第三十五話 神威強化
戦え。戦え。
同じ言葉が木霊している。
曖昧な意識の中、その声の主を探す。
だが、すぐにそれを諦めた。
呟いていたのは自分自身だったからだ。
「……寝ていたか……」
寝言で戦えって……いよいよ戦いが染みついて来たな。
嫌な話だ。
どれくらい寝ていたのか。
壁に寄りかかったあとの記憶はない。
気づけば地面に座り込んでいた。
顔を上げると俺と同じように寝ている騎士たちが目に入った。
どれくらい寝ていたかわからないけど、記憶にあるのは日の出までだ。
日の位置を見る限り、大して時間は経っていないらしい。
「深く寝るのは無理か……」
神経が研ぎ澄まされすぎて、睡眠も満足に取れないとか。
本当に兵士や騎士っていう職業はブラックだ。
今日の日にちは十一月の三日。
今日の朝方まで、マグドリア軍とアークレイム軍は総攻撃を掛けてきていた。
交代しながら息つく暇もなく攻め続け、こちらの体力と精神力を削りにきた。
おかげで、こっちの城壁でまともに動ける者は一握りになった。
怪我人は大量。死者も大量。
当初は一万近くいたが、戦える者はもう三千以下だ。
「セドリック……セドリックはいるか?」
記憶が確かなら、セドリックに言われて休みを取った気がする。
ということは、セドリックは起きているはずだ。
「公子? もう起きられたのですか?」
城壁の階段を上ると、敵軍を見ていたセドリックが寄ってきた。
その姿は返り血ですごいことになっている。おそらく俺も似たようなもんだ。
「一応、寝たんだけどな……起きちまった」
「気持ちはわかります。この状況でぐっすり寝る者は相当肝が据わっています」
そう言ってセドリックはマグドリア軍に視線を向ける。
そこには意気揚々と攻撃準備を整えている兵士たちがズラリといた。
今日まで大事に使ってきていた狂戦士を、レクトルは惜しみなく投入してきた。
おかげでこちらの防衛線は容易く破られ、一度は本当に門を奪われかけた。
どうにか押し返し、騎士による突撃で戦線を後退させたから事なきを得たけど、同じ手はもう通じないだろうな。
「援軍は……間に合いそうにありませんね」
「どうかな。近くで様子を見ているかもしれないぞ?」
俺の言葉にセドリックの顔が曇る。
まったく信じてないな。
「気を悪くされたら申しわけありません。どうして……そこまでロードハイム公爵を信じられるのです?」
「前も来てくれた。来るといえば、あいつは必ず来る女だ。本当に女にしておくのがもったいないよ」
本人に聞かれたら激怒必至の言葉だけど、本心だ。
あいつほど性別を間違えて生まれて来た女はそうはいないだろう。
厄介なのは、女としても完璧に近いってところだ。
天は二物を与えずというが、あいつに関しては別だろう。
「私も存じています。あの方は誇り高く、約束を守る方です。しかし、状況が悪すぎます。博打に博打を重ね、ようやく間に合うかどうか……」
「じゃあどうしろと? あいつ以外に何を信じる?」
「……撤退を考えていただけませんか?」
セドリックの目は真剣そのものだが、馬鹿な提案だ。
目の前の軍が見えないんだろうか。
「こっちはもう動ける兵のほうが少ないのに、マグドリア軍を抜けと? どうやって?」
「あなたは一度やっています。数百の兵のみで」
「あれは奇襲だ。正面からの突撃とはわけが違う」
「レイナ様とあなたならできます。どうか、レイナ様を説得してください!」
せめてレイナだけはと思っているんだろうな。
気持ちはわかる。諦めたわけじゃない。生き残る確率の高い方法へシフトしようとしているだけだ。
けど。
「ここに残れと説得したのは俺だ。いまさら逃げましょうとは言えないな」
「もはや負け戦です」
「違う。戦には流れがある。その流れが相手に行くなら、喜んでレイナに撤退を進言するけど……まだ流れはどちらにもいっていない」
兵力の優位と地の利を得ながら、敵はここまで苦戦を強いられている。
こちらが頑強に抵抗しているからだ。
拮抗とはいかないが、敵にとっては嫌な展開だろう。
とくにアークレイムの使徒、ヴォルターにとっては。
わざわざ遠征をしてまで、ここに来たのはレグルスの使徒の数を減らせるチャンスだったからだ。
しかし、これだけ組織的抵抗をされると、レイナを仕留めるのは難しい。
たとえ、ナルヴァ要塞を落としたとしても、レイナに逃げられる可能性は捨てきれない。
だからそろそろ大技に動くはずだ。
レイナと神威の打ち合いをして、レイナの消耗とレグルス軍の士気をへし折りにくる。
それに負けた場合、エルトに申し訳ないが、撤退以外に手はなくなる。
だが。
「エルトを信じろとは言わない。けど、レイナは信じろ。ここで最後の一人になるまで戦い抜くってタイプじゃない。言われなくても次善の策は用意しているはずだ」
レイナの名を出してセドリックを納得させるが、長くは持たないだろう。
今日も総攻撃で来るはず。
果たして、今日持たせることができるかどうか。
レイナが逃げることに成功すれば、たしかにアークレイムの目的は挫くことになるが、そんなのは気休めだ。
オースティンの騎士団は壊滅し、奪ったナルヴァ要塞を取り返されたなら、それは紛れもない敗北だ。
そしてここでの敗北は敵を勢い付かせる。
「大局を考えれば……ここでの敗北は避けなきゃいけない」
「大局?」
「ここで負ければ、アークレイムとマグドリアは喜んでレグルスを攻める。弱腰のアルシオンはそれを見て、下手したら寝返るかもしれない」
「なっ!?」
それこそが俺がここで戦に拘った理由だ。
レグルスが精強であり、マグドリアとアークレイムという二大国に対抗できるからこそ、アルシオンはレグルスと手を組んだ。
しかし、二つの国にしてやられたら?
王都の貴族はレグルス派と反レグルス派に分かれ、王はその意見に翻弄されてしまう。
その後は考えたくもない。
だからこそ、負けるにしても惜敗くらいに抑えないといけない。
たとえば、要塞は取られたが敵の使徒は討ちとった、という形ならアルシオンが受ける印象も変わるだろう。
「だから、なんとかして踏ん張れ。何もかも、今日の出来次第だ」
それだけ言うと俺はセドリックの傍を離れ、城壁にいる兵に声を掛け始めた。
そろそろ兵たちも俺を信頼してきている。
自軍強化も使えるはずだ。
ただ、どこで使うか。
それが問題となる。
使いどころを誤るとそれで詰む。
だからこそ、気持ちを強く持たないといけない。
疲労はもう限界に近い。
気を抜けば倒れてしまいそうだ。
おそらく、それはレイナも一緒だろう。
●●●
今日の最初の攻撃は、意外にもすぐ終わった。
敵がすんなり退いたのだ。
「なにを企んでる……?」
レクトルの意図がわからない。
最初の部隊を退かせて、ほかの部隊を投入するならまだしも、それすらしない。
いったい、何をする気なのか。
マグドリア軍にとって、ここで退くことにメリットはない。
つまり。
「ヴォルターの差し金か……。セドリック! ここの指揮は頼む!」
「公子!? どちらへ!?」
「レイナのところだ! ヴォルターが何かを企んでる!」
説明をしながら、城壁を下りて待機させてある馬に乗り込む。
その時。
川のほうで大きな音がした。
何かが決壊する音だ。
「これは……!?」
「……敵は……川をせき止めていたようです」
セドリックが呆然とした様子でつぶやく。
どうして、とは聞かない。
水を操れるヴォルターがいる以上、川は障害になりえない。
それでもせき止めたのは、溜めるためだ。
この要塞を攻撃するための水を。
「特大の水攻めをする気か!?」
馬を走らせ、川のほうへ向かう。
本来、水攻めは城の周りを土塁で囲んで行う。
それによって、辺りを水浸しにして身動きが取れない状況に追い込むのが狙いだ。
だが、ヴォルターの水攻めは要塞への直接攻撃。
要塞の周囲を水浸しにするのではなく、要塞内を水浸しにする気だ。
対抗手段は一つだけ。
馬を走らせながら空を見る。
すると、アークレイム軍方面の城壁からレイナが飛んできた。
「レイナ!」
「ユウヤか! 来ても役に立たないぞ!」
「かもな! でも遠くで見るのは性に合わない!」
俺の答えを聞いて、レイナは空で苦笑する。
そのまま何も言わずに、加速して川のほうの城壁へ向かった。
それを追う形で、俺も馬を走らせる。
少し遅れて、俺も城壁の近くへ到達する。
それと同時に大きな音が聞こえて来た。
ヴォルターが溜めに溜めた水を、津波のように放ったのだろう。
城壁を上ると、それがあっていたことを知る。
「まるで映画だな……」
要塞に迫るのはバカ高い津波だった。
前世で見たことのある自然災害系の映画で見たことある光景だ。
近寄る津波が大きな音を立てて、要塞を飲み込もうとする。
まるで巨人の手のようだ。
ヤバいな。これは完全に死そのものだ。
飲み込まれたら生き残れない。
つまり、ここは死地だ。
「これは死ぬな……」
しかし、津波はギリギリのところで食い止められる。
「な、める、なぁぁぁ!!!!」
レイナが神威を全力で発動して、なんとか津波の進撃を食い止めたようだ。
けど、それだけだ。
押し返すには至らない。
「くっそ……! ユウヤ! 残った兵を率いて敵陣を突破しろ! 押し返すのは無理だ!」
「はぁ……無茶言うな。敵もそれには備えてる」
どうにか命を繋いだことに安堵しつつ、レイナに答える。
この状況下での活路は一つ。
レイナに頑張ってもらうしかない。
「じゃあどうしろってんだ!? 死ぬぞ!?」
「頑張れ、死ぬ気で」
「このっ! 他人事だと思って!」
レイナは両手を津波のほうへ向けながら、俺に悪態をつく。
まだそれくらいの余裕はあるようだ。
けど、確かに長くは持たなそうだ。
徐々にだが、津波が迫ってきている。
神威の力自体は互角だが、自然の後押しの分、ヴォルターに有利といったところか。
「お前が頑張らないとお前が守りたいモノは守れないぞ?」
「最悪だな! 今、そんなこと言うか!? あたしは今が全力だ!」
「いや、まだやれる。自分を信じろ」
「無理だって! あたしの神威はエルトリーシャみたいに、人を守れる代物じゃないんだ! 逃げろって!」
確かにこの状況、エルトの神威ならどうにかできるかもしれない。
エルトの神威は守りに特化している。
エルトはそれを攻撃に転じているが、本質的には防御の神威だ。
一方、レイナの神威は風。
どこにでもあり、どんなときでも十全の力を発揮する。
ただ、その分、ほかの神威に比べれると威力は落ちるのかもしれない。
汎用性の代償というべきか。
けど、風はやっぱりどこにでもある。
あちこちから集めてくれば、ヴォルターにも対抗できるはずだ。
「逃げろよ……逃げてくれよ……」
「逃げないさ。守ってやるって言ったからな。大丈夫……レイナならできる」
言いながら、レイナの背中に手を置く。
小さな背中だ。
その背中に、この要塞の命運はかかっている。
重すぎるものをレイナにだけ背負わせている。
けど、俺には何もできない。
俺の神威は強化。
直接、手を貸すことはできない。
できることと言えば。
ほん少しだけ背中を押すだけ。神からのエールを分け与えるだけだ。
いつだってそうだった。
俺の神威で救われた人間なんていやしない。
俺がしたことは背中を押すだけ。
彼らが生き残ったのは。
自らの力だ。
レイナはずっと頑張ってきた。誰かを守るために。
家族を失わないように。仲間を失わないように。
だから。
今、頑張るレイナにエールを。
この絶望的現状を打破できるだけの希望を。
できる気がする。
難しいことじゃない。
ただ、背中を押すだけだ。
「神威強化」