第十七話 推測
「アークレイムが動いた」
訓練場での一件から三日後。
場所はエルトの執務室。
ようやく生き残ったアルシオンの兵士たちと会わせてもらえるというときに、エルトは唐突にそんなことを口にした。
最初は言っている意味が理解できず、一呼吸置いて、どうにか言葉の意味を理解できた。
「……事実か? アークレイムが先に動くなんて……」
「事実だ。アークレイムとの国境にいる使徒からの連絡だ。間違いない」
「そうか……。しびれを切らしたか」
アークレイムもマグドリアも、先に動いたほうが貧乏くじを引くことを理解していた。
この場合の貧乏くじというのは、アルシオンの使徒であるウェリウス大将軍だ。
先に動いたほうに、ウェリウス大将軍は向かう。向かわざるを得ない。
だから双方ともなかなか侵攻を開始しなかったのだけど。
「ラディウスの動きが気になったのだろうな。アークレイムはもちろん攻め込む側だが、同時に攻め込まれる側でもある。あまり時間をかけると、ラディウスが攻め込んでくるから、ここらへんが我慢の限界だったんだろう」
「そうか……じゃあ、マグドリアの侵攻はそろそろだな」
「そうだな。ただ、レグルスとの戦争は終わっていないから、戦力を集めるのに苦労しているようだぞ。せいぜい、集まっても四万といったところだろうな」
「四万か……アルシオンは集まっても六万、いや五万くらいかな?」
「砦や城に籠ったとして、勝ち目があるか怪しい数字だな」
使徒の存在は一万程度の数は帳消しにするし、攻城側の不利も覆してしまう。
それにアルシオンには大規模な軍勢を受け入れる砦や城はない。
せいぜい、二、三万を受け入れるのが精いっぱいだ。
いくら数を集めても、防御拠点に入りきらないならば意味はない。
そして入りきらない以上、残りの戦力がどう動くかは予想がつく。
「そうなると、アルシオンは三万を拠点において、二万で後背をつく作戦だろうな。というより、それ以外に手はない」
エルトもすぐさまアルシオンの作戦を推察する。
俺に気付けることだ。当然、エルトも気付くか。
ということは。
「敵も気付くと思うか?」
「気付くだろうな。曲りなりにも使徒に選ばれたというなら、それなりに戦の才があるはずだ。もちろん、戦にもいろいろあるから一概にはいえないが、この状況なら気付く」
城攻めが得意な使徒もいれば、守城戦が得意な使徒もいる。
エルトのように剣をもって戦う使徒もいれば、策謀を巡らせる使徒もいる。
だが、どのような使徒でもある程度の視野の広さは持ち合わせている。
そう考えると、敵はアルシオンの別動隊に対処するだろう。
「エルトはどう見る? アルシオンは勝てそうか?」
「今の状況なら、アルシオンの勝ちはない。おそらくマグドリアも軍を二つに分ける。片方が別動隊を止めている間に、使徒のいる本隊が砦を落とすだろう。狂戦士は攻城戦には向かないだろうが、それは野戦と比べた場合。乗り込ませるまでに手こずるだろうが、乗り込ませたら、ほぼマグドリアの勝ちだ」
もちろん、この目で狂戦士を見たわけではないから、推測だがな、とエルトは付け加える。
だが、その推測は俺と大差ない。
客観的な分、エルトのほうが当てになるだろう。
「城攻めの場合は、どうしても防御側が有利だが、それを考慮してもマグドリアが有利だ。カギを握るのはアルシオンの二万の別動隊だろう。この軍がマグドリアの別動隊を破れば、アルシオンにも勝機はある」
「数は互角だろうな。マグドリアが別動隊に二万以上も割くわけがない。そうなると、率いる指揮官次第か」
「アルシオンには使徒以外に優秀な将はいるのか?」
「国境守備の騎士団長たちはそれなりだろうけど、国境を守備するだけで精いっぱいだろうさ。だから中央にはいない」
「情けない国だな。使徒頼みか?」
「レグルスにだけは言われたくない」
三人の使徒を擁し、その三人に三つの国境を守らせているレグルスこそ、もっとも使徒頼みの国だ。
「なにを言うか。我が国は使徒がいなくても強いぞ? 試しにロードハイムの騎士たちだけでアルシオンを攻めてみようか? 城の二つや三つは簡単に取るぞ?」
「……」
そんな馬鹿なと言いたいが、実際、やりそうで怖い。
クリスあたりが指揮すれば、憎たらしいほど確実に城を攻め取りそうだ。
「レグルスは精強なのだよ。誰かさんの国と違ってな」
「ぐっ……」
事実なため、返す言葉がない。
アルシオンは確かにここ数十年、軍事に重きを置いてこなかったため、兵は弱い。
ウェリウス大将軍がずっといたことと、大陸陸路の中心という立場を使い、外交を有利に進められたことが原因だ。
その間、レグルスはアークレイムやマグドリアと何度も戦っている。
エルトの言う通り、アルシオンとは違うのだ。
「わかった、認める。レグルスは強い。使徒がいなくても。だからそのしたり顔はやめろ。見ているとイラつく」
「酷いことをいう奴だ。そういうのは負け惜しみというのだぞ?」
「どうとでも言え。話を戻すぞ? アルシオンには優秀な指揮官がいない。けれど、それはマグドリアも同じじゃないか?」
「どうしてそう思う?」
「レグルスと戦争中だから。レグルス方面の戦力が弱まれば、レグルスは攻め込むだろう?」
「さぁな? マグドリア方面の使徒とは仲が悪いんだ。ま、嫌味な奴だからな。相手が弱みを見せれば、容赦なく攻めるだろうな。嫌味な奴だから」
相当嫌いなんだろうな。
嫌味な奴だと二回も言った。顔をしかめながら。
使徒同士が仲良くないとは穏やかじゃない。
他国ならまだしも、自国内でやりあったら、それこそ内乱だぞ。
「そんな嫌いなのか?」
「嫌いだ。人間的にできていないからな。いつも私が大人な対応するから直接のぶつかり合いにはならないが、私が辛抱強くなければ、何度もぶつかり合っているだろう」
「……お前が辛抱強い? 何の冗談だ?」
「よし、表に出ろ。私の辛抱強さを思い知らせてやる」
全然、辛抱強くないじゃないか。
そう思ってもさすがに口にはしない。本当に表でボコボコにされるからだ。
「わかった、わかった。お前は辛抱強いよ」
「……馬鹿にしているだろ?」
「受け流しているだけだ。それで、だ。マグドリアも別動隊には優秀な指揮官を回せないだろうから、条件は完全に互角だ。そうなると地の利や補給の有利があるアルシオンが勝つんじゃないか?」
「別動隊同士の戦いは、戦術的なモノだ。そこで勝っても戦略的勝利は得られない。アルシオンの別動隊が、その戦いで勝ち、なおかつ本隊同士の戦いに間に合って初めて、アルシオンの勝利は見えてくる」
戦術と戦略の違い。
それをエルトは指摘してくる。
局地的な勝利を手にしても、王都を守る要所を落とされては仕方がない。
「勝っても間に合わなければ意味はない、か。難しい状況だな」
「敵はそのことを承知の上で、守りに重きを置くだろう。互角の相手に守りを固められては、長期戦は避けられない。アルシオンの別動隊は互角の戦力で守りを固めた相手を突破しなければならないわけだ。しかも、兵力の損失は最小限に抑えて」
「……絶望的だな」
「アークレイムとマグドリアが水面下で動いていることに気付けなかった時点で、戦略的には負けている。なにせ、二国を相手にしているのだから。そりゃあ不利にもなる」
まったくもってその通りで、返す言葉もない。
アルシオンは動き出しが遅かった。
二国が組んだ時点で、レグルスと組むべきだったのだ。
攻め込まれてから慌てていては世話はない。
貿易で国内が潤い、アルシオンは勘違いをしていた。自分たちが安泰であると。
マグドリアはレグルスと、アークレイムはラディウスとの戦いに忙しく、自分たちは傍観者なのだと思っていた。
小競り合いが起きても国境の騎士団で対処可能であり、使徒が出てきてもウェリウス大将軍がいるから大丈夫だと思っていた。
ちょっと大きな戦いが起きても、戦慣れした貴族が出ればすべて解決した。
そのツケを今、払っている。
そんな国だから、レグルスは助けるべきか迷っている。
助けたものの、足手まといになられても困るからだ。
「まいったなぁ……。自業自得に思えてきた」
「思えてきたではなく、自業自得だ。今が戦国の世であることを忘れた王と重臣たちがいけない。ただ、国の窮地は国を変える。埋もれた人材が現れ、人の意識が変わる。レグルスの王はそれを見極めているんだ」
そう言うとエルトは俺の胸に指を突きつける。
「現にお前のような者も出てきた。あながち、アルシオンも捨てたものではないと私は思うぞ?」
「それはどうも。ただ、埋もれたままでいさせてほしかったってのが本音だけどな」
アルシオンがレグルスと手を組んでいれば、マグドリアも安易に侵攻はしなかっただろう。
そうなれば俺も出陣することはなかった。
出陣しなければ、生きるため、そして親類を生かすために奔走する必要もなかったし、マグドリアに名が知れてしまうこともなかった。
なんだかアルシオンという国が恨めしい。
「亡命しようかな」
「本当か!?」
「冗談だ。そんな本気で食いつくなよ……」
好物でも目の前にしたかのように、顔を輝かせたエルトに若干引きつつ、俺は冗談と伝える。
だが、それを聞いたエルトは途端に不機嫌になった。
「面白くもない冗談だな? そんな冗談を口走ってしまう舌は今ここで切り取るべきか?」
「ま、待て! 悪かった! たしかに性質の悪い冗談だった!」
「……まったく。人の気も知らないで……」
そう言ってエルトはそっぽを向いてしまう。
まずい。
兵士たちに会わせるという話が、なかったことになってしまう。
そんなことを考えていると、執務室にクリスが入ってきた。
「エルトリーシャ様。馬車の用意ができました」
「……」
「エルトリーシャ様? またユウヤ・クロスフォードがなにか?」
「ああ、不機嫌にされた」
「ユウヤ・クロスフォード……」
「いや、まぁ俺のせいなんだけど、そんな一方的に俺が悪者みたいな目で見るなよ……」
俺から顔を背け、自分の椅子に座ってしまったエルトと、苛烈な視線を送ってくるクリスの間で俺は困惑する。
どうしてこんな状況に。
「なにをしたのですか?」
「いや、別に他意があったわけじゃないんだが」
「亡命しようかな、などいう性質の悪い冗談を口にして、私をぬか喜びさせた。この罪は重いぞ」
「亡命……? 仮にも貴族でありながら、亡命などという言葉を口にしたのですか? 駄目な人だとは思っていましたが、予想以上ですね。貴族の誇りはないのですか?」
「だから軽い冗談だったんだ……勘弁してくれ……」
針のむしろ状態で、俺はため息を吐く。
口は災いの元とはこのことか。
昔の人はよく言ったものだ。
「エルトリーシャ様。不機嫌なら今日の予定は取りやめますか?」
「……行く。不機嫌でも約束は約束だ」
「ほっ……。律儀だな」
「大勢の前でした約束を破れば、私は笑い者にされる。誰かに笑われるのは構わないが、友とした約束を破ったと笑われるのは耐えられない」
「御立派です」
「うむ」
「……」
なんだろう。この主従コンビは。
何てことないことを大きくするんだよな。二人とも。
しかし、口には出さない。口は災いの元と学んだばかりだ。
「では出発しましょう」
「……」
「どうかなさいましたか?」
突然、黙ったエルトは訝しむように俺を見つめてくる。
というか、訝しんでいる。
「なぁ、ユウヤ。どうして私が望みを聞いたとき、兵士に会いたいと言った? いずれ会わせると言わなかったか?」
「言ったが、数日待ってもお前が会わせてくれないから、お前が会わせる気がないんじゃないか……そう思ったんだ。だから、わざわざ本気を出して、お前を楽しませた」
「……あながち間違いじゃないから反論できないな」
「やっぱり会わせる気がなかったのか?」
「会わせる気はあったが、こんなに早く会わせる気はなかった。会わせれば……お前はここを出て行ってしまうからな」
エルトは意味深な発言をすると、顔を背けて歩き出した。
その後をクリスが黙って追う。
しばらく考えてもエルトの言葉の意味が理解できず、仕方なく俺はエルトの後を追った。




