第十八話 のしかかる期待
リオスの町の外れ。
そこにある大きな屋敷は、今は使われなくなったロードハイム家の別荘だ。
その別荘にアルシオンの兵士たちは保護されているという。
「ここにいるのは一部だ。入りきらなくてな。ここには怪我の軽い者が百名ほどいる」
門の前で馬車から降りながら、初めて生き残りの数を聞いた俺は驚愕した。
「百名!? それで一部なのか?」
「総勢で四百名ほどを保護しています」
「四百……そんなに生き残ってたのか……」
最後の突撃のときに、俺についてきたのはおそらく千五百から二千ほど。
一万規模の軍に突撃し、激しい追撃を受けたにしては、かなり生き残っているほうだろう。
「皆、お前に会いたがっている。会わせてくれと、世話係に毎日頼んでいるそうだ」
「それならなぜ、すぐに連れてきてくれなかった?」
「……」
エルトは押し黙る。
それを見て、俺はクリスに視線を移す。
クリスはエルトの表情を窺いつつ、理由を説明した。
「彼らはアルシオンに戻ることを望んでいます」
「……当然だろ?」
「ただ戻るのではなく、マグドリアとの再戦を望んでいるのです。死んだ仲間の敵を討つため、故郷を守るため、理由は様々でしょうが、彼らは戦いを望んでいる。そして、あなたに率いられることを望んでいます」
「俺に率いられる?」
ヘムズ平原での戦いで、奇跡的に拾った命。
それを仲間のためや、故郷のために生かしたい。
そういう気持ちはわかるが、どうして俺が率いることに繋がる?
「簡単な話です。彼らはあなたに心酔した。絶望的な状況で活力をくれたあなたに。道を示してくれたアルシオンの銀十字に。彼らの中では、すでにあなたと共に祖国を救う道が見えているんです」
「そんな道を示した覚えはないんだが……」
「人は英雄を求めるものです。彼らはあなたを旗印として、再起する気です。そこにあなたの意思は関係ない。彼らはあなたを英雄だと思い込んでいるからです。英雄であるあなたは絶対に自分たちを率いて、道を示してくれる。そう思っているんでしょう」
クリスはそう説明すると、黙っているエルトをチラリとみる。
エルトとクリスの表情を見るに、たぶん似たようなことがあったんだろうな。
経験談というやつだ。
「だから会わせたくなかったのか?」
「……断れるか? お前に。故郷を、家族を救いたいという純粋な彼らの願いを?」
「それは……」
「目を見て、彼らに話しかけられてみろ。今の比ではないプレッシャーがかかる。自分が英雄にならねばと錯覚するほどだ……」
あのエルトがここまで言うのだから相当なのだろう。
使徒として、他人の期待に耐えてきたエルトの言葉は重く、そして正しい。
「会うのは構わない。そのかわり、勝手な行動はしないと誓え。私に黙って戦場に出たりしないと。彼らの気持ちに流されて、アルシオンに戻るにしても、私に必ず相談しろ」
「誓えないと言ったら?」
「馬も武器も貸さないし、アルシオンの兵士たちもアルシオンに帰さない。それとお前も部屋から出さない。ベッドに縛り付けてやるのもいいな」
「……」
「誓うか?」
「ああ、誓う。エルトとの友情に誓って、勝手はしない」
「よろしい」
ここからアルシオンまで軍馬なしじゃ到底いけない。
マグドリアが侵攻してきても、間に合いはしないだろう。
俺にはエルトに従うしか手はないのだ。
そもそも、エルトにしろクリスにしろ、俺を厚遇する義務はない。
なにせ、レグルスとアルシオンは友好国でも同盟国でもない。
数十年間、戦がないだけであって、レグルスから見れば〝害のない敵国〟だ。
逃げ込んできた兵士をどうしようと、彼らの勝手なのだ。
解放したり、治療するどころか、殺されても文句はいえない。
俺たちは不法に国へ侵入した犯罪者なのだから。
エルトとの縁で、まとな扱いを受けているが、もしもヘムズ平原の戦いがアルシオンとレグルスとの戦争で、マグドリアに逃げていたら、俺たちは容赦なく国境で殺されている。
そうでないにしろ、満足な治療を受けさせず、適当に送り返すのが普通だ。
俺たちを世話するのもタダではないからだ。
そう考えれば、エルトの意向に逆らうというのはあり得ない。
「ところでエルト。エルトに相談すれば、馬と武器を貸してくれるのか?」
「もちろん。私が納得する勝算を提示できればな。送り出すならそれなりに装備を整えさせる。私はアルシオンに勝ってほしいのだからな」
「普通に考えれば、たかが四百人程度で戦況が変えられるとは思えませんが」
「普通ならな。だが、ユウヤは一度、レグルスの思惑を外している。今回もレグルスの思惑を外すかもしれないぞ?」
エルトがそういうとクリスが黙り込む。
その反応に俺は首をひねった。
「レグルスの思惑?」
「言っただろ? 私はマグドリアとアルシオンの戦いを監視していたんだ。レグルスは、マグドリアが快勝すると踏んでいた。事前に使徒の情報が入っていたからだ」
「……教えてくれれば事前に手を講じられたのに」
「頼まれたわけでもないし、教える義務も義理もないからな。まぁ、そんなわけで、私は意気揚々とアルシオン軍を追撃するマグドリアを攻める気でいた」
「けど、俺が撤退する時間を稼いだから、マグドリアは激しい追撃に移れなかった。なるほど、たしかに思惑は外しているな」
納得した俺に対して、エルトは笑顔で頷くと、屋敷の中へと足を踏み入れる。
「だから、私は逃げてくるアルシオン兵士の保護に移ったわけだ」
「最初は事情を聞くだけと言っていたのに、結局、四百人も抱え込んでしまいましたが。すべてエルトリーシャ様の私財から出ているとはいえ、管理する僕の身にもなってください」
後ろでクリスが小言を告げる。
なるほど。態度がきつくなるわけだ。
俺を含めて、アルシオンの兵士たちは、クリスには金食い虫にしか見えないのだろう。
いきなり逃げ込んできた兵士を傍に置くのも、エルトの評判が下がるだろうし、自然と態度が尖ると言ったところか。
「そう言うな。ユウヤだけ助けて、あとは助けないというわけにもいくまい」
「そもそも、僕はユウヤ・クロスフォードを助けることにも反対だったことをお忘れなく」
「本人の前で言うなよ……」
「あなたを抱えることで、エルトリーシャ様にどんなメリットがあると? お金は飛ぶし、男を近くに置いたと騎士や周りの貴族は騒ぎ出すし、エルトリーシャ様のことが気に入らない者に至っては、アルシオンに密かに味方していると噂する始末です」
「後半はあってるな。私はアルシオンの味方だぞ? そもそもアルシオンを見定めるというのもおかしな話だ。マグドリアに渡す気なんて毛頭ない上に、わざわざアルシオンを占領する気もない。どうせ、どこで助ければ一番、恩を売れるか見計らっているのだろう」
それが政治というのは簡単だし、エルトにも理解できているだろう。
だから口には出さない。
回りくどいと思っていても、従っているのはエルト自身、その政治的判断が正しいと思っているからだ。
明らかに間違っていると思えば、エルトの性格なら王に直接訴えるはずだ。
「それに、だ。だれを傍に置こうと私の勝手だろ? なぜ周りの貴族が騒ぐんだ? 騎士たちは、まぁわかるが、周りの貴族にどうこう言われる筋合いはない。言わせておけ」
「世の中には評判というモノがあります。あまり軽んじないでください」
「まぁ、言いたいことはわかる。次からは気を付けよう。次はないと思うが」
「はぁ……」
軽い足取りで歩くエルトには、反省の色は見られない。
クリスは小さくため息を吐き、肩を落とす。
小言は意味を成さなかったようだ。
「さぁ、ついたぞ」
そう言って、エルトは大きな扉を指し示す。
そこに兵士たちがいるのだろう。
「私とクリスは外にいる。お前だけ会って、話してこい。あと、今日は挨拶だけにして、短くしろ。また連れてくるから」
「いいのか?」
「さっき誓っただろ? 勝手はしない、と。なら悪だくみもしないだろ?」
「いや、まぁする気はないけど」
俺はチラリとクリスを見る。
エルトはよくてもクリスは了承しない気がする。
「お好きにどうぞ」
「いいのか?」
「脱走してくれたほうが、僕としては楽ですから」
「あー、そう」
予想通りの辛辣な言葉に俺は肩を落として、扉を開けた。
●●●
扉の向こうは大部屋だった。
そこに百人の兵士たちが整列している。
「よくぞご無事で、クロスフォードの若君」
俺を見て、全員が膝をつく。
いきなりの行動に思わず、俺も膝をつきそうになる。
「えっと……立ってくれないか?」
「いえ、まずはお礼を。クロスフォードの若君のおかげで、我々の命と誇りは救われました」
「あのまま狂戦士とマグドリアに怯えたまま戦場に倒れていたら、後悔しか残りませんでした」
「クロスフォードの若君が我らに道を示してくれました。生きる道、アルシオンの兵士として誇りを持って戦う道を」
皆が口々に礼を言ってくる。
正直、そんなことを言われると困る。
俺は彼らを死地に連れ込んだだけだ。
実際、多くの者が死んだ。
礼を言われるようなことは何もしていない。
「頭をあげてくれ。礼を言われても困る」
「何を申します! あなたにお礼を言わず、誰に言うというのです!? 多くの貴族が逃げる中、あなたは我らの先頭で剣を振るってくれた。我らがどれほどそれに勇気づけられたか……」
熱く語る若い兵士が、なぜか感極まって泣き始めた。
それにつられて、泣く者が後を絶たない。
俺が困惑していると、二十代中盤くらいの青年が前に出てくる。
膝をついて礼をする仕草はとても様になっている。
「マグドリア方面騎士団所属、騎士隊長のレオナルドと申します。今はこの場のまとめ役を」
「騎士団の生き残りか……。指揮官格の者は皆やられたと思っていた……。よく無事で」
「丘の頂上にいた者は団長を含め、敵の狙い撃ちに遭いましたが、私は中腹にいたので軽傷で済みました。しかし、多くの者が傷を負い、左の丘に駆け込むのが精いっぱいでした」
「ああ、騎士たちの傷は酷かった。突撃体勢中に襲われたのだから、当然だが……すまない。王子を説得できていれば、あんな無茶な体勢で奴らを迎え撃つことはなかったんだが」
「滅相もない……。撤退に移ったとき、負傷兵は見捨てられると思いましたが、あなたとブライトフェルン侯爵は負傷兵の撤退を優先してくれた。それどころか、その負傷兵たちを逃がすために、あなたは矢面に立ってくれた……。あなたのおかげで多くの騎士が死なずに済みました。感謝の言葉もありません」
「……感謝するのは俺のほうだ。無茶な突撃だった。相手は使徒で、マグドリアの黒騎士団もいた。どう見ても勝ち目はなかったのに、よくついてきてくれた」
彼らへは感謝しかない。
文字通りで死ぬ気でついてきてくれた。
俺の背中を追ってきてくれた。
だから、心の奥にその行いに報いたいという思いがある。
だが、今の俺が彼らにできるのは、言葉をかけることだけだ。
「……ありがとう。おかげで多くの者を助けられた。俺の親類も、領地から来た兵士たちも。ありがとう。俺なんかのわがままに付き合ってくれて」
「もったいないお言葉です。あなたと共に戦い、あなたの背中が追えて……我らは光栄でした」
レオナルドが膝をついたまま、深く頭を下げる。
まるで王家への対応だ。
俺は辺境の小貴族だというのに。
「そうです! クロスフォードの若君がいなけりゃ、レグルスの使徒様も我らを保護してくれやしなかったはずです!」
「あの白光の薔薇姫様とご友人だとか! さすがでございますな!」
「クロスフォードの若君の名前を聞いた瞬間、使徒様は馬に乗って走り出したんです! そりゃあもう、血相を変えるとはあのことですぜ」
百人が一気に話し始めるだけでもうるさいのに、それが俺に向かってくるとなると耐えられない。
だれがどんな話をしているのかも聞き取れない。
戸惑っていると、レオナルドが仲裁に入ってくれた。
「皆、若君が困っている。若君、今日は長くいられるのですか?」
「あ、いや、挨拶だけと言われているんだ。すまない」
「いえ、それが普通でしょう。我らはレグルスにとっては、敵国の人間です。そしてあなたは我らの旗印です。あまり長く我らと話すのは好ましくない……ですが、最後にこれだけは言わせていただきたい」
レオナルドが再度膝をつく。
今度は右手を左胸に当てている。
騎士がする最上級の礼だ。
王に謁見するときくらいしかしないと言われているが、それを皆がしている。
「傷もそろそろ癒えました。ここにいる者は皆、戦えます。アルシオンに向かう際は、ぜひ、我らを率いていただきたい! 皆、あなたの下で戦う日を待ち望んでいるのです!」
「……気持ちは受け取る。だが、今はまだ動けない。エルトリーシャ・ロードハイムは俺との旧情によって、俺や皆に寛容だが、彼女にも立場がある。彼女が不利になるようなことはしたくないし、そんなことは俺が許さない。恩を仇で返すような真似はするな。いいな?」
「肝に銘じておきます。我らにとっても、使徒様は命の恩人。恥知らずな真似は致しません」
「……わかった。レオナルド騎士隊長。彼らを頼む」
「気軽にレオナルドとお呼びください。部下もおりませんし、騎士の剣も折れました。次の剣はあなたに捧げたいと思っております」
「それも気持ちだけ受け取ろう。まずは生きてアルシオンに帰るのが先だからな。皆、体に気を付けてくれ」
そう言って、俺は最後に一礼して部屋を出た。
部屋を出ると、エルトとクリスが静かに待っていた。
二人は何も言わず、馬車へと歩き出した。
そんな二人の背中を見ながら、俺は肩に手を置く。
期待がこんなに重いとは知らなかった。
前世でも、今の人生でもここまで重い期待を背負ったことはない。
だが、これ以上の期待を当然のように背負っているのだ。エルトは。
そしてそれを支えるのはクリスだ。
どちらも年は俺と大して変わらない。
「敵わないな……」
呟き、二人の後を追った。




