第十三話 目覚めの会話
これは夢。これは前世の記憶だ。
夜だ。
ライトアップされた地面。
煌びやかにデコレーションされた木々。
笑顔の人々。
いつだったか。
たぶんクリスマスの夜だ。
父と母に連れられて、大きなクリスマスツリーを見に行った。
今では顔を思い出すのに少し苦労する前世の父と母。
二人とも優しい人だった。
芸能人だとか、会社の社長だとか、そういう人たちではなく、ごくごく普通の人だったけど、それでも文句のない両親だった。
そんな両親と手を繋ぐ幼い俺。
子供の頃から背伸びしたがりだった。自分にできるかどうかの判断ができないから、なんでもやりたがり、その癖に失敗する。
それでも諦めないならまだ救いがあったけど、いつも失敗するたびに不貞腐れたり、諦めたりする馬鹿な子供だった。
結局、何事も諦めて。
誰かと競うこともせず。
自分自身にも負けて。
自分の学力で入れる適当な高校に行った。
そこで自分とは違って、人生楽しんでますって顔の奴らに憧れて。
そいつらの真似をして、そいつらの仲間になって。
そして。
死んだ。
頑張る方向性を間違えてたと言わざるをえない。
単純に馬鹿だった。
育ててくれた両親には本当に申し訳ないことをした。
クリスマスの日。
たしか大きなサンタクロースを貰ったのだ。
とてもうれしかったのを覚えている。
子供の体くらいの大きさだった。
けど、そのサンタクロースの形が思い出せない。
どんな形だったかなぁ?
そんなことを思いながら、俺は目を開けた。
夢であることを理解しながら見る夢というのも、たまには新鮮だ。
それが前世の追体験となれば、なかなかできない経験だ。
なにせ、前世の記憶はどんどん薄れていく。ま、覚えているほうがおかしいのだけど。
俺は自分の状況を把握する。
まず、ベッドに寝ている。
天井は知らない天井だ。加えていえば、やたら高い。
この世界で、ここまで天井の高い部屋があろうとは。ちょっと意外だ。
体を微かに動かすと、腹部と背中に痛みが走った。
仕方ない。斬られて、刺されたのだから。
けど、動けないこともない。たぶん、何日も寝てたんだろう。体はだるいけど、強化後のだるさとは少し違う。
強化の反動は取れたみたいだ。
とにかくここがどこなのか把握しないとな。
そう判断して、体を起こして右を見た。
そこには下着姿のエルトがいた。
「……」
「や、やぁ。おはよう、ユウヤ……す、すまない。起きないと思ってたんだ……」
もう一度言おう。
下着姿のエルトがいた。
顔は微かに赤く、笑顔はぎこちない。
薄いピンクの下着はエルトの髪色に似ていて、とても似合っていた。
気絶する前にも思ったけれど、胸が本当に成長してる。本当に十五歳だろうか。
雑誌の表紙に載っているグラビアアイドル並みだ。
それでいてウエストは細く引き締まっていて、ヒップは美しい曲線を描いている。
こういうのをスタイルがいいと言うんだろうな。
そんな感想を抱きつつ、俺は寝ぼけ眼をこすり、再度、目の前の人物を確認する。
三度確認しても、やっぱり下着姿のエルトだ。
「……お前、なにしてるんだ?」
「まず目を背けるとかしないか? これでも恥ずかしいんだぞ?」
エルトは微かに顔を赤らめて、近くにあったドレスで体を隠す。
言われて、ようやく自分が不躾にエルトの体を観察していたことに気付く。
たしかに俺が悪い。
顔を背けて謝罪する。
「いや、悪い。けど……なぜ俺が寝てる部屋で着替えてる?」
「ここは私の城だ。どこで着替えても私の勝手だろ?」
「男の部屋で着替える趣味でもあったのか? 見ない間にずいぶんと変わった趣味に目覚めたな?」
「ち、違う! 侍女たちが隙あらば私の着替えを手伝おうとするから、隠れて着替えてたんだ!」
必死に否定しながら、エルトはてきぱきと着替えているようだ。
衣擦れの音がして、なんともいえない気分になる。
それを紛らわせるために、会話を切らさないようにする。
「自分の城なんだろ?」
「うるさい! 思い通りにならないこともあるんだ!」
「で? 当分、起きなそうな俺の部屋で着替えてたわけか……。それで着替えを見られちゃ割に合わないだろ? 何やってるんだ?」
「なぜ、見られた私が説教をされなきゃいけない! お前、失礼だぞ!?」
エルトは若干怒り気味の口調で言うと、もういいぞ、と呟く。
振り向けば、紫を基調とした落ち着いた服をエルトは着ていた。
装飾の施された上着に、膝丈のスカート。
最初に見たときは町娘の服装で、二度目のときは軍装だった。
服を変えるのは三度目だが、どれも悔しいほどに似合っている。
この分じゃドレスを着ても、周りが霞むほど綺麗に着こなして見せるだろう。
「ふん。三年経っても私を不機嫌にさせる技量は衰えてないようだな」
「そんな怒るなよ……。気に障ったなら謝る」
「気に障ったんじゃない。お前の言動が気に入らないんだ」
たしか、前も似たようなことを言われた覚えがある。
なるほど。三年前と変わっていないかもしれない。
「機嫌を直してくれ。使徒を怒らせたと知れたら、俺がこの城の騎士に殺される」
「ん? そういえば、ユウヤ。私が使徒だと知ったのに驚かないな? 普通、畏まらないか?」
おかしいなぁ、とエルトが首をひねる。
どうやら俺の反応が思っていたのと違っていたらしい。
まぁ、普通はこんな気安く会話はできないだろう。下手したら王族よりも尊い身分だ。
実際、驚いたといえば驚いた。どこかの貴族のお嬢様かと思ったけれど、予想の斜め上だった。
いくら幼い頃に縁があったとはいえ、所詮は一日の出来事。
その流れで使徒にため口を使うのはおかしい。
おかしいのだけど。
俺も同じ使徒だし。なによりエルト自身、結構馴れ馴れしいから畏まるって雰囲気にはなれない。
「畏まってほしいのか?」
「少し」
「仕方ないな。先ほどの非礼、深くお詫び申し上げます。エルトリーシャ様」
「うむ。許してしんぜよう」
芝居がかった口調で言うと、エルトは笑って首を横に振る。
「駄目だ、駄目。笑ってしまう。今のままでいい。お前のように気さくに接してくれる人間は少ないからな」
「そう言ってくれると助かるよ。ああ……言い忘れた。助けてくれてありがとう。本当に助かった」
礼がまだだったことを思い出し、俺は姿勢を正して頭を下げる。
ちょっと腹部と背中が痛んだが、体が痛むからといって、適当な姿勢で礼を言うわけにもいかない。
なにせエルトは命の恩人だ。
あのときエルトが来てくれなければ。
うん?
どうしてエルトはあそこに来たんだろうか?
「なぁ、エルト」
「なんだ?」
「どうして俺を助けられた? 偶然か?」
「偶然だと思うか?」
「いいや。なにか理由があるんだろ?」
「そう思うならまず自分で考えてみろ。それが当たっていたら、約束通り豪勢な食事を用意してやろう」
食事の話題を出されて、俺は急激に腹が空くのを感じた。
それは気のせいだ。ずっと腹が空いていたけれど、エルトに気を取られて気付かなかっただけだ。
ま、これを当てれば食事が出るわけだし。
寝起きの頭を活性化させるにはちょうどいいか。
「うーん……あ、その前にここどこだ?」
「私の城だと言っただろ? 私が治めるロードハイム公爵領の首都リオスだ」
「ロードハイム公爵領か……ヘムズ平原から距離があるな?」
ロードハイム公爵領は、アルシオンとレグルスの国境にあるレコン山脈の近くにある。
近くにあるといっても、そこを含めて広範囲を領土としているわけだけど。
クロスフォード子爵領とは、山脈を隔てて隣同士に近い関係だ。
山脈の存在が大きいため、直接の関係はないし、隣同士という言葉を使うなら、ほかにも隣同士の貴族領はあるけれど。
近いことには違いない。
そこからヘムズ平原近くにいたということは。
「レグルスとマグドリアとの戦線か、アルシオンとマグドリアの戦線に介入する気だったのか?」
「半分正解だ。正確には監視だ。マグドリアが進路を変更して、こちらに攻め込んでこないとも限らなかったからな。だから、お前以外にも逃げてきた兵士を保護した。そしたら、クロスフォードの若君を助けてくれと、皆が口を揃えて言う。ずいぶんと慕われたことだな?」
からかい交じりの笑みを浮かべて、エルトは俺のベッドに腰掛けた。
微かに浮いたエルトの髪から、いい匂いが漂ってくる。
エルトは気にしてないようだけど、距離が近い。
なんとなくいけないような気がして、距離を取る。
「どうして逃げる?」
「近い。俺も男なんだから、不用心に近寄るな」
「ほぉ? 私を押し倒す自信があるのか?」
挑発的な笑みをエルトが浮かべる。
やれるものならやってみろ、と言わんばかりの態度だ。
普通の少女なら軽く押し倒して、男の力強さを見せてやるところだけど、相手はエルトだ。
間違いなく返り討ちだろう。
「はぁ……自信はない。けど、自信がなくても行動するのが男だから覚えておけ」
「けど、お前は行動しない男だろ? いくじなしだから」
「何とでも言え。それで? クロスフォードと聞いて、俺だと知ったから助けにきてくれたのか?」
「それもある。だが、助けにいった理由はもう一つある」
エルトはグッと身を乗り出し、顔を近づけてくる。
近寄るなといったばかりなのに、こいつは。
「そ、それは?」
「アルシオンの銀十字。マグドリアはお前をそう呼んでいるそうだ。マグドリアの黒騎士団の団長と一騎打ちを行い、それを退けた剛の者。巧みな指揮で本隊の撤退を援護し、自身も離脱して見せた知恵者。知勇併せ持つ指揮官として、よほど恐れられているらしい」
「買いかぶりだな。行き当たりばったりの戦術で、俺が生きているのは奇跡だし、味方も大勢死なせてる」
「それでもお前は目的を達成した。使徒の強さを私はよく知っている。その使徒と対峙して、諦めずに戦ったお前を私はとても尊敬してる。敬意に値する。さすがは私の友人だ。よくやった」
エルトは俺の頭に右手を乗せると、笑顔で撫で始める。
それに気恥ずかしさを感じて、慌てて振りほどこうとするが、エルトは器用に左手で俺の手を弾く。
「やめろ! 子供みたいに!」
「誇らしいから褒めているんだ。ありがたく受け取れ。この国の者なら涙ものだぞ?」
「俺はアルシオンの人間だ!」
「まぁまぁ。使徒に頭を撫でられるなんてめったにない経験だ。受け取れ」
エルトはどうも俺の頭を撫でるのが気に入ったのか、手を払おうが、体を退こうがやめない。
もう抵抗するのも馬鹿らしくなって、好きなようにやらせていると、ようやく飽きたらしく、エルトは体を離してベッドから腰をあげる。
「さきほどのは正解とはいえないが、約束は約束だ。食事は出してやろう」
「それはありがたい。正直、お腹が空いて死にそうだ」
「よく言う。黒騎士団のラインハルトと戦っても死ななかった奴が空腹ぐらいで死ぬものか」
「知ってるのか? ラインハルトのことを」
「ああ。何度か戦ったことがある。マグドリアの中では骨のあるやつだし、私と打ち合える数少ない剣士でもある」
「やっぱり手練れか。もうちょっと続けてたら首と胴が離れてたかもな」
これは本当の感想だ。
最後の最後で武器強化を使ったが、それでも仕留めたという感触はなかった。
おそらく奴は生きている。
そんな奴と長時間戦っていたら、本当に殺されていただろう。
「謙遜だな。退けたのだろ?」
「武器が壊れたから、向こうが退いたんだ」
「武器を壊すまで追い詰めたんだろ?」
「俺の武器も壊れた。おかげで後ろから刺された」
「こっちが好意的に取ろうとしてるんだから、お前も好意的にとらえたらどうだ?」
エルトは呆れた様子で腰に手を当てる。
そう言われても、俺が言ってることは事実だ。
ラインハルトが退いたのか、それとも気絶なりなんなりして、行動不能になったのかわからないが、黒騎士団は俺たちを追ってこなかった。
ただ、ラインハルトは肩を貫かれても平然としているような奴だ。
簡単に気絶するとは思えない。
武器が壊れたから勝負は引き分けとか思ったのだろう。
少し会話しただけだが、武人肌だというのはわかった。
「実力が伴わない戦果だった。それ以上でもそれ以下でもない。お前が考えてるほど立派じゃないよ」
「そうか。ま、お前がどう思うかと、他人がどう思うかは違う。体が治ったら保護した兵士にも会わせてやる。お前のことを英雄として褒めたたえると思うぞ?」
「そういうのは苦手だ……。お前のほうから言ってくれ。あいつは大したことないって」
「それは無理だ。ユウヤ、お前のことを一番評価しているのは私だからな」
そう言って満面の笑みを浮かべるとエルトは機嫌よさげに部屋を出て行った。