん、私が止めろといえばお前にも誠心誠意尽くすだろう。表向きはな。けど、そんなのは嫌だろ?」
「当たり前だ。昨日まで手厳しかった相手が、コロッと態度を変えたら寒気が走る。それに別に嫌なわけじゃない。あれも一種のコミュニケーションだと捉えてるしな」
「大人だな。私はユウヤのそういうところが好きだぞ。美点だと思う」
そう言って、エルトは笑うと立ち上がった。
そしてしばらく考えたあと、まぁいいか、とつぶやく。
「風呂はまだだろ? 私はもう入ったから、私専用の風呂を使っていいぞ。さすがに背中は流してやれんが、私の相手をしたご褒美だ」
エルト専用の風呂は、兵士たちや使用人が使う大浴場とは違う場所にある浴場だ。
エルト以外は誰も使わず、エルトいわく入り心地は相当いいらしい。
このご褒美は大きいな。




