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使徒戦記  作者: タンバ
序章
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第一話 運命的な出会い

 俺、ユウヤ・クロスフォードは転生者、前世持ちと呼ばれる者だ。

 地球で十六のときに橋から落ちて死亡してから、この世界、アルタリアに転生した。


 今は十二歳。

 子爵家の息子として、可もなく不可もない暮らしをしている。


 そんな俺だけど、現在進行形で問題に直面している。


「まいったなぁ……」


 エリアール暦445年4月。

 空から見るとCのような形をしているエリアール大陸の中央部。アルシオン王国の王都アレスト。

 

 その脇道で、そう呟き、俺は一つため息を吐く。


「この広い王都で、王女が好みそうなお菓子を探すなんて無理だぞ……」


 嘆くように言葉を吐き、大通りに露店を出す店を見つめる。

 大通りには人が溢れ、そして露店と物がさらに溢れている。


 大陸中央部にして、陸上交通の要所であるアルシオンの王都アレストは、大陸中から物資が集まる。

 その中には珍しい貴金属から異邦の武器など、様々な物がある。


 当然、それを求めて人が集まり、その人を目当てに商人たちは物資をさらに運び込む。

 そうやってこの国は発展してきたんだ。


 近くの露店には珍しい鏡が並んでいる。

 そこに映る自分の顔を見て、さらに俺は憂鬱になる。


 亜麻色の髪に、濃いブラウンの瞳。

 背は同世代じゃ低くもなく高くもない。

 顔立ちはやや幼いものの、前世よりはイケメンだろう。あくまで前世よりは、だが。


 前世よりはマシだけど、それでも転生するなら金髪碧眼の長身イケメンのほうがよかった。鏡を見るたびにそう思うのは贅沢だろうか。


 そこで俺の思考は途切れる。

 今はそんなことを考えている場合ではないからだ。


 すでに時刻は昼近い。

 とにかく休憩は終了。

 俺は大通りに出て歩き始めた。


 そもそも、なぜ俺が王都にいるかというと、明後日が王の五十歳の誕生日だからだ。

 そのお祝いに貴族たちはこぞって王都に駆けつけ、俺も子爵である父親に連れて来られたのだ。


 といっても、所詮は大勢いる貴族の一人。しかもクロスフォード子爵家は領地も狭く、税収も少ないので裕福とは言いがたい。


 陛下に拝謁する機会なんてないし、形ばかりのお祝いの品を持参し、知り合いの貴族たちと話しをするだけだ。

 当然、それについて回り、息子だと挨拶するのが俺の仕事のはずだった。


 だけど、今日の朝に運命が変わった。


 我がアルシオン王国の第一王女殿下が、お忍び中に露店で食べたお菓子を大層気に入ったらしく、もう一度露店のお菓子を食べたいと言い出した。

 けれど、王宮の者たちは明後日の王の生誕祭で忙しい。


 そこで仲の良い貴族の子供たちに白羽の矢が立った。


 美味しい露店のお菓子を食べたい。そう第一王女に言われれば、貴族の子供たちに断る術はない。それに、これはまたとない王族へのアピールチャンスだ。


 王女の言葉を聞いたのは王女と仲の良い有力貴族の子供たちだが、その有力貴族の子供たちはさらに、自分たちと知り合いの子供たちへと伝えた。


 俺も親戚の侯爵の娘から聞いたわけだけど、あれはお願いというより脅迫だ。ベストとは行かずとも、ベターなお菓子くらいは持っていかなければ、どんな目に遭うかわかったもんじゃない。


 というわけで、現在、王都に来ている貴族の子供たちのほとんどが、使用人やら騎士やらまで動員して、美味しい露店のお菓子を探している。


 さすがにその状況で俺だけ探さないというわけにもいかないので、俺も王宮の外に繰り出したわけだけど、。


「女の子が好みそうなお菓子ねぇ……」


 大通りの露店を見ながら、俺はお菓子を探す。

 甘い香りのする食べ物はいたるところにあるし、どれが当たりなのか外れなのかも見当がつかない。


 こういうときに前世の記憶を生かしたいところだけど、前世でも女の子との関わりはないに等しかった。

 当然、プレゼントを贈ったことはないし、女の子がどんなお菓子が好きなのかもわからない。


「役に立たない前世だなぁ……まぁいい。数打てば当たるか」


 軍資金はたっぷりと貰っている。

 数を打っても問題はないだろう。

 あとは俺の胃と味覚が甘いお菓子に耐えきれるかどうか次第だ。


「これも貴族社会で生き抜くためだ。頑張れ、俺!」


 そう自分に気合を入れて、俺はさっそく露店に向かった。




●●●




 露店を回ること、十三軒。

 頑張ったほうだと思う。


 口の中に広がり、消えることのないねっとりとした甘さに顔をしかめて、俺は大通りの外れへと向かう。

 手にはまだ食べていないお菓子がいくつかと、お菓子ばかりで気が狂いそうだったので、肉を焼いて串に刺した串焼きが二本。


 できれば水分が欲しいけれど、さっき買った薄い果汁水は飲み干したばかりだ。

 今は我慢しよう。


 そんなことを思いつつ、壁に寄りかかって串を食べようとし、俺は気付く。


 俺の対面にうずくまっている少女がいることに。

 

 年は俺と変わらないだろう。


 鮮やかな薔薇色の長髪と、やや青みがかった灰色の瞳が特徴的な美しい少女だ。

 薔薇色の髪は首筋のあたりで、簡素なリボンによって束ねている。


 着ている服は清潔感はあるものの、飾り気のないワンピース。


 服装だけ見ると、平民の娘だ。こんなに美しい娘は見たことがないし、こんなに覇気のある同年代も見たことはない。なんというか、偉そうだ。


 少女の美しさに見惚れていると、凛とした強さを持ちながら、常夏の海のように澄んだ不思議な青灰色の瞳と、ばっちり目があった。


 少女は俺を見て、不思議そうに首を傾げ、やがて視線を俺の手の中にある食べ物に移し、不機嫌そうに眉をひそめた。


 明らかに不機嫌そうなのに、少女の美しさは何ら変わらない。むしろ、それはそれで芸術品のような印象を受けるから不思議だ。


 しかし、どれだけ美しく見えても少女が不機嫌だというのは事実だった。


 少女はおもむろに立ち上がると、俺の近くまで寄る。

 背は俺と大差ないが、少女は俺の顔を下から覗き込むようにして、口を開く。


「嫌味のつもりか? お前」


 爽やかな声色で唐突な難癖。

 偉そうだと思ったけど、そのとおり。言葉遣いから、言葉の響きまで偉そうだった。


「えっと……」

「嫌味のつもりかと聞いているのだ」


 少女がぐいっと顔を近づけてくる。

 少女の綺麗な顔がやけに近い。


 いくら前世で十六まで生きていても、今は十二歳。精神年齢的に前世と大差なんてない。

 つまり綺麗な同年代に顔を近づけられれば、ドキリとする。


 俺が答えに窮していると、少女は明らかに不満そうな表情を見せる。


 少女はなにか言葉を発しようとして。

 できなかった。


 キュ~っと、動物の鳴き声のような可愛らしい音が響いたからだ。

 少女は咄嗟に自分のお腹を押さえる。


 俺は何度か瞬きを繰り返し、やがて耐えきれずに噴き出してしまう。


 しかし、それが少女の気に障ったようで、俺はキッと睨まれてしまう。

 目つきは鋭いが、顔が微かに赤らんでいるから怖くはない。


「お腹空いてるのかい?」

「ち、違う! 私は!」


 再度、可愛らしい音が鳴る。

 もはや弁解もできないのか、少女は顔を真っ赤にして俯いてしまう。


 そんなの少女の様子が可笑しくて、俺は声を殺して笑う。

 そして、そのまま俯く少女に串焼きを差し出した。


「食べる?」

「えっ!? いいのか!? い、いや、施しなんて受けないぞ!」


 一瞬、顔が輝いたのだけど、すぐに少女は顔を引き締め、首を横に振る。

 なんだか、猫に餌を拒まれた気分だ。

 餌付け失敗か。


「じゃあ、あげない」

「え? あ、あぁ~……」


 串焼きを手元に引き寄せ、俺は見せつけるように串焼きを食べた。

 少女は世にも情けない声を出して、串焼きが俺の口の中に入るのを見ている。


 まるで敗北した武将のように無念そうな表情を見せる少女に、少々やり過ぎたという思いが浮かんでくる。


「そんなに欲しいなら、ほら。もう一本あるから」

「うっ……施しは受けない」


 意地になってるのか、少女は涙目で拒絶する。視線は串焼きに釘付けだけど。


 試しに串焼きを動かすと、少女の視線も動く。全然、拒絶できてない。


「はぁ、これも食べるけど、いいの?」

「あ……でも、私が人から施しを受けるわけには……下の者に示しが……」


 どうにも事情があるのか、少女はかなり葛藤している。

 右手は串焼きに伸びているけれど。


 まぁ、意地悪はこれくらいにするか。


 俺は少女の手を取って、串焼きを握らせる。同時に持っていたお菓子も渡す。

 少女はポカンとした顔をして、何度も俺とお菓子を見比べる。


「お菓子の感想を聞かせて。女の子が好きそうなお菓子を探してるんだけど、俺にはわからないんだ」

「……」

「その串焼きは協力へのお礼ってことで、どう?」


 そうすれば、施しを受けたことにはならない。

 そう説明すると、少女はパッと顔を綻ばせる。


「そういうことなら協力しよう!」


 そう言って、少女は串焼きに食いついた。




●●●




「これは甘すぎる。こっちは苦い。お前、よくこんなの買ったな? 見る目がなさすぎるぞ?」


 呆れた顔で少女は冷たく言い放った。


 すべてのお菓子をペロリと平らげた少女は、お菓子の感想を言ってくる。そのどれもが辛辣だ。

 自覚はあったけど、さすがにそう言われると傷つく。


「どれも駄目?」

「どれも駄目だ」


 こんな物を持って行ったらフラれるぞ、と少女が付け加える。

 王女殿下に渡す物だから、フラれるどころじゃ済まない。

 よかった、この子に出会えて。


「じゃあ、どんなのがいいのか聞かせて」

「定番はチョコレートだ。あとは目新しい物もいいな」


 自分が食べるのを想像しているのか、少女が幸せそうに語る。

 しかし、チョコレートといってもピンキリだ。ここは日本ではない。

 大量生産で味の安定しているチョコなど存在しないのだ。


 しかも目新しいと言われても、なにが目新しいのかわからない。なにせ、王都に来るのはこれが初めてだし、この世界のお菓子と向き合うのも初めてだ。


 俺にとっては何もかもが目新しい。


 俺はしばらく腕を組んで考える。

 この少女はただの一般市民じゃないことは、喋り方や態度から見て予想がつく。


 そんな子をあまり連れて歩きたくはないけれど、俺にとっては欠かせないアドバイザーになり得ることは間違いない。


 ここは多少変わっていようと、この少女に賭けるか。


「頼みがあるんだけど……」

「なんだ? また不味いお菓子を食わせるのか?」

「いや、俺が不味いお菓子を食べないように、アドバイスしてくれないかな? 報酬として、そっちが気になった物を俺が買うから。どうにかして、美味しいお菓子を手に入れなきゃなんだ」


 頼むと、軽く頭を下げる。

 向こうにとっても悪い条件ではないはずだ。

 事情は知らないが、お腹が減っていたのに何も買わなかったあたり、お金がないのだろう。


「いいだろう。ただし」

「ただし?」

「私が満足するまで付き合ってもらうぞ」


 少女は不敵な笑顔を浮かべて、宣言した。

 そんな少女の様子に苦笑しつつ、俺は自己紹介をする。


「俺はユウヤ・クロスフォード。君は?」

「なんだ? 貴族なのか?」


 俺の質問に答える前に、少女は意外そうに聞いてくる。

 この世界で姓を持つ者は大抵、貴族だ。もちろんそうでない者もいるが、それは稀だ。

 だから姓を名乗れば、貴族だと思われる。


 だけど、貴族と言ってもピンキリだ。


「辺境の子爵家の息子だよ。王都の商人のほうがいい暮らしをしてるさ」

「そうか。私はエルト。よろしくな。ユウヤ」


 そう言って、エルトは可憐に笑って見せた。






●●●






 俺とエルトは二人並んで、大通りの露店を回った。


 俺も王都は目新しいが、エルトもそうなのか、あちこちに興味を持っては見て回っている。

 俺がお願いしたこととはいえ、これだと俺は完全に付き人だ。


「なぁ? 俺のお願いを覚えてる?」

「ん? 覚えているぞ。だが、私も無限にお菓子を食べられるわけじゃない。食べたからにはお腹を空かせる必要がある」

「よく言うよ……」


 先ほどまで露店にある食べ物を全て食べつくさんまでの勢いだった癖に。

 お菓子に限定すれば、露店のお菓子をほとんど制覇できるくらい、エルトは大食らいだ。


 そんなエルトだが、今は食後の運動とばかりに王都を散策中だ。

 すでに露店が出ている大通りからかなり離れている。


「しっかりと協力はする。だから、そんなに不貞腐れるな」

「不貞腐れてない。呆れてるんだよ」

「心外だな。私が何も考えずに歩いていると思ったのか?」

「何か考えがあって歩いていたの?」


 俺の返しに、エルトは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

 どうやら、本当に考えがあったらしい。


「この先に最近、知る人ぞ知る露店がある。そこで販売されてるのは、最近、隣国レグルスで人気のビスケットだ。生地にチョコを練りこんだもので、非常に美味しい」

「なんだ……当てがあったのか……。なら最初からそこに案内してくれない?」

「そしたら、私が満足できないじゃないか。言っただろ? 私が満足するまで付き合ってもらう、と」


 確かにその通りだけど、それにしたって良い性格をしてる。

 おかげで、俺が渡された軍資金はだいぶ減ってしまった。


「はぁ……そういえば、どうしてお金を持ってなかったんだ?」


 唐突に思いついたことを俺は問う。

 エルトはどう考えても普通じゃない。平民と言われるより、お忍びで町を歩くお嬢様と言われたほうがしっくりくる。


 だけど、そうなるとお金を持っていないことが説明できない。


 俺の質問にエルトは顔をしかめる。

 そして短い言葉で答えた。


「……落としたんだ」

「ん?」

「だから、落としたんだ。財布を」


 これ以上、聞くなと言わんばかりにエルトは俺から顔を背ける。

 自分の失敗談を語るのは嫌らしい。


 まぁ、得意げに話すことでもないことは確か。そのせいで、腹を空かせてうずくまっていたのだから。


「なるほど。それは腹も空くわけだ」


 ずっと一緒にいたせいか、最初は使っていた気を、今は使っていない。

 言葉を選ばず、自然と思いついた言葉を口にした。


 すると、エルトが俺をキッと睨む。どうやら気に障ったようだ。

 俺は慌てて謝罪する。


「気に障ったなら謝るよ」

「気に障ったんじゃない。気に入らなかっただけだ」


 同じじゃないか、と思いつつ、それを口に出す愚は犯さない。

 そんなやりとりを行っていると、細い通りに出た。

 そこには大通りほどではないけれど、露店が出ている。


「なにも、こんな活気のないところで露店を出さなくてもいいだろうに」

「なにを言ってるんだ? 大通りは王都に長くいる人間たちや、力のある商人が取ってしまう。新しく来た者たちは、こういうところで地道にやるしかない」

「なるほど。詳しいね」


 言われてみればその通りだ。

 日本だってどこにでも店が出せるわけじゃない。


 しかし、それにしても薄暗い。

 同じ王都とは思えない。


 たぶん、日があまり当たらない区画だからだろう。

 そのせいで、俺の気分まで暗くなりそうだ。


「最近、勉強したからな」

「勉強? 何のために?」

「そんなの決まっているだろ。それは」

「それは?」


 そこまで口にして、エルトは口を閉ざす。

 どうやら、理由は話せないらしい。


 何度か口を開いたり閉じたりして、適当な理由を探している。

 まぁ、無理して聞き出すことでもないか。


「知識は武器になるからね。俺も見習うとするよ」

「そうだ! その通り! 良いことを言った!」


 快活に笑いながら、エルトが同意する。

 その笑顔を見ていると、この暗い道でも気分が明るくなる。


 少し歩くと、エルトは一つの露店で止まった。

 店には若い女性がいる。たぶん、この人が店主なんだろう。


 エルトは親しげな様子で店主へと話しかける。


「やぁ、クルーシェ」

「……」


 しかし、店主のほうはエルトの顔を見て絶句している。

 まさか、というような表情だ。


「え、え、え……」

「なんだ? 私の名前を忘れたか? エルトだ。エルト」

「え、ええ。覚えているわ。エルト。どうしてここへ?」

「お菓子を買いに来たに決まってるだろ?」


 よほどエルトがここにいることが意外だったんだろう。クルーシェと呼ばれた店主は、かなり動揺している。

 だが、エルトのほうは気にせず、並べられているお菓子をいくつか指定していく。


「以上だ。支払いはこいつがする」

「こんなに買ってどうするんだよ……。まさか全部、俺が持ってくの?」

「いや、半分は私が食べる」

「まだ食うのか……」


 呆れた様子で呟き、俺は金額を聞いて、代金を支払う。

 大通りにある多くの店よりも良心的な金額だ。


「では、またな。クルーシェ」

「はい」

 

 クルーシェはそう言って、背中を向けたエルトに恭しく頭を下げる。

 その様子はどう見ても、主と臣下、上司と部下といった感じだ。


 やはりエルトは貴族の娘か。ただ、王都を珍しがっていたし、王都と離れたところの貴族か、他国の貴族か。

 王の生誕祭だ。他国の有力者が祝いに来てもおかしくない。


「どうしたユウヤ。行かないのか?」

「残念ながら、俺はもう行かないと。そろそろ日暮れだしね」


 時間が決められているわけではないけれど、日暮れの時間に一人で行動するのは頂けない。

 俺はまだ十二歳で、ここは王都とはいえ見知らぬ土地なのだから。

 それはエルトも同じだろう。


 言われて初めて気づいたのか、エルトは太陽の位置を見て、微かに残念そうな表情を見せた。


「そうか……そうだな。確かにあまり遅くまでうろつくわけにもいかないか」

「お互い、まだまだ子供だしね」

「そうだな。じゃあ、ここでお別れか……」


 落ち込んだように顔を伏せるエルトに、俺は先ほど買ったビスケットを半分、渡す。


「これはエルトの分なんだろ?」

「お礼にしては貰いすぎだな……今日は本当に助かった。この恩は忘れない」

「大げさだなぁ。いいさ、俺のほうこそ助かったよ。ありがとう。またどこかで会おう」


 そう言って、俺は右手を差し出す。

 エルトは曖昧に笑って、俺の右手を握り返した。


 たぶん、もう会うことはないだろうと思っているんだろう。


 会う可能性が低いことは間違いないと思う。

 俺は辺境の貴族で、エルトはエルトで王都とは離れた場所の貴族か、他国の貴族だ。


 それでも、また会おうと言うくらいは許されるだろう。

 さようならと言うだけなのは、あまりに惜しい。


「……また会おう。ユウヤ・クロスフォード。そのときは、また私に付き合ってくれるか?」

「もちろん。ただ、財布役はごめんだ。次は自分で用意するように」

「ああ。気を付ける」


 そう言って俺たちは手を離した。


 俺は踵を返し、エルトに背中を向ける。

 正直、楽しい時間だった。


 前世の記憶が目覚めたのが、十歳のときだから、それから二年。

 その中で一番楽しかったといえるだろう。


 不思議とエルトとは馬が合った。


 だから、別れるのは惜しい。彼女が普通の平民の少女だったら、間違いなくクロスフォード子爵領へ来ないか、と誘ったはずだ。


 けれど、彼女は普通の少女ではない。

 それだけは確信できる。


 握った彼女の手には微かに豆があった。女性らしい柔らかい手ではあったけれど、あれは間違いなく剣を振っている人間の手だ。


 しかもかなり腕だ。少なくとも、俺程度じゃ数合と持たず斬り捨てられるだろう。


「エルトか……」


 細い通りを抜け、大通りへと戻りながら呟く。

 あの薔薇色の髪は印象的だし、忘れることはないだろう。


 しかし、俺は貴族である以上、戦場に出るのは義務であり、おそらく彼女も似たようなものだろう。


 味方か敵か。

 どちらにしろ、次に会うのが戦場ではないことを祈りたいもんだ。

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