第十五話 副官クリス
刃を潰した練習用の剣を持って、俺は城の中庭兼訓練場にいた。
周囲には大勢の騎士たちがいる。
全員、エルトに忠誠を誓う騎士で、そのせいで俺はここに引っ張り出された。
「いやぁ、すまないな。私は結構、人気者なんだ」
「見ればわかる。それと自分で言うな」
したり顔で告げるエルトに、俺は疲れた表情で返した。
このリオスにあるエルトの城で俺が目を覚ましてから、すでに五日が経過している。
体も順調に回復して、エルトとリハビリがてら剣の稽古ができるほどだ。
ただし、それがいけなかった。
ここにいる騎士たちはエルトのためなら、喜んで死ねる奴らだ。それはもう熱狂的なエルトのファンなわけだ。
アイドルグループのファンとは比べ物にならない。まさしく命がけでエルトを追いかける奴らだ。
そんな奴らからすれば、エルトと気安く喋り、なおかつ一対一で剣の稽古までしてる俺は、羨ましく、妬ましい存在だ。それこそ、本気で殺したいと思ってる奴も少なくないだろう。
そして騎士たちは、俺の技量を見たいとエルトに直訴した。
アルシオンの銀十字の腕前をお見せいただきたい。
マグドリアの黒騎士団の団長を退けた剣技、是非とも披露していただきたい。
口ではそんなことを言っているが、内心は読めている。
俺をボコボコにしたいのだ。
「本当にわかりやすい奴らだなぁ……」
「エルトリーシャ様。準備ができました。いつでも試合を開始できます」
「ああ。すまないな。クリス」
肩あたりで綺麗に切りそろえた金髪を持つ、華奢な少年がエルトに報告する。
年は俺やエルトと変わらないだろう。もしかしたら、童顔に見えるだけで少し年上かもしれないが。
名前はクリス。エルトの副官だ。
柔和な笑みと琥珀色の瞳が特徴的な、中性的な美少年で、エルトいわく、剣を持てば一流の騎士となり、書類作業をさせれば一流の事務員となり、掃除をさせれば掃除で、料理をさせれば料理で、一流の力を発揮する万能な副官だそうだ。
普段は物腰やわらかで優しい少年なのだけど。
「さすがに手際がいいな?」
「あなたが倒されるのが見たかったので、つい張り切ってしまいました。お許しを」
「……」
このように俺には非常に手厳しい。
これもエルト関連なのだろうか。
「相変わらず、クリスはユウヤが嫌いだな。なにが気に入らないんだ?」
「嫌いという感情を抱いてはいませんが、あえて、どこが嫌いかと答えるならば……全てですね」
「いやいや、超嫌ってるだろ……」
「僕は人を好き嫌いで判断などしません。あなたは、一応、曲がりなりにも、非常に不満ですが、エルトリーシャ様のお客人ですから。ロードハイム公爵家の名に恥じない対応をしているつもりですが?」
「まぁ、対応に不満はないけど……でも、他の人と態度は違うだろ?」
「そうでしょうか? そう思われるなら改めましょう。ですが、未熟者ですから、至らない場合はお許しを」
そう言ってクリスは話を切り上げて、静かにエルトの後ろに控えた。
顔に話しかけるなと書いてある。
「何かしたのか? お前は人を苛立たせる天才だし、気付かないところでやらかしている可能性はあるぞ?」
「真面目な顔で何を言ってるんだ? 俺の言動に苛立つ奴はちょっと心に余裕がないんだ」
「……私が心に余裕がないと言いたいのか?」
「違うのか?」
「私は鷹揚だとか闊達だとか、よく言われるほど心の大きさには定評があるぞ? レグルスに三人いる使徒の中では最も度量の大きい使徒と自負してる」
「よく言うよ。三年前のことを根に持っていた癖に」
「それとこれとは別だ。受けた屈辱は三倍返しが信条なんだ」
「怖い奴だな……。じゃあ、お前に一太刀当てたら、三太刀返ってくるのか?」
「まさか。一太刀で首を落とす」
「……」
どうにも話がかみ合わない。
ため息を吐くと、俺は前に進み出る。
いつまでもエルトと話しているわけにもいかない。
どんどん怨嗟の視線が強くなるからだ。
「最初の相手は?」
「百騎長ボーダン! 参る!!」
訓練場の周囲を囲む騎士たちに問いかけると、大柄な男が飛び出してきた。
髭面で悪人顔だ。本当に騎士なんだろうか。
山賊とかのほうが似合ってそうだけど。
手に持つのは大きな斧。
当然、刃は潰してあるだろうが、重量級の武器だから当たればただでは済まないだろう。
怪我明けの相手には辛い。
ルールは一撃を入れること。審判はクリスだ。
「行くぞ! 小僧!!」
レグルスの騎士はアルシオンの騎士とは違う。
アルシオンの騎士は王家に忠誠を誓う常備軍のような扱いだが、レグルスの騎士は、使徒の下で戦う騎兵のことを指す。
使徒直属の軍に入れる時点で猛者であることは疑いようがなく、その中でも百騎長というからには、百人の騎士を統率する立場にあるということだ。
弱いわけがない。
「ユウヤ。私を楽しませることができたなら、一つくらいなら頼みを聞いてやるぞ?」
「忘れるなよ? さて勝つ理由ができたな」
そう言いつつ、俺は剣を上段に構えた。
●●●
「どうした? 押されてるぞ! アルシオンの銀十字!」
「ボーダンの相手は厳しいんじゃないか? 代わってやろうか?」
「せめて使徒様に見せれるような試合にしろよ! 防戦一方じゃないか!」
ボーダンは力押し主体の騎士だ。
けれど、そこまで機敏ではないが、斧の扱いはなかなか上手い。
ボーダンの相手はもちろん面倒なのだけど、もっと面倒なのは周りの野次だ。
そこかしこから聞こえてくる野次。
野次のせいで集中できないわけじゃない。
ときおり視界に入るエルトの表情がどんどん険しくなっているのが問題だ。
これは長引かせるとエルトが野次にキレかねない。
騎士たちは最初こそ俺がエルトの客人ということを意識していたようだが、ボーダンが押し始めると、一気に盛り上がってしまった。
後ろのクリスも顔をしかめている。
野次というのはあまり褒められた行為じゃないというのは、レグルスでも同じか。
「早く参ったと言えば、怪我をせずに済むぞ! 小僧!」
野太い声で警告してくるボーダンの顔は笑っている。
どう見ても降参を促す顔じゃない。
このまま俺を痛めつけたくて仕方ないという顔だ。
どんだけ俺は恨みを買っているのやら。
「まったく……」
負けるのも癪だし。勝てばエルトは頼みを聞いてくれる。
仕方ないか。
普段の技量じゃとてもじゃないけど、勝ち目はない。
「強化」
神威の力を発動させる。
本来、使徒というのは神威を発現させると、聖痕と呼ばれる五芒星の紋章が浮かび上がる。
普通は手の甲や額などに浮かびあがるが、俺は左胸、心臓の部分に浮かび上がる。
ただし、発動しているときだけだ。
だから今日まで強化を使っても使徒とバレなかった。
証である聖痕が体のどこにもないのだから、俺を使徒と認める者はいない。発動中にわざわざ見せない限りは。
今は微かに光って浮かび上がっているだろうが、誰にもバレてはいないだろう。
あとはエルトやクリスといった手練れに、神威を使ったとバレないように動くことが大切だ。
「それが一番難しいか」
「なにをぶつぶつと!」
上段から振り下ろし。
受け止めれば間違いなく受け止めきれず、吹き飛ばされるか地面に膝をつくことになる。
これを今までは後ろや横に回避していた。それゆえ、間合いに入れず防戦一方だったが。
今は懐に入る速度がある。
少しだけ前に出ると、回転しながらボーダンの後ろを取る。
その勢いのまま、ボーダンの首筋に剣を突きつける。
一撃をいれられるよりも、よほど屈辱的な負け方だろう。
「そこまで! 勝者、ユウヤ・クロスフォード!」
クリスの声が響き、周りがシーンとする。
強化を解除して、エルトを見ると、満足そうな笑みを浮かべていた。
「お見事。さすがにラインハルトを退けただけのことはある」
「お褒めにあずかり光栄だな。じゃあ終わりでいいか?」
「そうだな。ボーダンはそれなりの実力者だ。その後ろを取れる者なんて、私の配下の中で片手の指の数もいない。お前の実力は皆が知っただろう」
「なら」
「だが、どうしてもお前と手合わせしたいという奴がいる。もう一戦してくれないか?」
まったく。
本当に楽しそうにお願いする奴だな。
そんな顔でお願いされると断れない。
「あと一戦だけだぞ? だれだ? 千騎将か? それとも騎士長か?」
「いや、騎士長は外していてな。相手は私の副官だ」
足音が響く。
軽い足音だ。
しかし、その足音ほど軽い相手ではない。
「クリスか……」
「不服ですか?」
「まさか。相手を務める自信がないだけさ」
「謙遜ですね。僕はマグドリアの黒騎士団団長ラインハルトと一度戦ったことがありますが、手傷を与えるには至りませんでした」
「でも手傷も食らわなかっただろ?」
俺はラインハルトと全身全霊をかけてやりあった。向こうがそうだったか怪しいが、少なくとも俺は全力だった。
けれど、エルトの副官であるクリスが奴と全力でやりあうとは思えない。
手傷を受けて撤退すれば、エルトの傍に隙ができてしまうからだ。
「僕はあなたが苦手だ」
「嫌いの間違いだろ?」
「違います。あなたのように使徒を使徒と思わないような人はあったことがありません」
「そりゃあそうだろな。けど、使徒の前にエルトはエルトで、俺の友人だ」
クリスは整った眉を微かに動かす。
俺のこういう物言いも気に食わないんだろうな。
「その言い方だと、王族にもそのような態度を取るんですか?」
「さぁ? 王族には会ったこと……あるな。王族らしくないってか、とても王族らしいってか。まぁ、それなりに敬意をもって接したかな?」
「ならばエルトリーシャ様にも敬意を持つべきでは? 使徒ですよ?」
「エルトは友人で、俺が会った王族は友人じゃない。それにエルト自身気にしてない。見ろ。俺たちの言い合いを馬鹿笑いしてるじゃないか」
離れたところで俺とクリスの言い合いを腹を抱えて、足をバタつかせながら笑っているエルトを見て、俺はそういう。
しかし、その言い方がまずかった。
「エルトリーシャ様が、馬鹿?」
「いや、馬鹿笑いって」
「これ以上、我が主への不敬は許しません。その性根を僕が叩き直してあげましょう」
そういってクリスは練習用の剣を構える。
その剣の形状は。
「サーベルか。珍しいな」
「エルトリーシャ様の副官、クリス・アーリネイ。参ります」
瞬間。
クリスの姿が消える。
横ではなく、縦に沈んだのだ。
まるで猫のように地を這い、クリスは下から攻撃してくる。
すくい上げるような一撃を受け止めると、意外に力が強い。
いや、体全体を使うのが上手いのか。
「はっ!」
連撃。
上下左右から独特な軌道を描いて襲い掛かる。
速い。そして連撃に隙がない。
すべての動きが次の動きに繋がる。
まるで竜巻だ。
手を突っ込めば、間違いなく切り刻まれる。
下がりながら受けつつ、クリスの技量に舌を巻く。
さすがは使徒の副官と感心するべきか、これほどの腕を持ちながら副官なのか、と驚くべきか。
ラインハルトと比べても遜色ないどころ、速さだけなら勝っている。
「強化」
呟き、クリスのサーベルに向かって、剣を打ち込む。
金属がぶつかる嫌な音と共に、俺とクリスは同時に距離を取った。
「動きが変わりましたね……。様子見だったとは舐められたものです」
「全力で戦うと疲れるんだ。体力がなくてな」
言いながら、クリスに向かって今度は俺から攻め込む。
攻撃が上手いとかといって、防御が上手いとは限らない。
人には得て不得手があるものだ。
けれど。
クリスは面白いように俺の攻撃を受けていく。
「おいおい……受ける方が上手いのかよ」
「僕は副官であると同時、エルトリーシャ様の護衛です。守るのが得意で当然でしょ?」
「そりゃそうなんだけどな」
まともに打ち合ってもクリスの防御を破れる気がしなくて、俺は大きく距離を取る。
強化していても、向こうのほうが速さは上だ。力はさすがに俺のほうが上だが、当たらなければどうにもならない。
「俺の母は剣士なんだが、俺に稽古をつけてくれたのはたったの三回だけだった」
「可愛がられなかった不幸自慢ですか?」
「まさか。その三回はすべて技の稽古だった。だから、俺は基本的な動きに加えて、三つの技を持ってる」
どれも敵味方が入り乱れ、どこから攻撃が飛んでくるかわからないような場所で使う技じゃない上に、馬に乗って使う技でもない。
だから使い道がなかなか見つからない技だ。
けれど、地に足つけた状態での一対一なら強力な技だ。
「それを披露すると?」
「ま、できればだけど」
そう言いながら、俺は距離を詰めるために前傾姿勢になる。
この技は自分から突撃しないと始まらない。
一瞬、訓練場が静まりかえった。
クリスは迎え撃つ構えを取る。
まぁ、技を披露すると言ったのだ。受けてたとうとするだろう。
防御に自信があるなら当然だ。
だから俺はまっすぐ突っ込んだ。
真っすぐ突っ込んでくる相手への対処が一番簡単だからだ。
「それが技なら芸がないですよ?」
言いながらクリスをサーベルを中段に構えた。そうすれば、それより先に俺は行けないからだ。
そのサーベルよりも低く俺は走った。
最初にクリスが攻撃してきたときよりも低い。
ここからの浮上を叩くには、浮上する前に叩くしかない。
そしてそれをやる技術と速度がクリスにはある。
「させません!」
クリスは中段の構えからそのまま振り下ろす。
それが最短で、確実な対策だからだ。
そして、それをさせることにこの技の意図はある。
「技名は〝牙崩し〟だっけか?」
「なっ……」
振り下ろされるサーベルに向かって、俺は身を引きながら剣を跳ね上げる。
元から狙いはサーベルなのだ。
俺の体を狙い、中途半端に振り下ろされたサーベルの半ばに俺の剣が当たる。
そしてクリスのサーベルは高く舞い上がった。
「っ……」
「勝負あり! そこまでだ。見事!」
そう言ってエルトが拍手をする。
それに倣う形で、騎士たちも拍手を送ってくる。
もう野次は来ない。
ただし、クリスは厳しい目線を俺に向けているが。
「……愛剣ならこうはなりません」
「そうだろうな。だいたい、同じ技が通じるとも思えないし。今回のはまぐれさ」
「……やはりあなたは苦手です」
そう言ってクリスは俺に背を向けた。
そんなクリスの背中を苦笑しながら見送り、俺はエルトの傍まで歩いていく。
「面白い戦いだったぞ」
「それはどうも。満足できたなら、俺の頼みを一つ聞いてくれるのか?」
「なんだ? 共にアルシオンを助けてほしいのか?」
訓練場が凍り付く。
エルトだけが笑みを浮かべて、俺の答えを待っている。
「さぁ、なんでも言え。叶えてやろう」
冗談なのか、本気なのか判断がつかない。
いつもは感情の起伏が激しく、コロコロと表情に出てくるのに。
今のエルトの笑顔からは、なにも読み取れなかった。