第三十六話 好転
「覚えておけ……切り札は最後まで取っておくもんだ」
その言葉と共に、ヴォルターは槍を振り下ろした。
拙い。とても。
俺の強化はもう限界。レイナも二つの津波を跳ね返せるほどの力はない。
どうにかレイナが食い止めに掛かるが、ヴォルターに加えて魔導士まで加わったとなると劣勢だ。
このままだと押し切られる。
巨人の腕のような津波に飲み込まれれば、命はない。
万が一にも命を繋いだとしても、要塞とレグルス軍は完全に機能を失う。
それでは敵に立ち向かえない。
万事休す。
そんな言葉が頭によぎったとき。
空から足音が聞こえた。
おかしなことを言っている自覚はある。
〝空〟に道はない。
だから足音なんて聞こえるはずがない。
だが、それは確かにした。
力強く、そして軽やかな足音だ。
そして空から声が降ってきた。
「良い言葉だ。しかし、そっくりそのままお返しするぞ。ヴォルター・バルリング。こちらの切り札は……私だ!」
戦場には似つかわしくない清冽な声。
よく透き通り、遠くまで届く声。
俺の胸に響く懐かしい声だ。
「エルト……!」
「ユウヤ! 相変わらず厄介事を拾うのが好きみたいだな! そんな女と心中したら地獄で地獄を見るぞ?」
神威で作った道から俺とレイナの傍に降りてきたエルトは、軽い口調でそんなことを言ってきた。
そうしている間に、敵の津波の動きは止まっている。
見れば、白い光によってつくられた壁が津波の前に立ちふさがっている。
「ずいぶん遅い登場のくせに、いきなり挑発とか……やっぱりお前は気に入らねぇ! エルトリーシャ!」
「奇遇だな。私もお前は気に入らない! ユウヤ! いつまでそんな貧相な背中を触ってるつもりだ! お前までやせ細っていくぞ!」
「はっ! ユウヤは決死の覚悟であたしを支えてたんだよ! 遅れて来たくせに、ピーピー喚くな、みっともない!」
「なにぃ!?」
「なんだよ!?」
いきなり喧嘩が始まった。
はぁ、この二人らしいといえばこの二人らしいけど。
敵はそれを見逃してはくれない。
「エルトリーシャ・ロードハイムか! お前が来ることくらい想定済みだ! 要塞内に入るなら好都合! ここで津波の餌食にしてやろう!」
ヴォルターは吼えるように告げると、渾身の力を込めてくる。
エルトが合流したことで、一切の余裕を捨てたらしい。
力業で押しつぶす気だ。
一度は止まった津波がまた要塞に近づいてくる。
「ふん! 川の水を使って津波とはな! 水使いらしい手だが、そんな手で私を押し切れると思うな! 私はどこぞの風使いとは違う!」
「ざけんな! あたしだってこんな手にやられたりしねぇよ!」
「やられそうだっただろうが!? 礼くらい言ったらどうだ? 助けてやったんだぞ!」
「頼んでねぇ! あそこから逆転の予定だったんだよ! よくも無茶苦茶にしてくれたな!」
この二人は本当に一緒に居させると喧嘩しかしないな。
だが、相性が悪いわけじゃない。
「エルト、レイナ。まずはあの津波をどうにかしてくれ。喧嘩はあとでいくらでも聞いてやる」
「言ったな? その言葉を忘れるな! 私に味方しなかったら、わかってるな!?」
「おい、ユウヤ! その約束を忘れるなよ? 一緒にエルトリーシャに吠え面をかかせるからな!」
まずいこと言ったかなぁ……。
けど、これで二人の意識は津波に向いた。
「おい、わかってんな?」
「そっちこそわかってるな?」
二人はそれだけ言うと、同時に風壁と光壁に力を加えて、津波を押し返す。
それもただ押し返しているだけじゃない。
川側の城壁に向かっていた津波は、マグドリア軍へ。
アークレイム軍方面から来た津波は、そのままアークレイム軍へ。
徐々に速度を増して向かっていく。
二人の同時攻勢に、ヴォルターとアークレイム軍の魔導士はこらえ切れないらしい。
「くっ! ロードハイムはともかく、レイナ・オースティンがまだこんな力を残しているとはな!」
「はっ! 誰に言ってる? あたしはレイナ・オースティン! レグルスの使徒だぞ! お前の生ぬるい攻撃程度で力尽きるかよ!!」
決壊といえばいいのだろうか。
最初に力関係が崩れたのは、川の城壁方面に向かっていた津波だった。
一気にマグドリア軍のほうへ水が流れていく。
まさか敵の要塞に向かっていた津波が自分たちのほうへ向かってくるとは、夢にも思わなかったのだろう。
マグドリア軍の動きは緩慢で、津波から逃げれそうにはない。
そして、アークレイム方面の力関係も崩壊する。
ヴォルターが手にしていた槍にヒビが入り、乾いた音を立てて壊れたのだ。
「ちっ! 持たなかったか!」
「貰ったぞ! 食らうがいい! 自分たちの大将が作った津波だ! さぞやうまいことだろうな!!」
エルトの声とほぼ同時に、アークレイム軍とマグドリア軍は津波に飲まれた。
とはいえ、要塞に迫っていたほどの勢いはない。
それでも両軍に甚大な損害を与えてはいるが、撤退させるほどじゃない。
「エルト。どれくらい連れてきた?」
「二万だ。すべてマグドリア軍に突撃させる」
「じゃあ、あたしの騎士たちはアークレイム軍か」
レイナはふらつく体に鞭打って、近くに来ていた騎士たちに指示を出す。
このまま混乱に乗じて打って出る気だろう。
騎馬の用意はある。
撤退用だったけど、まさか突撃用になろうとは。
「動ける騎士、兵士を集めろ! 敵に突撃をかける! エルトリーシャ! マグドリアの使徒を逃がすなよ!」
「誰に言っている? 私とユウヤのコンビで、二度も取り逃がすわけないだろ!」
そうエルトが言った瞬間、戦場に綺麗な角笛の音が響いた。
腹に響く音ではない。
まるで楽器のような音だ。
ロードハイムの角笛。
やっぱりクリスも来ていたか。
混乱するマグドリア軍の背後から、エルトが率いて来た二万が襲い掛かる。
このままエルトと共にレクトルの本陣を攻めれば、もしかしたらレクトルを仕留められるかもしれない。
けれど。
レイナに視線を向ける。
どう見ても満身創痍だ。
エルトの前で強がってはいるが、もう指揮するだけで精一杯だろう。
いつの間にかヴォルターは消えているし、アークレイム軍のほうに戻ったと見たほうがいい。
そうなると、レイナは再度、ヴォルターと対峙する可能性がある。
それは今のレイナには負担以外の何物でもない。
「どうした? 行って来いよ。マグドリアの使徒とは因縁があるんだろ?」
そう言ってレイナも俺がマグドリア軍へ向かうことを勧めてくる。
そう、俺には因縁がある。
それを断ち切るチャンスだ。
だけど。
因縁よりも大事なものが今はある。
「俺はレイナの援護に回る。レクトルはエルトに任せるよ」
「なに!? どういうことだ!?」
「レイナには援護が必要だ。要塞にいた騎士や兵士も疲れてる。俺が必要なのは、レイナのほうだ」
「……あたしとあたしの騎士たちを甘く見るんじゃねぇ。このくらいの死線はいくらでもくぐってきてる。心配は無用だぜ」
「心配はしてない。ただ……因縁よりも約束のほうが大事なだけだ」
俺がそういうとレイナは少し驚いたように目を見開くと、小さく微笑み、勝手にしろと言ってくれた。
そして騎士たちの指揮のために、城壁を下りていく。
「……ユウヤ。ちなみに約束とはなんだ?」
「守ってやるって言ったからな。責任は持たないとな」
「お前! そんなこと言ったのか!? もっと言葉に責任を持て!」
「だから責任を持って、約束を果たしにいくんだろうが」
なにを言ってるんだ、こいつは。
エルトは顔を真っ赤にして喚くが、動ける騎士たちが集まりだしたのを見て、どうにか自分を抑える。
「この話はまた後でだ! しっかり覚えておけ!」
「ああ、覚えておくよ。それと、レクトルの首。取れるなら取ってしまっていいぞ。俺に気を遣うな」
「ほう……あとで悔しがらせてやる。覚えておけ!」
そう言いながら、エルトは腰に差していた長剣を俺に投げてよこす。
それはエルトの愛剣ではない。
俺がアルシオンに置いて来たブルースピネルだ。
そしてブルースピネルには袋が括り付けられていた。
それを紐解くと、青いマントが出て来た。
「レイナについていくなら、ヴォルターの首くらい取ってこい!」
「無茶いうなよ。この状況であいつが徹底抗戦すると思うのかよ……」
レイナが突撃をしようとしているのは、あくまで撤退する敵を追うためだ。
戦況はこちらに傾いた。
俺がヴォルターなら自分の軍の戦力は削られないように、首尾よく撤退する。
これはあくまでマグドリアの戦いだからだ。
それをおそらくレクトルもわかっているから、レクトルも早々に撤退するはずだ。
所詮は利害で結びついている両軍だ。
自分が不利になっても、相手を助けようという気は欠片も持っていない。
ただ、こちらが動かないと立て直しかねない。
だから仕掛ける必要がある。
「まぁ、努力はするさ」
いまだ怒りが冷めやらないといった様子のエルトに答えつつ、俺は青いマントを身にまとう。
背中には銀の十字。
懐かしい感覚だ。
「アルシオンの銀十字が情けないことを言うな! その名が泣くぞ!」
「泣かせとけ。ほら、早くしないといい所をクリスに持ってかれるぞ?」
マグドリア軍はどうやら水の量が減った川を渡り、この戦場からの撤退を図るようだ。
おそらくアークレイム軍もそうするだろう。
ヴォルターがいる以上、こちらは川を渡れない。
明らかに危険だからだ。
それまでが勝負であり、もうその時間はそんなに残ってない。
「ふん! 腹の立つ奴だ!」
「まぁそう言うなって……」
エルトは鼻を鳴らして背を向ける。
そんなエルトの背に向けて、俺は言葉をかける。
ずっと思っていた言葉だ。
「エルト」
「なんだ? まだなにか」
「きっと来てくれると思ってた。ありがとう」
素直な気持ちを口にすると、エルトは微かに不満そうに唇を尖らせる。
「言うのが遅い」
「悪かった」
「だが、生きていたからよしとしよう。これでレグルスでの借りは返したぞ! どうだ! もうデカい顔はできまい!」
「デカい顔なんてしてないだろ……」
まったく、負けず嫌いなんだから。
困った奴だ。
呆れつつ、俺は笑顔でマグドリア軍へ向かうエルトを見送り、自分も城壁を下りる。
「俺にも馬を! 出るぞ!」